成機 サチカ(なりき さちか)は
人工太陽で栽培されたいちごを使ったタルトを
右手でフォークを使って切り分け
口に入れ、咀嚼し、飲み込むと
紅茶をすすり目を閉じて香りを堪能した。
そして、一息置いてアリスにこう話しかけた。
成機 サチカ(なりき さちか)は
人工太陽で栽培されたいちごを使ったタルトを
右手でフォークを使って切り分け
口に入れ、咀嚼し、飲み込むと
紅茶をすすり目を閉じて香りを堪能した。
そして、一息置いてアリスにこう話しかけた。
優勝おめでとう、アリスさん。
い、いえ、ありがとうございます
こんな高級なカフェに招いて頂いて。
ケーキまでごちそうに……
いいのよ、あなたは
アスファルトダイヴァー優勝者なんだから。
ふさわしい場所にいるのが当然よ。
ところで、体の調子はどう?
最近は染色剤も、芳香剤も量が増えている
って聞くけど。
サチカは口元に付いたタルトのクリームを拭くため
体の左側にあるペーパータオルを
褐色の左手で取ろうとするがうまくつかめない。
あっ、取ります
アリスがペーパータオルを取り
サチカの右手へ渡す。
ありがとう、で、どう?
見た目はまだ大丈夫そうだけど。
…実は最近、戻ってきてからも
めまいがたまに起きて
手の爪の色が変わったままになったんです。
それはよくないわね。
蘇生欠陥の初期の症状よ。
蘇生欠陥とは、「システム」による人体蘇生の際に
体の一部が正常に蘇生されない状態のことである。
通常で起こることは非常にまれである。
だが、ダイヴァーは短期間で
「システム」による人体蘇生を頻繁に行う。
さらに、体組織には薬剤が多く残留した状態にある。
よって体を形成するためのデータが
これらの原因で徐々に劣化してしまい
蘇生欠陥が発生する。
短期間に何度も
体内に薬剤を大量に摂取してから蘇生するという
「システム」開発当初では想定されていない
使い方をした結果である。
私のときは、政府から補助金が結構出たけど
今は、法律で「蘇生欠陥」は「自己責任」
ってことになっているからね。
体をいたわったほうがいいわよ。
サチカは10年前に引退した
アスファルトダイヴァーのダイヴァーである。
彼女は21歳の時に「地下」へ避難した。
彼女の家はさほど裕福ではなかったので
20年間の教育期間後にはすぐに働く必要があった。
そしてアスファルトダイヴァー初期のダイヴァーとして
80年間活躍し続けた。
薬剤を使って体液に香り付けることを初めて行った
ダイヴァーであり、当時は絶大な人気を誇っていた。
彼女は蘇生欠陥で左手を失い、今は現役時代の
蓄えと補助金、そしてバイオ義手で暮らしている。
はい…でも生活をするには
優勝しないとやっていけないし…
ダイヴァーをやめるとしたら…
あとは…
「エロダンサー」しか仕事がないし…
…それは…ちょっと………
………………………………………
アリスは「エロダンサー」になった自分の姿を
思い浮かべ、絶望的な表情で涙ぐんだ。
別に責めているわけじゃないのよ…
あなたのダイヴはとても素晴らしいし
私の現役よりも美しいと思っているわ。
ただ、やっぱり私がこうなった以上
どうしても、あなたの体が心配なの。
はい…ありがとうございます。
ほら、あなたもアップルパイを食べて
元気を出しなさい!
それから2人は
談笑した
アリスさん
ちょっと聞いてもらえる?
はい
アリスさん……
この世に…神様っているのかしら…
……!!
アリスは本当に驚いた。
「地下」では「神」や「宗教」に関する発言には
「前頭葉と身長と人権を剥奪する刑」が科せられる。
しかも、「地下」では全ての発言や電子文書が
逐一が高性能AIによって監視されている。
まもなく、カフェに政府警察が押し寄せてくるだろう。
サ、サチカさん…!
フフ、アリスさん何を驚いているの?
い、いま「か」…
「ソレ」を言っっちぇったら
サチカさんは…!
聞き間違いよ。
私は「ソレ」を口にしていないわ。
私は「カニサナ」って言ったのよ。
へ?「カニサナ」ってなんですか?
意味はないわ、でも
だからこそ
コンピュータは欺ける。
所詮は人が作ったモノだからね
「神」や「宗教」の思想が「地下」で大罪として
扱われるようになった背景には
「地下」の政府の指導者たちが
争いの背後に「神」や「宗教」があると
考えるようになったからである。
争いは滅びへの道と。
また、高度な技術を成し遂げた「人体蘇生」が
「神」に背く行為として、かつて世界から
強く批判され、一度封印された過去があるのも
理由になっているのかもしれない。
…………………………………
…………………………………
サチカは紙とペンを持ってきていた。
念には念を入れ、筆談で話を進めるためだ。
じゃあ、聞きたいことは紙に書くから
「はい」か「いいえ」で答えて頂戴ね。
何か質問とかあったら紙に書くように
はい
気がのらないけど
仕方がないな…
2人は趣味として「ひらがな」をやっている。
まずはサチカが紙をちぎって質問を書く。
……はい
アリスが紙に書く。
サチカさんはどう思うんです?
サチカが書く。
文字を見たアリスの顔がこわばり、汗をかいた。
アリスは文字を書く。
サチカは文字と絵を描いた。
あなたも見たはずよ
アリスは返答に困った。
前のダイヴのあとに
アスファルトの下に行ったとき
まさにサチカの描いた絵のようなものと
会話し、戦ったからだ。
もちろん夢か幻覚の中だと思っていたが。
しばしの沈黙のあとに
アリスはこう書いた。
するわ
サチカは紙に文字を書く。
あなたもカニサナの声を聞いたはずよ
アリスは手を握りその中に汗をかいた。
サチカはさらに紙に書いていく。
ゴシップ誌や下流階級の噂でよくある話だ。
す、すみません
ちょっとトイレにいきます
アリスはサチカの顔を見ないように言った。
自分の表情をサチカから見えないようにするためだ。
自分の表情が
ショックで青ざめているのが自分でも分かったからだ。
まさかサチカさんほどの人が
あんな危険思想に染まっていたなんて…
しかも脳が見せたただの幻覚を
「神様」と信じ込んでいる…
トイレに入ったアリスは
政府警察に涙ぐみながら通報した。
思想犯を通報すると多額の賞金がもらえるからだ。
サチカさんは狂っちゃったんだ
左手を失って、恋人も失って
それで、それで…
幻覚と現実の区別が
つかなくなっちゃったんだ
アリスはいつか見た
成機 サチカが付き合っていた
除染士の恋人との破局報道を思い出した。
サチカのダイヴァー引退後のニュースだった。
「地下」の世界の生活でうまくいかなくなった人間は
しばしば「神」や「宗教」を用いて
同じ境遇の人々を集め、力を得ようとした。
政府はそのことを恐れ、法律を制定したのだ。
すみませんお待たせしちゃって
アリスは平静を装って席に着く。
いいのよ
とても穏やかな顔でサチカは言った。
そして、アリスがトイレに行っていた間に
文字を書いた紙をアリスに見せた。
!!!!!
引退前、最後にダイヴしたとき
「アスファルトの下」で
カニサナが私を選んでくれたの。
そして、今この瞬間あなたがいる。
つまり、あなたも神様に選ばれたのよね。
アリスは恐ろしかった。
サチカの言うとおりだったからだ。
いくら集団幻覚でも細部まで一致することが
あるのだろうか……
神様はほんとうにいるの?
この前見たあれは
幻覚でなく
現実だというの?
アリスは確かなはずだったものが
ほころんでいくのを感じていた。
--------「地下」の世界は完璧だ。
生きることの恐怖も死ぬことの恐怖も無い。
ただ過ごしていれば、未来への道は開ける。
死ぬことが無ければ無限に技術は進歩できる。
放射能を克服することも
人間を新たに作り出すこともできるはずだ。
人類は神や宗教が無くともやっていける。----------
アリスは「地下」の政府の演説の言葉を
思い出していた。
曖昧なものではない確かな言葉だ。
さっきトイレに行ったとき
あなたを宗教思想犯として通報したわ。
すぐに政府警察がくるわ。
終わるのはあなたのほうよ。
カニサナなんていない。
あなたは幻覚を信じていただけよ。
アリスは自分を取り戻すように語り掛ける。
…………
サチカは黙ったまま紙にペンを走らせた。
カフェの外で人が近づいてくる音がする。
政府警察の警官たちだ。
奇跡?
奇跡なんか起きないわ。
あなたはすぐ射殺されて
そのまま前頭葉と身長と人権を失うのよ
カフェに警官が3人入ってきた。
アリスはテーブルの下にすばやく潜る。
直後、電子制御の小型マグナム銃の
発射音が3発鳴り響いた。
ごめんなさい…サチカさん
??
アリスは不思議に思った。
サチカが射殺されたなら
警官が声をかけるなりしてくると思ったのに
静かなままだからだ。
アリスは思い切ってテーブルの下から這い出た。
…?……!!
アリスは言葉を失った。
成機 サチカは警官3人の返り血を浴びて
たたずんでいた。
電子制御の銃が3丁とも暴発したようだ。
これが奇跡よ…
…そして終わりが始まるわ
呆然とするアリスは、立っていられないほどの
めまいを感じたが、めまいではないことに気づいた。
地面が振動している。
地震だ。
いきましょうアリスさん
新しい世界へ
サチカはアリスに手を差し伸べるとそう言った。
アリスはその手をつかみながら
3日前に優勝を決めたダイヴのとき
「アスファルトの下」で起きたことを
思い出していた。