3 不思議な少年

バスを降りた私は、気が気ではなかった。

校門で待っているという先輩の言葉のせいだ。

待っているって、どういうふうに待っているんだろう。

緊張しながら、校門にちらちらと目をやる……が、いない。

川越 晴華

もしかして、私が早すぎたのかな。

っていうか時間とか決めればよかった、失礼すぎる私……

自己嫌悪にさいなまれていると、隣を歩いていた生徒が、今日は朝からなのかな、と言った。




今日は、朝から?




何がだろうと周りを見渡すと、何人もの生徒が空を仰いでひそひそと話しをしていた。

川越 晴華

まさか……

屋上に目をやると、ポケットに手をつっこんで、登校する生徒たちを見下ろしている光先輩を発見した。

肩には、レインが乗っている。

思わずそこで呆然と立ち尽くしてしまう。




今まで、朝から屋上にいるなんてことはなかったのに。


先輩は、一見ただ突っ立っているように見えたが、よくよく目を凝らすと、両目が左右に一定の速度でふれているのがわかる。

まるで登校中の生徒から、誰かを探しているみたいだ――。




ばちん、と目があった。




そらせず、じっと見つめていると、先輩は小さくうなずいて、すぐにその場を離れた。

川越 晴華

……私を探していた、んだよね

というか。

川越 晴華

校門じゃないじゃないですか……!

昨日レインに先輩が翻弄されているように、私も先輩に翻弄されているような気がして、ああ、と声の混じったため息が出る。




私のため息に気がついたのだろう、クロニャが鞄づたいにぴょんぴょんと華麗にとびあがり、私の肩に着地した。

クロニャ

どうしたんですかにゃ?

ひそひそ声なのは、他の猫にばれないようにだろう。

川越 晴華

いや、朝からあんな形で先輩と顔をあわせることになるとは思ってなかったから……

にゃはは、とクロニャは笑う。

クロニャ

まるで悪の組織のボスのようでしたにゃあ

確かに、と思わず吹き出し、あわてて咳き込むふりをする。

川越 晴華

朝から屋上で人間たちを見下ろす悪の組織のボス……っぽかったですって、放課後に伝えよう

私は唇を噛んでなんとか無表情を保ちながら、教室へと向かった。

猫まみれでも、バスで大丈夫だったのだから、教室でも大丈夫だろう。

そう思っていたのがそもそもの間違いだった。




まず、バスの中の猫たちとは違い、教室内の猫たちは、思っていたより自由だった。


机の上ですやすやと寝ている猫ならまだいい。

足元をうろつく猫、じゃれる猫、窓の外に出たがる猫、教室を出たり入ったりする猫――。


安全に遊んでいるようではあったが、それでも、放っとけるわけがない。

なぜかって、みんな、かわいいからだ。

ついつい、目がいってしまう。




一時間目が始まって、十分もたたないうちに、私は教室内のある猫と目があってしまった。

あわててそらしたが、視線を感じる。


にゃーう、とその猫がないた。

気がつかれてしまった。


ないた猫は、机の間を縫うようにしてこちらへとやって来た。

そして、堂々と私の机の上に乗り、なにかを訴えたそうにこちらをじっと見つめてくる。


灰色の猫だった。

細くてしなやか、とてもきれいだ。


青い目が、穴があいてしまうのではないかというほどに、私を見つめている。

クロニャ

じゃまにゃあ

私の肩に乗っておとなしく授業を聞いていたクロニャは、そう呟いた後ににゃーとないた。

どうやら、通訳をしてくれているようだ。




にゃーう、と灰色の猫がなく。

なーう、とクロニャが答える。




何度かやりとりをしているうちに、足元が暖かくなってきた。

猫が、集まってきたのだ。


ほとんどの猫は、まるで順番を待っているかのように、足元に陣取ってはまるまり始めた。

少しだけ視線をずらしてみたが、わんさかいる猫にまいってしまう。




かわいい。

かわいい猫に、包囲されている。

これじゃあ、動けない。




活発な猫は、順番待ちをしているを押しのけて、私の膝へと飛び乗ってくる。


机にやってくる猫に、灰色の猫がパンチを食らわせている。

おお、これが俗にいう猫パンチ。

そういえばレインも先輩にしてたっけ。




じゃなくて!

クロニャ

ご、ごめんにゃさい、晴華さん、どうにも……にゃー! 

どうにも、おっぱらえなくて!

返事をするわけにもいかず、黙っている。


にゃーにゃーにゃーにゃー騒がしいけれど、私以外にもちろんその猫は見えていないから、ええっと、私は授業を受けているふりをするのが一番いい……のはわかっているけれど!


私の周りは猫だらけ! 
私は猫に完全に包囲されている!

川越 晴華

こんな状態で平然と授業を受けられるほど、猫慣れしていない! 

っていうか先輩はいつもこの状態で授業受けてるの? 

あ、先輩はばれてないんだっけ……どうやって! 

器用すぎる!

なんだか、泣きそうになってしまった。

この先の学校生活、大丈夫だろうか、なんてことを考えてしまう。


そのとき、ヒーローのように颯爽と現れた猫がいた。

その猫は、机の上の猫を一括し、私の前にふわりと現れ、すました顔で言った。

レイン

騒がしいと思ったら……大丈夫ですか?

川越 晴華

レイン様ー!

ふるふると顔を横に振ると、やれやれといったふうにレインは目を伏せ、その場でたじろいでいる猫達に一括した。

レイン

シャー!

大きく目を開け、黙る猫達。
視線は、レインに集中している。




その後、にゃーにゃーにゃーにゃーとレインが一人でしゃべると、集まってていた猫達は納得したようにうなずき、ぞろぞろと帰っていった。

レイン

……ずっと僕がここにいてもいいけれど、そうしたら光が心配しますから、保健室に一旦逃げたほうがいいと思いますよ。

一応、僕がこの人は君らの話を聞いてはくれない、散れって言っておきましたから、もう寄ってこないとは思うんですけど……顔色もすぐれないようですしね

レインの言うとおりだ。

さすがに、猫包囲騒動で少し疲れてしまった。

かわいかったけれど、それでも。


一旦休んだほうがいい気がする。

私は小さくうなずいて、静かに手をあげた。

保健室の先生が、顔色が悪いからとベッドをひとつあけてくれた。

横になり、寝ようと思ったら……。

レイン

晴華さんを守ってあげなよ、僕みたいに言ってやればいいんだよ

クロニャ

助けてくれたことに感謝はするにゃ、でも、まだふにゃれな部分はあるんだから、そうやって責めにゃいでほしいにゃ

レイン

はっ、本当に何も知らないんだね

クロニャ

知るわけないにゃ! 

つい昨日まで、みんなと同じ認識されないただの守り猫だったにゃ!

――と、お二人が私のベッドの上で、絶賛口喧嘩をしてくださったため、眠ることはできなかった。


なんだかこの二人、仲良くないなあと、少し心配になってしまう。

まだ出会って少ししか経っていないけれど、レインは少しつんけんしている、ザ・猫みたいな性格で、クロニャはレインに比べると人懐っこいところがあるような気がする。

それこそ、どちらかというと犬のようだ。




レインもひとなつっこければなあとも思うけれど、なんだかんだ助けてきてくれたし、きっとただつんけんしているだけなのだろう。

川越 晴華

早く打ち解けられればいいけど……

にゃんにゃんと言い争いを続けている二人の声にも慣れてきたし、寝ちゃおうか、と目を閉じる。

二人の声を子守唄にまどろみ、やがて少しだけ眠ってしまった。

授業の終わりを告げるチャイムで、目が覚める。

雨音 光

……あ、起きた

川越 晴華

……わっ

わー!

叫びそうになる。
なぜ、なぜ先輩が保健室に! 
私のベッドの、隣に! 
座っている!




もしかして寝顔見られてた? いつから?

混乱しすぎて、膝上に乗ってきたクロニャをとりあえずなでる。

落ち着け、私。

先輩は目を細めて、顔を傾けながら私の目をのぞきこんできた。

雨音 光

体育でさ、早めに終わったから。

聞いたよ、大丈夫?

私は、手をぶんぶんと振ってみせる。

川越 晴華

だ、大丈夫です、元気なんです! 

でも、念のために避難しただけで

雨音 光

ああ、それも聞いた。

でも、心配だよ。

まあ、もう大丈夫だろうとは思うけど。でも

先輩がベッドに手をついて、少しだけ顔を寄せてくる。

びっくりしすぎて、私は後ろに体を引く。

川越 晴華

な、なんですか……

雨音 光

やっぱり顔色悪いよ。帰ろう

川越 晴華

雨音 光

バスだよね、送るよ

川越 晴華

でも、先輩は

先輩は立ち上がって、いいのいいのと笑った。

雨音 光

元はといえば俺のせいだし。それに

立ち上がった先輩は、後ろを見て、保健室の先生を確認したのかもしれない。

屈んで、耳元に口を寄せてくる。

雨音 光

このあとの授業、退屈なんだもん

言って、いたずらっぽく笑って、姿勢を戻す先輩。

クロニャが私の背中に飛び乗り、ひそひそと言う。

クロニャ

近かったですねえ

こくり、とうなずく。




先輩、なんというか――無防備すぎ、だ。

一緒にバスに揺られ、私たちは帰ることになった。

昨日までは、不思議な先輩だった人が、今では隣に座って、他愛ない話をしてくれる。

一人で乗っているバスの時間より、何倍も早い時間が過ぎ去っていく。




お二人さん、降りないの?




バスの運転手さんに話しかけられ、驚いて辺りを見渡すと、そこは駅だった。

そうか、駅だから声をかけてくれたのだ。

雨音 光

あ、ここでは――

先輩が、運転手さんに返事をしてくれる。

私は、今日の朝のように、何の気なしに窓の外に目をやる。

川越 晴華

……あれ

行き交う人の中に、男の子を見つけた。

朝、いた子だ。
違和感を覚えた子。

雨音 光

――降りません

先輩が言うと同時に

川越 晴華

ごめんなさい、降ります!

私は叫んでいた。

にゃ? とレインが私を見上げる。

雨音 光

え、駅じゃないよね?

先輩も驚いているみたいだったが、説明は降りてからだ。

川越 晴華

すみません、降ります。

先輩、降りましょう

いぶかしげに私たちを見てきた運転手さんにお礼を言って、駅前のバス停で降りる。

雨音 光

どうしたの

川越 晴華

朝も、あの子、あそこに立ってたんです。

ほら、商店街の入り口にいる、男の子

雨音 光

登校したときから? 一人で?

川越 晴華

そうなんです……あの子を見て、私、よくわかんないんですけど……違和感を覚えて

その正体がわからずもやもやするが、今でも確かに、変だと思う。




男の子が、おばさんに話しかけられる。

男の子が二言三言話すと、おばさんは笑って去ってしまう。

男の子は、何と言ってあそこに居続けているのだろう?

雨音 光

違和感? 

なんだろう……いや、あの子が一人でずっといること事態違和感だけど、そういうのじゃないんだよね。

朝から何かおかしいなって思ってたんでしょ?

私はひとつ、うなずく。

おかしい。あの子――と、あの子の、猫。

川越 晴華

猫がおかしいと思うんです

雨音 光

猫が?

先輩が、私の隣でじっと目を細める。

そして、すぐに

雨音 光

ああ、わかった。

確かに変だ

と言った。

川越 晴華

すごい! 早いですね!

雨音 光

だてに見慣れてないからね

そうかもしれないけれど、それにしたって早い。

川越 晴華

何が変ですか?

雨音 光

猫の向き。

ほら、他の人達って、基本的に見ている方向が一緒だろ。

でも、あの二人は背中合わせだ

川越 晴華

あ、本当ですね

言われてみれば、確かにそうだ。

あの男の子は商店街の方を向いていて、猫はこっちを向いている。

川越 晴華

喧嘩ですか?

雨音 光

猫と喧嘩は、見えてない限りないだろうけど……自分の気持ちに整理がつかないときに、ああなっちゃうことはあるよ

自分の気持ちに、整理がつかない?

川越 晴華

……何か、迷ってるんですかね

ひとりぼっちなのかもしれない。

それは、とても辛いことだ。

あんなに、小さいのに。


もし、助けてあげられるのなら。

川越 晴華

心配です。先輩、私、行ってきます

雨音 光

え、ちょっと

 

歩きだそうとしていた私を、先輩がとめる。

ああ、しまった、と思う。


突然行ってきますだなんて、こいつは何を考えているんだと思われたかもしれない。

ただ、助けようと思って足が動いただけだけれど……。

私は、とぼけたように言ってみる。

川越 晴華

あ、先輩用事あります?

雨音 光

いや、そうじゃなくて……えっと

何かをいいよどむ先輩に、私は笑ってみせた。

川越 晴華

人助け、なんていったら、偽善っぽいですか?

先輩は、切れ長の目を大きく開いた。

少し、きつい言い方になった。




また、後悔。しまった。

先輩にはわからないかもしれない。




猫を見ることができるようになったおかげで、あの男の子が困っているかもしれないとわかって、私は――人を助けることができる、と思った、なんて。

先輩に嫌われるかな、と怖くなったけれど、先輩は目を大きく見開いたあと、ふっと笑った。


優しい、笑顔だった。

雨音 光

そんなことないよ。行こう

レイン

猫との通訳は、僕にさせてよね

レインがふん、とクロニャに向かって笑う。

クロニャ

見学させて、いただきます、にゃ!

怒ったクロニャは、毛を逆立てながら、大きな声で怒鳴った。

雨音 光

頼むからあの子の前で喧嘩だけはしないでよね……

苦笑する先輩に、レインはべっと舌をつきだした。

先輩はもう、と微笑むと、私にちらりと視線をくれる。

雨音 光

行こう

川越 晴華

……はい!

嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。


何が嬉しかった?

川越 晴華

……偽善じゃないって

多分、そう言ってくれたことが、嬉しかった。

誰かを助けたいという気持ち。








これがないと、私は――。

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