第9話

中2のときの修学旅行に行きませんでした

可南太

行かなくて正解だ。おそろしくつまらなかった

可南太

でも、それ程度で……

いえ、脱走したんです

可南太

脱走?

当時、仙台のインディーズバンドが好きだったんです

大知さんが教えてくれたバンドでした。
ネットの動画で知り、ファンになったんです

どうしても直接聴きたくて、
大知さんと仙台に行きたがっていたんです

当日も、東京駅に向かう途中、
京都・広島じゃなくて仙台に行きたいねって話してたんです

そうしたら大知さんが『行こうか』って、
持ちかけてきて……

私たちは東京駅で一団を離脱

東海道ではなく東北新幹線に
飛び乗ったのです

そして、仙台を満喫しました。
青葉城から牛タンまで

でも目当てのバンドにはがっかりでした

彼らは工学部生で、
動画に音声加工を施してたんです。
実物は全然……

可南太

結局帰りは?

警察に保護され、強制送還されました

可南太

君も案外やるね

案外やるんですよ、私も


 ふたりは話し込んだ。

 気づいたときには日がくれていた。

可南太

……そういえば中3のときの合唱曲は何だった?

マイケル・ジャクソンの“ヒール・ザ・ワールド”でした

可南太

俺のセカイでもそうだった

可南太

桜田は音痴でさ

可南太

隣の女子から
調子が狂うから口を閉じてろって
叱られてた

可南太

懐かしいな……


 可南太はうつむいた。

 響は口を開いた。

ちなみに

マイケル・ジャクソンは、
私のセカイでは生きています

可南太

ホントか!?

嘘です

可南太

……

……私だって冗談くらいは言えます

可南太

やるじゃないか

やるんですよ?

そんなことより


 響が指を鳴らした。

セカイ滅亡まであと2日もありません

 響は鍵を返しに行っていた。

 可南太は独り、校門の傍を歩いていた。

 跛行する足音を背中に聞いた。

桜田

やっとみつけたぞ

可南太

みつかったな

桜田

おい


 桜田が歩み迫ってきた。

 相変わらず片足を引きずっている。

桜田

俺の考えがわかるか

可南太

さあね

桜田

触ってみろ


 桜田が可南太の手首を掴んだ。

 制服の懐に手が引き寄せられた。

可南太

……


 可南太の手は制服ごしに金属の硬さに触れた。

桜田

何だかわかるか

可南太

思うに……

可南太

ナイフだな

桜田

何に使うと思う?

可南太

さあな


 そう応じながら可南太は足許を見おろした。

桜田

なら教えよう


 桜田の人差し指が可南太の首を掻く。

桜田

こういうことだよ


 可南太は微笑した。

可南太

なるほど、よくわかった

桜田

てめえだけじゃねえ。てめえの妹も、だ


 可南太は頷いた。

可南太

そうか

可南太

ところで、桜田

可南太

あのときは黙っていてくれてありがとう


 桜田は呆けた顔をした。

桜田

何言って……


 その瞬間、可南太は思いきり桜田の足を踏みつけた。

 桜田は叫び、もんどり打って倒れた。

可南太

悪いな。
俺たちは忙しいんだ


 可南太が桜田に馬乗りになる。

 自分のベルトを引き抜いて拳に巻きつけた。

 そしてその拳を桜田の顔めがけて打ち振るった。

 桜田の体から力が抜けた。

 可南太は桜田の上着を剥いだ。

 懐のナイフを抜き取り、腰ポケットにねじ込んだ。

 桜田の髪を引き掴み、囁く。

可南太

よく聴け

可南太

何で俺が朝、無抵抗だったかわかるか?

可南太

お前が桜田だと思ってたからさ

可南太

けどもうわかった

可南太

お前は完全な別人だ。
例え名前は一緒でもな

可南太

響から色々と聞かされたよ

可南太

お前は正真正銘のクズだ。本物の桜田の足許にも及ばない

可南太

そんな奴に遠慮はいらない

可南太

だからこうしてやったんだ

可南太

二度と俺たちに近づくな


 周りには人だかりができていた。

 可南太は群集に頬の痣を見せつけた。

可南太

教師に言いつけたいならそうしろ

可南太

だが、この痣が誰につくられたものか、考えるんだな


 地に伏している桜田を可南太は振り返った。

可南太

あいつが何故足を痛めているのかも、な


 と可南太は桜田のところに引き返した。

 桜田の足を踏みにじった。

 桜田が悲鳴をあげた。

 そのとき人群れから大知が飛び出してきた。

 大知は桜田に駆け寄り、抱き起こした。

 そのふたりに一瞥を投げ可南太はその場を去った。

何かあったですか?


 と合流した響に聞かれた。

可南太

いや、何も

可南太

そんなことより、だ

可南太

このセカイについて
どう思う?

ゴミですね

可南太

同じくそう思う

でも……

可南太

でも?

いえ、
何でも……

 未明になり、クリッピング784があらわれた。

待たせたな

反物質集積回路、君たちの脳に埋め込まれているチップは、或る種の脳内ホルモンに反応する

その脳内ホルモンとはオキシトシンだ

オキシトシンはいついかなるときに分泌されるか

男女ともに……

接吻や抱擁といった、
性的接触の際に分泌される

オーガズムを感じるときは特に濃度が高くなる

その装置の開発者は誰です?
フロイトですか?

反物質集積回路は本来バソプレシンに反応するよう設計された

バソプレシンとオキシトシンはよく似た物質でね。まあ、それはオキシトシンがバソプレシンの変異したものだからなんだが……

集積回路は我々の意に反してオキシトシンしか認識しなくなってしまったんだ

オキシトシンが一定濃度に達すれば、集積回路はセカイの磁性を逆転させる

両セカイは反撥し合う

まずこのセカイは特異点に収束することになる。が、それは再分裂、再結成の第一歩だ

ひとつになったものを一度バラしてから、
ふたつに組み立てなおす、そういうことさ

創造的破壊さ。
対消滅しつつあるものの、ね

可南太

でも一度消えてしまったものは……?

心配ない。エネルギーとして保存されている。それは再結成で組み込まれていく

そのためには……


 クリッピング784が拳と拳をぶつけ合った。

つまり……


 と響は自分と可南太を代わる代わる指さした。

そう。君たちはただ愛し合えばいいのさ

どうだ?

君たちは相手を魅力的に感じていないか?

可南太

…………

…………

それ見ろ

君たちは危機を共有している

その危機が最も強い紐帯となる


 そのときだった。

 部屋の反対側にもうひとつ光の塊があらわれた。

 その光は人の像を形づくった。

 女の人だった。

 その女の人は可南太と響にこう言った。

騙されてはいけません

pagetop