ルリイエが村に迎え入れられてから、アキトは日々が充実しているのを感じた。

アキト

ただいま~

ルリイエ

お帰りなさい、アキト。
お疲れ様でした。

一日の仕事を終えて家の扉を開ければ、そこには笑顔で出迎えてくれるルリイエがいるのだ。
アキトは今まで一人だった……。
いくら村全体が家族のようなものとして育ってきたとしても、結局家に帰れば一人。
仕事で疲れて帰っても、誰も出迎えてくれることはなく、明かりの消えた家の扉を開けるたびに、アキトはどこか寂しさと虚しさを感じていた。
だけど今は違う。
暗くなってから家に帰ると、すでに明かりはついていて、料理をする暖かい匂いと共に、彼女が出迎えてくれる。
それがアキトにとってはこの上なく幸せなことだった。
例え彼女が作る料理が、

ルリイエ

晩御飯の準備ももう少しで終わりますから、待っててくださいね。
ちなみに今日は『ゲスゲスのヌグヌグ煮込み』です。
とっても美味しいですよ♪

アキト

あ……ああ……

見たことも聞いたこともないようなものだったとしても、アキトは確かに幸せを感じていた。

一方そのころ、勇者たちと激しい争いを繰り広げる魔族が住まう闇に覆われたとある大陸、その中心に聳え立つ、魔族を治める魔王が住む城に、一人の魔族が飛び込んできた。
彼は迷うことなく、王がいる玉座の間まで進むと、息を切らせながら頭をたれ、自分の主に向かって声を張り上げた。

報告します!
人間の村にて、姫様を発見したとのことです!!

魔王

………………
……そうか……

玉座に腰掛ける魔族――魔王は一瞬だけ目を大きく見開いた後、短くつぶやいてから、報告に来た魔族を下がらせ、大きく息を吐き出した。
その様子に気付いたのだろう、そばに控えていた執事の魔族が隣に立ち、声をかける。

いかがなさいますか?
やはり連れ戻しに……?

魔王

そうだな……。
アレは余の力をかなり注ぎ込んだ傑作だ……。
連れ戻せるのであれば、連れ戻すに越したことはあるまい……。
いくら余といえど、アレほどの傑作をもう一度生み出せるとは限らぬからな……

左様で……。
それでは私は手配のほうを済ませてまいります……

そういって深々と腰を折り、立ち去っていこうとする執事を、魔王は呼び止めた。

魔王

待て……。
アレを連れ戻す本隊に余も同行しよう……。
それが一番確実だからな……

……かしこまりました……

もう一度腰を折り、今度こそ玉座の間を立ち去った執事は、ここにはいない『姫様』のことを思い、胸を痛める。

申し訳ありません、姫様……。
私は魔王様に逆らうことができません……。
せめて……、少しでも長く姫様が幸せであることを願うしか……。
何もできないこの私を……どうかお許しください……

暗く閉ざされた大陸の空を見上げ、執事は静かに涙を流した。

ルリイエが村に住むことになってから数週間が経過した。
その間、人当たりのいい性格と、美しい容姿、そして珍しい魔法の使い手ということもあって、彼女は村の人気者になっていた。
村人……特に男どもは、例えそれがどんな小さな怪我であろうと、理由をつけてアキトの家に住むルリイエに会いに行き、魔法で治療してもらっては、顔をだらしなく緩めたまま帰っていった。
これに面白くない顔をしたのが、アキトと、意外なことにおばば様だった。
アキトは、事あるごとにルリイエ目的で家を訪れる村人に辟易し、すきあらばルリイエをナンパしたり、セクハラしようとする男どもにやきもきするのが理由だが、おばば様はというと、

おばば様

そんな小さな怪我くらい、ツバ付けとけば治るじゃろうが!!

そう怒鳴り、アキトの家の前に行列を作る村人たちを蹴散らしていく。
そこへ顔を出したルリイエが、すまなさそうに顔を竦めた。

ルリイエ

ごめんなさい、お婆様……。
私がお婆様の薬師としてのお仕事を取ってしまったみたいで……

ルリイエの謝罪を、おばば様はしかし、相貌を崩して受け流す。

おばば様

なに……。お主が気にすることではない……。
悪いのはお主ではなく、あやつらのほうじゃ……
まったく……村に若い娘がやってきたからと言うて、浮かれおってからに……。
ルリがおらんかったときは、小さな怪我くらいならわしを呼びもせんだったのに……

おばば様

それに、魔法で治せるのはあくまでも怪我だけじゃ……。
病気じゃと薬師のわしの領分じゃからの……。お主に仕事を取られたなぞ、まったく思っておらんわ……

ルリイエ

お婆様…………。
はい♪

おばば様の優しい言葉に、ルリイエは満面の笑みで頷いた。
ちなみにルリイエは、自分を助けてくれたおばば様を「お婆様」と呼び慕っていたりする。
何はともあれ、ルリイエは村人に馴染み、村は今日も平和だった。

それからしばらくしたある日のこと。
一仕事終えて家に帰ってきたアキトから出た言葉に、ルリイエはきょとんと首をかしげた。

ルリイエ

オマツリ……ですか?

頷くアキトに、ルリイエはますます首をかしげた。

ルリイエ

そのオマツリ……とやらは一体何をするんですか?

ルリイエから発せられた問いに、知っているものとばかり思っていたアキトは、一瞬目を丸くし、一瞬考え込んでから口を開く。

アキト

えっと……少なくともこの村で言うお祭りっていうのは、この村を作った俺らのご先祖様や、この村でなくなった人々の魂が、あの世から一日だけ戻ってくるから、それを村の皆で歓迎しようっていう行事なんだ……。
まぁ、実際はただ皆でお酒を飲んだり美味しいものを食べたりして、夜通し騒ぎ立てるだけだけどね……

最後におどけるように言ったアキトに対して、ルリイエは何事かを考えていた。

ルリイエ

死んだ人の魂が戻ってくる……?
もしかして……、幽霊系の魔族が村に来て、それを皆で歓迎するんですか?

アキト

えっ……?

思わず呆然とするアキトをよそに、ルリイエは何かを考えながらぶつぶつとつぶやく。

ルリイエ

幽霊系の魔族は不死族……アンデットの中でも物理攻撃が無効なタイプ……。
そんな彼らが村に攻め込んできたら、村人が危ない……。
村で魔法が使えるのは私とお婆様だけだから、事前に打ち合わせて……

アキト

ちょ……ちょっと待って、ルリ!

ぶつぶつとつぶやきながら、どうやって幽霊系の魔族に対抗するかを真剣に考えるルリイエに、アキトが慌てて声をかける。

アキト

幽霊って言っても、魔族じゃないから!
死んであの世に行っちゃった人たちの魂が、一時的に里帰りするようなものだから!

ルリイエ

そう……なのですか?

きょとんとするルリイエに、アキトは頬を引き攣らせながら頷いた。

アキト

そうなんです。
百聞は一見にしかず。
ちょうど今からお祭りが始まるから、一緒に行こう!

アキトはそういいながら、ルリイエの手を取り、並んで歩き出す。
そのまま二人して歩き、程なくして祭りの会場である村の広場にやってきたルリイエは、中心で盛大に燃え盛る炎と、その回りで楽しげな音楽を奏で、踊る人々を見て感嘆の声を漏らす。

ルリイエ

うわぁ……。
オマツリってすごいんですね……。
みんな集まって、とても楽しそうです!

アキトは目を輝かせるルリイエの手を取り、そのまま中央――村人たちが踊っているところまで引っ張っていく。

ルリイエ

あ……アキト!?

突然のことに驚くルリイエに、アキトは笑って見せた。

アキト

せっかくだからさ、俺たちも踊ろう!

そんなことをいいながら、気障なしぐさで差し出されたアキトの手を、ルリイエは一瞬おかしそうに笑った後、優雅に取り、二人もまた、村人の踊りの輪に加わった。

それからどのくらいの時間がたっただろう。
村人たちに囃され、散々からかわれながらも最後まで踊りきったアキトとルリイエは、やがて踊りの輪からはずれ、静かなところで息を落ち着かせていた。
そうして程なくして、頬を上気させながらぼんやりと焚き火を見つめていたルリイエが、ぽつりとつぶやく。

ルリイエ

オマツリって楽しいものなんですね……。
村の皆もあんなに楽しそうに騒いで……

そうだな、と同意するアキトを、ルリイエはじっと見つめた。

ルリイエ

アキト……ありがとうございます……

アキト

な……何が!?

突然お礼を言われ、逆に戸惑うアキトに、ルリイエは静かに言う。

ルリイエ

このオマツリのことを教えてくれたこともそうですけれど……、私を助けてくれたことも……、本当に感謝しています。
もし、あなたに助けてもらわなかったら……、私はきっと、こんな楽しいことが世の中にはあるのだと、ずっと知ることができなかったでしょう……

ルリイエ

だから、ありがとうございます……

アキト

……っ!?

お礼をいいながらふわり、と微笑むルリイエを正面から見て、アキトは自分の心臓が高鳴るのを感じた。
そしてその心臓の高鳴りは、いつまでたっても止みそうになく、次第にアキトは顔を緊張させていく。

ルリイエ

……?
アキト……?

アキトの様子を不審に思ったのか、ルリイエが心配そうに顔を覗き込む中、アキトはそっと彼女の細い肩に手を置き、ゆっくりと口を開いた。

アキト

その……ルリ……?
あ……あのさ……俺……、一緒に住むようになってからずっと……ルリに言おうと思ってたことがあるんだ……。
その……よかったら……だけど…………、お……俺と…………けっ……けっけ…………けけっけけけけっ……

アキトの緊張感が最高潮に高まり、もはやちょっとした笑い声のようになりかけた瞬間だった。

姫様……

突如、がさりとアキトの背後の茂みから、一人の老執事が姿を現した。

アキト

のわぁっ!?

自分にとって、世紀の大告白をしようとしていた瞬間の出来事に、アキトが思わず驚いて飛びのく中、老執事はアキトを無視してルリイエの前に跪く。

ルリイエ

あなたは……まさか……?

目を見開くルリイエに、老執事は深く頭を垂れた。

お久しゅうございます、姫様……。
お元気そうで安心しました……

ルリイエ

どうしてあなたがここに……?

問いかけるルリイエに、老執事は頭を下げたまま、静かに告げた。

本当は姫様にはこのまま過ごしていただきたかったのですが……。
火急の知らせが入りましたので参上した次第でございます……。
実は……、姫様の居場所がお父上に――魔王様に知られてしまいました……

ルリイエ

そん……な……

驚くルリイエに、老執事は続ける。

魔王様御自らこちらに出向き、姫様を連れ戻すとのことです……。
ですから姫様……、どうか早くお逃げ……

瞬間、凄まじい爆発の音が老執事の言葉を遮り、直後、けたたましい警鐘とアキトは初めて聞く声が轟いた。

魔王

ルリイエ!
出て来い!!

その夜、長閑で平和だったはずの小さな村に、魔王が降臨した。

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