ウェーイ



東高に進学すると決めたのは、
ここが単に自宅から近く
無理をせずとも推薦で入れる高校だったからだ。

我が校はそんなニート・フリーター適正のある
人材が集まる環境のようで、
同じような尺度でこれからの青春3年間を
決定したと思われる、
地元中学の卒業生達が
ブレザーに着替えただけの姿で
入学式に顔を並べていた。

ウェーイウェーイ



見知った人の集まる入学式に
緊張なんてものはなくて、
僕はこの退屈なイベントを早く終わらせて
モンストのイベントに取り掛かりたかったし、
安井は僕への嫌がらせに精を出していた。

ウェイウェーイ

……



僕は苗字が遊川(ゆかわ)なので、
中学の同級生である安井とは
隣同士の席になることが多かった。
そしてそれは高校に入っても同様のようだった。

座り心地の悪いパイプ椅子に腰掛け、
PTA会長だか市長だかよく分からない、
何人目かの偉い人からの
何度目かの「ご入学おめでとうございます」を
右の耳から左の耳へと聞き流す。

やはり隣の席になった安井は
じっと座っていることに飽き、
さっきから僕の股間にタッチをする遊びを
狂ったように続けていた。

ウェーイ

……



ここは本当に高校の入学式なのかと
錯覚するほど低俗な、安井という男は
名前に裏付けされる通りの安っぽい人間である。

ウェイ! ウェイ!

……



無反応・無関心の姿勢を貫く僕をみて
調子に乗り始めた安井が、
今度は股間を揉みしだき始めた。

……!



僕はその手の甲を親指と人差し指で挟み込み、
呼吸を整えて精神を統一した。

そして一瞬の静寂の後、
原付のキーを回すようにして
安井の皮膚を捩じった。

アヒャ!



安井は大人しくなった。

攻撃は最大の防御。

初めからこうすればよかったのだ!
僕は高校入学初日にして
早くも1つ賢くなってしまった。

次は新入生代表による挨拶です。

はい!



女の子の声だった。

新入生の挨拶って、入試の成績が
一番良かったやつがやるんだよな。



正気に返った安井が耳打ちしてくる。

新入生300人中一番頭のいい生徒か。
でも君は知ってるかな。
攻撃は最大の防御なんだぜ。



僕の遥か前方で、
返事をした女の子は立ち上がり、
体育館の壇上へ上がっていった。



階段を上り終えると正確に90度左へ折れ、
マイクへと向かう。
彼女の横顔はその時に見えた。

――

!!



好きだ! と思った。

可愛いとか綺麗とか、
そんな言葉よりも前に、
僕は彼女のことが好きだと思った。

透き通るように白く細い足は
簡単に折れてしまいそうなのに、
壇上を渡る様は優雅にして正確で、
彼女の勤勉さと自信のようなものが見て取れた。

歩くたびに振り上げ、
下ろされる2本の腕は
指先までしなやかに伸び、
そのリズムの心地よさに
まるで1秒が永遠のようにすら感じられた。

艶やかな髪は軽やかに風に揺れ、
その隙間から覗く小さな耳は儚かった。

けれど精巧な陶器のように整った鼻や唇からは
不思議と強い生命力が受け取られ、
何よりも魅力的な黒い瞳は、少しの緊張と、
そして溢れる未来への希望を抑えきれず
じりじりと光を放ち続けていた。

僕は彼女に出会うために
生まれてきた、

いや人類のすべてが、

霊長類の誕生する
6500万年の歴史が、

ただこの時代のこの場所に
彼女という奇跡を存在させるための
前置きであって、

そしていつの日か彼女が家族に見守られながら
安らかに息を引き取るとき、

役割を終えたこの世界も崩壊して
無へ還るのではないか、

そんなことを本気で考えてしまえるくらい、
彼女は魅力的だった。

――

マイクの前で静止した彼女が一礼し、
式辞の言葉を述べ始める。

あたたかな春のおとずれと共に、――

参ったね! 声まで可愛いなんて!



という叫び声を本気で上げそうになって、
慌てて僕は拳を口の中にねじ込んで声を抑えた。


人を好きになったことなんてなかった。

そんなときマンガじゃよく
胸がドキドキすることを風邪かなにかと
勘違いする展開があるが、
僕に言わせればその程度は恋と呼ばない。

体中の細胞が暴れだして、
つま先から脳天まで痛いくらいの衝撃が駆け巡り
呼吸するのを忘れ、
とにかく心臓が熱くて、苦しかった。

これが恋じゃないならなんだっていうんだ。



入学式が終わるとクラスの振り分けが行われ、
なんと僕は彼女と同じクラスになってしまった。

この瞬間が僕の人生の頂点である。

全校生徒の中でも彼女と同じクラスに
所属できる男子はたったの20人。
その1人に選ばれるなんて、きっと今世と前世、
そして来世以降の運のすべてを
使い果たしたに違いない。そうに決まってる。

そう悟った僕は絶望に打ちひしがれ、
今この瞬間に僕の頭上だけに
核ミサイルが落ちてきて死ぬに違いないと確信し
思わず頭を庇った。

そうこうしているうちに、
動転した僕はクラス最初の
自己紹介である失敗をし、
なんか気まずい感じのまま
高校生活をスタートさせ、
親睦を深めるための1月後の日帰りキャンプで
みんなとカレーを作ってもいまいち乗り切れず、ずるずると夏休みに入り、
『高嶺の花子さん』を狂ったように聴き倒し、
今すぐその角から飛び出してきてくれないかとか思いながら、
あてもないのに毎日日が暮れるまで
家の周りをぐるぐる回り、
そのせいで2学期が始まるころには
海にも行っていないのに
アフリカ人のような肌になり、
部活をする気になれず、
かといって勉強にも身が入らず、
教室ではどうしようもない位置に
なり下がった頃には、
季節は冬になろうとしていた。

いやー見事に非モテグループになっちゃったな! 俺たち!

まあそんなことは割とどうでもよかった。
僕にとって彼女は
あまりにも神格的な存在であったので、
モテるとか付き合うとかいうことは
想像も及ばなかったし、
時々なんでもないことで
ほんの一言でも声を交わせると
その日まで生きてきてよかったと感じた。

遠くから眺めているだけでも最高に幸せだった。

でもそんな日々に満足できないようなことが
ある日起こるのである。

だからこの物語は12月に始まる。




 
















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