異世界レンバッハの
長きに渡る戦乱を終結させた奇跡の少年王
リュート……天原 竜人をご存じだろうか。

くれあ

……?

 ――ウサギに渡された本を開いた直後、私の頭の中に物語仕立ての文章が流れ込んできていた。

実は彼、神様のちょっとした手違いで異世界に招かれてしまっただけの、ごく平凡な日本の高校生だったのだ!

独り異世界に放られる無力な少年を哀れんだ神様が、彼に託したのは悪を断つ絶対正義の聖剣エレンディルだった。
その剣の力を駆使し、リュートはレンバッハで成り上がり、最後には歴史に名を残す偉大な王にまでなった。

くれあ

知ってる。このお話は確か――

ところが。
そんな彼の功績で長き平和の時代を取り戻したかに思えたレンバッハに、一つの大事件が起きる……

くれあ

……え?

そう、またもや日本からこのレンバッハへ
独りの少年が召喚されたのだ!

くれあ

!?

彼の名はショータ。
彼もまた、神によってある力を贈られた、
選ばれた人間だった……!

 急に変化した目の前の風景と脳内文章の内容に、私の頭は一瞬混乱してしまった。

 文章の途中までは確かに、大人気のライトノベルシリーズ『異世界高校生戦記』のあらすじだったはずだ。以前に最後まで読んだことがあるから間違い無い。

 けど、もう一人の少年が日本から召喚されるエピソードなんて、聞いたこともない。

くれあ

ええと、目の前のこの人が……
召喚された人、なのかな?

 それらしい、ごく普通の身なりをした学生の男の子が、私たちの目の前に一人立ちすくんでいた。

 だだっ広い野原の中央で不安そうにきょろきょろと周囲を見渡す彼は、どういうわけかほぼ真正面にいる私たち二人に全く気付いていないようだった。

くれあ

これって……一体どうなってるの?

 状況がよく飲み込めない私は、隣に立つウサギに尋ねることにしていた。

ウサギ

彼に僕たちが見えていないのは、まだ僕たちが『観客』、つまり物語を眺める読者の立ち位置にいるからですね

くれあ

『読者』?

ウサギ

これが『分岐セカイ』の姿なんです。それも、書庫の中で最小の分岐セカイ。
……最初にお見せするにしては本当にひどい出来ですけど

 なぜかウサギは気まずそうな顔をしながら、そう説明してくれた。

ウサギ

これが、このセカイの全部なんです。
『あの物語の主人公のようになりたい』
だから『自分も同じように異世界召喚されて大活躍する!』……そんなありきたりな妄想の断片が、このセカイです。

 ひたすらに申し訳なさそうだったウサギの声に、だんだん憐れみのようなものすら混じり始めていた。

ウサギ

……本当に、それだけなんです。
このセカイの作り主は、自分が異世界に来た後の出来事をなにも作りはしなかった。
だから、そこの彼……作り主の投影は、この広い野原で延々と『未知の世界の風景に困惑している』しかないんですよ

 ようやく、なんとなくだけど『分岐セカイ』の実態が掴めてきた気がする。

 パラレルワールドと説明は受けていたけど、SF作品にあるような「自分の暮らす世界とはちょっとだけ違う平行世界」というわけじゃないようだ。
 むしろこれは……

くれあ

物語の、二次創作なんだ……

 誰かの物語を、他の誰かが借りて、ちょっとだけ違う物語として新たに生み出したセカイ。
 それが、このウサギの言う『分岐セカイ』の正体なんだろう。

くれあ

じゃあ、結末を与えるっていうのは――

 なにかの比喩でもなんでもなく、誰かが書きかけのまま放置した物語の続きを、私が結末まで書き上げてあげるということ?

ウサギ

はい。
くれあの思うままに、この不完全なセカイを導いて完結させてください。
君はこの分岐セカイの観客にもカミサマにもなれるのですから

くれあ

でも『導く』って……どうやって?

ウサギ

ええと、紙とペンさえあれば……いえ、そのタブレットでも大丈夫ですね。
文字に乗せてさえくれれば、あとは僕の力でこのセカイに干渉できますから

 そうは言われても、急に思いつくものではない。まして、このセカイの作り主が期待していたような、壮大な物語なんてポンと用意できるはずもなく。

くれあ

その、急に言われても、
私、しっかりしたお話なんて
うまく作れたことがないし……!

ウサギ

難しく考えないで。必ずしも壮大で面白い話にする必要なんてありませんから

 と、ウサギはのほほんと優しく笑いかけてくれた。

ウサギ

大事なのは、くれあがこのセカイに――
そこの彼にどんな結末を贈ってあげたいか。
どんな結末なら喜んでもらえるか、です

くれあ

このセカイに、贈ってあげたい結末……

 私は再び目の前の学生くん……確か、ショータという名前だったか。その彼へと視線を移していた。

? ……???

 見慣れない場所に放り出され不安そうな彼を、元いた場所へと戻してあげて、安心させたい。
 最初にそんな考えが浮かんだ。

くれあ

それだけなら、簡単そうだけど……

 けど、このセカイの作り主の願い……物語のヒーローになるという憧れもまた、蔑ろにしてはいけないような気がしていた。

くれあ

……そうだ。これなら――

 やがて一つの考えが浮かんだ私は、自然とタブレットの画面に指を走らせていた。

3.そもそも始まらないセカイ

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