さて。事の始まりはこうだ。

 俺と水希は、家が隣同士の幼馴染。昔は仲が良かった俺達も、ある時期を境に別々の道を歩き始める。

 水希は、男嫌いのスーパードライ・穂苅水希へ。

 俺は影でこっそり隠れて水希の様子を窺うヤンキー、唐田龍之介へと変貌する。

 すっかり水希との縁がなくなった俺の所に、ある時手紙が投げて寄越された。その中身は、『神の使い』を名乗る者からの不愉快極まりない豚化のお知らせ。

 何事も無く放置していた俺は、気が付けばピンチ。為す術もなく体重が増え、豚への道を辿ることになる。

 豚化を阻止する為には、俺の幼馴染である穂苅水希に、『べ、別にあんたの為じゃ無いんだからねっ!!』という台詞を言わせなければならないらしい。

 …………思い返すと、本当に死にたくなってくる。

 ところが、水希は俺に対して特別冷たく当たる所があった。その理由を知った結果、俺は更なる絶望を前に、豚化を目前にしていた。

あの金髪男女と、好きにやれば良いじゃない!!


 そもそも、おかしいと思っていたんだ。

 水希は自分に告白してくる男は容赦無く蹴散らすが、何でもない状況で男に話しかけられたからって、いきなり冷たく当たる訳じゃない。

 だが、初めて翔悟が水希に話し掛けた時の水希は、やたらと酷い態度だった。

 事もあろうに、あのおバカ女は、高校に入学してからと言うもの、やたらと俺に絡んでくる金髪女男の葉加瀬翔悟を女だと思い、敵視していたのである。

 そもそも、若しも本当に水希の考えている通り男女だったとしても、学校に男子の制服を着ては来ないだろうと思うのだが。一体、何を根拠に男女だと思ったのかすらよく分からない。

 相変わらずのすっとぼけ具合である。そもそもあいつにクールキャラなんて似合わないのだ。

…………よし


 そんな中、時は日曜日。水希との遊園地デートから一日が経ち、事実上の豚リミット最終日である。

 ああ、頭が痛い。事もあろうに、風邪を引いて足掻く余地さえ無い俺である。解熱剤飲んだんだけどな……効かないのか。やっぱり、半分優しさなのがいけないんじゃ。

 インフルエンザにアスピリン系の解熱剤は危険だから、ちゃんと風邪だと確認してから使うように……って誰に言ってんだ、俺。

 俺は今、杏月さんに言われ、穂苅の家が作った神社まで来ていた。ついに神頼みかと言いたくもなるが、一応杏月さんにも言い分があった。

穂苅の家にはね、代々不思議な事が起こるのよ。

呪いなのか何だか知らないけど……それで、神様に護って貰おうって話になって、あの神社は出来たの。

だから、あんたも行って、ちゃんと穂苅の神様に護って貰いなさい


 んなアホな。不思議な事って何だよ。……そうは思ったが、杏月さんにあれだけ言われてしまったら、何となくやらなければならないような気がしてくる。

 お参りをするだけだ。どうせ今日一日で水希を振り向かせる方法も分かっていないんだし、やるだけやってみれば良いじゃないか。という事で、神社まで来てしまったのだ。

 相変わらずカラスはぎゃあぎゃあうるさいし、人の気配は全く無い。手入れされているのかどうかもよく分からないのである。

大丈夫かな、こんな神社で……


 そう思いながらも、俺は一応賽銭を入れて、二泊一礼した。初詣にでも来たかのような気分だ。

どうかっ! ……どうか、俺を豚の脅威から救ってください!!


 我ながら、心底間抜けな願いだと思う。……なんだよ、豚の脅威って。しかも入れたのは五百円……無駄に本気だった。コミック一冊買えるな。

 こんな事で、本当にどうにかなるのか? ……いやまあ、神様の問題は神様に聞け、というのはあるかもしれないけど……起こっている事が超次元過ぎて、未だに何の実感も湧かない。

 それでも、一生懸命に願った。祈りが足りなくて豚になるなんて、俺だって嫌だからな。

 どうか……どうか、俺に神のご加護がありますように……!!

よしっ!


 やっぱり具体的には何も起きていないが、ひとまずこれで杏月さんの言うところの『やるべきこと』とやらは終えた。

 しかし、穂苅の家に起きる不思議な出来事って、一体何なんだろうな。水希の親父やお袋の身にも、何かが起きたって事なんだろうか。

 だとしたら、俺は穂苅家に振り回されているだけの男ってこと……?

 くひひ。そのせいで豚になっているんだとしたら、苦笑が禁じ得ないぜ。

幼馴染の罪ってやつかね……


 ふと。

 背後に何か、不思議な気配を感じた。人のような、人ではないような、俺が今までに感じた事のない、何か。

 その何かを探して、俺は振り返る。

…………


 誰も居ない。

 気のせいか。カラスではないだろうから、タヌキか何か現れたのかと思ったけど。……よく考えてみたら、タヌキは夜行性な所があるから、こんな時間には現れないか。

 穂苅のご加護ってやつが、本当にあるなら嬉しいけどなあ。

 ……しかし、これからどうするかね。やる事はやってしまった訳だし、水希に会おうにも、もう杏月さんからの連絡も水希まで届くかどうか怪しいし。

 直接家のインターホンでも押してみるか? ……カメラ越しに居留守を使われたら、余計にショックが増すな。

やれやれ……


 まあとにかく、杏月さんに電話を掛けてみよう。

もしもし?

あ、杏月さん? お参り、終わりました

ちゃんと願ってきた? 手を抜いたりしたら、ダメだからね

もちろん。ジャンピング土下座する勢いでしたよ

勢いじゃダメ。ほんとにやらないと

無茶言うな!!


 相変わらず、冗談なんだか本気なんだか分からない人である。……それを考えると、さすがは水希の親戚ってところか。

 でも、俺は俺なりに本気でやったつもりだ。これでダメでも、少なくとも神頼みが甘かったせいだとは思いたくない。

じゃあまあ、今日も学校で水希と頑張って来なさいよ


 不意に。

 杏月さんが電話越しにそんな事を言うので、俺は目を丸くしてしまった。

杏月さん、今日は日曜日っすよ?

え? クラス委員の仕事があるんじゃないの?
実は昨日今日と、お姉ちゃんに呼ばれて水希の家まで行ってるのよ。さっき水希、そんな事を言いながら制服で出てったんだけど……


 ……あれ? 俺が忘れてるだけ?

 そういや、担任の女性教師、俺とは怖がって話そうとしないからなあ……。もしかしたら水希には言っていて、水希は水希で昨日あんな事があったから、俺に連絡しないで一人で行ったんだろうか。

 有り得る。

 ……ついに、俺もそこまで来たかあ……。本当、水希と喧嘩したい訳では無かったんだけど。どうしてこんなことに。

まあ、そういう事なら学校に向かいますよ。何かやれる事があるかもしれないし

とは言いつつ、あんたほんとに身体、大丈夫なの?

今日を逃したら豚になっちまう俺にとって、人間様の風邪如き大した問題じゃねーんで

ま、まあ、そりゃあそうかもしれないけどさ……


 俺の事を心配してくれるんだね。ありがとう、杏月さん。でも、俺は俺の問題を解決しに行くよ。

 熱のせいでぼんやりとする思考のまま、俺は痛む腰をどうにか動かして、学校へと向かう事にした。


 ○


 前言撤回。学校に向かう前の俺よ。並行世界では、どうか俺を学校に向かわせる事だけは止めておくれ。

 昨日までは様子を見ていただけなのか、電車に乗って歩いているうちに極限まで悪化した風邪が俺を襲っている。……頭が痛い。全身軋んでるし、誰がどう見たってこれは風邪だろう。

ううう……災難は畳み掛けるモンだって言うけど、これは……


 正直、何で今日なんだと言いたい。豚になってからなら、風邪でも何でも好きにしてくれよ。

 いや、それは嘘だ。どんな生き物であっても、極力体調不良の原因にはお引き取り願いたい。

しかし……辿り着いたぞ……


 校門前。やたらと広い敷地に聳え立つ、校舎を見上げた。

校門、閉まってんじゃねーかよ……


 今日は教員も全員休みなのか……? 何かの記念日だったっけ。この学校に入学して、まだ日が浅いからよく分からん。

 これじゃあ、水希もここまで来て帰って行った可能性が高いか。

 結局、クラス委員の集まりがどうの、というのは水希の勘違いだった、という事か。

 水希にしちゃ、珍しいな。どうでもいい所はミスが多いけれど、人から頼まれた事はきっちりしている奴だと思ったけれど。

まあ、帰ろう……


 無駄足だったか。帰り際にでも、水希に会えればなあ。この状態なら、看病して貰えたり……ないか。

 踵を返して、歩き出した。既に歩くことも大変な俺は、歩道の柵にどうにか捕まり、家路を目指す。

駅に着いたら、タクシー拾おうかな……


 バイト代が飛ぶのは惜しいが、背に腹は代えられない。しかし、高校生にとってタクシー代って何であんなに高いんだろう。


 あれ?

…………水希?


 物音が、した気がした。

 とても小さな音で、それが何かなんて、特定は出来なかった。だけど……誰もいない筈の校舎から、小さな音。

 人の声……? いや。校舎の電気は一切点いていないし……校門は閉まっているし、とてもクラス委員の集まりがあるようには見えない。

まあ、仮にクラス委員の仕事があったとしても、俺に声を掛けなかったのは水希だし……


 一人でやりたいのなら、一人でやらせておけば良いんじゃないか。

 そう、思いながらも、俺は。

…………一応、中に入って見てみるか


 もう一度だけ門へと向かい、力を入れた。

 ……動かない。やっぱ、越えなきゃ無理か。

 防犯ブザーとか大丈夫なのか、これ。警察が来たら何て言おう。忘れ物を取りに来ました、とかなんとか言って誤魔化すしかないのか。

 いや、もうこの時点でクラス委員の仕事なんか無いだろ、絶対。どこかに勝手口があって、そっちは開いてたりするのか……?

 あ、そうだ。入学式の時に貰った地図、まだ鞄の中に入りっぱなしだった気が。

あった……


 開いて、中を見る。

 幾つかの建物があり、反対側にも入口があるようだ……旧校舎側? この学校にも旧校舎があるのか。グラウンドからも見えるって事は……あれだな。

 仕方無い。じゃあ、反対側に回ってみるか。

 そう思い、歩き出す。

あー、風邪引いてんのに……何やってんだろ、俺……


 全身が重い。豚化しつつある俺に、更なるダメージが加わる。熱と体重増加のダブルパンチは、身体に堪える……体重増加ってどういう事なんだ、本当に。

 しかし、反対側にも出入口があったなんて。考えてみれば、出入口が一つしかない学校をあまり見た事が無いか。旧校舎の近くにあるみたいだから、旧校舎がまだ現役だった時代に使っていたんだろうか。



 ――――なんとなく。



 頭の中で引っ掛かっているものが、微かな不安になっていた。落合の言っていた事と、水希の顔。それらは何故か、俺の中で回り、巡っていた。

…………だよ!


 物音がする。

 それは、旧校舎の方から聞こえて来ていた。何度も聞いた事のある声だ。

 先程までの身体の重さは何処へやら、気が付けば俺は全力で駆け出していた。



 ったく。



 これがあるから、水希が受ける告白は全て、監視しておく必要があったのだ。

やめて!! 今すぐ、警察を呼ぶわよ!!


 水希の声が聞こえて来る。

 まあ恋愛だとか告白だとかの問題は、デリケートなもんだ。水希にその気が無かったとしても、男子の方はまず勇気を出して告白している訳であって、そこには恥ずかしさやら悩みやら、色々あった筈なのだ。

 それを、スーパードライ水希の凶悪な否定コンボでズタズタにされてしまえば、恋心が憎しみに変わってしまう事も多々ある。ありすぎる。

 幼馴染の俺としては、どうしても放っておけない部分だったのだ。それが、落合のようなイレギュラーであったとしても。

……おい、落合。こんな事して良いのか?


 旧校舎の裏に辿り着いた。……隣は山で、確かに人目に付き難い場所ではあるだろうか。

誰にも報告出来ないくらい、怖い思い出にしてやりゃあ良いんだよ。もう二度と、馬鹿な事が言えなくなるくらいにな


 だってそれは、いつか水希に反動が行くのだから。

そこまでだっ!!


 一喝して、現場へ。事件は会議室で起こっている訳ではない。同様に俺もまた、最悪なコンディションでも単身でも、理屈だけでは物事は解決できない。

 そこに居たのは水希と、落合を含むファミリーレストランで見た四人。うち三人は、翔悟を助ける時に戦った連中だ。

 もし喧嘩になったら、今の俺にどうにかする術なんてあるのだろうか。そう、思ったが。

龍之介!!

人の居ない所で何好き勝手やってんだ!!
てめぇら全員、そこに直れっ!!

10 = 昨日から本気出してた件

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