――おぼろげにしか想い出せなくなった、みんなの顔。
 それでも、僕を見て、微笑んでいたように想う。
 だから僕は、それが辛くて、故郷から旅立った。
 薄れかけていたその想いは、遠い昔と、心の奥底に眠っていた。
 ――けれど、淡い光が、僕の意識を照らすのと同じように。
 そんな記憶が、泉から沸くように、あふれ出し始めていた。

[※※※※※※※※!]

 笑顔で語りかけてくる少女の顔に、僕は見覚えがなかった。
 あったとしても、どちらにしろ、話しかけられるということ自体を想定していない。

[……※※?]

 さきほどより顔を傾けて僕を見ているのは、太陽系第三惑星に住む、地球人という生き物によく似た生命体だった。
 姿形的には、オーソドックスな二足歩行の生命体。ただし、同種族感の外見的な違いは、僕にはややわかりにくい。
 それは僕がそうである、ということではなく、人間という種族が僕達を見るときも同じようになるだろうと想う。

女性型、か……

 僕は、久しぶりに声帯を鳴らして言葉を発する。地球人には聞き取れないだろう発音が、僕の鼓膜を刺激した。

[※※、※……※※※、※※※※※※※※※※※※?]

 少女は不思議そうに眼を見開きながら、僕へ言葉をかけてくる。
 おそらく、僕がなにを言ったのかわからないことへの不安だろう。
 ――しかし、彼女はよく、僕の姿を見て驚かない。
 普通の地球人が見たら、悲鳴を上げて、逃げ出していくと想う僕の容姿なのだけれど。
 だけれど、僕は彼らの姿を見慣れていた。
 なぜなら、僕が潜伏して監視していた惑星こそが、彼らの住む星だからだ。

[※※、※※※※……?]

 彼女が手を振りながら、僕へと声をかけてくる。
 ――だが、その言葉は、僕の耳には異音にしか聞こえないのだ。

困ったな、翻訳機が……ないのか

 まいった。先ほど言葉を呟いた時に、感じてはいたのだけれど。
 翻訳機がないと、彼らの言葉を、全く理解することができない。
 僕は物覚えが悪く、昔からそこは欠点として扱われていた。
 睡眠学習でも、地球人の言語に関しては、ほとんど上達しなかった。
 発音は難しいため翻訳機が必需となるが、聞き取りくらいはと自分に対して想ったりもしたものだった。
 だから、よく地球赴任が許可されたものだと、我がことながら驚いたものだ。
 それは、僕の故郷の科学力が高度に発達していたことも影響している。 翻訳機の性能はすこぶる良かったため、僕の地球観察という仕事で、問題になったことはなかった。
 今までは。

えっと、君は……誰だい?

 試しに声帯を震わせて、少女へと質問を投げてみる。
 何十年かぶりに使用した声帯から漏れ出た声は、若干かすれたような声だった。
 ただ、僕らの声は、彼らにはいつも謎の奇声に聞こえるようだから、違いなんてわからないだろうけれど。

[※※※、※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※?]

 案の定、彼女は驚きを顔に満たして、僕の様子をまじまじと見る。

[※※※※、※※※※※※※※※※※※~♪]

 そして、一転して――少女の顔が、柔らかくなったのを感じた。

……ん?

 僕が怪訝に思ったのは、眼の前の少女のとった行動に対してだ。それは、今まで僕の姿を見た者が浮かべたことのない――微笑み。
 それも、こちらに付け入ろうとする造った笑みじゃない、ただ安心するような喜びの笑み。

 ――なぜだか僕は、故郷の者達のことを想い出す。全然、僕らと彼らの造形は、似ても似つかないものなのに。

君は、変わっているね

 言葉が通じないのだから、言っても無駄だとわかりながらも、僕はそう言った。
 僕の姿を見て、逃げ出したりしないのは、たいしたものだ。
 昔、森の中や空で見つかった時なんか、地球人の慌てぶりはこちらが心配するほどだった。見知らぬ姿の生命体が歩いていれば、驚くのもわかるのだけれど。
 そう考えれば、少女はやはり、異常だった。

[※※※※※※※※※※※、※※※※※※※※※※※※~♪]

 僕の言葉に彼女は、頭を上下させる反応を返してくれる。
 ……あれは、確か感心している素振りだっただろうか。
 むしろ、僕の今の発言のどこに、喜ぶ要素や感心する要素があるんだろうか? 彼女の方には、僕の発言の意図が、もしや伝わっていたりするんだろうか。
 ……と、想いながら、そんなはずはないと想い直す。
 むしろ、彼女の表情は先ほどと変わらず、好感触なように感じられた。
 なら、良い方に転んだと考えた方がいいか。

(ここで争うことになっても、無意味だしね)

 動きを出さず、内心でいろいろと計っていた僕に対して、少女は変わらずに視線を向けてくる。
 その視線を、少女は微笑みを維持したまま、手元の光へとゆっくり移す。

 よく見れば、僕の身体と少女の身体を含め、周囲は薄暗い闇に包まれたような状態になっていた。
 ――今は、夜なのだろうか? それにしては、星の輝きも、虫のささやきも、ない。
 ただ、この周囲がほのかに明るいのは、少女が持つその光のおかげのようだ。

[※※※※※※※※※~。※※※※※※※※※※※※※※※※※※、※※※※※※※※※※?]

 手元の光――あれは、確かマッチという道具だったような――に眼を向けながら、少女はそのマッチへと話しかけている。
 ただ、もしあれがマッチなのであれば……少し、奇妙な光景だと、僕には見えた。

(ふむ……そんなに高性能なものには、見えないけれど)

 僕が知るマッチは、地球人が話しかけるほど、高性能なものではなかったはずだ。
 それともあのマッチらしきものには、人工知能か通信デバイスでも組み込まれているのだろうか。
 だが、あのアナログな木片の様子からして、そんな高度な技術が使われているようには見えない。
 僕がその光を見つめて考え事をしていたら、少女はすっとこちらに視線を戻して、また話しかけてきた。

[※※※※、※※※※※※※※※※※※※※※※?]

 少女は笑顔を保ったまま、僕に向かって話しかける。
 ただ、その意味するところは、やっぱりわからない。

さて……どうしようか

 ぽつりと呟いて、しかし、なにをすべきかが浮かばない。
 実際、僕の姿を見て、逃げ出さないというのがすでにイレギュラー的な事態でもあるし。
 また、翻訳機がない状態で、地球人の言語でやりとりをするという状態も、想定していないのだ。
 戸惑ってなにもしない僕に、少女は続けて口を開いた。

[※※※※※※※、※※※※※※※※※※※※、※※※※※※~]

 少女は少し表情を崩しながら、片手を振った。
 彼女の表情が変わったのは、わずかながらの変化だったので、僕にはその意が汲み取れなかった。
 けれど、さきほどより、ちょっと困っているようには感じられた。

困ったな……

 僕はまた、同じような呟きをしてしまう。
 翻訳機器もなければ、資料もない。
 少女が何語を話しているのか、そもそも少女がなんなのかもわからない。
 今が地球のどこなのか、少女と僕がいるこの場所は、何なのか。
 一切がわからない、という事実を、ようやく頭の中で理解し始めたくらいだ。

 ――そして、この周囲の闇が、僕の寝ぼけ眼のせいではないとも、わかり始めていた。

[※※※※、※※※※※※※※※※※※※……※※、※※※※※※※※※※!]

 彼女の、ちょっと気の抜けたような声は、変わらず続く。
 悪い意味は持っていない気もするが、外見だけで判断して良いものか。
 それに、僕のしている外見判断は、あくまで地球人の観察から生まれた類型的なものでしかない。
 ――少女が見た目通りの存在だと、想って良いはずがない。
 僕がじっと見つめているのが気になったのか、今度は少女の表情がまた変わる。

[※※※※※※。※※※※※※、※※※※※※※※※※!]

 少女は、胸をぽんぽんと片手でたたいて、何度も頷く。
 なんの動作か、なぜ表情が引き締まるようになったのか、僕にはさっぱりわからない。
 だが、否定する理由もないので、彼女の動作を見守ることにした。
 つまり――僕は、態度をなにも変えていない、ということになるが。
 知的器具を発達させ、管理社会の徹底と、エラーを想定してから動き出すように発達した、僕たちの生体系。
 感情がないわけではないけれど、それらを安定させるために全てを合理的に組み上げた、人工的な社会。
 そんな社会で成長した僕達は、こうした想定外への対処が、実際のところうまくない。
 無感情に対応する僕へ、少しして、さすがに彼女もまた表情を変化させた。

[※※※、※※※※※※※※※※※※]

 おそらく、今度は困ったような表情になっているのだろうと想える。
 独り言のように呟いて――僕が返答できないから、仕方ないのだが――、少女はまたしても、手元の光へと話しかけている。

 今度は、首を何度か上下に傾けるという、奇妙な行動もしていた。それは、地球人同士の感心する際の仕草に似ている気もした。
 ――光に話しかけて、自分を落ち着かせているのだろうか。
 僕が冷静にそう観察していると、少女は僕へと唐突に視線を戻し。

[※※※※※※※※、※※! ※※※※☆]

 ほっぺたに人差し指を当て、軽く片眼を閉じて、僕に微笑みかけてくる。

……

 突然の行動に、僕は鈍っていた知的領域を稼働させて、地球人があの仕草をとった時の記憶を掘り起こす。
 ……え~と、あれは確か……。

『あなたはイカれている』、だったかな

 機器の補助をなくした僕のもろい記憶構造は、なんとか、そんな知識を浮かび上がらせる。
 ただ、浮かんだ言葉の意味は、あまりありがたいものではなかった。

まぁ、正常だという証拠はないけどさ

 ちょっとショックである。
 両肩を落とし、少しだけ鳴く。
 そのしゅんとした様子でもわかったのか、彼女は先ほどまでの笑顔とポーズを崩す。
 一転、慌てたような表情で両手をばたばたさせる少女。

[※※、※※※※※※※※※※!? ※、※※※※※※!]

 慌てた様子で両手をわたわたさせながら、彼女は僕に声をかけてくる。
 その動作から、こちらも解釈を間違えたのだろうかと推測する。
 推測したような侮蔑の意味なら、肩を落とした僕の姿を見て、頷いたりなんなりするだろうと想えたから。
 なら、その意味するところはなんなのだろうか。
 もしかすると、頭がおかしい、ではなく……なにか、楽しませようとでも、してくれたのだろうか?

よくはわからないけれど、大丈夫だよ

 少しだけ声を鳴らして、僕は両肩を少しあげて、自分の胸を片手で叩くようにする。
 彼女が先ほどやっていた仕草を真似たものだ。もし、これが相手を受け入れるという意味でもあれば、少しは安心してくれるかもしれない。
 少女は僕の仕草を見てか、ほっとしたように息を吐いた。

[※※※、※※※※※※※※※※※※、※※※※※※※※※]

 彼女の独り言を聞きながら、実のところ、僕は感心していた。

(わかってはいないのだろうけれど、読んではいるのかな?)

 僕の姿形は、彼女のような姿とはやや異なっている。
 四肢はあるし、素振りなどは地球人の真似もできるけれど、問題なのは表情だ。
 眼、口、鼻、そのバランスは、地球人が造る喜怒哀楽の表情と一緒には、もちろんならない。
 僕が、地球人に似ている少女の表情を読みとれるのは、それが仕事だったからだ。
 遠い故郷から旅立ち、地球人の観察と記録を主とする、観察官。
 彼らの表情や仕草のパターンは、記憶補助装置が断たれた今でも、記憶領域に染みついている。
 でも、少女は違う。
 僕のような種族に出会うのは、初めてのはずなのに。
 ――もしかして、初めてでは、ないのだろうか?
 だが、僕の知識では、地球人は他の惑星の生命体と出会ったことはないはずだ。
 だから、少女が地球人であれば、とも考えるが。

(判断材料が、少なすぎるな……)

 乏しい判断材料からわかるのは、少女は僕のささいな素振りや表情の違いから、こちらの意図を汲み取ろうとしている。

 ――まるで、幼子から感情を読みとろうとする、母親のように。

まさか、ね

 少女がそこまで考えているとは想えなかった。
 が、僕は彼女の不安を和らげようと、あることを想いつく。

[……!]

通じる、かな?

 片手を上げて、3本の内の2本を使い、指先で丸い形を造る。
 ――肉体表現による、コミュニケーション。
 少女の慌てふためき方や、胸を叩くという仕草から、想いついた方法だ。
 彼女は、理解してくれるだろうか……?

ある宇宙人とのノンバーバルコミュニケーション・前篇

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