いつの頃からだろう。






僕の家の鏡に女の子が住み始めたのは。















寫す《うつす》






















やぁ、おはよう。

おはよ。



彼女の名前はちせ。

彼女は僕より一つ上で、今は高校3年生。

僕とは違う高校に通っているんだ。



今日は期末テストがあるの。

僕もだ。

昨日のけんた君とのお話が楽しくて
テスト勉強しそこねちゃった。

ふふ…一緒だね。
ごめんね。

あ…けんた君のせいってわけじゃ
ないからね!

大丈夫、わかってるよ。
ちせの事、よーく知ってるから。

あ!いけない。
もうこんな時間!
遅刻しちゃう!

おっと、僕もだ。

またあとでね。ちせ。

うん、またね、けんた君


こうして僕らは毎日駆け足で登校する。


* * *


僕の通うN高校の前まで来ると

たくさんの生徒が登校して来ている。


おはよー!

おっす!

ねぇねぇ、昨日のドラマ見た?

見た見た!
あの話、ありえないよねー!


学生たちはみな楽しそうに登校している。

だけど、足早に賑やかな喧騒の中を行く

僕に話しかける生徒は1人もいない。

………











僕は















この世界が嫌いだ。
























ちせに初めてあった時は


僕もちせも小さかったって事は覚えている。




きみはだれ?

わたしはちせ。
あなたは?

ぼくはけんた。

けんたくん、あそぼー

うん。



2人でよくする遊びはにらめっこ。



メッ!

メっ!

………

………

…クスッ

…ぷっ

うふふふ…

あはははは…




いっつも引き分けだった。


* * *


中学になると

ちせはダンス部に入った。

ダンス部がある中学なんて

よっぽどの良いとこのお嬢さんに違いない。


ほら、見て見て!


ワルツのステップをしてみせる、ちせ。

ダンスの中でも社交ダンスをやっていると聞いた。

上手だよ、ちせ。


僕はダンスなんて全く分からないけど

ちせのステップはとてもうまく見えた。

けんた君、一緒に踊ろ!
1人じゃ踊れないの。

お…踊れるかな?


ちせが手を伸ばす。

僕も手を伸ばす。

手を繋げるわけでないけど。


そして、鏡を挟んで2人でステップを踏む。



うふふ…

ふふ…


* * *


高校に入っても

ちせはダンスを続けているという。

今は受験前だから

部活は休部しているけど。


いつかけんた君と
手をつないで踊りたいな…。

とても踊れたもんじゃないけど
いいの?

…うん。






ある日のこと。

ちせの住む鏡が割れてしまった。



父さんが鏡裏収納のシェーバーを取ろうとして

乱暴に開けたら割れてしまったらしい。



なんでも、古い型の三面鏡らしく

同型の鏡の在庫がないので

全然修理が進まない、と

母さんが愚痴っていた。




ちせ…



僕はちせと会えないまま

数週間が過ぎた。



* * *




ある夜のこと。

僕は深夜2時過ぎに

無性に喉が渇き目が覚めた。


水でも飲むか…



僕は二階の自分の部屋から

一階のキッチンへと向かった。





階段を降りていると、

リビングの方から父さんと母さんの

話し声が聞こえる。



…はあのままでいい。
もう直すんじゃない。
それが健太のためだ。

でも、ちょっと可愛そうじゃない?

…ん?
こんな遅くまで何話しているんだ?

健太にはそろそろ
目を覚ましてもらう必要がある。

来年には大学受験だって控えてるんだ。

そうねぇ…。

毎日毎日、鏡の自分を見ながら
ブツブツ言う癖は直させないとねぇ…。

…え

せっかく問題の鏡を割ったんだ。
このまま製造元が
倒産したことにすればいい。

………




僕は足音を殺して部屋へと戻った。




部屋に戻った僕は

ベッドに倒れ込み枕に顔をうずめた。







父さんと母さんは

僕から

ちせを奪っていたんだ。







僕は枕に顔を押し付け叫んだ。


僕からちせを奪うな…

ちせ…ちせ…
ちせぇ!!!!

うおおおおぉおおおおぉおおおお!!!



渦巻くような怒りと悲しみに駆られ

僕は獣のように吠えていた。




と、その時。




枕元に何かが落ちてきたような音がした。


…なんだ…?


枕元を見るとそこには

家の中では見たことのない

手鏡があった。



僕は手鏡を覗きこんでみる。

…けん…た君…?

ちせ…
ちせなのか…?

…けんた君…逢いたかった。

ちせ……



僕はちせを、

ちせが住む手鏡を強く抱きしめた。

…とても、あたたかかった。



その時、僕はこの世界の全てが

どうでも良くなった。



僕は…
ちせのいない世界なんて
いらない!

私も…!
もうけんた君と離れたくない…!

僕もだ!


僕は手鏡の中のちせに

顔を寄せた。



そして…

ちゅっ…


唇を重ねた。

あ…



































…健太。

…健太!

早く起きなさい。

健太…あら…

もう、起きたのかしら…





















…これで…ずっと一緒だね。

…ああ、もう離れない。












僕は新しい世界を選んだ。

僕らだけの世界。

それは永遠の世界。




神様はきっと僕らを祝福してくれていたんだ。



僕らはずっと手をつないでいた。








《終》

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