レアの瞳は、幾百の物語を前に冷めている。
レアの瞳は、幾百の物語を前に冷めている。
(……そうだったわ。ここは、人間が造り上げた記憶の、保管場所だったわね)
博覧会で映し出される映像の波は、データとして加工されたものだ。
それは、かつてあった本物でもあるし、しかし、今見る者にとっては偽物の過去にもなりうる。
本物は美化された過去となり、偽物は過剰装飾されて空想となる。
映し出されている過去が、本物なのか偽物なのか。それは、すでに編集した者たちにも、わからないのかもしれない。
今の時代はだいぶ落ち着いてきたが、排斥運動が過酷だった時代には、関係者までも同時に処分されたことがある。
――そのなかには、人間もいた。『ドール』ではない、保護するべきだとされた、人間の姿が。けれど、人間は人間の似姿を受け入れる者すら、排除すべき人形だと想い、排斥したのだ。
(いつの時代も、変わらない。そう、想いはするけれど)
人間たちの歴史から、千年以上昔にも、同じようなことがあったと記録されている。
捉え方次第だが――具体的な存在である『ドール』を排除するようになっただけ、人間は進歩したのだろうか。
レアは、通信領域をフルに使って、思考にふける。帯域制限など関係なしに、あらゆる情報を探り、とりこむ。
眼の前の歴史は、人間のものか、『ドール』のものか、それともお互いのものなのか。真実と虚偽を分けるために、あらゆる事象の取捨選択を行っていく。
様々に移り変わる歴史の姿は、だからこそ、機械でしかない者たちの思考回路へ刺激を与えてくれるのかもしれない。整合性のとれないデータが、まるで人間のような複雑な違和感を、その内へと抱かせる。
……まるで、墓標のようね
ぽつりと、レアは呟く。
造り出されたあらゆる欠片達は、装飾や改変をされていても、確かに存在していた同胞達だ。
記憶を探れば、中には見知った顔もいる。
明確に残された記憶の中に、過去の知人が動いている。それが、眼の前の改変された映像と一致はしないが、その存在が居てくれたということを保証してくれている。
同じ時代に存在していたはずなのに、すでに過去のメモリーとして保存されている知人達。
レアは、立ち止まり、周囲をぐるりと見て呟く。
なぜ、モニュメントなんて造るのかしら。死の羅列でしかないのに
レアの呟きに、フェイリュアは答える。
――温もりが、欲しいのかもね
展示された過去の歴史は、未来への淡い希望と、過去への甘い郷愁を感じさせる。
この場所には、今、温もりのないわたしたちしかいないのに?
そんな場所に来るのが、人の形を模した『ドール』だけになるとは、皮肉な話だ。
未来のないわたしたちは、だから過去もないのに。そうでしょう?
悲観的だなぁ。こう見ると、やってることはやってるみたいだけどねぇ
幾万の実験の成果と、『ドール』の造る歴史の積み重なりは、重厚なものだ。
人間に都合の良いように変更されてはいるものの、それでも、『ドール』の存在が不幸ばかりをもたらしたのではないことを描写してもいる。
それらを二体で見ていると、意味があるようにも見えてくる。今の現実の扱いが、まるでイタズラなのではないかとも錯覚できてくる。
それこそが、歴史という一大絵巻のトリックなのだと、レアは知っている。内に残った、過去のデータから、あらゆる虚偽と改変が忍び込んでいるのだと知ってもいる。
――けれど、彼女達を許容する世界は、眼の前に映る造られた現実なのだ。
時代の変遷を過ぎ、人との軋轢を越え、同じような権利と違いを手に入れた『ドール』達は――
今、人間の歴史の一部にされることで、その役目を終えようとしている。
レアのほうが知ってるでしょ、そういうこと
知っているからこそ、よ
なるほどね
頷いて、フェイリュアは付け加える。
レアの言うとおりかもね。わたしたちのほうが、残されちゃったみたいだよね
……
レアは、なにも言えなかった。その通りだと想っているからだ。
最先端は最後尾につけております、挽回の可能性はありません
……ちょっと
冗談めかして言うフェイリュアをたしなめようとしたレアだが。
フェイリュア……?
……あー、なんていうか……
その、苦虫をかみつぶしたようなフェイリュアの表情に、口をつぐむ。
――そうか。そうなのね。
フェイリュアの心中を計り、レアは一人頷く。
なぜ察することができたのか、レアにも不思議だった。情報を共有したわけでもないのに。なら、付き合いの長さに慣らされたか。
自分たちの、『ドール』達の、短い歴史。
それらは決して、こうした巨大な墓標だけで済ませられるだけのものではなかったはずだ。たとえ、人間という親によって造り出された存在であろうと、勝手に決められる権利はないはずの存在なのに。
フェイリュアの諦めきれない表情は、言葉にならないその想いなのだろう。
現実に対する、かすかな反抗心。それが、フェイリュアにはまだある。
なのにレアは、そのフェイリュアの表情に、心地よい愛しさを覚える。
――すでに見切りをつけている、自分の浅ましさを感じながら。
だから、フェイリュアの続きを、レアはねだることをしなかった。
……で、さ
少しして、フェイリュアが口を開く。いつもの陽気さはまだなかったが、暗い色は抜けていた。
なにかしら、フェイリュア
生きながら墓所に来るわたしたちって、やっぱり変なのかしらね?
微笑しながら問いかけるフェイリュアに、レアは微笑みかける。
何年かぶりに浮かべる、穏やかな微笑み。
――人間が死の際に浮かべる安らぎとは、こういうものなのかもしれない。
もしかしたら、人の真似事をする浅ましさなら、好きになれるかもしれない。
そう想いながら、レアは楽しげにフェイリュアに答える。
始めから生きていないから、そういう物言いをするフェイリュアは変ね
じゃあ、レアは物好きだ。そんなわたしと、一緒にいるんだから
微笑みと、眼からこぼれるオイルを照らしながら、天井へ視線を向けるフェイリュア。
……気づかないとでも、想ってるのかな?
場内に仕掛けられた、違和感の数々。
人間の眼。カメラの数。探知装置。記号的に配置された機械配置。
首輪の感触を確かめる。いつもと同じ、どこかへ二人のデータを送り続けている。
ならば、逆にこちらへなにかを送り込むことも容易だろう。
博覧会には、ニ体以外にも、人影はまばらにいる。それらはみな、人間ではなく、『ドール』達だった。
彼らも気づいているはずなのに、大きく動く様子はない。
口実よ。陳腐に言うなれば、時代ね
数百年前に行われた過ちを、人でないものには行える。『ドール』になら、行える。
――それは、やっぱり、罪にはならないのだろうか。同じ、人形の形をしている者として。
そう苦く想えるだけの心が内にある、そう感じてレアは苦笑する。
ちらり、とレアはフェイリュアの横顔を見る。
見れば、フェイリュアもまたレアの顔を覗いていた。
なに?
わたし、良かったよ。この時代に造られて
場内に仕掛けられた装置類の熱が、少しずつ高くなる。
同時に、首輪から発生する電波も、先ほどより忙しなくなったのを感じた。
レアモンな、レアに出会えたからね
……つまらないダジャレね
そうは言いながら、レアは優しく微笑み。
フェイリュアは、恥ずかしそうにうつむいて。
じゃあ、もし、目覚められたら
また、ね
装置が臨界へと達した一瞬に、そう、約束し合い。
一瞬の光と、焼けつく熱が、来場している『ドール』達の意思を断ち切った。
――科学の未来の終わりに、少女達は、人形である夢を見た――