アキトたちの村を襲撃してルリイエを連れ戻した魔王は、自分の城に戻ってからすぐに玉座に座り、自分の目の前で膝を着き、頭を垂れる娘を睥睨していた。
アキトたちの村を襲撃してルリイエを連れ戻した魔王は、自分の城に戻ってからすぐに玉座に座り、自分の目の前で膝を着き、頭を垂れる娘を睥睨していた。
この度は……勝手なことをして申し訳ありませんでした……
体を僅かに震わせるルリイエに対して、魔王は静かに見下ろし、そして問う。
ルリイエよ……。何故だ?
何ゆえ余の元を逃げ出した?
賢しい貴様のことだ……。
余の元を逃げ出せばどうなるかなど分かっていたはずだ……。
それでも貴様は逃げ出した……。
何故だ……?
それは……
威圧すらも含んだ魔王の問いに、ルリイエは何度か口をパクパクさせて言いよどんだ後、やがて決心したかのように口を開いた。
あのころの私には決定的に足りないものがあると感じたからです……。
そしてそれは、この城で暮らしていては決して得ることができないと理解したからです……
ほう……何だというのだ?
魔王は面白そうに眉を持ち上げる。
貴様にはあらゆるものを与えたはずだ。
食事も、服も、貴様のうちにある魔力も、その容姿も、命すらも……。
余は貴様に過不足無く与えたと思っていたが……。
貴様はそれ以上の何を求めるというのだ?
それは……愛情です……、お父様……。
城下に住む魔族たちも……そしてあの村の人たちも当たり前のように持っていて……、けれどお父様からは決して与えられなかったものです……
ふ……ふふふふふははははははははは!
ルリイエから返ってきた答えを、魔王は笑った。
余に求めるものが愛情だと!?
笑わせるな!
愛情など下らぬことを……。
そんなものなど、気の迷いに過ぎぬ!
魔王たる余にも……、そして余の娘であるルリイエ……貴様にも必要ないものだ……。
余に取ってはすべてが、人間どもを制圧するための駒でしかないのだ……。そんなものに愛情など必要あるまい?
そんな……!
お父様を信じて着いてきてくれている魔族たちも皆……、
お父様にとっては駒でしかないのですか!?
そんなの……間違っています!
魔族たちも……人間たちも……きちんと心があるのに……
下らんな……。
心など……感情など戦に必要ない。
余に必要なのは、余の命令に従って命を捨て人間どもを狩る、忠実な僕だけだ……
くだらない、そう一笑に付されて、ルリイエは思わず愕然とした。
そんなルリイエに、魔王は言う。
ルリイエよ……。
貴様には余計なものが混じりすぎているようだ……。
本当ならば、不純物が混じり、失敗作に成り下がった貴様から魔力を抜き取り、すぐにでも新しい作品を作り出すところだが、貴様に一つ、チャンスをやろう……。
牢に入り、考えを改めれば、考え直してやらぬことも無い……
連れて行け、と命じられた魔族が頷き、ルリイエを強引に立ち上がらせた。
そのまま、両脇を支えられながら去っていくルリイエの目は、悲しみに満ちていた。
魔王と魔族の襲撃から数日後。
村の数少ない衛士全員と数名の死者を出し、重軽傷者が多数でるという甚大な被害を受けながらも、それに負けないようにと次第に復興していく村の中を、アキトは暗い顔でゆっくりと歩いていた。
焼け落ちた自分の家を再建しようとするでもなく、かといって他の村人の手伝いをするでもなく、アキトはただただゆっくりと村の中をめぐっていく。
そして時折、思い出すかのように自分の隣を見て、そこに誰もいないのを確認しては、悲しそうに眉を潜めてまた歩き出す。
森の中で意識を取り戻してから、ずっとこの調子だった。
その原因は二つ。
隣に、ここ最近はいつも一緒にいた少女――ルリイエがいないこと。そしてもう一つは、あの日、アキトが意識を失ってから目覚めたときに、いつの間にか懐にしまわれていた一通の手紙。
その手紙は、ルリイエからアキトに宛てたもので、彼女らしい几帳面な文字でこう書かれていた。
アキトへ。
あなたがこの手紙を読んでいるころには、すでに私はあなたの元を去っているのでしょう……。
きちんとしたお別れができなくて、本当にごめんなさい。ですがあの時、あなたをお父様から守るためには、こうするしか方法が無かったのです……。
アキト……、私はお父様と一緒に戻ります。
本当は戻りたくないです。
本当はもっともっと皆と一緒にいて……、暮らしたかった……。
もっとアキトに私の料理を食べてもらいたいし、おばば様に薬師の知識を教えてもらいたかった……。
もっとアキトのそばにいて、あなたの笑顔を眺めていたかった……。
ですが、村の皆がこれ以上傷つくことも……、あなたがこれ以上傷つくことも私には我慢できません……。
村の皆が私を家族として扱ってくれて、私を守ろうとしてくれたように、私も村の皆を……家族を守りたいのです……。
だから私は……、お父様と一緒に行きます……。
…………
…………
最後に…………、魔族とかそういうのは関係なく、一人の女の子として私を好きになったというあなたの言葉……、とても嬉しかったです……。
私も……大好きです。
……さようなら……。
ルリイエ・メル・バーミリオン
意識を取り戻して、すぐにこの手紙を読んだアキトは、森の中で一人慟哭したという。
ともあれ、以来アキトは昼間は何をするでもなく村を徘徊し、夜は一人、焼け落ちた家で背中を丸めて眠るという生活をしていた。
当然、食事もろくに取らないそんな生活が体に言い訳も無く、次第に衰弱し始めていたが、アキトはそんなことを気にすることなく、今日もまた一人村を歩いていた。
そして気がつけば、いつものようにルリイエが連れ去られた森の中にいた。
村の復興に手一杯で、いまだ手が付けられていないこの森には、魔王が爆破した地面のクレーターが生々しい傷跡として残されており、そのそばには、アキトが魔王に立ち向かうために使った木の棒が半ばから折れた状態で転がっている。
そこから目線を少し上に向ければ、アキトが魔王に何度も吹き飛ばされ、激突した巨木が聳え立っている。
ふらふらと、頼りない足取りでその巨木の前に立ったアキトはおもむろに、ぎり、と奥歯を強くかみ締め、拳を握り固めたかと思うと、それを思いっきり巨木の幹に叩きつけた。
ちくしょう!!
ぱん、と思いのほか乾いた音が響き、少ししてからじんわりと幹を殴りつけた拳が熱を帯びて痛みを訴え始める。
よく見れば、握り固めた拳の先の皮膚が破れ、じわりと血が滲み始めている。
だがアキトは、それをまったく意に返さず、何度も拳を叩きつつけた。
ちくしょう……!
ちくしょう……!
ちくしょう……!
ちくしょう……!
ちく……しょう…………!
そうして何度もごつごつとした幹を殴り続け、やがて体が痛みを伝えることで警告することを諦めたかのように、痛みを感じなくなってきたところで、ようやく殴るのをやめたアキトは、とん、と巨木に頭を預けた。
そのまま、自然と頬を伝う涙を拭うことなく、アキトは思う。
自分はなんて弱いんだと。
たった一人の――大好きな女の子を守ってあげられずに連れ去られるどころか、逆に自分が守ってもらったことが、情けなかった。
意識を失う直前に、ルリイエがとても悲しそうな顔をしていたことが悲しかった。
そうして溢れる涙をそのままに、ぐにゃりと歪む光景を眺めていると、突然背中に声が投げかけられた。
何をしておる、馬鹿者!
ぽかり、と手にした杖でアキトの頭を叩きながら厳しい声で叱咤したおばば様は、強引にアキトの手を引っつかむと、どこからか取り出した薬をボロボロになったアキトの手に塗り始める。
いった……!
薬が染みて、思わず悲鳴を上げるアキトを無視して薬を塗り続けたおばば様は、最後に包帯を巻いてから立ち上がり、呆れたように小さくため息をついた。
まったくおぬしは……。
村の若い連中は復旧に勤しんでおるというのに、こんなところでなにをやっとるんじゃ……。
自分の家も再建させておらんじゃないか……
おばば様……俺……ルリが本当に好きだったんだ……。
彼女が笑顔でそばにいてくれることが、本当に嬉しかったんだ……。
ルリが俺の家にいる間は……家が明るくて……暖かかったんだ……。
ルリがいないあの家は……暗くて寒い……。それが嫌なんだ……!
呻くように独白するアキトに、おばば様は小さく息をついてみせる。
じゃったら明るくて暖かくなるようにすればいいじゃろう?
……えっ?
ごく当たり前のように言うおばば様に、アキトは思わず首をかしげ、すぐに否定する。
だからルリがいないあの家はもう……!
じゃから、ルリを取り戻せばよいと言うておるじゃろう!
おばば様から飛び出た言葉に、今度こそアキトはあっけに取られた。
取り戻せばいいって……。
相手は魔王なんだぞ!?
しかも俺は弱いんだ……!
女の子一人守れないくらいに……。
勇者のように強ければまだしも……、ただの村人の俺にはそんなこと……
できるわけない、と言おうとしたアキトに、おばば様は無言で自分の背中を指差した。
直後、まるで木陰からにじみ出るように、誰かが姿を現した。
あんたは……
確か……アキト様……でしたね?
私は姫様……ルリイエ様の執事をしているものです……
驚くアキトに、老執事は優雅に腰を折って見せた。
老執事がアキトの元を訪れる数日前のこと。
投獄され、考えを改めるように促されていたルリイエは、僅かにあいた明り取りの窓から見える景色をぼんやりと眺めていた。
その心に去来するのは、アキトに助けてもらってからの村でのこと。
自分が作った食事を美味しそうに頬張るアキトの姿や、一生懸命薬草の調合を勉強する自分を見て微笑むおばば様、自分に悪戯をしてばかりだった村の小さな子供たち。
そのどれもが、まるで遠い昔のことのように思えて、ルリイエはそっと自分の胸を押さえる。
そして頭をよぎるのは、あの祭りの夜に襲撃された村の様子。
アキトやおばば様、そして村の皆が一様に自分を守るために魔族に立ち向かっていた。
魔法で眠らせたアキトは無事だと分かっているけれど、果たして父に毅然と杖を向けたおばば様は、そしてそれぞれの武器を手に魔族に立ち向かった村の皆は大丈夫なのでしょうか……
そんなことを考えれば考えるほど胸に焦燥感が湧き上がるが、残念なことに、今のルリイエに村の様子を知るすべは無かった。
いっそのこと、老執事に村の様子を見てきてもらおうかなどと考えていたときだった。
こつこつと、冷たい石畳を叩く音が聞こえたかと思うと、程なくして老執事を伴って魔王が格子を隔てたところに立ち止まった。
よもや、自分の様子が心配で足を運んだということは無いだろうと思いながら、顔を上げ、正面から見据える。
そんなルリイエを見返しながら、魔王は言う。
ルリイエよ……。
その様子では考えを改める気はないようだな……
ルリイエがゆっくり頷くと、魔王は少しだけルリイエを見つめた後、くるりと踵を返した。
……やはり貴様も失敗作だったか……。
ならば貴様ももはや余の娘ではない……。
ゆえに……、四日後に貴様から余の魔力を取り出す儀式を行う……。
それまで、せいぜいそこで余生を楽しむことだ……
そういって再び、靴音を鳴らして去っていく魔王の姿を見えなくなるまで見続けたルリイエは、牢獄へと続く扉が閉まる音が聞こえると同時に、その場にへたり込んだ。
姫様……
心配そうに覗き込む老執事に、ルリイエはつぶやく。
今まで……あなたにはお世話になりました……。
私のわがままを聞いてくれたり……、いろいろ大変だったでしょう……
悲しげな表情のルリイエから出た言葉は、悲観ではなく老執事への労いだった。
私がここから逃げ出したときといい、思えばあなたにはお世話になりっぱなしでしたね……
そんなことはない、と否定しようとした老執事を、ルリイエは首を振って黙らせる。
あと四日で死ぬ私には何もできることはありませんが……、せめてお礼だけは言わせてください……。
今まで……本当にありがとうございました……
そういって頭を下げたルリイエに、老執事は何も言うことができなかった。
…………その後、姫様は……ルリイエ様はおっしゃっていました……。
「叶うのならばせめて最後に、もう一度アキトに会いたい」と……。
静かに涙を流しながら、おっしゃっていました……
そん……な……
一瞬目を見開いたアキトは、しかし直後に我に返って首を振った。
あ……でもそれなら大人しく魔王に魔力をあげてしまえばルリは助かるんじゃ……
少なくともアキト本人にとっては名案と思えたその意見は、しかしすぐさま老執事によって否定された。
残念ながら、ことはそう簡単ではありません。
我々の中に存在する魔力という力は、魂と深く結びついているのです。
ゆえに、魔力を抜き取るということは、魂を抜き取るということと同義。
簡単に言えば、死ぬということです……
死……?
老執事から聞いた言葉に、アキトは愕然とする。
信じられないかもしれませんが、事実です。
そしてルリイエ様は……、それを静かに受け入れております。
ただ最後に、あなたにもう一度会いたいという願いだけを胸に……。
ですから……
そこで一度言葉を区切った老執事は、真摯にアキトを見つめ、深く腰を折った。
どうか……ルリイエ様の最後の願いをかなえてあげてください……
……ざ……るな………!
強く拳を握り締めたアキトが小さく叫ぶ。
おばば様と老執事が顔を見合わせる中、アキトは湧き上がる感情を吐き出す。
何だよそれ……。
魔王ってルリの親父なんだろ!?
なのになんで娘を殺そうとしてるんだよ……!
親が子供を殺すのかよ!
それは違います、と老執事が口を挟む。
あの方にとって……魔王様にとって、我々はもちろん、ルリイエさまですら、地上を……人間たちを支配するための駒、道具でしかないのです……。
駒に多少の優劣はあれど、そこに魔王様の感情など欠片も入ってはいないのです……
どこか諦めを含む老執事の言葉に、アキトは思わず食って掛かる。
あんたはそれでいいのかよ!?
このままルリをみすみす殺されるようなこと……、
あんたは許せるのかよ!?
アキト……落ち着かんか!
それが許せないからこそ、このお方は我らの元に参ったのじゃ……
おばば様に諌められ、勢いをそがれたアキトに、老執事も頷く。
村長殿の言うとおりでございます……。
長年ルリイエ様にお仕えした身……、どうしてそんな暴挙が許せましょうか……?
ですから、ここからは私個人からのお願いとなります……
そういって、老執事は正面からアキトを見つめた。
どうか……姫様を……、ルリイエ様をお救いください……。
私もまた、魔族である以上、魔王様の駒であり、逆らうことはできません……。
ですが、あなたは私たちとは違って人間です……。
そして人間だからこそ、ルリイエ様をお救いできると思っております……。
だからどうか……お願いします!
任せろ、といいたいところだったが、アキトには脳裏によぎるものがあった。
それは、先日の魔王襲撃事件の記憶。
その記憶がまるで、見えない楔のようにアキトを縛りつけ、気勢をそいでいた。
確かに……俺もルリを救いたいと思う……。
けど……俺はあんたたちと違って魔法を使えるわけでもなければ、剣を取って戦うこともできない……。
この間だって、魔王相手に何もできず、みすみすルリを連れて行かれた……。
俺は弱い……。戦うこともできない……ただの弱い人間なんだ……。
それなのに……俺にできることなんて……
急に弱気になってしまったアキトに、おばば様は小さく息をつく。
しゃんとせんか、馬鹿者め!
お主のルリに対する気持ちはその程度で折れるものじゃったのか!?
違うじゃろう?
だったら、相手が魔王だろうと何だろうと、さっさと取り返してこんか!
おばば様……
それにな……、自分の弱さを嘆いておるのはお主だけじゃないわ……。
わしだって……それに村の衆だって、自分の弱さを悔いておる……。
ルリイエを……守るべき自分の家族を奪われたのじゃからな……。
じゃからアキトよ……。
わしらの大切な家族を魔王から奪い返して、我らの雪辱を晴らすんじゃ……
…………はい!
おばば様の言葉にしっかりと頷いたアキトは、改めて老執事を振り返ると、ゆっくりと頭を下げる。
ルリを……必ず救い出します!
……ありがとうございます……
感謝する老執事に微笑み、アキトはそのままルリイエのいる魔王の城へと旅立った。