新緑の香りと、空気と水の匂い。
 僕が生まれ出た場所は、管理された世界から、外れた場所だった。


 『ロストチャイルド』。


 それが僕に与えられた、始めての括(くく)り。
 管理社会から逃げ出した人々の間で生まれた、ナンバーのない子供達。
 それが、僕達に与えられた別称だった。

 僕の故郷である星は、いわゆる管理社会と呼んでもいいものだった。
 そういう概念は、この地球に来てから気づき始めたのだけれど。
 ある程度の自由と疑念は与えられていたものの、それを覆す術は持たされていない。
 そんな、自由に見える、幸せな世界。
 生まれから死に至るまで、全てをナンバーと遺伝子で管理する社会が、僕の故郷だった。

 けれど僕は、『ロストチャイルド』達は、その管理社会の狭間から生まれた者達なのだった。

だけれど、僕は、いつからか――その場所から、移されていた

[……?]

 少女が理解できるはずもないことを、独り言のように呟く。

移された世界は、そう、真っ暗だった

 ある日、目覚めると、そこに見知った風景はなかった。
 育ててくれていた仲間達も、むせかえるような匂いも、全てなくなっていた。
 ただ、秩序だった光の信号と、規則正しく人々の動きが、幼い瞳にしっかりと焼き付いたのは覚えている。

自由を認められているように見えて、その自由はあらゆる方法で制限がかけられている。それは、僕にとって、嫌なことではなかったのだけれど

 過去の景色が忘れられない僕は、どこか、過去の景色に似た場所に触れていたいと願って。

――心のどこかに、あの故郷の景色がちらついて、離れなかったんだ

 だから、逃げ出したのだ。
 遠い、遠い、この地球という星への観察任務へと。

でも、それは――自分勝手な諦めや、逃避だったのかもって、今なら想える

 僕の決断は、未開の地への旅立ちに他ならない。
 実質的には、故郷の星へデータを送るだけの、単調な生活。それを、任期が終わるまで、永遠と繰り返す。
 だが、そんな遠い異邦の地への任務を、変わってくれる者など現れない。

 そんな生活と、僕の今後を、本当に心配してくれる人達がいた。
 心配したり、応援したり、怒ったり、笑ったり。

あの、暗く閉ざされていたような社会でも……明るく、微笑んでくれる人達は、いたんだ

 閉ざされていた心を開こうと、僕を見守ってくれていた人達。

 ――僕は、けれど、そんな人達の好意を、造り物だと想って逃げ出したのだ。

今の自分の選択に、心残りはないけれど

 僕は、ただ、今更ながらに想ったのだ。

 ――微笑みの一つくらい、ちゃんと返してあげられれば。
 ――今更のように、また会いたいなどと、想わなかったのかもしれないのにと。

……そんなことは、ないか

 僕は、視線を細めて少女を見る。
 改めて見たその顔は、本当に、地球人の少女によく似ている。
 だから、僕や、僕の故郷の者達には似ても似つかないのだけれど。
 僕は、言った。

君と、同じだね

[※※? ※※※※※、※※※※※※※※※※?]

 この暗闇の世界で、無邪気に明るく微笑む少女。

 ――まともな地球人であれば、五分と持たずに発狂しているだろう。

 そんな彼女の姿に、僕は不思議な共感を持った。

それなのに君は、まるで僕の、大切な人達みたいに笑うんだね

 それが、とても不思議である。
 暗闇に閉ざされたような僕に対して、僕の周囲にいた人達は、優しく語りかけて接してくれた。
 名前を失い、新たなナンバーを付された『はみ出し者』を、彼らは受け入れてくれたのだ。
 そんな彼らを受け入れきれず、いじけていた僕の方こそ――ただ、そうした態度に浸っていただけの、本当のはみ出し者に過ぎなかったのだと。

誰もいないここで、物怖じしない君を見て、そんなことを想ったよ

[※※、※※、※※……??? ※※※※※※、※※、※※※※※※※※~?]

 混乱したような彼女を見て、僕は、一方的に話しすぎたことを自覚した。

ごめん、少し喋りすぎたね

 また、指先を彼女の方へとすっと差し出す。
 彼女も先ほどの要領で、こちらへと指を指しだしてあわせてくれる。

僕の話を聞いてくれて、すまなかったね

[※※※※※※※……※※、※※※※※※、※※※※※※※]

 僕の指に触れた少女は、少しためらったような指先の動きを見せた後。

[……※※※※、※※※※※※※※]

 今度は、迷いを振り切ったような行動に出た。

おや……

 僕は、やや感心するような、びっくりしたような声音で、少女の行動に反応した。
 少女は、ゆっくりと指先を僕の身体へとスライドさせ、そのまま僕の手を握りこんだのだ。

 ぎゅっと、僕の三本の指を、暖かく包み込む少女の指先。
 彼女の手は、暖かかった。まるで、故郷の社会で、手を握られた時のように。

……そうか。そんな、簡単な方法があったんだね

 手と手をつなぐ――握手。
 地球人にとっても、それは、友好の証になるのだった。

ありがとう

[※※※※※※※※※※※、※※※※※。※※※、※※※※※※※※※!]

 なぜかこの時は、お互いの言葉が通じ合っているような――そんな気がした。
 そんなこと、ないのだろうけれど。
 ふっと、彼女の温かい手を握り、微笑んだ――そんな時だった。

……ぅ……?

 安心した僕は、突然、自分の世界が揺らめくのを感じた。
 頭を左右に振って、自分の意識が薄れるのを止める。
 けれど、それはどうしてか、無駄な抵抗だと感じられた。
 だんだん、僕は眠くなってきていた。
 だが、それは嫌なものではなく、むしろとても心地よい誘いだった。

まだ、彼女と話したいのだけれど、な

 呟いて、彼女の表情を見る。
 そこには、僕を見守る、彼女の優しい顔がある。
 その、故郷の優しい人々を想い出す彼女の雰囲気に、僕はさきほどまでの抵抗感が薄れるのを感じていた。
 この闇に呑まれて眠らされるのとは違う、本当に自分の意志で休むことができる、安らかな眠り。
 そんな感触を、僕は感じ始めていた。

(……ずいぶん、久しぶりに眠れる気がするよ)

 少女がしてくれた全力のコミュニケーションに、僕は初めて、この地球に来て良かったと想える感情を抱くことができた。
 そして、彼女に感謝もしていた。
 故郷での自分を見つめ返し、自分の愚かさを知ることもできたのだから。
 ――彼女が任務の観察対象でないことが、なんとも皮肉ではあるのだが。

……!

 突然、少女は僕へと、手元の光を近づける。
 なんの意味があるのだろうか? と、僕が疑問を浮かべるのと同時――答えは、すぐにわかった。

なるほど、ね

 僕の身体から、彼女の光へと、うすい筋道が作られているのが見てとれる。
 先ほどまでは気づかなかったが、どうやら僕自身も、淡い光を放っていたようだ。
 そしてその光は、今、少女が持つ光へと、糸を引くように吸い込まれている。
 つまり、彼女は――僕から光を、吸い取っているようだ。
 あの光の輝く源は、もしかすると、僕からかすかに出ているこの光なのかもしれない。
 先ほど、少しだけ浮かんだ疑問がよみがえる。
 少女の手にある光は、いったいなんなのだろうか。
 物質同士の化学反応で発火しているわけではなさそうだし、ましてや生き物とも想えなかった。
 かといって、類似の現象に関して、僕には覚えがなかった。
 地球で見たことはないし、僕の故郷の技術でも存在しなかったと想える。

 ――まぁ、それを考えたところで、仕方がない。

 すぐに僕は、考えるのを止めた。
 なぜなら、先ほどまで少女が熱心に語りかけていたのが、その光であることを僕は知っていたから。
 少女が信じるその光に、僕はただ、その身をゆだねることを決めたのだった。

君を照らす光なら、いいかな……

 薄れゆく意識の中で、そう、想えたからだ。

(※※※※、※※※※※~! ※※※※※、※※※※※※※※※※※※※※!)

 少女は叫ぶ。
 今までよりも熱っぽい言葉で、僕へと言葉を投げかける。
 言葉の意味は、理解できなかったけれど……なにを伝えようとしているのかは、わかったような気がした。
 今までも、なにかを伝えようと、僕に語りかけ続けてくれた熱意。
 それだけは、僕にもしっかりと伝わっていたから。

謝る必要はないよ……君のおかげで、僕は最後に、大切なことに気づけたんだから

 僕の姿も、言葉も受け入れて、ただ、一緒につながろうとしてくれた。
 そんな少女の姿は、全てを失った僕には、とてもありがたかった。
 忘れようとしていた僕を拾い上げてくれたことにも、感謝していた。

……!

 申し訳なさそうな少女の表情が、光に照らされてよく見える。
 彼女の手にある光は、僕の光を吸って、輝きを増したように想える。
 僕は、少女の顔を見ながら、ゆっくりと瞳を閉じた。
 眠るのは、本当に久し振りだ……。
 なぜか、彼女が照らす輝きは、懐かしい故郷の温もりを少しだけ感じさせた。

じゃあ……おやすみ

 僕は、故郷の風景を想い出しながら、瞳を閉じた。
 暗闇の中にかすかに浮かぶ、優しい人々の顔と。
 むせかえるような匂いを放つ、無秩序に生命が息づく想い出を。
 そっと胸の奥で、ともに受け入れながら、ゆっくりと……。

 ***

……よかったんでしょうか?

 眼の前の彼の姿が消えてから、リンはぽつりと呟いた。

『ふむ』

 リンの呟きに答えるため、私は内心の光を確認する。
 少しして、私はリンへとその感触を伝える。

『彼は、とても満足していた。私のなかにある光の感触から、それを感じることができるよ』

 その言葉に、リンは安心したような表情を浮かべた。
 ――言葉が通じない相手、その心が安らいだのか不安だったのだろう。

あの方は、どこから来られたのでしょうか?

 リンの顔は、それでもどこか晴れ切れてはいないように見えた。

『かすかに感じるのは、とても遠いどこかへの……郷愁のような、感覚だね』

きょう、しゅう……?

 かすかに感じる、遠い故郷への想い。それを言葉で表せば、それが正確なのではないかと私には想えた。

『故郷への憧れや、懐かしさ……そういったものかな』

 私自身も知識で知っているだけのその言葉を、リンへ告げた。

……リンには、ちょっと、わからないものかもしれませんね

 そう呟くリンの表情と言葉には、かすかな寂しさが感じられた。

『いや、そうでもないぞ』

ほえ? それは、どういう意味ですか、スーさん?

 リンの疑問に、私は答えた。

『我々が探している『永遠の光』。その場所こそが、リンの故郷なのかもしれない』

 それは、慰めではなかった。
 なぜなら、リンが覚えているのがその単語ならば――それこそが、リンの存在に関係していると想えたからだ。
 向かうべき場所がある。
 帰るべきかもしれない場所がある。
 そこが故郷でないと、この闇の世界で言えるだけの冷たさは――辛すぎるだろうから。

……ありがとうございます、スーさん

 リンは、明るさを取り戻した表情でそう言った後――私に向かって、顔を寄せた。

『リ、リン、どうしたんだね? 眩(まぶ)しくないのか』

眩(まぶ)しいですけど、スーさんに言いたいことがありまして!

 なら、手で触っていれば、離れていても伝わるわけで――とは、リンの様子から言えなかったのだが。
 彼女の口から出た言葉に、今度は私の内心が、揺らめくことになった。

でもでも、そこはリンだけの故郷じゃありませんよ! もちろん、スーさんの故郷でもあるんですからね

『……なるほど、な』

 リンの考えに、私も光を揺らめかせた。
 確かに、私も彼女と一緒なのだ。

『そう言ってもらえると、ありがたい』

はい! だからスーさん、一緒に行きましょう

 リンのその言葉に、私の光をかざしながら、リンは再び闇の世界へと足を踏み出すのだった。

……あの方の、故郷までも照らしてくれる、『永遠の光』へ向かって


 遠い異郷の地で、彼はなにを想いながら過ごしていたのか。
 誰を振り返りながら、我々の光となってくれたのか。
 もう、聞き取る術はない。
 ただ、祈りながら、光を灯すことしかできない。
 彼の故郷に続くかもしれない、『永遠の光』を探すために。

ある宇宙人とのノンバーバルコミュニケーション・後編

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