次の日の朝、
登校する途中でめぐりが心配そうに声をかけてきた。
昨日俺は、学校を早退する理由として
仮病を使ったんだ。
こんな時、めぐりの優しさが身に染みる。
風邪、大丈夫?
メールしても返事がこなかったし、
心配したんだよ
次の日の朝、
登校する途中でめぐりが心配そうに声をかけてきた。
昨日俺は、学校を早退する理由として
仮病を使ったんだ。
こんな時、めぐりの優しさが身に染みる。
悪い。
昨日はぐっすり寝てたから、
メールに気づかなかったんだ。
でも、もう大丈夫だから
本当は一睡も出来なかったが、
めぐりを安心させてやりたくて嘘をついた。
そう……
と、微笑むめぐりを見て、
俺は昨日の自分の言葉を思い出した。
『……わかったよ、恒久。俺はめぐりと別れる』
待てよ、冷静になってよく考えてみるんだ。
俺がめぐりと別れれば、
恒久は元に戻って無事解決……なんて、
そんなに単純な問題か?
昨日のあの状態の恒久を見た時、
到底まともだとは思えなかった。
冗談であんな妄言を
言い連ねたとも思えないし……。
そう、冗談だとしても笑えない。
むしろ、何かとんでも無い事を
しでかしそうな雰囲気だった。
…………!!
その時、俺の頭の中で警鐘が鳴り響いた。
恒久はめぐりを狙っているんだ。
だったら俺が、
めぐりを守ってやらなくちゃいけないじゃないか。
校門の前まで来て、俺は足を止めた。
なあ、めぐり……。
今日はふたりでサボらないか?
周りに恒久がいない事を確認してから、
小声でめぐりの耳元で囁いてみる。
めぐりは少し驚いた様子だったが、
すぐに頬を染めて頷いた。
じゃあ、先生に見つかる前に早く行こ
めぐりに手を引かれて足早に校門を離れると、
とりあえず近くのショッピングモールに向かった。
スーパーや薬屋が立ち並ぶ街並みを、
ずっと無言で歩き続けている。
その間ずっと、
神妙な面持ちをしていた俺に気を遣ったのか、
めぐりは明るい口調で話しかけてきた。
ねえ、どこ行く?
カラオケ?
まだ、何も知らないめぐり。
恒久とは、中学校からの知り合いだって
言ってたな。
めぐりは人を疑う事をまずしない。
だから警鐘を鳴らして、
恒久から遠ざける必要があるんだ。
めぐり……。
聞いて欲しい事があるんだ
俺が深刻な顔で訴えると、
めぐりはいつもの優しい声で聞き返してきた。
平和くん、昨日のお昼から元気ないよね。
恒久くんとケンカでもした?
気づかない振りをして、
ちゃんと俺の事を見てくれていたんだ。
そんなめぐりが、とても愛しく思えた。
──そして俺は、
昨日の恒久との話を全て打ち明けた。
その間、めぐりは終始無言で聞き入っていた。
驚くのも無理は無い。
めぐりは、恒久との付き合いが長いのだから。
するとめぐりは、
俺を労わるような眼差しで微笑んだ。
恒久くんの言ってる事、
全部本当だよ
は……?
これは、俺が予想しなかった返答だ。
何か深い意味が有るのかと思い、
ひとまず落ち着いて話の続きを待った。
するとめぐりは、口を開いてこう言ったのだ。
あのね、私もその
『アリス・テラス』の会員なんだよ。
……でもビックリした。
恒久くんも会員だったなんて
もしかして、
俺を元気づけようとして冗談を言っているのか?
だが、今の俺はそんな気分じゃない。
冗談はやめろよ!
真面目に話してるんだぞ!
めぐりの能天気な声にいらだち、
俺は人目もはばからずに怒鳴った。
そうして怒れば、めぐりが謝るかと思ったからだ。
しかしめぐりは、逆に俺を睨みつけてきた。
こっちだって真面目だよ。
信じられないのはわかるけど、
恒久くんの言っている
アリス・テラスは実在して、
私も今まで色々なソフトを
体験したんだから
めぐりが冗談を言っているようには、
到底思えなかった。
今までに見たことのないほど真剣な表情で、
恒久と同じ事を言い出している……。
もしかすると、
本当にそういう何かが実在するのか?
ちょっと待てよ、めぐり!
だったら、恒久が殺人犯になった
っていう話はどうなるんだ?
そのアリスなんとかが実在するにしても、
あんな話を笑いながらするなんて……
どっかおかしいだろ!?
……どうして?
『何がおかしいのか、サッパリわからない』
とでも言いだけに、
めぐりが目を丸くしている。
その予想外の切り返しに、
俺は言葉を詰まらせてしまった。
どうしても何も、そりゃ……。
人を殺すのが楽しいと思うなんて……
おかしいだろ
それは、平和くんの価値観じゃないの?
いつもは優しい喋り方しかしないめぐりが、
少し強い口調で問い返してきた。
……いつものめぐりと、何かが違う。
か、価値観って……。
だって、ゲームで敵を倒すのとは
違うんだぞ?
同じことだよ。
どうせ自分以外の人たちは、
みんな人格の無い
ノンプレイヤーキャラなんだから
一瞬、自分の耳を疑った。
そんな俺にはお構いなしに、
めぐりは語り続ける。
アリス・テラスの世界では、
ノンプレイヤーキャラは自分にとって
都合よく動くだけの存在だよ?
仮に私たちが人を殺したくなったら、
殺されても仕方がないんじゃない?
めぐり、お前……
あっ、安心して。
私は人を殺したいなんて
思ったことはないから
その時の俺は、言いたい事がたくさんあった。
だけど、どれ一つとして言葉として
成す事は出来なかった。
そうして呆然としていると、
俺を労わっていると思っていためぐりの眼差しが、
見る間に歪んで行き、
俺を哀れむ物へと変化して行った。
哀れみ……?
どうして俺が、哀れまれるんだ?
おかしな事を言っているのはめぐりの方で、
可哀想なのもめぐりの方だろう?
困惑する俺の頬に、
めぐりの温かくて柔らかい手が触れた。
ビックリしたよね。
でも、私が平和くんを好きなのは
嘘じゃないから。
恒久くんは友達としては好きだけど、
恋愛対象として見た事は無い
今、その理由が
ハッキリとわかった……。
恒久くんのかっこ良さは、
ズルして作られた物だから
プログラミングがずるいってか……
俺は文字通り、肩を落とした。
妄想の世界から守ろうとしためぐりが、
その妄想その物を肯定しているからだ。
なら、俺だってプログラミングされた
人間なんじゃないのか?
ただのキャラクターなんだろ?
殺されても仕方がない存在なんだろ!
恒久とめぐりの妄言に、
付き合っている自分がいた。
バカバカしかった。
でもこうする事で、またいつもみたいに
めぐりが『冗談だよ』と笑ってくれると思った。
滝岡めぐりにとって瀬海平和は
必要な人間だ、
と言って欲しかった。
……しかしめぐりは俯いたまま、
何も言ってはくれない。
答えろよ、めぐり!!
…………
どんなに叫んでも、
肩をつかんで揺さぶっても、
めぐりは視線をそらしたまま黙り込んでいる……。
それが、俺の言葉を肯定していると気づくまでに、
そう時間はかからなかった。
そう、俺にはめぐりが必要で、
めぐりも俺を必要としてくれているなんて
思っていたのは……俺だけなんだ。
親友だと思っていた恒久からも、
誰よりも心が通じ合っていると
思っていためぐりからも、
俺は一つのプログラムとしか
見られていなかった。
もういいよ。
お前らが別の世界を選ぶなんて言うなら、
俺だって自分の世界で選んでやるさ。
恒久ほど親密じゃ無いが、
友達ならいくらでも居る。
めぐりほど好きになれ無くても、
彼女ならきっと出来る。
俺は、お前らとは違う世界を生きるんだ。
平和くん……
もう、疲れた……
俺は一言そう告げると、
めぐりに背を向けて歩き出した。
待って。
私たち付き合ってるんだよね?
私の言うこと信じてよ
恒久とふたりでやってればいいだろ?
そんな遠回しな言い方しなくても、
俺から別れてやるよ。
言えよ、恒久とグルになって
俺を馬鹿にしてんだろ?
ああ、あれか。
つまり、4日前の俺からの電話が
迷惑だったのか。
それで、恒久に協力して貰ったんだろ
焦った様子で、めぐりが大きな声をあげた。
何言い出すの?
そんなこと、ある訳無いじゃない!
だってわたし、
平和くんが本当に大好きなんだよ!?
へえ。
俺なんかどうせ、
ゲームのキャラクターなんだろ?
その仮想世界の物体に、
本気で惚れてるってのか?
そ、それは……。
そうなんだけど……
俺がこれだけ怒っているのに、
まだそんな馬鹿みたいな話を続けるのか?
めぐり……
えっ?
弾かれたように、めぐりが顔をあげた。
俺たち、別れよう
俺のその言葉を合図にしたかのように、
めぐりが金切り声をあげた。
そんなの嫌っ!
別れたくない!!
……不思議な物だ。
愛情というものは一度冷めてしまうと、
元に戻すのは難しいってのは本当なんだな。
あれほど好きだっためぐりが、
今は鬱陶しくて仕方が無い。
嫌だ!
嫌だ!
と、めぐりが腕にしがみついてくる。
嫌だ、離せよ!
俺は力一杯めぐりを振り払った。
バランスを崩しためぐりは、
地面へしたたかに尻餅をついた。
まるでスローモーションを見ているかのようだった。
近くを歩いていた人達が驚いた様子で
俺たちを見ているが、
そんなのは構った事じゃない。
めぐりはすぐに起き上がると、
また俺にしがみついた。
……熱い?
なんだこれ、
脇腹がすごく、
熱く……
なって……。
通りすがりの女の人が、
俺を見るなり買い物袋を落として叫んだ。
キャアアァァ──ッッ!
人殺し──!!
自分の脇腹を触ると、
手の平に血がベットリと付いた。
俺の目の前には、
血が付いたナイフを持った……
めぐりが立っている。
駄目だ、もう目がかすんできた。
めぐりが……俺を刺したのか?
まさか、そんな……?
俺の意識は、そこで途切れた。