一年の奥谷くんは女の子が苦手らしい。
 練習前に顔を合わせてもまず目が合わない。私の顔を見てくれない。

おはよう、奥谷くん

お、おは……います

 挨拶だってこの調子だ。聞こえるか聞こえないかの声でしか返ってこない。実はこれでもましになった方で、入部した直後は『……ます』しか聞こえない有様だった。
 私だってバスケ部マネージャー、部の一員だ。三年の先輩が引退してからというものバスケ部のマネージャーは私一人きりで、皆の足を引っ張らないよう精一杯やってきた。同じ二年の部員はもちろん、入部したての一年の子達ともそれなりに上手くやってきたつもりでいたのに、奥谷くんとだけは未だにぎくしゃくしている。
 何とか仲良くなりたいとあれこれ話しかけてはいるんだけど、目すら合わせてもらえないまま夏休みに突入していた。

ってか、バスケ部で女嫌いとかキャラ作りすぎだよな

 と語るのは我がバスケ部の現キャプテン、立花だ。
 私と立花は中学時代からの知り合いだった。中学の頃は男バスと女バスでそれぞれ活動していて、学年が同じということもあってそれなりに話す間柄だった。
 うちの高校には女子バスケ部がなかったけど、いち早くバスケ部に入った立花が声をかけてくれてマネージャーをやることになった。三年生が引退した今は部について二人で話すこともよくあり、私が奥谷くんの名前を出したら、立花は何やらしたり顔で語りだした。

いいか高橋、あれは病気だ。それも男特有のな

病気!? 奥谷くん、病気なの?

違うんだよ。男ってのは十代も半ばになると『洋楽かっけえ、邦楽だせえ』だの『大人は皆間違ってる』だの、
『やろうと思えば何でもできる』だのと思い込む病気にかかるもんなんだ

ああ、中二病って意味の病気ね

それだよ。
そして奥谷の女嫌いもそういう病気の一環だ

 立花の口調はお医者さんみたいにやたら自信たっぷりだった。

『女と口利くなんてチャラチャラしてて格好悪い』とか『男同士の方が気楽だし女はうるさくてめんどい』とか、そういう意識でもあるんじゃねえの。
意外と格好つけなんだろうな

 奥谷くんは見るからに温厚で真面目そうな子だ。
 身長は百五十五センチくらい、うちの部では小柄な方だけど、そのハンデを感じさせないような敏捷なプレーをする。
 立花が語るようなことを考えているとはとても思えなかった。

そういう人かな、奥谷くん

 異を唱える私の前で、立花は大袈裟に肩を竦めてみせる。

そういうもんなんだって。女にはわかんねえだろうけどな

そっかな……

つか、お前だって知ってんだろ。奥谷のこといつも見に来てる女子いるけど、あの子とだって一言も喋んないって言うじゃん

 実は一年生が入部した五月以降、練習の度に遠目から見学に来ている女子生徒がいた。

 名前は知らないけど一年生で、髪の短い、結構可愛い子だった。

 奥谷くんが練習に出ていない日は体育館を覗くだけで帰ってしまうので、彼を見に来ていることは間違いない。
 ただ奥谷くんの彼女かと言えばそうでもなく、話しかけようとするその子を華麗にスルーする奥谷くんの姿が部内でも目撃されていた。

もてんのに格好つけとかむかつくな。
俺だったらプライドかなぐり捨ててでも付き合うけどな

はいはい

 立花のやっかみを私も華麗にスルーして、奥谷くんの話に戻す。

じゃあ、奥谷くんのことはそっとしておくのがいいみたいだね

それしかねえだろ。
どうせ一過性の病気だ、治るときゃ治るし、治んなくてもお前のせいじゃねえから嫌われてるとか考えない方いいぜ

 そう言い切ると、立花はまたしたり顔になって続ける。

ま、男ってのは多かれ少なかれそういうのにかぶれるもんだからな。
理解してやれよ、高橋

 立花の口ぶりではまるで、女の子は中二病にかからないとでも思い込んでいるかのようだった。

……

 私もあえて反論はしなかった。

 キャプテンとの話し合いの結果、私は奥谷くんをそっとしておくことに決めた。
 と言っても今までと接し方を大きく変えるわけじゃない。挨拶はするし、部活動で必要があればちゃんと話しかける。他の部員と態度を変えないように心がける。目を逸らされてもへこまずに用件は伝える。こんなところだ。

奥谷くん、モップ運ぶの手伝ってくれる?

 練習前、早くから来ていて手が空いていた奥谷くんに声をかけると、目に見えてぎくりとされた。

……はい

 消え入りそうな声で答えた奥谷くんを連れ、体育館の用具室に入る。

 練習前のモップがけは一年生とマネージャーの仕事だ。
 私が用具室のロッカー内にある人数分のモップを手渡すと、奥谷くんはこちらを見ないままぎくしゃくと会釈をする。

あの……これ。持ってきますんで

うん、お願いね

 私が頷き返したのを見もせずに、奥谷くんは逃げるように体育館へ戻っていく。

やっぱり目、合わないな……

と言うか、奥谷くんからは『高橋先輩』って呼ばれたことすらないかも

 いっそ話しかけない方が奥谷くんにとってはいいのかもしれない。
 でもそうすると他の一年生部員と差ができてしまう。彼を避けているように思われるのも、彼に仕事を頼まないようにするのも、他の部員からすれば不公平に見えるだろうからいい対応ではない。
 しばらくは私の方が気にしていないそぶりで、皆と同じように接していくしかない。

 ただ、部内での奥谷くんはおとなしくもなければコミュニケーション下手でもない。
 ロードでは併走している私にも聞こえるくらいちゃんと声を出しているし、レイアップ練習では他の部員のシュート失敗に『ドンマイ!』と声をかけたりしている。

 五対五の練習ではスモールフォワードを務めているけど、シュートが決まればチームメイトと喜び合い、仲のいい部員とはハイタッチを決めたところすら見かけたことがある。

……

 私が声をかけない限り、奥谷くんの部活動はすこぶる順調で楽しそうだった。

よーし、休憩終わり! コート戻れ!

 キャプテンの立花が声をかけると、水分を補給していた部員達は軽くなったボトルとタオルを置いてコートへ戻っていく。

 私は皆が置いていったボトルを回収し、作っておいたドリンクを今のうちに補充しておく。八月の体育館はひたすら蒸し暑いから、この時期は水分補給がとても大事だ。
 皆のボトルの蓋を開け、一本一本にドリンクを注ぎ足し終えた時だった。一息ついてふと顔を上げた私は、体育館の入り口に立つ華奢な人影を見つけた。

……

 あの子、今日も来てるんだ。
 奥谷くんの練習を見に来ている、髪の短い一年生。夏休み中だというのに制服姿で、コートの中をじっと見つめている。可愛らしい顔立ちをしているけど、この距離から見てもわかるくらい表情は真剣だ。

片想い、なのかな

 こんなにもしょっちゅう見に来るなんて一途で可愛いと思うのに、スルーするなんて奥谷くんはちょっと酷い。
 案外、皆の前で話しかけられるのが嫌なだけで、二人きりでいる時は話すこともあったりして。
 青春っぽい妄想に耽る私の耳に、

あっ、先輩!

 奥谷くんの叫び声が聞こえた。
 名指しされたわけでもないのにとっさに振り向けたのは勘だったような気もするし、ボールが空を切る気配を感じ取ったからかもしれない。振り向いた瞬間に見えたのは今まさに私の顔面を直撃せんとしているボールだった。

わあっ

 慌ててカットしようと手を突き出す。タイミングが少しずれ、ボールは私の右手の指先をかすめた。
 顔面への直撃は免れたものの、鈍い痛みが右手の中指で疼いた。

いたっ……

大丈夫か高橋!

 右手を抑える私の元へ、立花がすっ飛んでくる。

ごめん、突き指したみたい

あのくらいカットできるだろ、どうしたんだよ

ちょっとよそ見してて……ごめんね。
大したことないと思う

気をつけろよ。
ってか右手かよ、包帯巻けるか?

 眉を顰める立花の背後に、今度は奥谷くんが駆け寄ってくるのが見えた。息を弾ませながら申し訳なさそうな顔をする彼が、私に向かって頭を下げる。

すみません。俺が、ボール弾いたから

あっ、気にしなくていいよ。
私がよそ見してたんだし

 私は痛くない左手を軽く振って応じた。練習中なんてどこにボールが飛んでいくかわからないんだから、今のは完全に私が悪い。
 なのに奥谷くんは項垂れたままで、立花もそんな後輩を厳しい目で見ている。

奥谷。ボールが飛んだらちゃんと声出して知らせねえと駄目だろ

はい……

高橋だって、名前呼ばれてたら的確に反応できてたんだぞ

 立花は奥谷くんを咎めると、ちらりと私に目をやってから言った。

高橋に包帯巻いてやれ。利き手だからな

え? いや、自分でやるからいいよ

 私は遠慮しようとしたけど、その時にはもう奥谷くんはタオルで自分の手を拭っていた。そしてこちらを見ないまま、深刻な顔で言った。

やります。包帯、ください

 それで私はコート脇に置いておいた救急箱を左手で開け、包帯を出して奥谷くんに手渡す。
 バスケ部員にとって突き指はよくある負傷だから、大抵の部員は包帯を巻くのが上手い。奥谷くんも例に漏れず手慣れていて、私の右手を軽く持ち上げ、中指を固定する為にぐるぐると包帯を巻いていく。

……

……

 私は息を詰めて、その手元をじっと見ていた。
 女の子が苦手な奥谷くんの顔を見ているのは悪いだろうし、かといってあらぬ方を見ているのはかえって失礼だ。そうなると奥谷くんの手の動きを見ているしかなかった。
 奥谷くんの手はもう子供らしさが抜けた、指のきれいな筋張った手だった。

……すみませんでした、先輩

 不意に、奥谷くんがぼそりと言った。
 コートから聞こえてくる部員達のかけ声に掻き消えそうな声だった。

奥谷くんのせいじゃないよ

 私が同じように声を落とすと、奥谷くんの肩がびくっと跳ね、包帯を巻く手が一度止まった。

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