クリスくんがエミットの攻撃を受けて
瀕死の重傷になってしまった。
命の灯火は今にも消えようとしている。

すぐにでも回復魔法をかけに行きたいけど、
エミットに隙がなくて近寄れない。
 
 

エミット

うふふっ。早く手当をしないと、
この少女は死んでしまいますわね。

アレス

えっ? 少女?

エミット

少年のように見えますけど、
紛れもなく少女ですわ。
ここで服を破いて
差し上げましょうか?

 
エミットは槍の先で
クリスくんの服の一部を引っかけた。

そしてその部分を切り裂き、
白くてきめ細かな肌がわずかに露出する。
 
 

アレス

やめろぉおおおぉっ!

エミット

あら?
こういうのはお嫌いですか?
勇者様もお年頃ですから、
喜ぶかと思ったのですけれども。

 
エミットはクククと喉の奥で笑い、
槍を引っ込めた。


クリスくんって女の子だったのか……。
僕はてっきり男の子だとばっかり思ってた。
全然気が付かなかったよ。

――って、
そんなことに驚いている場合じゃない!
 
 

エミット

勇者様、助けないのですか?
この子、もう虫の息ですわよ?

 
エミットはクリスくんの頭を踏み、
ぐりぐりと地面に押しつけた。
でももはやクリスくんは抵抗どころか
うめき声すら上げられない状態だ。

マズイ、もう迷ってなんかいられない。
一刻も早く回復魔法をかけないと
手遅れになってしまう。


僕は意を決し、クリスくんに近寄ろうとした。
でもその直後、シーラに腕を強く掴まれる。
 
 

シーラ

ダメです、アレス様!

アレス

シーラ……。

シーラ

このまま近寄ったら
アレス様がやられてしまいますっ!

アレス

でもクリスくんを助けないとっ!

シーラ

それは私だって分かっていますっ!
でもこの状況では
どうしようも……。

 
シーラは大粒の涙を流していた。
僕の腕を掴む手も小さく震えている。

こんなに心配してくれている彼女の手を
僕は振りほどけるのか?

くそっ、どうすればいいんだ……。
 
 

エミット

うふふっ、お困りのようですね。
では勇者様に
チャンスを差し上げましょう。
私は無防備状態で
棒立ちしていてあげますわ。
少女を助けるか、私を攻撃するか。
好きな方をお選びくださいませ。

アレス

えっ?

エミット

無防備状態で
全員から攻撃されたら、
私も倒されてしまうかも
しれません。
一方、
もしこの期を逃したとしたら、
あなたたちは確実に全滅です。

エミット

私を倒すか、少女の命を助けるか。
どうなさいます、勇者様?

デリン

ゲスが!
アレスの答えが分かっていて
それを選ばせるのか?

エミット

えぇ、その通りです。
勇者様なら
少女の命を選ぶでしょう。
例えそのあとすぐに全員が
殺されると分かっていたとしても。

エミット

目の前で散りゆく命、
見捨てられるわけがありません。
勇者様はお優しいですものね?

ミリー

くっ!

エミット

でもその選択が結果的に
全員の命を散らせることになる。
勇者様はその罪の意識に
苛まれながら死ぬのです。
素晴らしいでしょう?

アレス

……うぅっ!

エミット

万が一、
私を倒すことを選択したとしても、
その時はこの少女が死にます。
それはそれで
心に傷を負うでしょうね。
うふふふふふっ♪

 
僕は唇を強く噛んだ。

こちらの行動が完全に読まれている。
エミットはそれが分かった上で、
こんな提案を持ちかけてきたんだ。


エミットへの怒り、
ふがいない僕自身への怒り――


様々な想いがあふれ出してくるけど、
今は全てを押さえつけるしかない。
もう迷っている時間はないんだから。
 
 

アレス

……みんな、
僕はクリスくんを助ける方を選ぶ。
ゴメンね……。

ミリー

アレス、気にしないでください。
あなたならそう答えると、
みんな分かっていますから。

デリン

チッ、さっさとしろ!
クリスが死ぬぞ?

シーラ

私たちはどこまでも、
アレス様に付いていきます。

エミット

うふふふっ♪
では、私は少し離れましょう。

 
エミットはクリスくんから数歩ほど下がった。
これならクリスくんを助けられる。

でも治療が終わった瞬間、
僕は攻撃されて死んじゃうんだろうな……。
いや、もう考えても仕方ない!
 
 

アレス

シーラ、回復魔法をかけに行こう!

シーラ

はいっ!

 
僕たちはクリスくんに駆け寄って容態を見た。

彼女の呼吸はすでに弱く、
生きているのが不思議なくらいの傷だ。
 
 

アレス

…………。

シーラ

…………。

 
 

 

僕とシーラはクリスくんに
回復魔法をかけ始めた。

僕は体力回復の担当、
シーラは傷を塞ぐ担当だ。
2人がかりならまだ間に合うと思う。


金色の光がクリスくんの体を包み、
少しずつ傷口が塞がっていく。
血色も回復してきて、
苦痛に歪んでいた表情が
徐々に穏やかになっていく。
 
 

クリス

う……うぅ……。

シーラ

ふぅっ、
これで一命は取り留めたはずです。

アレス

よかった……。

エミット

では、戦闘再開といたしましょう。
まずは巫女さんから
始末して差し上げますわ。

アレス

えっ?

エミット

はぁっ!

 
エミットは槍の石突きの部分
(柄の刃の付いていない側の先端)で
シーラの腹を突いた。

シーラはその衝撃で突き飛ばされ、
近くの木に叩きつけられてしまう。
まだ生きてるけど、
骨の何本かは折れてしまったかも……。
 
 

シーラ

が……は……。

アレス

シーラ!

アレス

なんてことをっ!
なぜ僕を殺さないっ?

エミット

殺して差し上げますわよ。
でも一番最後です。
勇者様には仲間の死に様を
見せつけて、
精神的に苦しんでいただかないと。
うふふふふっ♪

アレス

ぐぅううううぅっ!

エミット

お仲間もひと思いに
殺ってしまっては、
面白くないでしょう?
充分に痛みを与えて、
苦しみと絶望を味わって
いただきます。

エミット

そのためには勇者様以外で
回復魔法を使う方を
無力化しておかないと
いけませんものね。

ミリー

だからクリスに重傷を負わせ、
該当者を見極めたわけですか……。

 
ミリーは苦虫をかみつぶしたような顔をして、
ギリリと奥歯を噛んだ。


――僕だって悔しい。

全てがエミットの思い通りに
事が運んでいるんだから。
なんとかこのペースを崩す
きっかけを作らないと、
ますます思うつぼになってしまう。
 
 

デリン

終わりだ……もう終わりだ……。

アレス

諦めちゃダメだよっ、デリン!
最後まで諦めちゃダメなんだ!
その時点で終わりになっちゃう!

デリン

アレス……。

アレス

最後の最後まで僕は戦うよっ!

ミリー

……ふふっ。
それでこそ勇者です、アレス。
私も共に最後まで
抵抗させていただきます。

デリン

お前ら……。

エミット

やれやれ、人間という生き物は
本当に往生際が悪いですわね。
勝てる見込みなどないというのに。

エミット

でも魔族は違いますわ。
そうですわよね、デリン?

 
エミットは視線をデリンに向け、
にっこり微笑んだ。

今の僕には
その笑みが邪悪で不気味なものに見える。
また何か企んでいるのではないだろうか?
 
 

エミット

デリン、
今から私の側に付きなさいな。
そうすれば
命を助けてあげましょう。
魔王様にも
お許しをいただけるよう
取りはからってあげますわ。

デリン

…………。

デリン

それは本当か?

エミット

えぇ、もちろんです。
クロイスとシャインのいない今、
あなたは貴重な戦力に
なりますから。

デリン

――ククク、これはありがたい。
ではエミットの側に
寝返るとしよう!

 
デリンは僕の方へ向き直り、
不敵な笑みを浮かべた。

するとミリーは慌てて身を翻し、
ステップしながら距離を取って身構える。
 
 

ミリー

所詮は魔族でしたか。
やはり信用すべきでは
ありませんでした。

デリン

うるさいっ!
俺は俺の意思で動く!
それの何が悪い?

アレス

デリン、嘘だよね?
僕はずっとデリンを
信じてるから。

デリン

ふんっ。
お前は甘すぎると
何度も言ったはずだ。

エミット

ではデリン。
あなたの手で勇者様を
始末しなさい。
その功績があれば、
魔王様にもお許し
いただけるでしょうから。

デリン

承知した。

 
デリンは剣の切っ先を僕に向けた。
真っ直ぐ僕を睨み付け、
今にも襲いかからんばかりの気配を
漂わせている。

でもミリーがすかさず僕の前に立って、
庇おうとしてくれる。
 
 

ミリー

そう簡単にアレスは倒させません!

デリン

邪魔だ、退け!

ミリー

退きません!

エミット

無粋ですよ、剣士さん。

 
 

 

次の瞬間、
エミットは電光石火でミリーとの距離を詰め、
下から上へ槍を振り上げた。

ミリーの剣はその一撃で弾き飛ばされ、
さらに流れるような動きで
突きによる攻撃を数発繰り出す。

刃はミリーの両太ももや両肩に突き刺さり、
流血しながら倒れ込んでしまった。
 
 

ミリー

うぅ……アレ……ス……。

エミット

これで邪魔者は
いなくなりましたわっ♪

アレス

くっ……。

 
僕はデリンに視線を向けた。
彼は冷たい瞳で、こちらを見下ろしている。

煌めく剣の刃は
僕の喉元を狙っているかのようだ。
 
 

デリン

さぁ、アレス。剣を抜け。
最後まで抵抗するのだろう?

アレス

僕はデリンを信じてる。
キミは仲間だ!
だから剣を向けることはできない!

デリン

まだそんなことを言っているのか?
そろそろ現実を受け入れろ。

アレス

……デリンは僕の仲間だ。
剣を向けないこの意思こそが
僕の武器だ!

デリン

相変わらずバカなヤツだ。
魔族は簡単に裏切る。
実利のある方へ付く。
それが全てだというのに……。

デリン

せめてもの情けだ。
ひと思いに殺してやる!

 
デリンは剣を握り直し、
軽く踏ん張って突進する構えを見せた。

でも僕は動かない。
だってデリンを信じてるから。
何度も僕に見せてくれた笑顔や言葉、
あれは絶対に偽りじゃない。
 
 

デリン

死ねぇえええええぇっ!

 
デリンは一気に間合いを詰め、
斬りかかった!
 
 

 
 
 
次回へ続く!
 

第82幕 エミットの冷徹な提案

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