ゆっくりと、声のほうに視線を向ける。
 今朝まで尊敬していた――今の私も、尊敬の念は消えていない――先輩の表情には、他の子達と同じように、厳しく冷たい雰囲気が漂っている。
 いつも、私から相談事を持ちかけた時、優しく受け入れる言葉をかけてくれた。

 ――そんな先輩の顔に、今浮かんでいるのは、侵入者を見るような冷たい眼差しのみだった。

それとも……もう、ナンバリングで呼び合う仲ですか?

I184。お前の感情は、予測の範囲内に収まらない。……完全なエラーであり、『修正』の入る余地はない

 けれど、そう言う先輩に、私は違和感を感じた。
 先輩に浮かんでいた口調には、他の子達よりも、どこか柔らかい空気が残っているようにも感じられたからだ。
 まるで、考えあぐねているような……そんな、曖昧な感覚。
 だから私は、倒すべき相手としてではなく――先輩へのものとして――口を開いた。

天音先輩、覚えていますか? この場所で空を見上げながら、話し合ったこと

 そう語りかける私に、しかし、現実は無情だった。

 先輩は、一瞬で間合いを勢いよくつめて、両手を振りおろしてきた。
 両の手に握られていたのは、鈍い銀色の刃先。

 真剣、だった。

 でも、先輩の足先の動きでそれを察知していた私は、鋭い切っ先を回避する。

太刀筋――やっぱり、キレイです

 それは、今までの子達とは比較にならないほど、早い。
 顔の先をなでる切っ先を眺めながら、口をついたのはそんな言葉だった。

……!

――!

 自分でも、おかしな感想を言うものだと想う。
 でも、真実だった。
 昨日まで憧れていた先輩の動作は、何倍もの精密さを持って、繰り出される。
 その動きに、私は魅了される。

 ――そう感じると言うことは、私はまだ『鈴音』なのだろうか?
 ――でも、憧れていたのは、先輩の立ち居振る舞いと笑顔であって、こんな瞬間ではなかったはずなのに。

――ッ!

ぁッ……!?

 一瞬。自分でも気づかないほどに、一瞬の迷い。
 腹部に衝撃が流れる。
 とっさにブロックしきれなかった一撃は、想いの外、思考のまとまりを欠く作用をもたらし。

あなたは感動したとき、自分でも気づいていないスキができる――

くぅ、あっ……!?

 続いて放たれた、真剣の柄による打撃によって、私の身体は大きく吹き飛ばされてしまったのだった。
 地面に打ち付けられながら、私は油断を反省する。
 そうするよう、頭のなかの知識が、私に指示する。

(――なんで、私は――)

 身体がギシギシときしむのを感じながら、けれど、私が感じる感情。
 違和感を感じない違和感を、先輩へと問いかける。
 ――朝みたいに、優しく受け止めてくれることを祈りながら。

天音先輩。どうして私、こんなに冷静なんでしょうか

 先輩を見つめ、私は、観察していた。
 自分も、先輩も、周囲も。
 恐怖や恐れもない、けれど喜びや怒りもない。
 代わりにあるのは――現状認識。

 どうすれば、眼の前の障害を排除できるのか――それが、思考のなかにあふれ出してはまとまらないのだ。
 ――先輩の笑顔を忘れられない私の脳裏に、破壊せよとの情報が、とめどなく押し寄せてくるのだ。
 先輩は、少しだけ顔を伏せて、口を開いた。

もう、眠りなさい……I184。これで、終わりにしてあげるわ

 そうして、先輩はよろめく私に向かって一歩踏みだし。
 両手で構えた真剣を大きく振りかぶり、そのまま――。

……さようなら

 ――振り落とした。

……!

 次いで、放電の響きと。

 鉄クズが散乱する、無機質な音が周囲に鳴り響く。

 手のひらが、まだ伝えてくれている冷たさを感じながら、私はゆっくりと口を開いた。

……どうして、さっき、わざわざ逆手にしたのですか?

 先ほどの、油断を見せた一瞬。
 先輩の腕なら、あのスキをついて、真剣で切り捨てることもできたはずなのだ。
 なのに、絶好のチャンスを見逃し、こんなにもスキだらけで攻撃してくるなんて――まるで。

まるで、こうなることを、待っていたかのようじゃないですか……!

 振り絞ったような声に、先輩は口を開く。

さあ、なぜかしら。ただのエラーかもしれない、わね……

 かすれた声で返答する先輩の口調は、どこか、記憶にあるものと重なった。だからこそ、私は。

そんな……!

 先輩の身体を抱きしめようとするが、逆に振り払われる。
 距離をあけた先輩は、両の手で再び真剣を構える。
 ――けれど、私の脳裏では、もう戦闘知識の供給が止まっていた。

さあ、続きをしま……しょう

……っ、できません!

なら、次は……

 そう呟いて、先輩は戦闘態勢をとろうとするが――。

……

 両足は、大地に逆らうことはできず。
 ゆっくり、先輩の身体は、地へと崩れ落ちていた。

天音せんぱ……!

くるな!

 先輩は視線と絶叫で、駆け寄ろうとする私の足を止めさせた。
 ――近づくな、と視線が言っていた。

もう、ここまで、か

 そう呟いた時、先輩の身体から、火花が一つ咲く。
 ――血は流れず、まるで花火のような、朱い色だった。

天音先輩……先輩!

 呼びかける私の声に、先輩は――柔らかな笑顔を浮かべ、こちらに微笑んだ。

次は……鈴音、また、『修正』されて……会いましょうね

……!

 その言葉を最後に、先輩の身体は停止した。
 最後の、はかない笑顔を、その表情に貼りつかせたまま。
 エネルギーが切れ、機能を停止させた先輩に向けて、私は絶叫した。

それは、もう、私が知っているあなたじゃ……ない!

 握りしめた拳が、ギリギリときしむ。

私でも、ないんですよ……

 呟いても、先輩の体が動くことはない。
 そうなるように、私がしたのだから。
 脳内に渦巻く情報が収まり、今度は、感情が胸の内にたまってくる。
 怒りが、私の足と身体を動かす。
 先輩に受けたダメージが、身体をギリギリと鳴らす。だが、痛みはなかった。
 それに、感情が叫んでいた。そんなことなど、気にしてはいられないと。
 再び足を踏み出して、空中庭園を駆け抜けながら、私は最後の目的地へと向かう。

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