老執事の咄嗟の指示に従い、ルリイエと一緒に茂みの中へと身を隠したアキトは、祭り会場となっていた村の広場で、ルリイエの名を叫ぶ魔族を従えた男に注目する。
どこだ、ルリイエ!!
老執事の咄嗟の指示に従い、ルリイエと一緒に茂みの中へと身を隠したアキトは、祭り会場となっていた村の広場で、ルリイエの名を叫ぶ魔族を従えた男に注目する。
あいつは一体何なんだ……
魔族を引き連れて突然やってきたかと思うと、みんなが楽しんでいた祭りをめちゃくちゃにして、挙句ルリイエの名前を呼ぶ男が誰なのかを問うアキトに、震えるルリイエに代わるように老執事が答えた。
あのお方こそ、我々魔族を統べる魔王様にございます……
「魔王!?」と思わず叫びそうになったアキトの口を老執事が咄嗟に抑え、大きな声を出さないように注意する。
それに頷いてから、アキトは改めて口を開いた。
魔王って……マジかよ……。
魔王は今、勇者様たちと戦ってるはずだろ……?
それがどうしてこんな村に……?
ここは戦略的に重要な場所でもないし、何かがあるわけでもない小さな村だっておばば様が……
信じられないといった様子で呆然とつぶやくアキトは、ふと何かに気付き、ゆっくりとその視線を隣で震えるルリイエに向けた。
そういえばあいつ……、さっきからルリを探してるような……?
それに、この人もさっき、ルリのことを「姫様」って…………?
もしかして……
アキトの疑念の視線に、ルリイエがびくり、と体を竦ませながら、それでもゆっくりと事情を話そうと口を開きかけた瞬間だった。
おばば様……?
ふと視線を戻したアキトの声に釣られるように、ルリイエも視線をそちらに向けると、そこには怯える村人たちを背中に、ゆっくりと魔王の元へと歩み寄るおばば様の姿があった。
わしはこの村の村長をしております……。
多くの魔族を従えていることといい、思わず傅いてしまいそうになる強大な気配といい、さぞや魔族の中でも高位のお方と察します……。
……というよりも、これほどの気配を放つお方など、わしは一人しか知りません……。
その上でお訪ねさせていただく……。
何用でこの村に参られたか、魔王殿よ……
瞬間、村人たちからどよめきが走り、魔王はぴくりと眉を動かし、面白そうにおばば様を見下ろす。
ほう……。
人間……、貴様……余を魔王と知ってなお、余の前に立つか……?
面白い……。
勇者以外で余の前に立つものなど、魔族を含めても久しく見ておらぬ……。
よかろう、貴様のその気概に免じて、貴様の問いに答えてやろう……
余がこの名も無き小さな村にやってきたのは、余のもとを逃げ出した愚かな娘がこの村におると聞いたのでな……。
それを取り戻しに来たのだ
それが、先ほどおっしゃっておられた『ルリイエ』というものでございますか?
その通り、と頷く魔王に、おばば様はごくり、と喉を鳴らしながら訊ねる。
何故、魔王殿自らが出てまで、その娘を取り戻そうとなさる?
おばば様の射抜くような鋭い視線を、魔王はさらりと受け流す。
そんなもの……、アレが余の娘だからだ……
魔王の口から飛び出た言葉に、アキトはがつんと頭を何かで殴られたような気分になりながら、ゆっくりと視線をルリイエに戻す。
そんな……嘘……だろ?
呆然とつぶやくアキトに対して、ルリイエは辛そうに目を背けた。
そしてその態度が事実だからだと悟り、アキトはその場にへたり、と座り込んでしまった。
そんなアキトに、ルリイエは辛そうに顔を歪めながら小さく謝った。
ごめん……なさい……。
騙すつもりは無かったんです……。けど……、いつ、どうやって切り出そうか悩んでいるうちに……
そこで一度言葉を区切ったルリイエは、小さく息をついた後、静かに魔王のほうへと目を向けた。
いえ……、もはや何を言っても言い訳にしかなりませんね……。
お父様が言う通り、確かに私はお父様――魔王の娘であり、アキト……あなたとは違って、魔族です……。
…………今まで黙っていて、本当にごめんなさい……
最後に深々と頭を下げたルリイエは涙を拭うと、そばに控えた老執事を振り返り、毅然とした態度で告げる。
行きましょう……。
今、私がお父様の下に戻れば、きっと兵を引いてくれるはずです……。
ですから……
よろしいのですか?
ルリイエの言葉を断ち切り、執事は問う。
その執事の視線の先には、地面にヘタりこんだままのアキトの姿。
そのアキトを見る老執事の瞳が雄弁に語る。
本当にこのままでいいのか? と。
このまま、きちんとこの若者と話をせずに別れれば、きっと公開することになる。それでもいいのか? と。
もちろんルリイエだって、きちんとアキトに話したかった。
自分がこの村でアキトに助けられ、一緒に暮らすようになってからどれだけ幸せだったか、それを伝えたかった。
でも、と思う。
こうなってしまった以上、今の私に……そして恐らくこの村にも、時間はそう残されていないでしょう……。
今はおばば様がお父様のお相手をしていますが、もしこのまま私がいつまでも姿を現さなければ、お父様は連れてきた兵を暴れさせて、この村を破壊してしまう……。
それだけは絶対に避けなければなりません……
だからごめんなさい。
そう心の中でアキトに謝って、ルリイエは踵を返す。
行きましょう……
……御意……
深々と腰を折り、頷いた老執事を伴って、ルリイエが茂みから一歩踏み出そうとしたときだった。
突然、誰かに手を掴まれ、ルリイエが思わず驚きながら振り返ると、そこにはしっかりと彼女の手を掴むアキトがいた。
行っちゃ駄目だ、ルリ……
ルリイエの手を引き、自分の下へと引き寄せながら、アキトは繰り返す。
今は行っちゃいけない……
ほら、といいながらアキトが指差したその先をルリイエがたどると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
魔王の口から飛び出た「娘」という発言に、おばば様も村人たちも動揺した。
しかしおばば様は、同時に納得もした。
なるほどの……。
ルリを最初に見たときに見えた未来……、そして魔法を扱えるだけの知恵と魔力は、これが理由というわけじゃったか……。
それに、あの子が作る料理の謎も、魔族に関してやたら理解が深いのもあの子が魔族だということならば納得できる……
ふむ……、その様子では理解したようだな……。
アレが余の娘であると……。そしてやはり、貴様らはアレのことを知っていたか……。
ならば話が早い……。すぐにルリイエを余の元へ差し出せ
途端、魔王から吹き出したプレッシャーに、おばば様は気圧され、一歩下がってしまう。
恐らく全力のときの、数十分の一程度のプレッシャーなのだろうが、それでもこれだけの力を放出する魔王に、本能的に跪き、命令に従いそうになる。
だが、それでもおばば様は口元をにやり、と歪めた。
のう……魔王殿……。
魔王殿にとって、確かに我々人間は取るに足らないものでしょう……。
ましてや、こんな辺境の小さな村ならば、なおさらのことじゃ……
……何が言いたい?
眉を潜める魔王に、おばば様は毅然と言い返した。
ここはご覧の通り、本当に小さな村じゃ……。
じゃが、だからこそ、我らはお互いを家族として認識しておる。
そして人間は家族を大切にし、脅威から守ろうとする……。
例えそれが、村に住み始めて間もない娘だとしてもじゃ……
おばば様は、アキトとルリイエが隠れているだろう茂みへ、視線だけを向けてから、魔王に向き直る。
つまり、わしがいいたいのはのぅ……魔王殿……
あまり人間を舐めるな、ということじゃ!!
まるで、おばば様のその言葉が合図だったかのように、その場に居合わせた村人が、一斉にどこからか武器を取り出し、構える。
あの子はわしらにとって、すでに家族も同然じゃ!
魔王殿とあの子の間で何があったのかは知らぬが、少なくともあの子はこの村で笑顔じゃった!
そんな笑顔を力ずくで奪おうとしているものに、家族を引き渡すような白状な人間はこの村にはおらん!
自身の裡の魔力を高めながら言うおばば様に、そうだ! と村人たちから声が飛び、手にした武器を打ち鳴らす。
ふっ……面白い……。
余に楯突こうというのか、矮小な人間どもよ……。
ならばよかろう……
余に従う僕どもよ……。魔王たる余が命じる!
蹂躙せよ!!
直後、魔王の背後に控える魔族たちが雄たけびを上げ、我先にと飛び出していく。
それに対して村人たちも、それぞれの武器を手に魔族を迎え撃とうと駆け出す。
そして、今まさに両者が激突しようとしたときだった。
だめぇっ!!
それまでアキトに手を掴まれ、隠れていたルリイエが、アキトの手を振り払って茂みから飛び出す。
ルリ!?
突然のことに、一瞬あっけに取られたアキトは、しかしすぐに我に返り、同じように茂みを飛び出すと、ルリの手を再び捕まえた。
直後、いち早くルリイエとアキトに気付いたおばば様が、自分に飛び掛ってきた魔族に魔法を唱えて吹き飛ばしながら叫んだ。
アキト!
ルリを連れて逃げるんじゃ!!
おばば様の言葉に、一瞬、ルリと村の皆を交互に見たアキトは、ぎり、と奥歯をかみ締めるて大きく頷いた。
はい!!
ルリ! こっちだ!!
アキト!?
待って! 私は……!!
短く返事をしてから、すぐさま反対側の森へと走り出すアキトに抵抗するように、ルリイエが訴える。
駄目です!
村の皆さんでは魔族たちに敵いません!
このままじゃ皆さんが……
分かってる!!
アキトは叫び、ルリイエの言葉を遮る。
俺だって……おばば様だって……それに村の皆だって、そんなことは分かってるんだ……。
でも、それでもおばば様が……皆がルリを守ると決めたんだ……。
そんな村のみんなの覚悟を……ルリは無駄にしてはいけない……
走りながら言うアキトの背中に、ルリイエは「どうして」と疑問の言葉をぶつける。
私は魔族なんですよ?
それを村の皆にいえず……、ずっと騙していたんですよ?
なのにどうして……?
そんなの決まってるだろ?
足を止め、振り返りながらアキトは、不安に揺れるルリイエの瞳を正面から捕らえ、微笑みかける。
おばば様が言ってただろ?
俺たちは村の皆が家族なんだ……。
だから皆、命を賭けてルリを守ろうとしてる。
そこにはルリが魔族だろうと人間だろうと関係ないんだ……。
そして俺も……ルリイエ・メル・バーミリオンという一人の女の子が大好きなんだ。
だから絶対に、君をあいつのところへなんか連れて行かせない!
アキト……
アキトの言葉が嬉しくて、はらはらと涙を流したルリイエが、「ありがとうございます」と頭を下げ、思わずアキトが照れて頬を掻いたときだった。
……っ!?
危ない!!
何かに気付いたアキトが、いきなりルリイエを引っ張って自分の下に引き寄せ、その直後、地面が盛大に爆ぜた。
ぐっ……
ルリイエを庇うように抱え込み、苦悶の声を漏らしながら、どうにか轟音と衝撃をやり過ごしたアキトはゆっくりと顔を上げ、濛々と立ち込める土煙の向こうから、何者かがやってくるのを見つけた。
程なくして、ゆっくりと、まるで煙を押しのけるかのように姿を現したのは、魔王。
……っ!?
息を呑み、とっさにルリを連れて走り出そうとしたアキトは、直後、まるで虫でも払うかのように振るわれた魔王の腕が直撃し、声を上げる間もなく吹き飛ばされて、近くの巨木に激突する。
ぁっ……!?
息を詰まらせ、悶えるアキトを無視して、魔王はルリイエの前に立ちはだかる。
帰るぞ……
震えるルリイエを見下ろし、たったそれだけを発した魔王が踵を返し、ルリイエもまた、魔王についていこうと立ち上がったときだった。
ル……リ……だめ……だ……!
アキトは全身の激痛に苛まれて、まるで生まれたての小鹿のように震えながらも必死に立ち上がり、手元に落ちていた太い木の棒を掴み取ると、
ルリは行かせない!!
叫びながら、魔王へと突撃した。
当然、そんなものが魔王に通じるわけも無く、あっさりと返り討ちにあう。
再び巨木に激突し、悶えるアキトを詰まらなさそうに見つめた魔王は、ゆっくりと掌をアキトに向け、魔力を集中させる。
このままアキトに魔法を放ち、止めを刺すつもりだ。
そう悟ったルリイエが、咄嗟に魔王の前に立ちはだかる。
お父様……私がやります……
それまでの態度から一変、冷たく言い放ったルリイエに、魔王は満足そうに笑い、今度こそ踵を返した。
そうして、魔王の姿が小さくなったところでルリイエはすぐにアキトの元へ向かい、掌をアキトに向け、小さく呪文を唱えた。
瞬間、まるでスイッチを切るかのようにアキトの意識が暗転した。
……ごめんなさい、アキト……
辛そうに眉を潜めたルリイエは、何かをアキトの胸元に突っ込み、そのまま森を後にした。
そして、次にアキトが目を覚ましたとき、ルリイエはそばにおらず、怪我をした村人とアキトだけが残されていた。