閑話休題.ある少年の回想
閑話休題.ある少年の回想
昔、あるところに、大変普通で理想的な夫婦がおりました。
夫はサラリーマンで、毎日家族のために働きます。
妻は専業主婦で、毎日家族のために働きます。
夫婦は毎朝必ず、「行ってきます」のキスをします。
それから、
愛しているよ。
と、夫が告げ、
幸せだわ。
と、妻が応えます。
二人の間に、可もなく不可もない、ごく普通の男の子が生まれました。
両親は大切な一人息子に、気高く、気丈に生きて欲しいという願いから、「竜太」と名づけました。
竜太は、二人の幸せな夫婦の間で、すくすくと育ちました。
竜太が小学生になると、学童へ通うようになりました。
お母さんが、働き始めたからです。
竜太がこれから、高校、大学って進学するのに、先立つものが必要でしょ?だから、働こうと思うの。
竜太が小学生になると、土日は公園で遊ぶようになりました。
お父さんが、休日出勤もするようになったからです。
今、大きなプロジェクトを任されているんだ。竜太の学費のこともあるし、コレまで以上に頑張ろうと思ってな。
竜太、12歳の誕生日。
両親は、大切な一人息子に、上等なカメラを贈りました。
写真は楽しいぞ?
自分でこの広い世界の一部を切り取ることができるんだ。それを聞いただけで、わくわくしてこないか?
一人で遊ぶのも、これで寂しくないわね。
でも、お勉強もちゃんとするのよ?
うん。ありがとう。お父さん。お母さん。
それが。
可愛い一人息子を、一人で、できるだけ安あがりに遊ばせるための、
小賢しい策であることは、12歳の僕にだって分かることなのに。
愛しているよ。
その言葉も。
幸せだわ。
その言葉も。
嘘ばかりだ。
嘘ばかりだった。
ねえ、お母さん。
隣にいる男の人は、一体誰?
ねえ、お父さん。
腕を組む女の人は、一体誰?
人間は、完璧じゃない。
一人の人を、ずっとスキでいることもできない。
嘘をつくし、綺麗な言葉で誤魔化すんだ。
僕は、12歳のときに学びました。
この世界は、偽りの幸せも、虚ろな愛も、全部許してしまうのだと。
不完全なものを、全部許してしまうのだと。
もし、完全なものがあるとすれば、それは、僕にとって僕が感じ、僕が見て、僕が触れたもの。僕にとっての僕のセカイだけだって。
だから僕は、お母さんやお父さんに、そのことを教えてあげることにしました。
今日は、お父さんとお母さんの結婚13周年の記念日です。
僕は二人が外で美味しいものを食べてくるように勧めました。
それで、帰ってくる前に、家の飾り付けをすっかり済ませてしまったのです。
ただーいまー!
竜太?
竜太!今帰ったぞー!
ドアの開く音。
同時に、僕は、声をあげ、クラッカーを鳴らした。
おかえり、お父さん!
おかえり、お母さん!
結婚してくれて、ありがとう。
僕を産んでくれて、ありがとう。
そして、これが、"我が家の真実"だよ。
なっ……?!
……なんで、こんな
部屋に入ってきた両親は、とても驚いてくれました。
床、壁、天井。
色々なところに、両親の写真を貼ったのです。
お母さんとお兄さんが、手を繋いで買い物をしているところ。
お父さんとお姉さんが、高そうなお店から出てくるところ。
お母さんとお兄さんが、ホテルに入っていくところ。
お父さんとお姉さんが、公園でキスしているところ。
放課後の時間を全部使って撮った、僕の"コレクション"。
大切な、家族の思い出。
な、に……?
浮気してたってこと……?
お前こそ、なんだこの男は?!
こっちは必死で働いてるのに
私だって働いてるわよ!
それなのに家事は全部私に任せて、自分は良い思いしようって、そんなの絶対許さない!
ほら。
ほらね。
完全なものなんて、どこにもない。
絶対のものなんて、どこにもない。
他人のことなんて、何も分かりはしないんだ。
好きとか嫌いとか、ねえ、こんなにも馬鹿らしい。
……姉さん、子どもの前だよ。
すごい。
子どもで、一人で、こんなにたくさんの写真を撮るのもすごいけど……親への恨みもなければ、期待も全くない。まっさらな写真だわ。
おねえさん、だれ?
あたし?
あんたのお母さんの妹だよ。
だから、叔母にあたるのかな。
ふーん、つまり、おばさんか。
今、オバハン的なノリで言ったろ?
まだ若いからな?
とりあえず、大人は大人の詰まんない話をするから、ちょっと外で遊んでおいで。
はーい……。
それが、僕とユリ先生の、ファースト・コンタクトだった。
僕が外に出かけた後、両親の話し合いが始まった。
どちらも親権を押し付け合い、結局僕は、ユリ先生の養子となった。
中学は公立に進み、無難に卒業。
高校は、ユリ先生の推薦で不知火芸能学園へ進学することとなった。
ユリ先生の自宅から出て、僕は学園寮に引っ越した。
両親とは、結婚記念日以来、1度も顔を合わせていない。