駅前商店街の裏通りに、複合ナイトレジャー店ビル「ネバーランド」はある。

 地上三十階、地下三階。あらゆる形態の風俗店を抱える高さ180メートルの高層ビルは、ぎらついた明かりを無遠慮に街に落としながら、そびえ立っているのだ。

 キャバレー、クラブ、ガールズバー。
 ソープ、イメクラ、放置プレイBAR。
 メイドプロレスに執事ケバブ。

 悪名高き若社長、鈴木フックが経営する、ある意味ではその名の通り男の夢の国にも近しい、欲望の巣窟だった。

パパン

……ゆり子!

 豪奢なエレベーターホールに、義男はちらりと、だが間違いなく、いとしい一人娘の姿を見た。

 全身しまむら服の自分も大概だが、ゆり子のセーラー服はこの場に似つかわしくない。もっとも、このビルのコンセプトからすれば、これ以上にフォーマルな服装もそうはないだろう。 

 ゆり子の乗り込んだエレベーターは、義男の目の前でぴしゃりと扉を閉める。

 何階だ、何階へ行くんだ。

 ぐんぐんとインクリメントされる階数表示に、義男は待ちきれず、

パパン

あの、す、すみません

 ホール隅の案内カウンターにいた、顔色の悪いボーイに訊ねる。

受付

いらっしゃいませ。今日はどういったプレイをご所望でしょう

パパン

う、ウェンディって源氏名の子がいるお店に呼ばれて来たんだけど……

受付

初耳ですが、響きからするとたぶん『ハウス世界名作劣情』でございますね

パパン

ど、どういうお店なの、それ……

受付

はい。このビルの中でも最近できた新しい店舗で、

受付

三十人規模の楽団による生オーケストラをBGMに使った、本格的な高級イメクラヘルスでございます

パパン

い、イメクラヘルスって具体的に何をするの?

 風俗店などまるで縁の無かった義男が、つい疑問をそのまま口にしてしまう。

 受付のボーイも怪訝な顔をしながら、それでも丁寧に答える。

受付

基本的には、特殊なコスチュームや設備で様々なシチュエーションをお楽しみいただきながら、

受付

お客様の下半身のヘルスチェックの方を

パパン

させるかバカ野郎!

 真っ直ぐに突き出した拳が、ボーイの鼻っ柱を叩き折った。

受付

ごふぅ!

受付

て、てめぇ……どういうつもりだ……!

 すぐにわらわらと集まってくる黒服の男たち。

 エンカウント。

 義男はごくりと唾を飲む。

黒服

お客さん、困りますよ、乱暴はァ!

 真っ先につかみ掛かろうとした男の腕を、

 義男の手が絡め取り、捻り、

パパン

ちょいやァ!

 その巨躯を軽々と床へ引き倒したのだ!

黒服

おぶ……っ!

 よし、いける。

 義男は確かな手応えを感じた。

 大丈夫だ、にぶってはいない。

 義男の前職は、デバッグ請負専門企業の現場主任だった。

 主にゲームメーカーから依頼され、発売前のゲームの仕様を頭に叩き込み、どんな細かな不具合や仕様との相違を見逃さないよう、ひたすらやり込み、報告する仕事だ。

 元々ゲームを、とりわけアクションゲームを得意としていた義男には、シューティングゲームや音楽ゲーム、そして格闘ゲームの新作のデバッグ依頼が回された。

 動体視力と反射神経。全キャラクターの技と性能を頭に叩き込む記憶力。そして、どんなコマンドも正確に入力する器用さは、会社の中でもピカイチだった。

 彼がリストラされる前、最後に請け負っていた仕事は、SEG@の「@ーチャファイター7tb」だ。

 Ps4専用3Dヘッドマウントディスプレイに最適化され、何故かモーションコントローラー「PsMove」を4本使った専用ゲームとして開発されていたそれのデバッグ業務は、彼の長いデバッグ業務歴の中でも熾烈を極めた。

 シリーズ途中でお蔵入りとなった一人称視点カメラを再び採用。

 コマンドは両手に握った棒状のコントローラーのモーションで入力しなければならず、さらに全キャラ全技の、フレーム単位の挙動のチェックをしなければならなかった。

 その上許されたデバッグ期間は短く、加えて義男以外にこのゲームをプレイし切れる人間は、会社には誰もいなかったのだ。

 用意された広い部屋で、義男は一人黙々とデバッグを続けた。

 K+G(Gは1フレームで離す)の大カウンターヒット確認から腹側オフェンシブムーブ、2フレーム消費後33P+K(Kは2フレームで離す)→466P+K(Pは1フレームで離す)→1フレーム消費後43P→P+K+G(構え変更中に)6P→3K+G4P466P+K(Kは1フレームで離す)をGでキャンセル→9P+G→確定小ダウン攻撃というコンボのダメージが、何故かごく稀に変動するバグを見つけた時には、義男はもはやこの世に神はいないとすら思った。

 それはまさに、仮想空間で格闘技の修行を、そして精神の修行を行っているにも等しかった。

 まごう事なき革新的クソゲーの開発計画は、日の目を見る事無く頓挫し、静かに消えていった。

 だがそこで義男が培った動体視力と反射神経はまさにチート級、世に名だたるプロゲーマーのそれをも遥かに凌駕していたのだ。

受付

つ、つまみ出せ!

 右の男の拳は24フレーム。左の男の警棒は31フレーム。

 義男の鍛えに鍛え抜かれたゲーム眼は、人間の体格や筋肉の挙動、視線や軸足、体重移動、あらゆる要素からそれが「@ーチャファイターで言うと」どんな性能の攻撃かを、瞬時に、具体的には始動から攻撃判定の発生までの間に見抜けるようになっていた。

 もちろんそれらへの最適解となる対応も、義男の脳は恐るべき速さではじき出す。そして全身の神経と筋肉を、fps60を遥かに越える更新速度で操り、戦う(っぽい動きのコマンドを再現する)のだ。

 次々と繰り出される拳を、警棒を、挙句の果てには銃弾をかわす義男。

パパン

はいィ!

 黒服男を次々と打ち上げる、少したるんだその腕は、決して贅肉だけでは出来ていない。

パパン

そいやァあ!

 まとめて何人も蹴り飛ばす、でっぷり太いその脚も、より良いゲームを創る為に磨いてきた、努力と苦労の結晶だ。

 そこにいるのは、図らずも現実世界で通用するほどのチート級の力を手に入れたゲーマー、パパン。

 他ならぬ@EGAによって生み出された、チーターパパンだ!

 打ち倒すこと、正に百人。

パパン

さあ、教えてください。『世界名作イメクラハウス』というお店はどこですか

 足元でうめいていた黒服男の一人に、義男は訊ねる。
 息ひとつ乱していない。

黒服

は、『ハウス世界名作劣情』の事ですかね……

パパン

あ、はい。たぶんそれ

黒服

に、25階の奥の方……です

パパン

ありがとう、お勤めご苦労様でした

 あくまで優しく、紳士的に。義男は男を床へそっと寝かせてやった。業種はともかく、彼もいちサラリーマンのひとりに過ぎないのだ。職を失ってもう半年近かったが、義男は礼節を忘れない男だった。

パパン

……ゆり子!

 再び登っていくエレベーターの中で、義男はひとり拳を握り締め、いとしい娘の名前を呼んだ。

ティンカーベル

あなたは本当にゲームが好きだったのね、パパン

義男の頭の奥の方から、再び声が届いた。

義男にしか見えていないティンカーベルが、どこか寂しそうに目を細めて、彼を見ている。

パパン

言い訳はしないよ、なる美

パパン

仕事仕事と言いながらゲームびたりになって、

パパン

家族をないがしろにしていたのは間違いないんだ

ティンカーベル

そうなの……

ティンカーベル

でもね、あなた

ティンカーベル

きっとゆり子も、すぐにわかってくれるわ

ティンカーベル

だって、ゲームのおかげであなたは、こんなに強くなったんじゃない!

パパン

そうか

パパン

そうだね

パパン

そうだといいけど……

胸に生まれた迷いに、義男が答を見出す前に、エレベーターのドアはゆっくりと開いた。

つづく

その夢、ネバーランド!

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