世話しなく人が通行する交差点。








行き交う人混みの中1人佇む私。








人々は私の姿には気づかない。




流れ行く季節の中







これからも変わらず1人佇む。


















了《おわる》


















父は私が幼いころ、

帰宅途中に交通事故で亡くなった。




母は女手ひとつで私を育ててくれた。










はーるーなちゃん。

あーそーぼー



この子は幼稚園の頃に仲が良かった幸人くん。




いーいーよー




あの日も2人で公園で遊んだ。



あれやろーよ!

うん!



滑り台を一緒に滑って

ブランコを漕いで

道端のクローバーで花冠を作って。



はぁはぁ…たのしいね…!

うん!

…あ!

…ゆきとくん、すごいあせ…。
だいじょうぶ?

…はぁはぁ…うん…。
…はぁ…ちょっとつかれたから
…はぁはぁ…きょうはかえるね…。

…うん、またね…。


























次の日の朝








幸人くんは息を引き取った。














幸人くん、心臓の病気だったんだって…。

はるなちゃんは
ぼくのおともだちー
ずっとなかまだよー

ゆきとくん…











幸人くんの笑顔は

今でもはっきり覚えてる。



私はその事をきっかけに

人と強く関わることを

避けるようになった。







あれから十余年。

私を育ててくれた母が亡くなった。






心筋梗塞だった。






母はもともと心臓が弱かった。

死んだお父さんの遺産があったから

体を酷使するような仕事は

しないでもすんでいたけど

いつかはこんな日が来ると思っていた。


だから、心の準備はなんとなく出来ていた。







身寄りのない私は

母の遺影の前で物思いにふけっていた。


…お母さん


ふと、呼び鈴がなった。



誰だろう?



これまで、家を尋ねる

お客さんは殆どいなかった。



呼び鈴の音を聞くのは久しぶりだった。



私は玄関のドアを開けた。

はい。

故渋沢教授の娘さんの春奈さんですね?



ドアを開けると、そこには軍服を着た人が立っていた。

その後ろにも何人もの軍服を着た人々。


…ど…どちら様でしょう?

申し訳ありませんが、
理由は聞かず
速やかに御同行ください。

…やめてください!大声を出しますよ!




10数年間おとなしく暮らしていた私が

久しぶりに恐怖と怒りの感情を感じ、

体の中で何かがざわめいた気がした。


次の瞬間。

ぐっ…

…苦し…


私の近くにいた軍人がバタバタと倒れ出した。

なんてことだ!
もうこんな殺傷力があるのか!!

全隊、撤退せよ!

…なに…
なんなの…?


ドアを閉めて寄りかかる私。


突然の出来事に

私は状況が理解できなかった。





唯一の手がかりは

『故渋沢教授』の一言。


お父さんに…
何か関係があるのかしら…



私は亡き父の書斎へと向かった。









父の書斎は母がずっと手入れをしていたので

今でもとても綺麗だ。

まるで、昨日まで誰かが暮らしていたみたい。





書斎を見渡すと、ふと父の机の上にある

ノートのようなものが気になった。


なんだろう、これ。


  業務日誌


国立新細菌研究所

所長 渋沢 永吉



私はそのノートを手にとってパラパラとめくった。



そのノートは父の日記と

父の研究に関するメモが記されていた。



 7月14日(土) 晴れ

本日の業務内容に、特に異常なし。

今日は研究所の部下達が、私の誕生日を
祝ってくれた。

もちろん、研究所内での物品の受け渡しや持ち出しは御法度だ。私が所長に就任してからは特に厳重にチェックしている。彼らは就業後にロッカーに預けてあったものを渡してくれた。


今まで私は知らなかった。

父が国家の細菌研究室の所長であったことを。


お父さん、偉い人だったんだ。


父は筆不精らしく、

日記にしては飛び飛びの日付であった。

だけど、読み進めていくと

日記に変化が出てきた。


…あ、この辺、続けて書いてる。

 10月22日(月) 曇り

本日の業務内容において、
外部者より関与あり

守秘義務によりこれ以上の記載はしない。

 10月26日(金) 曇り

本日の業務内容において、
再び外部者より関与あり。

………守秘義務により
これ以上の記載はしない。

…なんだろう、このいやな感じ…。

 10月30日(火) 雨

本日の業務内容において、
三度外部者より関与あり。

守秘義務よりも、関与内容を秘密裏に進めてしまうと人類の存亡に関わる危険なため、ここに詳細を記す。

まさか完成していた物をこの研究所に持ち込んでいたとは想定外だった。





そして、恐るべきページを目にした。





現在、研究を依頼されているのは

感情感応型細菌兵器
『パトロンファクター』

通称PFと呼ばれている。

これは細菌単体での兵器ではなく、
感染したキャリアを兵器とする細菌兵器だ。

感染したキャリアの内、遺伝子的に適合する場合にPFは発症する。

発症したキャリアの感情が昂ぶると、PFはキャリアを守ろうとして付近の生物の細胞を破壊し始める。


最も優先的に攻撃するのは心臓だ。だが、キャリアの感情の昂ぶりが大きければ、心臓を含むすべての細胞を破壊し始める。

…心臓を攻撃する…
パトロンファクター…。

これまでの研究結果からPFの感染は接触感染によるものである。

ただし、一定の条件下でPFは空気感染をする。

感染力を持つのは発症したキャリアが死亡した時だけ。

キャリアが死を自覚した時にはPFが反応して、さらに空気感染型の形状を取る。

特に空気感染型のその感染力は非常に協力で、あらゆる生命体に感染をする。


特性がキャリアの感情に左右されるとは、実に面倒な細菌だ。

研究時には防護服も着ているし、隔離空間から出る際にはエアシャワーで洗い流している。

適合する遺伝子も極まれな上、外部に持ちだされる事はないとは思うが、万が一これまでの危機管理体制で対処できないレベルであったら、と思うと恐ろしい。

私は上役の意識の低さに苛立ちを感じ、衛生省のお偉方に直談判しに行った。

この研究の危険性と危機管理意識の低さを数時間に渡り解いた。

さすがのお偉方も不味さを感じてか、K氏とY氏に至っては顔色が悪くなっていた。少々悪いことをしたと思う。

次のページ、お父さんの命日の前日だ…。

 11月1日(木) 雨

緊急事態のため本日の業務は行われなかった。

昨日、衛生省のK氏とY氏が亡くなった。
急性心不全だそうだ。

その他の衛生省のお偉方も、心臓を患ったという。

偶然か…?…いやまさか…。
もしかして…私が…適合して…?

いつ感染った…?

どうなるんだ…?


日記はそこで終わっていた。

…え……












走馬灯のように記憶が流れていく。








さっきの軍服を着た人々。



母の心臓病と死。



幸人くんの死。



父の葬儀。


春奈ちゃん、お父さんのお顔の側にお花を添えてあげてね…

…もうお父さんと会うの最後だから、お手々を握ってあげてね…。









そして、私は理解する。








…ああ…あぁぁ…






私は保菌者だ。





PF(パトロンファクター)。

それが私に感染している菌の名前。







PFが反応する感情の種類は問わないみたい。



楽しい時も。

苦しい時も。

嬉しい時も。

悲しい時も。




私は身近にいる人を攻撃していたんだ。




…おかあさん…



長い間、母と一緒に暮らしてきた。


もしかしたら、近い遺伝子構造を持つものには

緩やかな攻撃しかしないのかもしれない。





…でも、母の寿命を縮めていたのは

紛れもなく、私。






…私、どうしたら良いの…?







PFは宿主が死ぬと空気を媒介して

付近にいるあらゆる生命体に感染するという。



だから、軍は私を攻撃する事も

出来なかったんだと思う。

PFのパンデミックを恐れて。



















私はいつの間にか

深夜の街へと歩き出していた。













幸人くんとお母さんは
私のせいで死んだんだ…。



自分を攻めながら夢遊病患者のように歩く私。






いつの間にかビル街の交差点まで来ていた。

さすがにこの時間にもなると人がいない。




突然、これまで抑えていた感情が昂ってきた。


ごめんなさい…
ごめんなさい…
ごめんなさい…



止めどなくあふれる涙。

もし近くに誰か居たら

間違いなく命を落とすだろう。


だけど幸い射程範囲内には1人もいなかった。























私以外。









ううっ…ううう…

…苦しい…



10分程泣いた頃

突然、胸が痛み出した。


締め付けるような痛み。




攻撃対象がいないまま、長時間感情が昂ったせいか

PFが保菌者である私自身を

攻撃し始めたんだ。





苦しくて辛い感情が昂ぶる。


PFは更に反応して私を攻撃する悪循環。








瞬く間にPFは私の心臓のみならず

全身を攻撃して破壊した。




























でも、幸いパンデミックは起こらなかった。

























なぜかって?

























私が死んだ事をPFに悟らせなかったから。
















PFに呼ばれた気がしたの。












なかまになろうよ









って。

























私はPFその物になることを選んだの。





























だから私は体はないけど生きている。
























私がPFになってからどの位が経ったかな…。


















私は今でもこの交差点に

PFの集合体として立っている。


























私が生きていると思いつづける限り

PFは誰にも感染ることはない。


























だから、お願い。



私に死を悟らせないでね。





























《了》




pagetop