『ポドフィリア(脚性愛)とは、太ももやふくらはぎ、足の指や足の裏など、脚部に対し強い興奮や偏愛を抱く性癖のことである』



あのお客さん。またお前をご指名だよ。相変わらず熱心だね



 夜の帳が下り始め、ぼんやりとしたランプだけが室内を照らしだすようになった頃、娼館の待機室で飴を舐めていた僕を、お婆さんが呼びかけた。



また来たんだ。これで今月、三回目だっけ

ほら、さっさと支度をしな。お前を呼んでくれる物好きは、あの客くらいしかいないんだから



 僕は肌が透けて見えるシルクのヴェールを身にまとうと、お婆さんに手を引かれて『部屋』へと向かった。薄暗い部屋の中にはすでにひとりの男の人がいて、僕の到着を待っていた。
 お婆さんの手を離し、部屋に入って男の人と二人きりになった僕は、両膝をついてすっと頭を下げた。



今夜はたくさんご奉仕させていただきます。よろしくお願いします



 ここは十代までの若い少年……いや、娼年を専門にする高級娼館だった。さっきのお婆さんはその仕切り役で、僕は家族を無くして以来ここでお世話になっている娼年のひとりである。この辺にはそういった施設が密集しており、お客さんの大半は男性である。



いつものように……あれをご所望ですか

……ああ



『お客さん』は言葉少なにそうつぶやくと、僕は備え付けてあった椅子に座ると、下半身を覆っていたベールを太ももの辺りまでするするとはいだ。外気にさらされた僕の両足は、少しばかり熱を帯びていた。

 そこに、お客さんの指が僕の肌を感触を確かめるように、膝から足首にかけてそっとすべる。少しのこそばゆさに、僕はうっと声を漏らした。


いいんですよ、お客さんの好きな場所を、好きなように、愛してくれて

……

お客さんはいつも、そうですね。僕の足ばかり。他の部分には絶対触れようとしない

……

そんなに僕の足が好きですか? 他のお客さんはみんな、足なんか見てくれないのに



 お客さんは何も答えない。まるで僕の唇を塞ぐように、足の指に唇を這わせる。僕も返事が来るとは思っていない。この人はいつでも、最低限の言葉以外は口にしない。
 僕も押し黙った。沈黙の中、少し荒いお客さんの息と、僕の足に触れ、舐り、吸う音だけが響いていた。
 舌のざらついた感触が、僕の太ももを伝うとき、甘流が臀部から背中をかけて、脳にまで伝わる。最初はこそばゆいとしか思えないお客さんの愛撫も、次第に僕の身体を芯から熱くさせてくる。
 僕がベールを噛み、声を押し殺していると、不意にお客さんの身体が、僕の足から離れたことを感じた。
 視線が注がれているのがわかる。僕の足を、じっと眺めているのだろう。いつか昔、僕の身体がまるで透き通っているようだと褒めてくれた人がいた。肌の美しさには、ちょっとした自信があるのだ。
 お客さんに何も話しかけないのは、さすがに仕事をサボりすぎだ。



お客さんのおかげで、僕は生かされているようなものですよ。ええ、お客さんも知ってるでしょう。僕の身体のこと



 お客さんはやはり、何も答えなかった。僕は細い指でそっと、自分の顔に触れてみる。



 僕は数ヶ月前、別のお客さんに両目を潰されて視力を失った。口を使った奉仕の途中、相手に乱暴なやり方でむせてしまったとき、うっかり『それ』に強く歯を立ててしまったのだ。怒ったお客さんは護身用に持ち合わせていた木刀で僕の両目を強く叩いた。それ以来、僕の両目は光を失ってしまった。
 盲目の娼年の存在も、最初のうちは珍しがって指名するお客さんもいて、それはかえって僕の売りとなった。しかし、見えぬままでは奉仕もおぼつかず、そうなるとお客さんは僕が何も見えないことをいいことに、粗暴なプレイを仕掛けてくるようになった。けれどそれも珍しさが先立った最初のうちで、やがてすぐに飽きが来てしまい僕を指名する客は著しく減っていった。

 このままお役御免と、何も見えぬ身体で娼館から放り出されそうになったときに、このお客さんが現れたのだ。お客さんは僕を幾度も指名し、その度に僕の足をひたすらに愛し、それだけすませると挨拶もなく帰るのが通例だった。



こんな僕でも愛していただけて、本当に感謝してるんですよ。足を舐めさせるだけでいいのが申し訳ないくらい

……いいんだ

本来なら僕が奉仕する立場なのに、されてばっかりですから。なんでも、お客さんの言うこと聞くんですから、何でも言ってくださいね

いいんだよ……

 

 それだけつぶやくと、お客さんは再び僕の両足首をつかみ、指を強く舐りだした。唾液が滴り、指と指の間に舌か絡み付き、吸い尽くし、まるで餌にむしゃぶりつく犬のように、僕の足を熱心に食み続ける。
 目が見えない分、他の感覚が敏感になった僕の身体。不明瞭な視界の中で、ただ自分の足が愛でられる音だけが響き、今だけ両足が全ての感覚器の代わりを成しているかのように、甘い疼きを受け止めて身体中に伝わっていく。

 僕はくぐもった声を漏らし、だらしなく開かれた歯の間から息を漏らし、ふと衝動的に、お客さんに奉仕をしたいと思った。誰に言われるでもなく唐突に、自分からしてみたくなったのだ。



ん……



 お客さんが僕の左の太ももを持ち上げて口づけているのをいいことに、僕は右足を伸ばして暗闇の中を探るように、お客さんの『それ』を探し、つま先でそっと触れてみた。
 その瞬間、お客さんの身体がビクリと跳ねると、僕の右足首を、まるで万力のような強い力でぐっと掴んだ。



痛っ!



 それからお客さんは、まるで汚物を振り払うかのように、僕の足を床に投げた。僕はイスから転げ落ちて尻餅をついたあと、足をさらけ出したまま見えないお客さんの姿を目で追った。


お客さん……

……



 これまでにないほど、お客さんの息が荒くなっているのに気付いた。相変わらず何も語らないけれど、少しばかり湿った声も聞こえてきたような気がする。
 それからお客さんは何も言わず、部屋を後にした。ひとり残された僕は、つま先に残った、初めて自分から『触れた』、その一瞬とも知れぬ感覚を思い出していた。



……

 

 まるで自分の指が、何かの糸を断ち切ってしまったかのようだ。お客さんの愛した美しい刃が、触れてならない場所に切り傷を残してしまったのか。

 僕は鈍い痛みを残す自分の足首に触れてみた。きっと、お客さんの手形が真っ赤になって残っているだろう。僕にそれを見ることはできないけれど、なぜかその形や色の深さまで、ありありとまぶたに浮かんでくるかのようだった。



脚性愛(ポドフィリア)

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