ルリイエが捕らえられていた牢獄の前で、激しい戦闘を繰り広げていた老執事とメイドだったが、結局圧倒的な数の差に押し負けて捕らえられ、魔王の前に引きずり出された。

魔王

余の言葉を無視するどころか、余の命に逆らうとは……なんとも愚かしいことをしたものだな、貴様ら……。
そんなことをすれば余が貴様らをどうするかなど、よく分かっておるはずだ……。
それが分かっていながら、それでもあえて貴様らは余に逆らうとは……貴様らには失望したぞ……

お……恐れながら、魔王様にお訊ねいたします……。
何故、姫様を……ルリイエ様の魔力を抜き取り、殺そうとなさったのですか?
貴方様はあのお方のお父上のはず!
なのに何故!?

床に引き倒され、押さえつけられてもなお、しっかりと正面から魔王を見つめるメイドの問いを、しかし魔王は一蹴した。

魔王

下らぬことを聞くものよ……。
余にはアレに対する親子の情愛などありはせん。
余にあるはただ一つ。
広々とした大陸にのさばる人間どもを始末し、我が魔族たちが世界を支配する……。
ただそれだけよ……。
貴様らはそのための道具、駒に過ぎぬ……。
そしてそれは、アレも例外ではない……。
もっとも、優秀な駒だと思っていたアレも、愛情だのという下らぬものが混ざって失敗作と成り果てた

魔王

なればこそ、役に立たぬ駒を役に立つように作り変えることにした、それまでのこと……

そんな……!?
それではルリイエ様は何のために……

よしなさい!

食い下がろうとしたメイドを、執事が静かに、けれどもはっきりと遮った。

私たちは負け、捕らえられた……。
いかに私たちが言葉を尽くそうと、もはや魔王様に私たちの言葉は届かない……

それでもまだ、メイドは何かいいたそうに口をパクパクさせていたが、やがて諦めたかのように項垂れた。
それを視界の端に収めながら、老執事は魔王に向き直る。

魔王様……長い間、お世話になりました……。
これより、永遠の暇を頂戴いたします……

魔王

ふん……潔いな……。
よかろう……

小さく笑った魔王は、その指先に紫色の不気味な炎を二つ灯し、老執事とメイドに向けた。
ゆっくりと魔王の指先を離れた二つの炎は、ゆらゆらと怪しく揺らめきながら宙を進み、二人の体に触れた瞬間、全身を多い尽くすように激しく燃え上がった。
一瞬にして、高い天井を舐めるように燃え上がった炎がやがて納まると、そこには二人の体はなく、真っ黒な灰が二つ残されていた。
それを詰まらなさそうに見つめた後、魔王は灰を片付ける部下たちに命じた。

魔王

すぐにルリイエを捜索しろ……。
見つけ次第、余の前に引きずり出せ。
この際、手足が欠けていようと構わん

非情な命令に、灰を片付けていた魔族たちは慌てて臣下の礼をとり、すぐさま玉座の間から走り去って行った。

そのころ、アキトとルリイエはすでに城下町を脱出して、近場の小さな町の空き家に勝手に上がりこんでいた。
鎧戸をすべて閉じて明かりが漏れないようにしてから、暖炉に火を点したところでようやく二人は、アキトが老執事から持たされていた携帯食をもそもそと口にしていた。

アキト

ふぅ……。
どうにかここまで逃げてこれたけど……、まだまだ油断はできないね……。
城もまだ近いから、追っ手もすぐに来るだろうし……

先に食べ終え、一息ついたアキトがそういうと、ルリイエは浮かない顔のまま小さく頷いた。

アキト

やっぱり……二人が心配?

ルリイエ

……ええ、そうですね……。
今回の事態は私のわがままが招いたようなものですから……。
それにあの二人を……そしてアキト、貴方を巻き込んでしまったことを……私はとても申し訳なく思っています……。
できればあの二人も、足止めせずに逃げ出してくれていればいいのですが……

つぶやきながらも、ルリイエには老執事とメイドがあの場に残り、力の限り追っ手を食い止めていたのだろうと予想ができた。
でなければ、自分たちがここまで逃げ切れるとも思えないし、何より二人の性格を鑑みた場合、最後まで自分を守ろうとするだろうと思えたからだ。

ルリイエ

どうか……二人とも無事でいてください……

強くそう願い、それでもやはり不安に震えるルリイエの肩を、アキトが優しく抱き寄せた。

アキト

ルリ……。
俺はあの二人のことはよく知らない……。
だけどこれだけは言える……。
あの二人は、本当にルリが大好きなんだ。
だから足止めを買って出てまでルリを逃がそうとしたし、俺をルリに合わせてくれた。
二人が無事かどうかは俺たちには分からないけれど、少なくともルリの幸せを心から願っていた。
だから二人の思いに応えるためにも、俺たちは逃げなきゃいけない。
逃げたその先で幸せにならなくちゃいけない。そう思うんだ……。
だから……その……

上手くいいたいことを言えずに口ごもるアキトをきょとんと見つめたルリイエは、やがてアキトの肩に頭を預けながら静かに微笑んだ。
女の子の柔らかさと暖かさが伝わってきて、一瞬動揺したように頬を赤くさせたアキトに、ルリイエはそっとに囁いた。

ルリイエ

あの二人のためにも……絶対に逃げないといけませんね……

アキト

……ああ

そうして二人は、寄り添うようにしたまま眠りに着いた。

その日、ルリイエは夢を見た。
そばには誰もおらず、一人ぼっちで膝を抱えていたルリイエに誰かが優しく手を差し伸べる、そんな夢。

ルリイエ様……。
あなたがあの人間の若者と、これからどう過ごして、どんな道を歩んでいくのか……。
私は密かにそれが楽しみでありました……。
ですが、私にはもうそれを見守ることができなくなりました……。
本当に残念なことですが……

私も、ルリイエ様と永遠にお別れしなくてはいけないのは、本当に残念です……。
ルリイエ様の愛らしい笑顔を、もう見ることが叶わないのが心残りです……。
でも、だからといってルリイエ様はあまり私たちのところへ来ないでくださいね?
この先、何十年と生きて、うんと幸せになって、私たちに笑顔で「幸せだった」と報告できるようになってから来てください……

それが私たちからルリイエ様への、たった一つのお願いです。
約束できますか?

ルリイエは、二人が言っている意味を理解した。
自然、夢の中だというのに、涙が溢れ、視界が歪む。
だが、二人は言った。
生きろ、と。
精一杯生きて、幸せになれと。
その言葉がルリイエには温かく響いた。
その温かさが胸の中心に溶け、全身に広がるように感じた。
だからルリイエは、涙を流しながらも精一杯に微笑んだ。

ルリイエ

はい……約束します……!

ルリイエのしっかりとした返事に、二人が満足そうに微笑む中、徐々に老執事とメイドの姿が霞んでいく。
そんな二人へ、ルリイエは精一杯の思いをこめて言葉を紡いだ。

ルリイエ

本当に……ありがとうございました……。
さようなら……

老執事とメイドは、もう一度微笑むと、光の中へと溶けていった。

翌朝、目を覚ましたルリイエは、頬に残る涙のあとをそっと撫で、胸にきゅっと掻き抱いた。

ルリイエ

約束……、必ず守りますね……

小さく呟いたルリイエは、隣で静かに寝息を立てるアキトの顔を少しだけ覗き込んでから静かに揺り起こすと、そのまま空き家を後にした。

ルリイエがアキトと共に城から逃げ出してから一ヶ月が経過した。
その間、ルリイエたちの行方はまったくつかめず、さらには勇者一行が魔族たちが住む大陸へと攻め込もうとしているという情報まで飛び込んできてしまい、魔王は苛立ちを隠せずにいた。

魔王

ルリイエはまだ見つからないのか!?

玉座の前に跪き、頭を垂れていた魔族の一人が、苛立ちを紛らわすようになぎ払われる。
壁に激突し、一撃で意識を刈り取られた魔族を無視して、報告に来た捜索隊隊長が申し訳なさそうに頷く。

申し訳ありません。
これまでの目撃情報から、人間たちの大陸へと向かっているという推測は立ちましたが、具体的な居場所まではまだ……

部下の報告に、ぎりっと奥歯をかみ締める魔王の元へ、別の魔物が血相を変えて飛び込んできた。

報告いたします!
勇者一行がついに我が大陸へと進行を開始しました!!
恐らく、数日中には「終わりの村」へと到達するものと思われます!

「終わりの村」とは、人間の大陸と魔族の大陸の境界に程近い魔族側の村であり、そこに住んでいる魔族の数も多くない小さな村のことである。
小さい村ゆえ、転移装置や防衛設備などはなく、住んでいる魔族も弱い。
そのため、人間側にとっても橋頭堡たりえず、人間と魔族、どちらにとってもさほど重要な村とはいえない場所である。
ともあれ、ついに進行が開始したという知らせに、がたり、と一瞬玉座を立ち上がりかけた魔王に、さらに知らせは続く。

それに伴い、選考偵察に出ていた物から、ルリイエ様を発見したとの報告が入りました!

魔王

何!?

今度こそ、魔王は玉座から立ち上がり、報告に来た魔族に詰め寄る。

魔王

どこだ!
どこにいる!!

詰め寄る魔王に、報告に来た魔族はおびえながらも言葉を発する。

そ……それが……。
どうやら「終わりの村」にルリイエ様がおられるようでして……

その言葉に、魔王は何度目かの歯噛みをしながらも、高速で思考を巡らせる。

魔王

どうする……?
ルリイエを連れ戻し、魔力を抜き出す儀式をするとしても、その間に勇者どもに深く攻め込まれてしまう……。
防衛陣を敷いたとしても、余がおらねば数日も持たぬだろう……。
それに悪戯に戦力を減らすことになれば元も子もない……。
かといって、ルリイエの魔力を諦めるにはあまりにも惜しすぎる……。
…………いや、そうだな。その手があるか……

瞑目したまま、思考を巡らせていた魔王は、ゆっくりと目を開けると、自分の前に跪く魔族たちに命令を下した。

魔王

「終わりの村」の近く、「最後の街」に守備陣を敷く!
直ちに兵を集め、出陣せよ!

はっ! と返事をしてからすぐさま玉座の間を駆け出した魔族を横目に、ルリイエの捜索隊長が問う。

ルリイエ様はどうするおつもりですか?
すぐに「最後の街」へ避難するようにお伝えしますか?

魔王

そのことはもうよい。
アレはもう放っておけ。
アレに余がそこまでする理由はすでになくなった。
むしろ、「終わりの村」には勇者が近づいていることも、近くに守備陣を強いていることも知らせるな。
あの村は囮として使う

よろしいのですね? と、疑問は挟まず、確認だけをする魔族に頷き、玉座に戻る。

魔王

アレがあの村におるのなら、せいぜい余のために働いてもらおう。
勇者の力をそぎ落とすくらいはやってくれるだろう……。
確かにアレの魔力は惜しいが、今の余でも勇者の殲滅くらいはできる……。それが、力をそがれた勇者ならばなおのこと。
それに、上手くアレがいきのこれば、そのときは改めてアレから魔力を抜き取ればよい……

ふっ、と暗い笑みを浮かべた魔王は、やがて報告に来た魔族の「準備が完了しました」という言葉に頷き、玉座から立ち上がるのだった。

一方そのころ、魔王の追っ手の目をごまかし、どうにか魔族の大陸最果ての「終わりの村」に辿り着いたアキトとルリイエは、ルリイエの素性を知らない村の住人たちの好意に甘えてしばらく逗留し、静かで平和な村で逃避行の疲れを癒していた。
小さな川が流れ、畑仕事に精を出す魔族たちの穏やかな姿に、アキトがどことなく自分の村のことを思い出していると、隣に腰掛けていたルリイエがそっと肩を寄せてきた。

ルリイエ

ここにいると、私とアキトが出会ったあの村のことを思い出します……。
まだそんなに時間がたっていないはずなのに、随分と懐かしく感じてしまいます……

アキト

偶然だな……。
俺もちょうど、あの村のことを思い出してたんだ……

本当に偶然ですね、と笑うルリイエに釣られて、アキトも笑い出す。
そうして二人でひとしきり笑った後、突然アキトが顔を緊張させながら話を切り出した。

アキト

なあルリ……。
その……よかったらなんだけど……、俺と一緒にしばらくこの村で暮らさないか?
その……さ、あの村に戻っても、もしかしたら追っ手がすぐに居場所を割り出してしまうかもしれないだろ?
だから、ほとぼりが冷めるまで……っていうか……、少しここで暮らして、時間がたってから村に戻ったほうがいいかなって……思ったんだけど……

どうかな? と問いかけるアキトに、ルリイエはしばらく考えるように顎に手を当てた後、ゆっくりと頷いた。

ルリイエ

そうですね。
確かに村に戻ろうとしたところへ、網を張られていたという可能性はありますし、まさか私たちがこんな辺境の村にいるとも思わないでしょうし……。
お父……魔王が私を諦めるかどうかは分かりませんが、少しここでのんびりしたほうがいいですね。
そんなわけで、アキト……よろしくお願いします……

アキトを振り返り、三つ指を突いて深々と頭を下げるルリイエに、アキトも慌てて居住まいを正して頭を下げる。

アキト

あ……その……、こっちこそよろしくお願いします!

ルリイエ

……えへへ……。
何だか私たち、夫婦みたいですね♪

照れたように笑いながらも語尾を弾ませるルリイエに、アキトが顔を真っ赤にした。

アキト

ふ……夫婦って……

慌てるアキトを、ルリイエが堪え切れなくなって吹き出し、アキトも少しの間憮然としていたものの、やがて同じように笑い出した。
そうして笑いながら、追われているとは思えないほど穏やかに流れる時間と、隣の愛おしい少女の存在に、アキトは幸せを感じていた。
できれば、この穏やかな時間がいつまでも続いて欲しい、そう願うほどに。

だが、そんな幸せで穏やかな時間も、ある日突如として崩れ去った。

その日、並べられたベッドで寝ていた二人は、村に響いた警鐘のけたたましい音にたたき起こされた。

ルリイエ

まさか追っ手が……?

にわかに騒がしくなる村の様子で不安を滲ませるルリイエの言葉を、アキトは否定した。

アキト

いや……それなら警鐘はならないはずだ……。
ここは同じ魔族の村なんだから、追っ手が村の警鐘を鳴らすようなことをしても意味はない……。
だって、そんなことをしたら俺たちに気付かれて逃げられるんだから……。
逆に言えば、村に警鐘を鳴らすだけの理由ができたということ……

アキトの言わんとしていることが理解できたのだろう、ルリイエは大きく目を見開いた。

ルリイエ

襲撃……

アキト

多分間違いないと思う……。
それが「はぐれ魔族」のものなのか、それとも別の理由かは分からないけど……。
ともかくここも危ない……すぐに逃げよう!

こくり、と頷いたルリイエは、ベッドの脇に置いてあったかばんを引っつかむと、同じように準備を整えたアキトと一緒に、家を飛び出した。
瞬間、異臭が鼻を突き、思わずルリイエは顔をしかめる。

ルリイエ

酷い……

そこに広がっていたのは、燃え盛る家と、あるいは全身から血を流し、あるいは炭化するまで焼かれ、あるいは子供を庇うように抱えながら倒れ伏し、あるいは怯えながら何かから必至に逃げようとする魔族たちという光景だった。

その凄惨たる光景に、つい足を止めてしまったアキトとルリイエの前に、二人を快く受け入れてくれた魔族の女性が血相を変えながら駆け寄ってきた。

アキト

一体何があったんですか!?

問いかけるアキトに、魔族の女性は息を切らしながら逃げてきた方向を指さした。

勇者だよ!
やつらが攻め込んできたんだ!
あんたたちも早く逃げな!

そういって、魔族の女性が駆け出そうとした直後、どこからか飛んできた矢が彼女の胸を貫いた。

あぁっ!?

悲鳴を上げ、倒れ伏した魔族の女性がそれきり動かなくなり、アキトは思わず息を呑んだ。
そうして急いで彼女を助け起こそうとしたアキトの腕を、ルリイエが強く引っ張る。

ルリイエ

行きましょう、アキト……

アキトはルリイエと倒れた魔族の女性との間で視線をさまよわせた後、強く歯をかみ締めてから頷いた。
そして、二人してその場から駆け出した直後だった。
耳を劈くような轟音と激しい衝撃を伴って、二人が住んでいた家が爆ぜ飛んだ。
一体何が、と思う間もなく、爆発の余波で地面を転がったアキトとルリイエが、慌てて体を起こしたそのときだった。

がしゃり、と音を響かせながら、濛々と煙を上げる家の残骸を乗り越えるように、全身鎧に身を包んだ人間の男が姿を現した。

pagetop