なんとなく。

 襲い掛かる男達。人数の差を肌で感じながら、殴られては殴り返す。自分が暴れる様子をどこか第三者の視点で眺めながら、俺は考えていた。

 水希が今回怒っていたのは、翔悟の事を女だと勘違いしていたからだった。……と、いうことは。もしかしたら水希は、ほんの少しでも、俺に気があるんじゃないのかって。

 ところが、中学時代から水希はあの様子で、俺と話そうなんて様子はちっとも見られなかった。それが一体、何を意味しているのか。

 水希の劇的な変化とも、何か関係があるのか。

野郎っ――――!!

やっちまえ!!


 やれるものなら、やってみろ。

 そんじょそこらの学生とは違う。俺は元から、この難儀な髪色のせいで苦労してきた。無駄に目立つわ、絡まれるわ、怯えられるわの三重苦。そんな俺がこのスクール・カーストの中で生きて行こうと思ったら、生半可な鍛え方では生きて行けなかったのだ。

水希!! 離れてろ!!


 ――――――――いや、違うな。

 喧嘩に強くなって、俺はすっかり周囲から避けられるようになった。その先も、俺はずっと喧嘩を続けてきた。

 それは、水希が周囲に与える影響のせいだ。

 入学式の日、落合を振った時の水希を思い出す。あんなのはまだマシな方で、水希は告白をしてきた男を敵だとでも認識しているかのように、ズタボロに言いたい放題、言ってきたのだ。

臭いが合わないから、近寄らないで貰えるかしら

クラスで人気者だったら、興味を持って貰えるとでも思ったの?

二度と私に話し掛けないで


 …………いやあ。そりゃあもう、ひどいモンだった。

 そのせいで、水希の周囲はやがて、水希を憎む男ばかりになっていった。どうしてそんな水希が、今日まで特に何の問題もなく生きて来られたのかって、そういう話だ。

おらあああああっ――――――――!!


 風邪だなんて、悟らせてはいけない。

 殴る。……殴る。……殴る。……殴る。…………殴って、殴って、また殴る。

 本気の喧嘩になったら、怯えさせたりビビらせたり、そんなものは通用しない。相手だって、殴られたくないから殴るのだ。それだけが真実なら、動けなくなるまで徹底的に殴らなければいけない。

 そうすることで、初めて水希に近寄らなくなる。ただ水希の男への当たりが強かったから、水希の周囲に言い寄る男が居なくなったんじゃない。

 そのバックにはいつも俺がいて、水希に攻撃しようとすると『何故か』いつも俺に目を付けられる。だから、水希に嫌がらせをしたくても、出来ない。

 そんな喧嘩野郎に成長してしまった俺のことを、水希は随分と嫌うようになったけれど――……

…………おら、これで終わりか? 後はてめえだ落合、掛かって来いよ

くっ…………!!


 でも、それで良いんだ。

 例えどんな人間に成長しようと、穂刈水希は俺の大事な幼馴染だ。

 幼馴染だなんてレッテルで、無駄に仲が良いフリなんてしなくていい。毎日目覚まし前に起こしに来なくていい。朝食も作りに来なくていい。病気になっても看病なんてしてくれなくていい。

 俺は、そのままの水希でいい。

 落合の顔を目一杯殴ると、頬が腫れる。……周りの連中と違って、どうやらこいつはあまり喧嘩慣れしていないらしい。首謀者が弱いってのも、よくある話だと思ったけど。

くそっ……!! 初めからデキてたんだろ!? だったら告白なんかさせてんじゃねえよ、ヅラ野郎!!

負け惜しみのつもりか? ……茶がへそで湧くぜ!!


 殴り続けるたび、落合の様子が変化していく。始めは強気、周囲の男が倒れてから雲行きが怪しくなり、今ではすっかり涙目だ。俺が一切の加減をしないことに、余程恐怖していると見える。

 だが、こいつらは俺が出て来なければ、自分よりも弱い立場の水希に同じ事をしたはずだ。いや、男と女なら、もっとひどい事だって考えられる――――だから、俺は手を緩めちゃいけない。

 どうせやるなら、徹底的に。

…………分かった!! 分かった!! 俺の負けでいい、もう二度と穂刈には近付かな――――ぶふっ!!


 二度と、向かって来られなくなるくらいに。

うわああああ!! …………誰か!! 誰かあー!!

 落合はついに、その場から逃げ出した。……仲間はそのままだ。

 ……追い掛けないと、……何をされるか。

 …………駄目だ。

 後を追い掛けようと思ったが――……身体が、言う事を効かない。

…………


 …………いや。…………もう、追い掛けなくても良いのか。

 全員、完全にのびている。意識は当然、あるんだろうが――……気を失ったふりをしているのは、もう俺に反撃してくる気が無い証拠だ。

 放出されたアドレナリンのお蔭で動いていた身体が、事が終わると急に現実に舞い戻る。

 まさかこれで俺が風邪を引いているなんて、誰が気付いただろうか。

 あれ、意識が…………

龍之介!!


 水希の声がする。

 ……あれ。俺は一体、何をしにここに来ていたんだっけ。……そうだ、委員会の仕事とやらがあったんじゃ…………

 …………いや、無かったのか? 落合が呼び出すための口実にしていただけであって、本当は無かったんじゃ……俺が呼ばれていないのは、そういう理由で……杏月さんがたまたま、電話口に出たというだけなんじゃ。

 そう思うと、余計に気が遠くなる。

ご、ごめんなさい!! 私、どうにもできなくて、その…………


 そうそう、それでいいんだよ。

 素直な時の水希は、人にちゃんと気を遣える水希だ。俺は、よくその事を知っている。

 普段男に見せるような、とりあえずスーパードライみたいな性格では無いことも。内側では色々考えていて、本当は優しいことも。

水希。……お前、無理しなくていいんだ


 俺は、知っている。

え…………?

普通のままで、いいんだ。誰もお前のこと、攻撃したりなんかしない

 外側でやっている事と、内側でやっている事が違う。

 あれ。

 もしかしてそれって、ツンデレってやつなんじゃ…………


 ……………………


 ○


 夢を見ていた。

 夢の中で俺は、水希と小学校時代のように遊んでいる。……隠れんぼだ。いつも会っている神社の境内で、まるでそこが当然の遊び場のように。

 沢山の子供たちが遊んでいるけれど、俺と水希以外の顔はよく見えない。神社で隠れられる所なんていつも決まっているから、出来るだけ見付からない場所を選んで、俺達は隠れる。

龍ちゃん!! こっち!!


 俺と水希は、神社の事を誰よりも知っている。だから、二人だけしか知らない隠れ場所をいつも使う。

 どちらかが探す方になったら無敵だから、俺達はいつも隠れる方だ。

こっちに隠れられるって!! …………が!!


 あれ? そういえば、もう一人くらい居たような気がする。

 顔も思い出せない誰か。…………居たなあ、確か。俺達と同じくらい神社に詳しくて、幼馴染みたいな存在だった人が、もう一人。

 あれ? それは、男だっけ。それとも、女だったっけ…………?

龍之介!!


 俺はその少年だか少女だかの顔を見て、そいつが笑顔でいるのを見て、安心してしまった。

 顔がよく、見えない――…………

龍之介!!


 って、水希?

――――あっ?


 目を、覚ました。

よ、良かった…………


 なんか、額が冷たい。……って、お絞りか。俺はベッドに寝かされていて、布団を被っている。

 水希が安堵したような顔をして、ふと吐息を漏らした。ここは……水希の部屋だ。もう随分と長い事入っていなかったけど、風貌は昔と何ら変わっていない。

 ……いや、そうでもないな。化粧台が増えている。学習机も場所は同じだけど、昔見たような小さな、何かのキャラクターが描いてあるようなものではなかった。簡素な木の机になっている。

 ピンク一色だった部屋が、いつの間にか落ち着いた雰囲気になっている。……それでも、全体的にはまだ薄桃色だったけれど。

リンゴ剥いたから、食べて

ああいや、今は口が切れてるから、ちょっと……

…………

…………いただきます


 口に含むと案の定と言うのか、殴られた痕に果汁がしみる。それでも、水希が剥いてくれたリンゴだ。……果物くらいは剥けるようになったのか。そりゃそうか、弁当作ってたし。

 水希から渡されるフォークに刺さったそれを、黙々と食べる俺。水希はそれを見て、どこか安堵したかのような顔をしている。だが、俺達の間に会話はない。

うん、うまいよ、リンゴ

…………そう


 気不味っ!!

 どうしよう。正直、予想していなかった気不味さだ。リンゴを黙って差し出す様は、まるで兎に餌付けをするようだ――……って、その例えじゃ俺が兎か。

 水希は何かを言い出しそうに見えて、しかし黙っている。……口に詰められるリンゴの数が、増えていく。

…………ほい


 俺を見ないでリンゴを口に入れるのはやめてくれ。

ほい、ひふひ

…………あっ!? ご、ごめんなさい……


 一体、何がどうしたと言うんだ。そして、この状況に今更羞恥心が。

 すっかり水希の部屋も、子供の部屋では無くなってしまった。それは俺もだけど……なんというか、妙に品がある。

 居心地が。

…………喧嘩

おお?

もしかして……前から、私の周りの人とばかり喧嘩してたのって……


 ……まあ、さすがに気付くか。気付くよなあ。今まではどうにか見られないようにしていたから、唯の喧嘩っ早い男としか認識されていなかったんだろうけど。

 実際に目の前に現れて、助ける所を見られてしまったら、なあ。

 それが、自分が大嫌いな相手の、大嫌いだと思っていた行為だった、と言うわけだ。そりゃ、ショックもでかいだろう。

 こればっかりは、仕方ない。

……お前さ、当たりがきつすぎるんだよ。……断るにしても、もう少し柔らかく断ったらどうだ


 そう言うと、水希は真っ赤になって、俺から目を逸らした。

わっ、……分からないのよ。……どうやって、断ったらいいのか


 ……なんだこいつ、可愛いじゃないか。

 しかし、その結果がエクストリーム・アイロニングじゃなあ。あれじゃ馬鹿にされていると思われても仕方が無い……いや、水希は真面目なんだったな。ここは、言わないでおいてあげよう。

申し訳無い気持ちがあれば、それで良いんだと思うよ

…………そうね。努力するわ


 そこ、努力する所なのか……

あと、翔悟は男だから。いつも男子の制服着てるだろ


 水希は目を丸くして、俺を見ていた。

コスプレじゃなかったの!?

いや、しないだろ。何しに学校来てんだよ。筋金入りかよ


 流石の俺でも、日常の制服を入れ替える程に男信仰が強い女の子は見た事がない。……それって仮に女だったとしても、恋愛対象としては見られないものなんじゃ。……どうなんだろう。

 何にしても、ちゃんと説明ができて良かった。水希が勘違いしたままでいたら、翔悟が男子更衣室に入った時に発狂しそうだからな。

……もう少し、休んでいて。お絞りを変えて来るから

おお……ありがとう

 俺達の関係は改善されたのか、どうなのか。




 水希は立ち上がり、ふと思い立ったかのように俺を見下し、険しい顔になった。

別にあなたの為なんかじゃないから。早く良くなって出て行ってくれないと困るから、手伝うだけよ


 ――――――――えっ。


…………というのを、やめれば良いのね


 水希はふと微笑んで、部屋の扉を開けた。

今日はありがとう


 そうして、扉が閉められて、俺はその部屋に一人になって。

…………


 …………呆然としながら、スマートフォンを取り出し、時間を確認した。十七時。俺が暴れていたのは昼間の出来事だから、大体三時間かそこらは眠っていた事になるのか。

 俺の尻。

 つい先程まで感じていた尻尾らしきものは、今は存在しない。

…………クリア?


 自分の口から、そんな言葉が飛び出た。

 ……これ、クリア、か?

 …………クリア、だよな。明らかに。言われたし。尻尾、消えたし。

 クリアか。…………そうか。

ふおおおおおおおおおおお――――――――!!


 その雄叫びは、多分俺の人生史上最も大きく、そして最も間抜けな声だったのだろうと思う。

 台所に居た水希が湯をこぼして大騒ぎになりながら、俺の所まで駆け付けるのにおよそ三十秒。きっとその声は、家の何処かにいる杏月さんにも聞こえていただろう。

 また、たちの悪い微笑みを浮かべているに違いない。


 ○

おはよ、ドラゴン!!

……おはよう、翔悟


 それから。

 落合の話は学校に知れ渡る事は無かった。まあ、俺と水希が話していないのだから、誰に知られる事も無い。

 やっぱりクラス委員の話は落合の嘘で、学校内には限られた先生しか居なかった為、どうやら発見もされなかったらしい。

 杏月さんもすっかり学校に慣れて、密かに男子生徒の人気を獲得しているようだ。あの人の性格は嫌という程把握しているので、どうか騙されないで欲しいと思う。

 今ここに断言しよう。可愛いは作れる。

 作っていないのに可愛さが滲み出る、葉加瀬翔悟という存在もあるのがまた、不思議な所だが。

あァ? 何見てんだよ

見てねーし……


 まあこいつは元の性格に難があるので、やっぱり天は二物を与えずって事なのだろう。

 一方、俺と水希はと言うと――……

唐田君、今日の放課後残って貰える? 体育祭の事、先生がクラス委員を集めて説明するって

おお、分かった。ありがとう


 ぶっちゃけると、何も変わっていない。

 水希が俺の事を『龍之介』と呼んだのはあの一瞬だけで、結局学校では、名前で呼び合うような事はしていない。まあ、いきなりそんな事が起きてもクラスが噂するだけだろうし、良い事は無いから構わないのだけど。

 まあ、今までよりも水希の態度が柔らかくなった、というのはあるかもしれない。

 水希に告白してくる男も、相変わらずそれなりに居る。落合との事が表沙汰にならなかったので、やっぱりそうなっているのだ。

ほ、穂苅さんっ……!! 僕と、付き合ってください!!


 さて、俺は未だに水希の告白を監視している。どうしてこの期に及んで、と思うだろうか。まあ落ち着いて、これを見て欲しい。

大変申し訳無いのだけど、貴方の眼鏡が趣味じゃないから付き合えないわ

えっ……

大変申し訳無いのだけど、正直話し方も気持ち悪いし、人として受け付けないわ

…………

大変申し訳無いのだけど……


 ああ、大丈夫だ。言わなくたって分かっているさ。代わりに俺が代弁しよう。









 そうじゃねえええぇぇぇぇぇ――――――――っ!!








continue...?

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