鬱だ死のう

やめてください。舟が止まってしまいます。動力源としてしっかりしてください

わかってるよ。言ってみただけ

平瀬さんが落ち込むと出力が下がるんですよね。いくら無限のエネルギーとはいえその蛇口がしまっていては、どうしようもないんです。それで今日の予定なんですが……


 地球の遙か上空を飛ぶ方舟の廊下で、私は落ち込んでいた。隣で落ち込む私を責め立てるのは、この方舟の管理ロボのアンディだ。彼は任務に忠実で私の気持ちとは関係なく、やるべきことを目の前にただ並べていく。まあ何かしているほうが落ち着くので、それはそれでいい。
 私はこの方舟の船長を勤めていた。着任して三ヶ月間、アンディから連日、舟の仕組みや点検法などについて教わっていた。
 私は船長でもあり、舟の動力源でもある。とある事件から無限のエネルギーを手にした私は舟を毎日休まず動かしていた。だがエネルギーは私のやる気次第で、増えたり減ったりもする。だから常に平常心を心がけなければならない。それはわかっているのだけど……。つい最近まで中学二年生だった私にそれを要求するのは少し酷だと思う。

……聞いているんですか? 平瀬さん、何度も言いますがあなたはこの方舟の船長なんですよ。もっと責任感をもってもらわないと困ります

……はい

やっほー



 アンディに鬱を促進されながら、とぼとぼ歩いていると向こうから白装束の女性が話しかけてきた。


また望ちゃんいじめてんの? このクソロボット

私はただプログラムされた仕事を遂行しているだけです

はぁ、設計したの誰よ。もっと気が利く性格にしろっての

おはようございます。小林さん

おはよう。望ちゃん


 小林さんはちょっと口が悪いけど、いつも落ち込んでいる私に優しくしてくれる。それはありがたいんだけど……。

いいんです、アンディは仕事をしているだけですから

たまには休んだら?

私は疲れないので平気です

じゃあ、なんでそんな浮かない顔してるわけ


 小林さんがぐっと顔を近づけてのぞき込んでくる。少しどきっとしてしまう。

大丈夫です。それにこうしているほうが落ち着くので……

やっぱ休んだほうがいいよ

そうですね。少し休んだほうが、仕事の効率も上がるかもしれません

お、たまにはロボットもいいこと言うじゃん

でも……


 廊下の向こうからどやどやと話し声が聞こえてくる。そして空調の風に乗って、魚醤と一週間履いた靴下とおじいちゃんの臭いを足して三で割ったような香りが漂ってくる。

来たよ三馬鹿

 小林さんがうんざりした顔で言った。

あー魚肉ソーセージ食いたいぎゃ

さっき食べたばかりじゃねえか

俺、胃がなくて腸だけなのぎゃ。すぐ腹が減るんだぎゃ

そうなんだ、魚類って大変だな。その点俺は溜まる腹自体ないから問題ないな、かっかっか


 一メートルほどの背丈で二足歩行する魚と、骨だけの男が談笑している。そしてその後ろから緑色の大男がやってくる。

お前は痩せすぎなんだべ。もっと食うべ

あん? 食う必要ねえし

そりゃかわいそうだべな。つかさ俺いっつも思ってるんだけど

なんだぎゃ

魚肉食ってて罪悪感とかねえべか

いや全然。むしろおいしくて幸せ感じるぎゃ

共食い乙

あ? 今俺ディスったぎゃ。このカルシウム。出汁取るぞこの野郎

お前こそ、鱗剥いでお造りにすんぞ。元板前の俺なめんなよ

喧嘩やめるべ、どぅふふ

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。けぇーー!


 大男の肩にとまっているインコがけたたましく鳴き、興奮した魚はぶりぶりと糞を垂れる。白い床に落ちてべちべちと飛び散る。

あ、いっけね。やっちゃったぎゃ

ほら興奮すっから

誰が掃除すんだべ

知らないぎゃ。げっげっげっげ

 
 魚人にスケルトン、オーク。彼らは物語の中だけの存在だと思っていた。初めて見たときは本当に驚いた。だがこうして目の前で楽しそうに会話をしているのを見ると存在を認めざるを得ない。

おっすだべ船長

おはようだぎゃ

ちょっとあんたたち掃除しなさいよ!


 小林さんが食ってかかる。

あとでするぎゃ

じゃあなー

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

かっかっか

どぅっふっふっふ

祇園精舎の

げっげっげ

鐘の声、諸行無常の響きあり


 そう言って、後ろ手に手をひらひらさせて去って行った。

ちょっと待ちなさいよあんたたち!


 小林さんが怒って追いかけていく。男勝りで頼もしい性格の小林さんだが、彼女も人ならざるものである。
 この舟に人類はいない。私が乗せるとき間違えたからだ。そのせいで人類は滅亡してしまった。取り返しなんてつけようがないし、もうどうにもならない。いっそのこと死んでしまいたい。私は深くため息をついた。

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