認可凪 アリス(にんかなぎ ありす)は
ワンプッシュ式注射器を手首にあてボタンを押した。
プシュッと音がして、薬剤が無痛針から放出される。
アリスは動脈に浸入する薬剤の冷たさを感じながら
手早く次の薬剤を注射器に充填する。

アリス

ハアッ、ハアッ

注入した薬剤の影響で呼吸が荒くなる。
アリスは呼吸を整えながら
今度は首筋へ注射器をあてる。
首筋にはこれで5回目の注射になる。
手首にはさっきので8回目だ。

アリスは次に鎮痛シートをこめかみに貼り付けた。
時間との勝負である。
アリスは小型ドリルですぐに
小指ほどの穴を頭蓋に開けた。

アリス

……!

シートの鎮痛効果があるため痛みは無いが
脳に穴を開けたため視界が歪む。
こめかみから流れる少量の血と脳漿をそのままに
アリスは長い針の付いた
薬剤のセットされている注射器を
こめかみの穴に差し込み
静かにピストンを押し込んだ。

アリス

ウッ…

シリンダー内の薬剤は
脳を薔薇の香りがする塊にしてしまう。
猛毒である。
薬剤を全て注入した後
アリスはこみ上げる不快感と吐き気をこらえながら
ふらふらとたちが上がる。

アリスの手や足、そして首筋には薬剤の影響で
カラフルな小さな腫瘍がいくつもできている。
眼球はグズグズで緑色の液体を流している。
頭蓋骨はもう飴細工のように脆くなっている。
アリスの鼻腔には甘いバラの香りが広がっている。
色のついた臓器も溶けて液状になっている。
このまま頭から地面にたたきつけられれば
きっと綺麗な色でアスファルトを染めることだろう。

アリスはゾンビのようにのろのろ歩きながら
控室の自動ドアを抜けて通路を進む。
通路は暗く、風が吹き込む。
通路の外は明かりと歓声が聞こえる。
アリスは緑色になった視界で明かりを頼りに進む。

アリス

死にたい

アリスはそう思った。

通路の外は、風が強い。
地上から80メートルのところにあるからだ。
サイドには手すりがあるが前方には無い。

地上では双眼鏡でアリスを見る観客や
落下地点を映すモニターを食い入るようにみる観客
早く落ちろとヤジを飛ばす観客がいる。

『ブァア”ア”ア”ア”アアアア』
飛び降り開始のブザーがなる。
アリスは最後の力を振り絞り両手を広げる。
落ちる姿勢を整え、最適なダイヴをするためだ。

相川アナウンサー

さあ、皆様いよいよダイヴの時です!ダイヴァーは30年目のベテラン、認可凪アリスです

相川アナウンサー

ブザーが鳴った!手を広げ……行ったああああああああああ!!!

アナウンサーは観客をより興奮させるように
大げさに叫んだ。
観客が電子トークンを多く出す確率が高まるからだ。

トークンはこの『アスファルトダイヴァー』の運営や
装置のメンテナンス、ダイヴァーの賞金になる。

高さ80メートルほどのタワーからダイヴした
アリスは、地面へ到達するまでのほぼ4秒間を
上下逆さまになりながらゆっくり下っていく。

アリス

今年ももう半分終わっちゃったな…

認可凪アリスは【ダウナー】の状態にある。
【ダウナー】とはダイヴァー特有の精神状態である。
体感時間が何十倍にもなるのだ。

アリス

5年ももう半分か

アリス

あー

アリス

賞金入っても貯金も増えないし

アリス

地面はまだかな

第4次世界対戦で各国が核武装を進める中
「日華共和国」は大陸地下に
「重力発電所」を備えた「巨大地下シェルター」を
建設し、優れた人間だけを極秘の内に避難させた。

「日華共和国」は世界でトップクラスのテクノロジーを
有する国であり、医療における分野に秀でていた。
死んだり損壊したりした人間の肉体を生きている状態へ
戻す技術「人体蘇生」はそのうちの一つである。

そして「地上」の人類は核で滅び
「地下」の人間は生き残った。

問題はすぐに起きた。
地下水が地上の放射能で汚染されたのだ。
放射能は人々の寿命を「5年」にしてしまった。
さらに放射能の影響によって
「地下」の人間は子孫が残せなくなった。
だが、人体蘇生技術はある。
「地下」の人間は「生と死」を繰り返すようになった。
滅ぶ事のないように「システム」を構築していたのだ。

この「システム」は核戦争で「地上」が
滅んでしまう前に多くのエンジニアの手で
作られた完全無欠のシステムである。
理論上、10万年は問題なく動作する。
しかし、仕組みは「地下」の人間には誰も理解できない。
だが、完全無欠のシステムなのでそれで問題ない。
全てはコンピュータで制御されている。
人間の意志に関係なく動作する。

アリスは
「地下」に18歳の時に避難した。
避難してからの80年間は教育を受け
生活手当の支給も受けていた。
素質と才能があれば、放射能汚染水の除染士となり
支給打ち切り後も安定した収入を得ることができたが
彼女はそれがなかった。
だから人々の娯楽として消費される仕事を選んだ。
ダイヴァーとしてはもう30年となる。

灰色のアスファルトに
豚肉と水風船と枯れ枝が破裂した音がして
いろんな色をした体液が綺麗に飛び散って
直径10メートルぐらいの綺麗な花を咲かせ
薔薇の良い香りが漂った。
アリスの肉辺や骨片や脳は飛び散った。
色とりどりに。認可凪アリスは死んだ。

相川アナウンサー

見事なダイヴ!素晴らしい!
認可凪アリスに大きな拍手を!
そしてトークンをお願いします!

アナウンサーは大きく叫ぶ。
観客は反射的に拍手や歓声を上げ
手元の薄く平べったい板の液晶を叩く。
電子トークンがアスファルトダイヴァー運営の口座に
チャージされていく。

観客は次に手元の薄く平べったい便利な板を
アスファルトに咲く花が映しだされたモニターにむけ
3億画素で画像を記録する。

観客たちは、感動したのでも驚愕したのでもなく
ただ、慣習だからそうした。
観客たちはこの光景に慣れきってしまっているのだ。

「システム」は人々から死を消し去ったが
それは生を奪うことでもあったのだ。

人々が「地上」に居た頃の感覚は
「地下」で完全無欠の「システム」の手で
奪われてしまったのだ。

例えば

「地下」で絶望して自ら命を経っても「システム」で
また希望を持って生きることを強いられる。
人が人を憎んで殺したりしても「システム」でなかった
ことにされてしまう。
死ぬことが恐怖ではなくなってしまったことで
生きている中で感じる喜びや楽しみも
薄くなってしまう。

人は死という期限や制限があるからこそ
生きることの感覚をはっきり認識していたのでは
無いだろうか。

清潔な色をした「システム」は死体に敏感に反応する。
認可凪アリスだったものを
手早く吸い込み分析した情報を
「地下」の「さらに地下」にあるサーバーへ転送し
いろんな情報を構成し足りない部分を補ったりして
「人体3Dプリンター」で再生させる。

認可凪 アリスは「人体3Dプリンター」のある部屋から
服を着替えて出ると、そのまま大会の結果を
確認しに向かった。

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ーーーーーー3日後

① 認可凪 アリスは下へ、下へ、下へ。

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