──翌朝。
隆司は朝からバイトへ行き、
そしてバイトが休みだった私は
いつもより少しだけ朝寝坊をした。
──翌朝。
隆司は朝からバイトへ行き、
そしてバイトが休みだった私は
いつもより少しだけ朝寝坊をした。
今日は出かけないのか?
あっ……うん。
疲れてるし、家で休もうかなって。
蒼山くんは?
俺も家でゆっくりしようと思ってた
(蒼山くん、
いつもと態度が変わらない?)
昨晩、私は隆司に迫られてキスをしてしまった。
このルームシェアには
恋愛禁止というルールがあるのに、
私は隆司のキスを拒み切ることができなかった……。
そして、気づいたときには
蒼山くんの部屋のドアが少し開いていて。
そのドアの隙間から、
確かに蒼山くんは私たちを見ていた。
私と隆司が、抱き合ってキスしているのを。
慌てて隆司のキスを止めた時には、
蒼山くんの部屋のドアは閉まっていた。
隆司は『気のせいじゃないか?』と言って
キスを続けようとしたけど、
私はもう、そんな気分にはなれなかった……。
私と隆司は、恋愛禁止令を破ってしまった。
蒼山くんはそれを見て、どう思ったのだろう。
(呆れた? 軽蔑した?
絶対に馬鹿な女だと思われたよね。
嫌われちゃったかもしれない)
いくつもの否定的な言葉が、
私の頭の中をぐるぐると回った。
だけどお昼近くになっても、
蒼山くんはキスのことについて触れてこない。
(もしかしたら隆司が言ったみたいに、
私の見間違いだったのかもしれない。
余計な心配はやめよう)
頭を軽く横に振ると、
私はソファから立ち上がった。
今からお昼ご飯作るけど、
蒼山くんの分も作ってあげるね。
オムライスでいい?
そう言ってキッチンに向かおうとすると……。
……ッッ
いきなり蒼山くんが私の脇に手をつき、
私は壁際に追い詰められてしまった。
……!?
驚いて顔を上げると……。
…………
いつも優しい顔しか見せない蒼山くんが、
怖い顔つきで私を睨んでいる。
(やっぱり、ルールを破ったこと……。
怒ってるんだ)
泣いてしまいそうになるのをこらえて、
ただじっとして蒼山くんの言葉を待った。
どうして昨夜のこと、
何も言わないんだ?
昨夜のこと、って……。
隆司とキスしたこと?
……ああ
(私から打ち明けるのを
待ってたなんて……。
私、選択肢を間違っちゃったの?)
(これじゃあ、ますます
蒼山くんを怒らせちゃうよ。
楽しかったルームシェアも
今日で終わり?
蒼山くんに絶交されちゃうかも)
(……仕方ないか。
隆司とあんな事をした
私が悪いんだから)
覚悟を決めて目をつぶると、
大きな手が私の髪をそっと撫で下ろすのを感じた。
こわごわと目を開くと、
蒼山くんが優しい顔で私を見ていた。
悪かったな。
下らないヤキモチを妬いて、
怖がらせたりしてさ
それだけ言って蒼山くんは部屋へ戻ろうとする。
私は、慌てて蒼山くんの服の裾をつかんだ。
どういう意味?
出て行けー!
……とか、言わないの?
どうして出て行く
必要があるんだ?
…………
…………
お互いにキョトン、として
顔を見合わせてしまう。
だ、だから……。
私と隆司が、その……。
蒼山くんから言われてた
恋愛禁止令を破っちゃったでしょ?
だからルームシェアは
もう解散なのかなって……
なんだ、そんなことか。
確かに面接の時はそう言ったけど、
あれは建て前だ。
自然と好きになってしまった分には
仕方が無いと思ってるよ
それに栗崎も隆司も信頼できる人間だ。
今更解散して、
これ以上に良いルームメイトを
見つけるなんて無理だと思うけど?
そこまで私たちを
信頼してくれてたんだ……
当然だろ。
俺の見る目に間違いは
無いからな
ふふふっ。
結局は自画自賛なの?
(って、違う違う!
ほっこりしてる場合じゃない!
さっきの蒼山くんが言ったことの意味、
ちゃんと確かめなくちゃ)
あのね、聞いてもいいかな?
ん? 何を?
さっき……
『下らないヤキモチを妬いて』
って言ったよね。
何にヤキモチを妬いたの?
すると蒼山くんは罰が悪そうな顔になり、
頬を人差し指で掻いた。
……から
えっ?
よく聞こえなかったんだけど、
今なんて言ったの?
だから。
俺は高校のときから、
栗崎が好きだったから
…………!?
蒼山くんの前で何も言葉が出なくなったのは、
ルームシェアの面接のとき以来だった。
私がパクパクと口を動かしていると、
蒼山くんはきびすを返した。
もういいだろ。
隆司を好きなのはわかってるから
邪魔をする気はない。
それでも気持ちが悪いと思うなら、
俺はここを出て行く
(気持ちが悪い、なんて……。
そんなこと思うわけない!)
だけど、なぜか思っていることが
上手く口に出せなかった。
(でも……。
このまま声をかけなかったら、
蒼山くんが出て行っちゃう)
だから、私は……。
……栗崎?
気がつくと、蒼山くんの背中に抱きついていた。
あっ……
(なっ、なんてことしてるの私!
これじゃあ何の説明にも
なってないし!)
私が抱きついたまま黙っていると、
蒼山くんは小さく笑って私の手をそっと離した。
優しいんだな栗崎は。
いいよ、無理しなくても……
待って!
一つだけ聞いてもいい?
再び部屋に戻ろうとする蒼山くんに、
しつこくしがみ付いた。
顔だけこちらに向けて、蒼山くんが返答する。
……なんだ?
高校のときに私を、
す、好きだった
って言ったけど……。
私たち、高校時代は
一度も喋ってないよね?
それに、面接で会ったときは
初対面みたいな態度だったし……
あー、それは……
他の女子と違って大人しくて、
いつも教室の隅で
静かに本を読んでいる栗崎は、
俺にとって憧れだったから……。
俺なんかが声を掛けちゃいけない、
と思っていたんだ
ええっ???
それに、俺は目つきが悪いから、
意図的に目を逸らすように
していたんだ。
だから栗崎は俺のことを
覚えていないだろうと思って、
面接では高校のことに
触れなかったんだよ
……知らなかった。
蒼山くんって
こんなに天然キャラだったんだ
え?
俺が天然?
成績優秀で運動神経抜群の蒼山くんを、
忘れる人なんていると思う?
それに同級生だけじゃなく、
先輩や後輩からも
よく告白されてたでしょ?
そんなにキャラが濃い人を
覚えてないわけ無いよ
告白されたこと、
知ってたのか
知らない人なんていないと
思うけどなぁ
(しかもあれだけ告白されてたのに、
一度もOKしなかったのは
まさか私を好きだったからだなんて!)
(嬉しすぎて泣いちゃいそう……)
大丈夫か、栗崎?
目がうるんでるぞ
だ、大丈夫!
今にも背中から羽根が生えて
飛んでしまいそうな気持ちを抑えて、
私はもう一つの疑問をぶつけた。
でも、おかしいよね。
私を好きなのに、
どうして恋愛を禁止にしたの?
それは面接で栗崎に会う前から
決めていたルールでもあるし、
それに……
下心があってルームメイトを
募集していると、
栗崎に誤解されたくなかったから
…………
唖然とした。
ここ数ヶ月間、
私を思い悩ませた”恋愛禁止令”の文字が
煙のように消え去ってしまう。
それと同時に、梅雨明けの空みたいに
私の心が晴れ晴れとするのを感じた。
(それじゃあ私、まだ……。
蒼山くんを好きなままで、
いいんだよね?)
その思いを言葉にする代わりに、
蒼山くんに抱きついている腕に力を込めた。
…………?
いぶかしげに首を傾げる蒼山くんをよそに、
私は蒼山くんの背中にぎゅっと顔を埋める。
教室の後ろの席から
蒼山くんの背中を眺めていたとき、
ずっとこうしたかった……。
蒼山くんの匂いを胸一杯に吸い込むと、
少し照れくさそうな声が聞こえた。
あのな、栗崎。
お前は隆司と
付き合ってるんだから、
俺とこうしているのは
まずいんじゃないのか?
勘違いしてるみたいだけど
私と隆司は付き合ってないよ?
昨日の晩のあれは、
隆司にいきなりキスされて……
その割には
抵抗してなかったように
見えたけどな
……うっ
(蒼山くんって天然に見せかけて、
意外とツッコミが鋭い)
(確かに隆司を
受け入れちゃったのは
事実だけど……)
背中から手を離してうつむいていると、
蒼山くんが私の正面に立った。
好きなのか?
隆司のこと
(そんなに真っ直ぐな瞳で
聞かれたら、
本当のことしか言えなくなる)
わからない……。
好き、なのかもしれない。
キスされても嫌じゃなかった……。
だけど!
私がずっと前から好きで、
そしてこれからも好きなのは
蒼山くんだけなの!
──この一言が、なぜか言えなかった。