翌日。
 暦はもう三月も中旬。春と言って差し支えない季節だが、雪がまだ舞い散る早朝。

 旅支度を整えたライツは、ひっそりした城の裏門へと向かう。門番にはあらかじめ話がされていたため、無言で通してくれた。

 軽装タイプの鋼の鎧をまとい、寒冷気候で冷えた鎧が素肌に当たらないよう、厚手のアンダーウェアを着込んでいる。
 防御と防寒を兼ねたマントが北風にはためきながら、半身を包み込んでいる。
 大型のガントレットに覆われた腕はよく鍛えられており、背負った大型の特注品バスタードソードを存分に振り回すことができた。

さて、行くか。妖精とやらに会いに

 ライツはつぶやきながらテント類を入れた大袋を左肩に担ぎ上げ。しっかりした足取りで、無限に広がるかのような東のヒューク砂漠へと出発した。

 一人、砂漠を歩くことしばらく。
 日中の太陽が照りつける時間帯はそれなりの気温になる。いかに寒いと言えど、やはり砂漠である。

 ライツは白い息を吐き、乾いた大地を一歩ずつ進む。ひび割れた地面でジャリジャリと砂音が鳴った。ところどころ申し訳程度に、背の低い草が生えていた。
 時々眺める地図にはバカ広い砂漠が書いてあるのみ。ところどころにオアシスを示す記号があるが、ここ半日の行程で二箇所をまわり、どちらもオアシスの跡があるのみだった。

伝説によれば、妖精たちがいた時世はもっと温暖で肥沃な土地だったと言うが……この景色を見ると信じられないな。
妖精も含め、嘘としか思えない

 ライツは、子どもの頃に読んだ絵本の内容を思い出す。
 いろとりどりの絵本はフローラが私物を持ち出して見せてくれたもので、内容もだが、その絵本自体を眺めるのがライツは好きだった。

 フローラは妖精の存在を無邪気に信じ、それをライツやリールが否定しては、頬を膨らませながら反論してきた。

……懐かしいな

 ライツが当時を思い出し、軽く破顔する。

あのフローラも今は麗しき次代の王女だってのに……病、か。ほんと、やるせないな

 どこか間の抜けた青空を仰ぎながら。ライツは少し立ち止まって、大きな溜息をついた。

 その時だった。

 至近距離で地面が突然弾け、砂煙があがる。
 直後、好きにはなれない赤茶色の甲殻を持った生き物が飛び出してきた。

……サンドスコーピオン、か

 肩口にある大剣の柄へと右手をまわし、ライツはじわりと後退して、戦闘態勢を取る。
 対峙しているのは、大型のサソリだった。
 カシャカシャと気味の悪い歩行音を立てながら迫ってくる。ふりふりと振れる尾の先には鋭利な針。毒がなくても刺されば致命傷間違いなしだ。

ま、俺に会ったのが運の尽きだ。相手が駆け出しの騎士じゃなくて悪かったな

 ライツが突き出した左手で相手との間合いを計りつつ、一撃を繰り出す体勢を整える。
 その様子を視認しているのか、サソリはすぐに身をいっぱいに縮め――跳躍。ライツに飛びかかってきた。

甘い!

 対し、ライツは待ってましたと言わんばかりに大剣を抜き放ち、両手持ちで袈裟斬りに振り落とす。
 轟音とともに剣が大地に叩き込まれた時には、サソリは真っ二つに分断されていた。ピクピクと数度動いた後、絶命。

ふう。昔は手こずったもんだがな

 構えを解いて一息つく。
 だがほんの数秒後に、その背後で新たな破裂音がした。

なにっ!?

 音で、同じサンドスコーピオンが飛び出してきたのだとわかった。
 だが、とっさに大剣で背後の相手に応じるのは難しい。

くそおおっ!

 ライツは振り向き様、相手を迎撃するような軌道で斬撃を繰り出すが――サンドスコーピオンはまだ地に伏せていた。そしてライツの腕が伸び切ったところへ、毒針を薙いでくる。

痛ぅ……くっ

 ライツの腕部に嫌な痛みが走り、続いて痺れるような感覚が広がり始めた。
 毒だ。大剣を持つのがたちまち辛くなる。
 毒消しは荷物の奥にあってすぐに取り出せない。なにより今は交戦中である。
 思えば、騎士団長になってから久しく独りでの任務をこなしていなかった。ライツは油断していたと自覚する。

どうしたもんか、な

 片手で剣を引きずりつつ、サソリを睨み付ける。もちろん退いてくれる様子はない。冷や汗がつーっと流れた。
 だが突如のこと――

 ライツとサソリの間に一陣の突風が吹いた。サソリが前進を阻まれる。
 その動きが止まった瞬間に、
 ドガァッ!!
 今度は甲殻を破る鈍い音。
 サソリの胴体に、金色の丸い鍔を持った小剣が突き刺さっていた。ライツの見慣れた得物だ。

ライツ! 大丈夫?

 桃色のショートヘアをなびかせながら、副隊長の隊章を左肩に持つ女騎士が駆け込んでくる。
 サソリを踏みつけながらフルーレを引き抜き、サソリの急所を更に数度、念入りに刺し貫いた。

……リールか

「……リールか」じゃないわよ! なにいきなり死にかけてんのよ!!

これから反撃するところだったんだ

……毒でふらふらじゃないの

 弱々しく虚勢を張るライツを、どなりながらリールが突き飛ばす。軽い押しでライツは尻餅をついてしまった。

ほらあ、もう言わんこっちゃない

こ、こんなの、毒消しをあてれば……

はい、じっとしてて!

 ライツに最後まで言わせない。
 リールはその裂傷を負った腕にそっと己の掌をあて、祈りの言葉を詠唱する。

アルスの空に宿る精霊よ。我が声に耳を傾け、その偉大なる御力をもたらしめよ。リール・ティアの名に於いてその奇蹟を欲する……

 患部の周囲に柔らかな光が輝き始める。数秒の間に、ライツの痺れは消え去り、傷も癒えていた。

……すまない

ん!

 申し訳なさそうに立ち上がるライツと、鼻息荒くライツを見上げるリール。
 リールは、安堵の笑顔を向けたいが無理して険しくしているような奇妙な表情をしていたけれども、ライツは何も気付かなかった。

ありがとう、助かった。しかし、リールがなぜこんなところにいるんだ? 別の任務が?

 そんな事を口走るライツに、リールは再び眉をこれでもかと吊り上げる。そして横を向きながら言い放った。

あたし、ライツについていく

え……まさか、そのためにここまで?

そう!!

いや、でも、任務は俺が受けたんだし……

誰かが手伝ったらダメとか書いてなかったでしょ! いきなりこんなじゃ、あんた絶対死ぬわよ!!

いや、でも。心配は要らないから

し、心配とかしてないから!

……どっちだよ

うるさい!!

大体、お前まで来てしまったら、城の守りが手薄になるだろうに……

副長のマルスを置いてきたから大丈夫!

そうか、マルス一人か……

 ライツが、リールと並び立つもう一人の副隊長を思い浮かべる。
 マルス。ライツの倍くらいあるんじゃないかという豪快な身体と、それ以上に痛快な性格の戦斧使い。
 マルスはしばらく前、無謀にもリールに交際を申し出て見事に振られたが、ゾンビのように言い寄り続けていて、実はリールも最近はまんざらでもないでもないという噂があるが。ライツがその真偽をリールに尋ねたら、ライツはフルーレで刺し殺されそうになった。

あの筋肉バカで大丈夫なのか……

頭の悪さはライツといい勝負だから大して変わらないって! さあ、さっさと行くわよ!

 リールがライツから地図を奪い取る。破れるんじゃないかという乱雑さで広げ、適当に次の目的地を決めた。ライツは特に異論がないし、あってもリールには逆らえない。

 二人は、真東に少し行ったオアシスの記号へと進路を取った。

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