どうしたんですかっ? 先輩

 猛暑日が続く七月下旬。遊技場に遊びに来た僕は、いつものようにヘラヘラ笑っている先輩の顔を見て驚いた。
 先輩は右目に眼帯を着け、白い頬には青黒い痣。全体的に何だかくたびれている感じで、よく見れば腕にも痣と引っかき傷がある。
 ……女の子にでもやられたのだろうか? 先輩は見た目と金回りがいいから、女の子がよく近寄って来る。しかし、『来る者拒まず、去る者追わず』主義の先輩と付き合うと、大抵の子は嫌になって自分から離れていく。
 先輩の横に座ったムコ殿は苦笑いをしている。優しいムコ殿が笑っているということは、先輩の自業自得なのだろう。

彼女にでもブチ切られたんですか?

 僕は先輩の向かいの席に座る。

大人げない親の仕打ちのせいさ

 先輩は大げさに溜息を吐く。

仕送りが止められたんだ。夏休みに実家に帰ってこいって言われて、忙しいから無理だって言ったら怒ってさ。それで、バイトをするはめになったのさ。大人げない

 先輩の親って言うのは、息子が二年留年しても月にウン十万も仕送りを続けている、金持ちの親ばか……じゃなくて、優しいご両親だ。先輩は自分に怒ったり困らせる人間には、何でも『大人げない』と言うのが癖だ。

へぇ~、大変ですねぇ

ああ、生まれて初めてバイトしたけど……バイトって痛いよな

痛い? ……先輩、何のバイトしてんですか?

え? 普通のバイトだよ

 先輩はキョトンとした顔で言うが、普通のバイトは痛くないと思う。
 不思議に思っている僕を見て、ムコ殿が助け舟を出してくれる。

ペットホテルで働いているそうですよ。とても大変みたいです

 先輩はへらへらと何度も頷く。引っかき傷は犬や猫か。でも、目の眼帯や痣はなんだろう?
 僕が詳しく訊こうとしたとき、新しいお客さんが入って来た。女帝だ。
 今日は休日のせいか、ジーパンにTシャツとラフな格好をしている。

あ、こんにちは

こんにちは

 僕とムコ殿が挨拶するが、女帝は軽く頭を下げただけで、無言で僕の横に座る。
 何だろう? 見るからに不機嫌というか落ち込んでいるというか……。

どうしたんですか?

 ムコ殿はおろおろと見ているだけなので、僕が女帝に訊く。今日は訊いてばかりだな。
 女帝は僕を一瞥して、無言で小さなケースを寄こす。

ダーツケース?

 長方形のアゲハ蝶の刺繍が施されたケースは、両側に三本ずつダーツの矢が差し込める、六本入り用のダーツケース。左側に羽が銀色の三本のダーツ、右側には……

あれ? 赤い羽のダーツがない

 そう、赤い羽のダーツが三本あったはずなのに、一本もない。
 女帝は俯いたまま低い声で答える。

……昨日の夜、賭けに負けて取られたのよ

 ムコ殿は小さく息をのみ、顔を曇らせる。

それは……ダーツ狩りにあったんですか?

 女帝は無言で小さく頷く。僕は意味がわからず、ムコ殿の顔を見る。ムコ殿は顔を曇らせたまま、説明してくれる。

私も実際に会ったことはないのですが、最近ダーツで賭けをして、勝ったら敗者の大切なマイダーツを奪うという、通称『ダーツ狩り』が流行っているらしいんですよ

何だか道場破りで勝ったら看板をもらっていくみたいですね

そうですねぇ。マイダーツだと、市販の物とは違ってオリジナルのカスタマがされていることが多いので、戦利品としてコレクター魂を刺激するようなんですよねぇ

 僕とムコ殿が話している間、先輩は無表情でダーツケースを見つめていた。

たのもー!

 部屋に怒鳴り声が響き、驚いて一斉に入口を見る。
 そこには、金髪ロン毛の見るからに渋谷で遊んでそうな若い男が立っていた。

あなた! 何でここに来たのよっ?

 女帝が怒鳴りながら立ち上がった。怒りで顔が赤くなっている。ロン毛はそんな女帝に笑って手を振る。

おひさ~、十二時間ぶりぐらいの再会かな? 昨日の夜、お姉さんが言っていた面白いダーツバーっていうのを探しに来たんだけど、本当に路地裏にあって、このあっつい中、迷子になっちゃたよ

 ロン毛はゆっくりした足取りで、こっちにやって来る。僕とムコ殿は警戒して、椅子から立ち上がる。ロン毛はテーブルの上の女帝のダーツケースを見て、

やっぱり六本無いと変だよなぁ?

 そう言うと、カバンから赤い羽の矢を三本取り出して、目の前に翳して見せる。
 さすがの僕とムコ殿もコイツが何者なのかわかった。女帝の矢を奪ったダーツ狩りの男だ。
 ロン毛は僕たちの顔を見回し、笑顔で言う。

お姉さん、このダーツは想い出の品みたいだから、もう一度だけチャンスをあげよっか?

チャンス?

そっ! お姉さんとは昨日やったから、今度はこの三人の内、誰かが俺と対戦して、勝ったらお姉さんのダーツを返してあげる。ただし! 負けたらソイツのダーツも三本もらう。どう?

そんなことっ……!

へいへ~い! 俺やる~

 女帝の言葉を遮り、今まで黙っていた先輩が手を上げた。表情はいつものヘラヘラ笑い。
 ロン毛は先輩の顔を見て訝しげな表情になるが、

俺のマイダーツは結構イイやつだよ? 勝ったら好きなのをあげよう

 先輩はカバンからちょと大きな箱を出して、開けて見せる。そこには、無造作に入ったたくさんのダーツの矢。色んな物がある。さすが道楽息子。

おお! すげぇえ! オーケー! アンタと対戦だ! ゲームは単純なカウント・アップ。8スローで合計点数。オーケー?

オゥケィ! オゥケィ!

 先輩はやたらと上機嫌な返事をする。大丈夫か? 女帝の方を見ると……笑ってる?
 僕は心配して、小声でムコ殿に訊く。

まずいんじゃないですか? 先輩って、僕を除いて一番弱いですよね?

……カウントアップだったら、スナフキンさんは一番上手ですよ。特に今日は

 カウントアップだったら? 特に今日は? どういうこと?
 混乱する僕を置いて、ゲームは始まった。

 ……そんで、結果を言うと……先輩が864対697で勝ち。最初こそ外してたけど、後半は圧倒的だった。投げている本人も驚くほど、調子が良かったらしい。逆にロン毛の方は、後半に動揺してしまって外していた。
 ロン毛は女帝のダーツを返し、

てめぇ! また来るからなッ!

いつでもウェルカム~

 などと先輩が小馬鹿にした言葉で返したが、

今度はクリケットで勝負だ!

 とロン毛が言った瞬間、先輩が顔を引き攣らせて小声で呟いた。

それは困るなぁ

 ロン毛には聞こえなかったようで、そのまま出て行ったが……どういうこと?
 女帝は大事そうに赤い羽のダーツを仕舞いながら、説明してくれた。

元々、スナフキンの利き目は左なのよ

あれ? でも、いつもは左目を瞑って投げていますよね?

 先輩の方を見るが、ヘラヘラ笑っているだけ。

右に矯正しようとして、わざと左目を瞑ってたの。でも、今日は右に眼帯を着けてたから、利き目の左で見てたし……この人、カウントアップは! 上手いのよ

 女帝は

カウントアップは!

と強調し、先輩も照れたように頬を掻いている。

何でカウントアップ限定なんですか?

スナフキンのフォームは固まってて、同じ場所に投げるのは得意なのよ。でも、ダーツは同じ場所に投げれたら偉いわけじゃないのよ。自在にコントロールできることが大切なの。だから、どんどん色んなエリアに狙って投げなきゃいけないクリケットとか、決まった数字を狙うゼロワンとかは上手いわけじゃないの

へぇ~

 僕は感心して頷く。先輩の方は……痒いのか、眼帯を外して目を擦っている。

うわっ、先輩! お岩さんみたいじゃないですか!

 先輩の右目は瞼が青黒く腫れていた。ムコ殿は目を擦る先輩の手を押さえている。

あぁ、ダメですよ。擦ると余計悪化しますよ。ものもらいが

ものもらい?

 僕が聞き返すと、先輩は痒そうに顔を顰めて、

そうだよ。動物の毛がダメだったみたいで、ものもらいになってさ。その挙句の果てに、犬の散歩に行けば十五歳のゴールデンレトリーバーが、他の犬と喧嘩しようと俺を引っ張るし……

ああ、それで体中に痣が……

 先輩は大げさな溜息を吐く。

全く大人げない犬だよ

 ……とうとう犬にまで『大人げない』……。
 これでも、先輩の大学での専攻は日本文学だ。
 

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