『スードゥズーフィリア(動物擬態性愛)とは、尻尾や耳などで動物の真似をする行為に強い性的興奮を抱く性癖の一種である』
『スードゥズーフィリア(動物擬態性愛)とは、尻尾や耳などで動物の真似をする行為に強い性的興奮を抱く性癖の一種である』
おい、帰ったぞ!
玄関の方からけたたましい声が響いてきた。時刻は午後七時。形ばかりに設けている門限は六時だ。弟が門限を守ったことは、二人で暮らし始めてからただの一度もない。
親同士の再婚で義理の兄弟となり、両親の出張によりこの一軒家で二人きりで暮らすようになって丸一年が経とうとしていた。最初から色々とルールを設けてやったのだが、弟がそれらをひとつとて、律儀に守ったことなどなかった。
俺は参考書にしおりをはさんで机に置くと、階段を降りて居間へ向かった。ソファには、大股を開いて弟が座っている。見慣れた光景ではあったが、身体中が泥にまみれていた。
またどっかでケンカをしてきたのか
売られたんだから仕方ないだろ。まあ全員、返り討ちにしてやったけど
汚れた服でソファに座るなと言ってるだろ
うるせえな、疲れてんだよ。俺の勝手だろ
着替えは用意してやるから、風呂に入ってくるんだ
さすがに泥だらけままでは、弟も疲れを癒やしきれないと思ったんだろう。チッと舌打ちを鳴らすと、弟は気怠そうに風呂場へと歩いて行った。
こういった素行不良で、弟が教師から呼び出しを食らった回数は数えきれない。ささいなことで頭に血がのぼり、暴力に訴える。四六時中、ケンカで傷と泥にまみれて帰ってくる。今のところこれといった大きな問題を起こしてないことと、自分から他人にケンカを売ったり弱者に暴力を奮うことこそないものの、放置していたらそのうち事件でも起こしかねない。両親は常に弟を心配し、その世話を俺に託すのも不安そうであった。
俺は弟の着替えを用意してやると、勉強の続きをすべく二階の自室へと上がった。全国模擬試験でも全国上位に食い込む成績の俺に、志望の大学は最早合格の射程範囲内だが、不出来の弟にかまけてここで気を緩ませるわけにはいかない。
おい、バカ兄貴!!
そんな叫びがドアの向こうから聞こえた。
きたな……
俺は再び参考書にしおりをはさむと、同じタイミングでドアが開かれ、顔を怒りの色に染めた弟がずかずかと室内へ踏み込んできた。ずいぶんさっぱりしたようでなによりだ。
てめえ、一体どういうつもりだ!
なんだ、さわがしい。今いそがしいんだ
これは一体何なんだって言ってるんだよ!
弟が両手を突き出すと、そこにはその場にとてもふさわしくないアイテムが握られていた。
ひとつ、犬耳のカチューシャ。ひとつ、犬用の首輪。ひとつ、犬の尻尾がついたトランクス。
全て、俺が着替えの中に忍ばせたやつだ。
何って、お前が好きなやつだ
好きじゃねえよこんなの!
何考えてんだテメー!!
俺にどうしろっていうんだよ!!
怒りを抑えきれない弟の声がビリビリと響き渡る。まるで野良犬だ。よくもここまで大きな声が出せるものだと感心してしまう。
お前は最近、またうるさくなっているからな。それを付ければ大人しくしてられるだろう
本当にぶっとばされたいようだな、このバカ兄貴……
歯をギリギリと鳴らしながら、俺に近寄ってくる弟。俺は小さくため息をつくと弟の腕から犬耳カチューシャを素早くひったくった。
あ……!
うん、要らないんだろう?
お、おう。わかればいいんだわかれば。もう余計なことは……
意外と物分りはいい弟が安心しているすきに、俺は流れるような動作で、ひったくったばかりの犬耳カチューシャを弟の頭に装着した。
あっ、バカ、クソ兄貴お前……
弟が犬耳カチューシャを外そうとしたところで、俺は間髪入れずに追い打ちをかける。
可愛いぞ、ワンワン。ほら、伏せだ
その声が引鉄である。俺の言葉を聞いた途端、弟は膝から崩れるようにして床に座り込んだ。
上目遣いに俺を見つめる目は、少しの怒りを宿しながらもどこか潤みを見せていて、まるでそのまま、飼いならされた犬のような眼差しだった。
やめろよ、お前。マジで……
先程までの語気はどこへやら、弟は情けない声を出した。
はっはっは、可愛い可愛い。お前はこれ、好きだもんな。どれだけ嫌がってても、それを着けたら身体は正直に反応してしまう。可愛い犬っころになっちまうんだもんな
お前、俺は学校じゃオオカミって言われてるんだぞ!
何がオオカミだ。完全にただの犬じゃないか
だ、誰が犬だ!
俺は笑いながら、弟のあごに手をかけて、その情けない表情に満ちた顔をぐいっとあげた。弟の瞳は屈辱を訴えていたが、俺はその奥底に、さらなる犬扱いを要求する弟の欲望を感じ取っていた。
弟にこういう性癖が宿っていたことを知ったのはほんのささいなきっかけである。狂犬のような弟を少しでも真面目に調教してやろうと、悪戯のつもりで犬耳を付けて犬扱いしてみたら、ものの見事に『従順』になったのだ。その変貌ぶりには俺だけではなく弟自身も驚いていたようで、今になってもそんな自分を受け入れることができずにいる。
そこで俺は折にふれて、弟を犬扱いすることで兄弟の上下関係を構築するようにしているのだ。俺もまた、飼い主として弟を飼いならすことに悪い気がしないどころか、嗜虐心のようなものを刺激されているのかもしれない。
ほら、待てだ。待てだぞ
弟はうーうー唸るものの、力づくで俺に抵抗する気はないようだ。やろうと思えばすぐにできるはずである。
ほうら、お似合いだ。お前は立派な犬だよ
俺は静かに、弟の首に首輪をかけた。弟は顔を真っ赤にし、目は涙で潤ませながら、今にも噛みつかんばかりの殺気を放とうとしているが、それがかえって今の醜態とのギャップを詳らかにして、こっちは愉しくて仕方ないのだ。
殺す、殺す、クソが、ボケ兄貴が……!
よし、上手に待てができたな。えらいぞ
そういって俺が弟の頭を撫でると、弟は俯いてされるがままでいた。今日、弟が返り討ちにした不良たちがこの姿を見たら何を言うだろうか。そんなことを考えると、俺は震えを抑えきれなかった。
ほら、ご褒美をやるからこっちにこい
俺が首輪を引っ張ると、弟は何もかもを諦めたように、四つん這いになってついてきた。何かに期待していることが、首輪をつないだロープからも伝わってくる。
俺はひとまず弟を部屋に出した。そして自分だけ再び部屋にこもり、内側からカギをかけて、そのまま放置する。
……あ、兄貴?
すまんな。かまってやりたいけれど、俺は勉強で忙しいんだ。
晩飯なら台所にあるから食え。
じゃあな、ワンちゃん
すると、ドアの向こうから何かを破壊するような物騒な物音が聞こえ、やがて半狂乱になった弟がドアノブをガチャガチャと回しながら、吠えるように訴えてきた。
おい! ふざけんなクソ兄貴! なんとかいえコラ!! おい、おい!!
なんだ、そんなにご主人様からのご褒美がほしいのか。本当にほしがりだな、お前は
あああああああああああ!!
弟の羞恥と憤怒の叫びを聞きつつ、俺は参考書をめくりながら、これが終わったらどんなご褒美を与えてやろうか、そんなことを途切れ途切れに考えていた。