一目惚れだった。
一目惚れだった。
………ぁ………
夜祭の中
人通りの無い拝殿の屋根に佇む少女。
長い髪は風にゆらぎ
賑やかな本殿からの光に照らされ
その奇異な情景は
怪しくも艶やかに美しく
俺が持つこれまでの価値観を
すべて覆してしまった。
俺は吸い込まれるように少女に魅入っていた。
永久の棋士
《とこしえのプレイヤー》
前編
ーー数分前
よぉ!レイジ、弘樹。
久しぶりだな!
おっせーよ、辰巳。
30分の遅刻だぞ。
昔からの集合場所。
人通りのない拝殿前がそこだ。
わりぃわりぃ。
香穂が離してくれなくてな…。
あー、わかるわかる。
俺も紗理奈が今日の祭を一緒に行きたがって
大変だったぜ。
お前ら、のろけてくれるなー。
そんなこと言うなよー、レイジ。
レイジもそろそろ女が
出来たんじゃないか?
俺達3人は中学の同級生。
高校進学時はバラバラの学校になったが、
今でも変わらず連絡を取り合っている。
中学卒業後の初めての夏の今日、
久しぶりに合うことにした。
二人とも高校に入って彼女が出来たらしい。
一方の俺はその手の浮いた話は全くない。
あいにくまだ興味がなくてな…。
この答えはあながち嘘ではない。
どうにも俺の心を揺さぶる女は現れないのだ。
わやわやとくだらない話をしながら
夜祭の主会場である本殿へ向かおうとした
その時。
強い突風が吹いた。
夜祭の主会場である本殿の方では
キャーという悲鳴も聞こえた。
うげ…
すげぇ風だったぜ。
チッ、髪が乱れちまうぜ。
…お、おい。
アレみろよ。
弘樹が拝殿の屋根を指しながら
素っ頓狂な声で言う。
………!
見上げると、そこにはいつの間にか
少女の姿があった。
* * *
おいおい、ねぇちゃん。
そんなとこにいたら
見えちまうぞー!
辰巳が茶化す。
………
弘樹は頬を絡めながら眺めている。
…………あ……
俺は言葉がなかった。
ただ、少女の姿から
目を離すことが出来なかった。
そんな俺に見かねたかのように
少女は唐突に口を開いた。
…あなた達の望むものは何かしら?
ねぇちゃん、マジで言ってんのか?
………
…あ…あんたが欲しい。
あんたの全てが…。
うお!マジか、レイジ。
……ビビった!
自分でも驚いた。
俺の口からこんな言葉が出てくるとは。
まるで、言葉が何かに引っ張られるかのように。
………
少女はしばらく俺達の顔を眺めた後
いたずらっぽく微笑みながら
俺に目線を合わせて言った。
…そうね。
今日の相手はあなたが良さそうね。
あの子に決めたわ。ツェルエノール。
…りょーかい。
彼女の背後から染み出すように
仮面の男が現れた。
次の瞬間。
強烈なめまいが俺を襲った。
気が付くと、そこは窓もドアもない
白い壁に囲まれた部屋だった。
周囲を見渡しても、俺以外誰もいない。
辰巳や弘樹はどうしたのだろう?
あの少女の姿もない。
ようこそ、プレイルームへ
俺の背後から突然声をかけてくる。
………!
虚を付かれて声にならない声が出る。
驚かせてすみませんねぇ。
…い…いや、問題ない。
クールで図太い性格が俺の持ち味。
誰に対してもこれは曲げたくない。
わたくしは
ゲームの立会人を努めさせて頂きます、
地獄の26の軍団を率いる
序列16番の大公爵ゼパル様が家来の
ツェルエノールと申し上げます。
まぁ、平たく言うと悪魔です。
悪…魔…?
はい。
もしかして、俺の魂を奪おうとしてるのか?
はい。
…あの娘…
…俺に決めた、と言っていた女の子も
悪魔なのか?
いいえ。
じゃあ、あの娘は人間か?
はい。
悪魔との会話、と言うこの状況を前にして、
俺はあの少女が人間であったことに安堵した。
辰巳と弘樹はどうし…
質問タイムは以上にしましょう。
あなたにはこれから
ゲームを行なっていただきます。
まずはこれをお読み下さい。
ツェルエノールと名乗る悪魔は
俺の言葉を遮るように
1枚のシートを顔の前へと付きだした。
《ルール説明書》
・ゲームは悪魔のチェスという人間のチェスに酷似したものを行う。盤面は6×6マスで構成され、自駒は以下のとおり
ウォーリア×6
ナイト×2
ゴーレム×1
マジシャン×1
クイーン×1
キング×1
ウォーリア、クイーン、キングは自陣の固定位置に、
ナイト、ゴーレム、マジシャンは自陣の好みの位置に配置する。
・勝敗は1本勝負で決し、引き分けはマスターの勝利とする。
・挑戦者がゲームを拒否した場合、そのゲームは引き分けとし、マスターが勝利する。
・勝者は望むものを一つ必ず得ることが出来る。
敗者の魂は悪魔に奪われ、ゲームの駒に封印される。
・破損した駒は任意の人物の魂で補充できる。
その場合、その魂は同種の駒に均等に分割される。
※魂には一定の重さが要求される。
・ゲームに使用された挑戦者側の魂は、挑戦者が勝利した場合にのみ返却される。
・
・
・
・
・
・
・
…ん…?
俺は説明書を読みながら違和感を覚える。
一部のマスター向けのルールは
伏せてあります。
お客様には関係の無い内容ですので
ご安心下さい。
…実質断れないって事か。
よく短時間でお読みになりましたねぇ。
ここで断って頂ければ
カンタンな仕事だったんですけどね。
では、ここからは
我がご主人様とお話下さい。
さぁ、こちらへ。
そう言って悪魔が横にどけると
その後ろにはいつの間にか
盤面と駒が置かれたテーブルと二脚の椅子
そして、あの少女が椅子に座っていた。
まずは第一関門突破、
といったところかしら。
一応言っておくわ。
お・め・で・と・う
歪んだ表情で挑発的な祝福をする少女。
だが、その態度にも俺は惹かれてしまう。
ありがとよ、嬉しいぜ。
俺は彼女の座る席の前に腰掛けた。
チェスはご存知かしら?
ああ、まぁな。
アンパッサンとかキャスリングとかの
用語も一応わかる。
それは話が早いわ。
悪魔のチェスの駒は
人間のチェスとは異名同種。
つまり…
ウォーリアがポーンで、ゴーレムがルーク。
後は同じってところだろ?
…!
感が良くて生意気ね。
今すぐ捻り潰してやりたいわ。
彼女は一瞬可愛らしい女の子の顔を見せたが
すぐに辛辣な言葉を返しをて来た。
俺はこの娘の一瞬の表情を見逃さなかった。
ドキッ…!
ふん、悪かったな。
では、盤面を御覧なさい。
盤上を見ると
俺の陣地にウォーリアが1体とナイトが1体。
彼女の陣地にはゴーレムが1体とクイーン1体が
それぞれ相対して置かれている。
悪魔のチェスでは
相手の駒を取ることは
テイクではなくて…。
と言いながら、彼女はクイーンを
俺の陣地のナイトのいるマスへ移動させる。
すると、次の瞬間。
クイーンはふところからナイフを取り出し
ナイトの兜の継ぎ目を狙い
勢い良く突き立てた。
崩れ落ちるナイト。
血塗られる盤面とクイーン。
そして、息絶えたナイトは砕け散った。
…デストロイなの。
彼女は続けざまに、ゴーレムを
ウォーリアのマスへ移動させる。
盾を構えるウォーリア。
ゴーレムは構わず拳を振り下ろす。
ぐしゃ、と言う音共に
ウォーリアはひしゃげ
血しぶきがはじけ飛ぶ。
そして、絶命したウォーリアが砕け散った。
…ううっ…
俺は声に出そうな呻き声を必死に堪える。
そして、強がるように相槌を打つ。
なるほどねぇ。
…それから…。
追加の要素として、
あなたを応援している2人を
お招きしたわ。
2人?
辰巳と弘樹の事か?
どこにいる?
…ふふふ…。
今の説明でウォーリアとナイトの
駒が足りなくなってしまったわね。
いたずらな微笑みを浮かべる彼女。
ふと、自分の駒置き場にある駒が目に入った。
…この違和感。
俺はルールの一つを思い出した。
『破損した駒は任意の人物の魂で補充できる。
その場合、その魂は同種の駒に均等に分割される。』
……
……
…た…辰巳?
…弘樹?
駒の顔には驚きの顔のまま
固まってしまったような
二人の顔が刻まれていた。
デストロイのたびに魂の寿命は削られる。
同種の駒が全てデストロイされると…。
そこで彼女は説明をやめ
哀れみを含んだ笑みを向ける。
…ふふふ…。
あなたのお友達、
大切にしてあげてね。
くっ…
ずいぶんといい趣味してんだな。
…ふふふ…光栄ね。
褒め言葉として受け取るわ。
俺はルール説明書のシートを手にしながら
一つのルールに目をやる。
『ゲームに使用された挑戦者側の魂は、
挑戦者が勝利した場合にのみ返却される。』
わかった。
ゲームをしよう。
…では、契約成立ね…
そうこなくちゃ。
それでは、契約書にサインと
契約者様の血印。
そして、希望する報酬をご記入下さい。
ツェルエノールが禍々しい書類と
豪華な装飾を施したナイフを手渡してきた。
禍々しい書類には
挑戦者の氏名、血印、希望する報酬
を記入する欄があった。
………
…なぁ…名前を…
あんたの名前を教えてくれ…。
…名前…?
私の…?
そんなもの、必要かしら?
威圧的な態度で切り返す少女。
俺は怯まずこう返す。
必要だ。
俺の望みはあんたの全てだ。
契約書に「あんた」とは書けないだろ?
…と言った後に、はっと気づいた。
初対面の時にも言ってはいたが、
これは告白だ、と。
今さらながら心臓が高鳴りはじめた。
断られたらどうしよう、と。
…もっともな理由ね。
いいわ。
…由利……神林 由利よ。
…由利…。いい名前だな。
俺は由利の全てがほしい。
『神林 由利の全てを得る』
俺は契約書に全てを書き
ナイフに右手の親指を押し付け
滴る血で血印を押した。
………。
まぁ良いでしょう。
この若造がご主人様に勝てるとは
到底思えませんし。
ツェルエノールはいささか不満そうに
契約書をふところへとしまった。
それではそろそろ始めま…
待ちなさい。
ツェルエノールの開始の合図を
由利が遮った。
………
そして、由利は席を立つと俺の座る席の
右側へと寄り、突然かがんだ。
そして、おもむろに俺の親指の血を吸った。
…え…
血の出が弱まると由利はポケットから
ハンカチを取り出し俺の親指に巻いて
包帯代わりにしてくれた。
先ほどまでの悪態をついていた様子とは
打って変わって献身的なその姿は
まるで天使だ。
…やべぇ、直視できねぇ。
由利は俺の指の処置を終えると
ずいっ…
…と、顔を近づけた。
まるで口付けするかのように。
ドキッ…
由利の吐息が俺の唇に当たる。
あなたの命は私が頂くのだから
ゲームが終わるまでは大事にしてね。
…ふふふふふ…
……なんてざまだ。
この俺がすっかり手玉に取られてしまった。
高い童貞力が勝負前の俺の心を乱す。
……ふん。
だが、俺は感じていた。
表情や態度とは裏腹に
この娘の心の奥底から伝わってくる
助けて欲しいという感情を。
初めて出会ったあの時に感じ取ったシンパシーを。
俺はこの娘の、由利の全てを知りたい。
さぁ、始めましょうか!
今宵の宴を!
由利の合図で
忌わしきゲームが
今、幕を開ける。
《続く》