2 猫だらけの生活
2 猫だらけの生活
屋上で、私は正座、先輩はあぐらをかいて、肌寒い中、現状整理をはじめた。
肌寒い、といっても、私の膝には黒色の小さな猫ちゃんがちょこんと乗っかっているので、足元は暖かい。
最初はかまってほしそうな猫ちゃんだったが、とりあえず現状整理がしたいからと伝えると、ちぇっと不満そうにまるまってしまった。
なでていただけると嬉しいにゃ!
とのことだったので、背中をなでなでしながら話をしている。
とってもかわいい。
たまにごろごろ言っている。
ちなみに、先輩の足の上にも猫が乗っている。
僕もなでてくれるよね
とのことだったので、先輩も猫をなでなでしている。
なんだこのシュールな状況……
そう思いつつも、私は極めて簡単に、なぜ私がここに来たかを説明した。
先輩が自殺しそうだと思って、ここに来たんです。
俺が自殺しそうだって思って、とんできたの?
先輩は目を丸くして、なんだよおと空を仰いだ。
夕焼け空は、もう少しで夜に変わりそうだ。
俺は、君が……えっと、ハルカさんだよね
はい、あ、川越晴華っていいます、二年です。
流れる川に飛び越えるの越えるで川越、晴華は晴れに画数の多い方の花です
華麗の華ね……俺は雨音光
雨の音に光、ですよね。
有名ですよ、先輩
あ、そうなの……いや、だとしたら、俺が自殺しないっていいまわってることも知ってるんじゃないの?
知ってます。
でも、嘘かと思ってずっと心配していました
深読みですにゃ!
私の膝でまるまってた猫ちゃんが、突如顔をあげ、目をらんらんとさせる。
え! そうだね!
人同士が話している間は黙っているのがいいぞ、新参
先輩の膝上にいる猫が、すごい目つきで睨み付ける。
怖い。
レイン、なんでそんなにつっかかるんだよ
先輩の猫はどうやらレインという名前のようだ。
自分の顔を手で擦りながら、レインがふん、とそっぽを向く。
よりによってこんなじゃじゃ馬が、認識されるようになって舞い上がるかと思うと気が気じゃなくてね
……心配のふりした、嫉妬?
嫉妬じゃないよ!
にゃーにゃーにゃーにゃー、猫の言葉も抜けてないし
おまえもそうだっただろ
う、うるさいよ!
先輩の膝に猫パンチを食らわせるレイン。
かわいい
思わず口にすると、レインは私を一瞥し、ものすごく顔をしかめた。
不満そう。
レイン、いろいろ教えてあげればいいじゃないか
い、や、だ
ごめんね川越さん、こいつ、ちょっと素直じゃないんだ
ひっかくぞ、光
やっぱりかわいいね
笑うと、レインはべっと下を出して、顔をそむけてしまった。
ああ、と先輩が顔をしかめる。
私の膝に乗っている黒猫ちゃんも、同じようにレインから顔をそむける。
つまり、私のお腹のほうに顔を向ける。
ちらちらとこちらを見上げてくる。
……かわいすぎ。
ほんとごめん……それで、えっと、深読み、か
先輩が苦笑する。
心配性なんだね、川越さん
心配しますよ。
しかも、屋上に出たら先輩いないですし……
校内放送で俺、呼ばれてたんだけど、聞こえなかった?
……そういえば、校内放送で呼び出しがかかっていたことは覚えている。
それが聞こえないぐらいつっぱしってました……
はは、すごいな
先輩が笑う。
そういえば、笑顔ってあまり見たことがなかったな、と思う。
屋上から私達を見ているときは、いつもしかめっつら……というか、無表情のときはしかめっつらに見えるのかもしれない。
口がへの字だ。
だからこそ、笑顔はより、印象的なのかもしれない。
素敵な笑顔。
急に、先ほどまで抱き締められていたことを思い出す。
だー!
わあ、なんだ
い、いえいえいえ……すみません
邪念が……ぶるぶると首を横に降り、えっと、と言葉を探す。
先輩だって、心配性です。
私、落っこちたりなんてしませんよ!
いや、あのフェンスに足かけてたら、だれだって疑うだろ
そ、そうかもしれませんけど、でも、なんか、猫ちゃんが見えるような……
ひゅん、と風が吹いた。
それと同時に、冷静に、というか、現実に戻るというか。
猫ちゃんが見えてる……
今さらですにゃあ
こそこそ、と黒猫ちゃんが言って、舌を出した。
……そうですね、今さらですが、もう、私も先輩も屋上から落っこちる心配はなくなったので、そろそろご説明をお願い致します
ああ、君の退屈な日々に俺からのプレゼント
退屈なんて思ってないですよ、それなりに高校生活満喫してますよお!
おおげさに困ったような表情を見せてみたが、先輩は笑ってくれなかった。
代わりに、顔をしかめて、首をかしげる。
ほんとに?
……本当です
……そう
納得していない、といった表情だ。
じゃあ、ごめん。おせっかいだったかな
いえ、そんな……
なんだか、悪いことを言ってしまった気分になる。
楽しいと思います!
この、猫ちゃんが見えるっていう……能力?
にこっと笑うと、先輩も微笑した。
そうだね、能力付与だね。
俺は常に見えてるんだよ。
人にはね、猫が一匹必ずついているんだ
ほほう。
……妖怪的な
僕が妖怪?
失礼だぞ小娘、妖怪だと言われて喜ぶ人間がいないのと一緒だ
レインさん激怒。
レイン!
ごめんなさいごめんなさい、なんかごめんなさい
いや、いいんだ、こちらこそごめん。
小娘だなんて、レイン……えっと、妖怪ではないね、守護霊みたいなものだよ。
守り猫って、呼んでいる
へえ、守り猫
そう。
いつも川越さんのそばにいる守り猫は、その黒い猫ちゃんだ
にゃまえが欲しいにゃあ
言って、舌をちろりと見せる黒猫ちゃん。
確かに。
何にしようか、黒い猫ちゃんだから……クロニャ!
クロニャ! かわいいですにゃあ!
光先輩が目を丸くする。
即決だな……じゃあ、その、クロニャちゃんが、見えるようになった
クロニャでいいにゃ
あ、ありがとう。
レインのことも、レインでいいよね、レイン
僕はレイン様って呼ばれたい
意味がわからない……
先輩がレインに翻弄されているのが面白くって、ふきだしてしまう。
すると先輩は、私を一瞥して、すぐに視線をはずした。
心なしか照れているような気もする。
それで、私はクロニャとレインが見えるようになったんですね?
いや、守り猫全般が見えるようになったんだよ
……全般
つまりは。
人の数だけ、猫もいる生活、に?
そう、なかなか楽しくない?
にこり、と先輩が笑った。
た、楽しそうですが、え、ど、どんな世界ですか、それ
とりあえず、猫だらけになるけど、目とか合わせなければ向こうからは寄ってこないから。
まあ、すでにこの学校で俺が見えることを知っている猫は何匹かいるけど、秘密にしておいてって言ってあるし。
噂でよってくる子もいるけど、そういう子には見えないふりをしておけばいいよ。
実際、クロニャだって俺が君のこと見えるって、知らなかったろ?
知らなかったにゃあ、驚きだったにゃ!
だろうね。
猫にかこまれて暮らしたいなら、猫にアプローチしてもいいけど、でも、基本的に認識されてない子達だから、一度こっちきていいよって言うと、本当にべたべたくっついてくるよ。
まあずっとってわ――
先輩の言葉を遮るように、チャイムが鳴り響く。
先輩が、すっかりオレンジの抜けた空をぐるりと仰いだ。
あ、もう帰んなきゃいけない時間か……まだまだ説明し足りないから、明日、時間もらえる?
帰宅部だよね?
そうですね、そうしましょう、私もわからないことだらけですから
じゃあ、明日も屋上で
人一人に、猫一匹。
ただでさえ人で溢れている学校に、猫も溢れたら。
う、わ……
部活終わりの人で溢れる学校は、大変なことになっていた。
屋上に向かうときに、たくさんの人を縫ってきた。
その人達の足元に、猫、猫、猫だらけ。
すごいでしょ
階段の途中でたたずんでいる私に、先輩が耳打ちする。
すごすぎますね
驚いたことに、猫達は大概無言だった。
友人同士でしゃべっているときには、足元の猫もにゃーにゃーとしゃべっているようだったが、とても小さな声だ。
さ、帰ろう。足元に気をつけて
それは、エスコートの言葉ではなく、言葉通りの意味だった。
なんとか足元にいる猫達を避け、自転車通学の先輩と、バス停でお別れする。
これ
バス停で並んでいると、自転車にまたがった先輩から紙を手渡された。
メモが二行、走り書きで書いてある。
一行目は「にゃいんID」。
ミステリアスな先輩でも、今流行りのトークアプリはしているんだなあと、親近感を覚える。
二行目は、アルファベットと数字の羅列。
にゃいん、してる?
あ、してます
よかった、それじゃ、それが俺のIDだから、登録しておいて。
なんかあったらいつでも連絡して
は、はい
じゃあね。気をつけて
にゃあと、まえかごに乗ったレインがないた。
先輩がいなくなってから、私の左右にいる生徒がざわつきはじめる。
それもそうだろう、学校では有名な先輩が、こんなしがないいち後輩に、堂々とアドレスと電話番号を渡してくださっているのだから。
気をつけて、は、猫に、という意味だろうけど。
ひそひそ話が聞こえる。何、いまの、どういうこと? きゃー……。
私は静かにうつむいた。
頬が熱くなる。当たり前だ。
バスに揺られて三十分。
それが、私の通学路だ。
猫だらけの生活になれていない私は、もちろん、猫を無視することもできず。
いすに座りながら、必死に目をつむっていた。
しかし、その努力もむなしく、五分後にはばれてしまうこととなる。
真横に立っているお兄さんの猫が、バスが揺れたと同時ににゃ、と大きな声をあげた。
それに反応してしまったのだ。
だって、心配しちゃったんだもん!
声のしたほうを向いて、猫の安否を確認してしまった。
お兄さんの猫は、目をまんまるくして、驚いた。
にゃあ! と叫ぶと、他の猫もぱっと顔をあげ、ぞろぞろとあつまってきて――。
足元を包囲された。
おっぱらいますかにゃ?
クロニャに訊かれたが、私は小さく首を横に降る。
だって、猫が私の足にすりすり顔をよせたり、膝によじのぼってきたり、足元の近くで寝始めたり――。
かわいすぎる……
幸せな時間を過ごしながら、私は帰宅した。
確かに、先輩の言うとおり、猫が見えるというのは楽しいことかもしれない。
帰宅すると、クロニャはすぐに、勉強机とセットのいすにとびのった。
もしかしたら、お気に入りの場所なのかもしれない。
私が彼女を認識できないときも、よくそこにいたのかなあと思うと、なんだか和んでしまう。
クロニャはそこでふあ、とあくびをしながら、顔をうにうにとなでていた。
かわいい!
私もわかっていないことが多いのにゃあ
クロニャが舌をちろりと出した。
そうだねえ、突然だもんねえ
クロニャに近づいて、小さな頭をなでると、うにゃあと気持ち良さそうにあくびをした。
かわいい……
にゃあ、照れるにゃあ……
うとうととしている。
ああ、かわいい、かわいすぎる。
とりあえず、今日わかったことは、おそらく晴華にゃんには他の猫の言葉は……何笑ってるにゃ?
晴華にゃんて、晴華にゃんて……!
かわいいので、もちろんそのままで放置。
ごめん、なんでもないよ……ふふ、それで?
にゃあ。
晴華にゃんには、猫の言葉はわからにゃいにゃ。
他の猫の言葉は、にゃーにゃー言っているふうにしか聞こえなかったんじゃにゃいかにゃ?
思い出してみると、確かに。
だから、私が通訳……することに……なると思う……にゃー……
……もしかして……
くーくーと、寝息が聞こえる。
しゃべりながら寝た……!
私は必死に笑いをこらえた。
小さな黒猫ちゃんが、かわいすぎる。
クロニャが寝ている隣で、私は数分間、スマートフォンの液晶とにらめっこをすることとなった。
ベッドの上で、あぐらをかいた状態だ。
足元には、先輩からのメモが置かれている。
お礼ぐらい、いわないと、やっぱりだめだよね
はじめましてのメッセージを送るときは、いつだって緊張する。
とりあえず、まずは友達申請……
メモを片手に、IDを入力。
画面に、光、というシンプルな名前と、白猫のイラストアイコンが浮かぶ。
その猫は、レインにそっくりだった。
レインっぽいアイコンだなんて、先輩かわいいところあるな……
登録ボタンをゆっくりと押す。
なんだか、妙に照れてしまう。
何度も何度も迷って、言葉を選んで、結局とてもシンプルなメッセージを送ることとなった。
光先輩
こんにちは。川越晴華です。
ID、ありがとうございました。
今日は、あのあと、特に問題は起こりませんでした。
猫、かわいいです。
明日、放課後に屋上にいきます。
明日もよろしくお願いします。
送って、念のために電話番号も伝えた方がいいかなと思い、追伸メッセージを送信。
そのあと、しばらくはなんだかそわそわした。
返信は来るのかな、来ないのかな……十分ほどして、返信は来なかったので、私はスマートフォンを置いて夕御飯の支度に取りかかった。
料理中にクロニャが起きてきて、私の肩の上で興味深そうに料理を作る手順を見ているのは、少し意外だった。
返事が来たのは、夕御飯を食べ終わったあとのことだった。
雨音です。
メッセージありがとう。
問題がなかったなら、よかった。
ゆっくり休んでね。
おやすみ
シンプルなメッセージが、先輩らしかった。
レインのアイコンとのギャップが、なんだかかわいく思えた。
次の日の朝は、バスの中に乗ってすぐ、先輩からメッセージが届いた。
おはよう。
今、バスに乗ってるぐらいかな?
狭い中で、猫と目を合わせないようにするには、窓の外を見ているのが一番だよ。
大丈夫だとは思うけど、心配だから、一応校門で待ってるね
猫がぞろぞろついてくるような事態になってたら、レインに説得してもらうよ
心配だから校門で待ってるね!
メッセージを見ながら、口をぽかんとあけてしまった。
いや、いいですいいです、大丈夫です!
やんわりとその旨を伝えるメッセージを送ったが、返答でやんわりと大丈夫じゃないでしょとたしなめられてしまった。
先輩、心配性……その優しさに甘えることにして、了解の返事を送り、窓のを外を眺めていることにした。
窓の外にも、もちろんだけれど、たくさんの猫がいた。
猫がいることで、不思議と、たくさんの人間がいるなあなんていう、当たり前のことを考えるようになった。
たくさんの人がいて、いろんな人がいる。
走っている人の後ろには、走っている猫がいる。
話している人の隣には、いい子に座っている猫がいる。
駅前のバス停は、停車時間が長い。
通学する生徒が多いためだ。
観察しがいがあるなあと外を眺めていると、一人の男の子に目がとまった。
商店街の入り口で、ぼんやりと一人、たたずんでいる。
最初、なぜその男の子に目がいったのか、自分でもわからなかった。
どこか、違和感がある――でも、それに気がつくことなく、バスは発車してしまった。
どうしたの、と言いたげにちらりと私を見上げるクロニャに首をふって、外を眺めたときにはもう、そのときの違和感なんて、忘れてしまっていた。