5.探し人
5.探し人
数秒の沈黙の後、彼女は悲しげな微笑みを浮かべて、ただただ首を振るだけだった。
俺はそんな水瀬にそうか、と頷くことしかできなくて。だが、そんな彼女の表情が一瞬にして驚いたものに変わった瞬間、俺の背に衝撃が走った。
…っうわ…っ!!?
運良く、蹌踉めいただけですんだ俺は、何だと後方へと視線を向ければ、自身と齢があまり変わらぬであろう男が申し訳無さそうに立っていた。
ご、ごめんなさい…っ!
額に汗を浮かばせ、肩で息をしている彼は、今にも泣き出してしまいそうな、か細い声で震えていた。
どうしたんだ?何があった…?
そのまま走り去って行こうとした彼を、慌てて引き止め、尋ねる。そうすれば彼は、堪えていた涙をぽたりと地面に落とし、喉を震わせてその場に崩折れた。
い…妹がいないんです…っ
どこにも…っ!どこを探しても…っ
お、落ち着いてくれ!ほら、泣いてちゃ
分かんないだろ?
男がこうして声を上げて泣く姿など、見たこともなくて。どうしていいかわからずにいると、水瀬が彼の背を擦りながら、優しい声で囁いた。
皆が見ているわ。場所を変えましょう?
彼女の言葉にはっと周りを見渡せば、何事だと周囲に人だかりができていた。水瀬の言葉が聞こえないのか、彼は変わらず地面に蹲り、鼻を啜っている。
このまま彼を見物人の目に触れさせるのは、酷と言うものであろう。水瀬に目配せをし、泣きじゃくる彼を立ち上がらせ、人通りの少ない所へと向かうことにした。
大広場の奥へと進むと、そこは先程の賑やかさからは一変し、とても静かな場所であった。
数える程度のベンチや、芝生、そして中央には小さいながらも湖があり、ボートが幾艘か波に揺れている。
柔らかな風が周囲の草木を揺らし、街灯には虫が集っている。月明かりが薄く張った雲に反射し、この場全体を仄かに照らしていた。
何が…あったの?
ベンチに腰掛けた俺達は、なおも泣きじゃくる彼へと視線を向けた。彼女の問い掛けに、彼は嗚咽混じりに答えようとするが、正直何を言っているのか聞き取ることができない。
彼が落ち着くのを待ってから、再び水瀬が尋ねると、漸く意味を成す言葉をぽつり、ぽつりとではあるが、ゆっくりと話し始めた。
妹が…いないんです
どこで、はぐれてしまったの?
…わからない
"わからない”…?どういうことだ?
彼は再び涙を留め、体を震わせた。彼の妹がどこかではぐれてしまった事だけは確かなのだろうが、事の経緯が要領を得ないのだ。彼の様子から、きっと本人もわかっていないのだろう。
少しの間を置いて、彼女が誰に聞かせる風でもなく、独り言のように呟いた。
…この世界にいるのかしら
…っ!
彼の瞳が大きく見開かれた。彼女はそれを横目で見据えてから、続けて今度ははっきりと、聞かせるように紡いだ。
7日で壊れる世界か、7年で壊れる世界か
どちらを選んでも、神様はその世界で
寂しくないようにと、同じ世界を選んだ人の
中で、自身が大切な人だと思っている人を
側においてくださるの
…要するに、同じ世界を選んでいれば、
この世界でも、友達や家族と会えるって事か
そう。逆にそういう人がいなければ、
きっとこの世界では一生、会う事ができないと思う。
それじゃあ…
…あなたがそこまで妹さんを大事に思って
いるのなら。妹さんがこの世界を選んでいる
のならば、あなたの側に妹さんがいたはず
…そ、そんな…
この世界に、あなたの妹さんはいないの
大きな瞳を大きく見開いて、溢れる涙が頬を伝い、泣き叫ぶでもなく硬直した彼の表情を、俺は直視できなかった。先程のように声を荒げて泣いてくれた方がまだどんなに良かっただろう。
大切な人と会えなくなるこの絶望と、悲しみは、言葉では言い表せないだろう。たくさんの言葉が渦巻いているのに、外に吐き出すことができない為、それがどんどんと心の奥深くを抉っていくのだ。
胸の奥がつきりと傷んで、息を吐く。
水瀬…、何かできないだろうか
…え?
俺たちは…、もう7日も生きられない。
だったらせめて、残りの日を笑って
過ごしていたい
で、でも…
言ってただろう?笑って過ごせるように、
神様は願いを聞き入れるって。
だったら、この人の願いだって、
叶えてくれるんじゃないのかな?
…神様。…そっか、そうだね。
きっと叶えてくださるかもしれない
彼女は何かを思い出したかのように立ち上がり、空を見上げた。そして小さく息を吐くと、意を決したように彼に微笑んだ。
きっと、妹さんに会えるよ
…え?
私が探しに行ってくる
さ、探しに行くって…っおい!?
そう言い残すと、彼女は足早に大広場の方へと駆けて行く。途中でこちらに振り返り、手のひらを口元に添えて声を上げた。
私が妹さんを見つけるまで、そこにいてね!
佐藤君たちがいなくなっちゃったら、
探すの大変だからっ!
…っ気を付けて行んだぞ!
遠ざかっていく彼女に、聞こえるようにと自身も声を張り上げた。
うん…っ!
その瞬間、彼女へと振っていた手が、止まった。どんどん小さくなる彼女の後ろ姿を、俺は信じられないものを見るかのように、見つめていた。