私達は彼らを愛する。

私達は犠牲の上に成り立つ幸福を愛する。
私達は完成された幸福を愛する。
私達は迷いのない美しさを愛する。
私達は汚れ欠けたものを愛する。

ただ、人を愛することだけが出来ない。
それが私達、『他者愛欠如症候群』アンチラブ・フリークス。

――シーエッグ 教室――

玉慧

えっ、じゃあ二人はもう付き合ってるわけ?


わたしの驚いた声は、四人しかいない教室に大きく響く。
広すぎる教室のわりに、わたしたちのクラスはたったの四人で構成されている。

幸也

うん。でも僕と椿は元々パートナー候補だったし、何も不思議なことではないよね?


いつもの爽やかな笑顔で答えたのは、五日ほど前にこの特殊学校に転入してきた幸也だった。
何でも彼は、笑顔以外の表情を作れないのだそうだ。

玉慧

そうだけど……まだ幸也が転校してきて一週間も経ってないのに

幸也

関係ないよ。ロミオとジュリエットの話も三日から一週間の間の話だったと言うしね

椿

…………


そして幸也はその温かな微笑みを隣の美少女に向ける。
ふわふわの金髪に幼い顔立ち、丁寧な物腰に人なつっこい笑顔。椿は絵に描いたような美少女だった。
黙ったままの椿の代わりに口を開いたのは瑞留だった。

瑞留

古典の『恋愛物』と比較するとは気色悪ぃ


相変わらず陰気で、口が悪い。

椿

ほんとに

玉慧

え?

幸也

別にいいだろ? だって僕らは今、『恋愛』の練習をしているんだからね


妙な空気の場を纏めたのは幸也だった。彼の言葉には有無を言わせぬ説得力がある。
明朗とした、美しさがある。
そう思った瞬間、わたしは自らの口に手を当てていた。

わたしは、美しいものを見ると吐き気がするのだ。

――シーエッグ 玉慧の部屋――

美しいものばかり見て落ち着かない気分になった日は、早めに自室へ引きこもってしまう。
散らばった洋服。ボロボロのカーテン。手入れのされていない鏡。傷だらけの家具。
そして白く濁った瞳の、わたしのバステト。

玉慧

おいで、テト

バステト

にゃぁん


バステトは片眼の見えない猫だった。特殊学校の寮で暮らす私には、本来動物は飼えない。
けれどこの学校に併設されている商業施設で彼女を見つけて、こっそりと保護したのが一年ほど前のこと。
この特殊学校のある『シーエッグ』という施設は本来ペット飼育は禁止だけれど、隠れて動物を持ち込む居住者がいる。
バステトもきっと、そういった人に連れられてやってきた猫だろう。
けれど管理団体の人間に見つかれば強制的に施設から出されてしまう。だからそうなる前に保護した、というのが建前だ。
けれど、わたしはこのバステトと出会った時から、離れて生きていける気がしなかった。

わたしの左眼は、生まれつき欠損している。
いつも着けている眼帯を外すと、そこには見るに堪えないわたしの半身がある。
汚いものを、欠けているものを愛するわたしだけれど、欠けた左眼だけはどうしても愛することが出来なかった。

『他者愛欠如症候群』アンチラブ・フリークス。
『普通』の人々は、わたしたちのことをそう呼ぶ。
子を産み、育てるために誰かを愛することが出来ずにいるわたしたちを。
それでいて何かを偏愛する『フリークス』(心酔者達)であるわたしたちを。
ただの疾患であるはずが、それはわたしたちを形成する大きな根になってしまった。

だから仕方がない。
『普通』の人間とは区分けされても仕方がない。
わたしたちは、異常なフリークスだ。

わたしはいつものようにシャワーを浴びた後、薄汚れたタオルに身を包む。洗濯した制服のシャツでテトを抱き、たっぷりとその細かな毛をつける。
乾かした髪をグシャグシャにかき乱し、ようやく身支度が終わる。
身体を清潔にした後にわざわざ汚すだなんて我ながらおかしなことだと思うけれど、それでもそうしないとわたしは落ち着かなかった。

――シーエッグ 教室――

玉慧

おはよう

幸也

おはよう、玉慧さん


教室に入るなり挨拶をすると、幸也は気持ちのいい挨拶を返してくれる。

玉慧

一応おはよう、瑞留

瑞留

…………


一応瑞留にも挨拶はするのだが、まともに返してもらった記憶がない。そのことで口論になることもある。
わたしと瑞留は、仲が悪い。

幸也

瑞留が『おはよう玉慧さん、今日も可愛いね』だって

瑞留

はぁ!? 言うわけねぇだろふざけんなよ

玉慧

……瑞留が無愛想なのはいつものことだから気にしてないし。そんなことを言われた日には、吐きそう

幸也

ははは、確かに

瑞留

幸也……お前もうパートナーも見つかったんだし学校卒業しろよ……

幸也

転入したばかりなのにもう追い出すの? ひどいなぁ


幸也はいい人だ。少しお節介なところもあるけれど、優しい人だと思う。天使みたいな美少女の椿とはお似合いのカップルだ。
二人が付き合っていると聞いた時は、出会いからそのあまりの速さに驚いたけれど、なるべくしてなったのだと思う。

玉慧

(元々この学校だって、そのためにあるわけだし……)


シーエッグという名の海中にある卵を模したこの施設は、『他者愛欠如症候群』の人々のために作られたサナトリウムだ。
患者の多くは生まれつきその異常を抱えており、他者愛の欠如と強い自己愛、そして何かしらの身体的な欠損や奇形が見られると言われている。
例えばわたしは左眼を。瑞留は右腕を。幸也は笑顔以外の表情を。非常に稀だが、椿は奇形がないタイプの患者だ。
そして彼らは必ず何かしらを『偏愛』し、収集する癖がある。

けれどこの国は、その異常な人々を見捨てなかった。救われたと言えばおかしいけれども、彼らにも『伴侶を見つけるチャンス』を与えたのだ。
しかし減り続ける人口を考えればそれもやむを得ないことだったのかもしれない。
青く広い地球は気候変動という名の危機にさらされ、いまや地上は荒野ばかりが目立つ。
数を減らした人間たちは地中や水中に潜り込み、身を寄せ合って生活する。
わたしたちには『産み育て』、人間を増やす必要があるのだ。

そんな事情からか、この特殊学校は他者愛を欠いたわたしたちに男女のパートナーを作らせることを目的としている。
わたしたち患者の多くは産まれた時からこの施設で過ごしている子供が多く、今わたしたちが学んでいる特殊学校は15歳になると入学となる。
そしてその入学時に『パートナー候補』が決められる。これは学校側で相性がいいと思われる男女をピックアップし、授業のペアとして機能させる。
そして相性に問題がなさそうであれば、将来的に『パートナー』……つまり『人生の伴侶』となる。これは強制ではないが、多くの学生がそうして伴侶を得てきたし、恋愛の出来ないわたしたちにはそうでもしないとパートナーを見つけることが出来ないのも必然だった。

幸也と椿の場合はたまたま罹患が判明した時期が遅かったため、幸也が転入してきた際にパートナー候補が決まったが、時期が遅かっただけで手順としては変わりがない。
つまり二人は、正しい手順を経て、学校の指針どおり将来を誓い合うパートナーとなったのだ。

幸也

冷たいな、瑞留。五年ぶりに会ったっていうのに全然感動してくれなかったし、ちょっと寂しいよ

瑞留

五年ぶりだろうが十年ぶりだろうがお前との再会を喜ぶほど頭おかしくねーよ

幸也

僕は嬉しかったよ

瑞留

知らん

玉慧

二人は中学が同じだったんだっけ?

幸也

うん、そうだよ。瑞留がこの学校に転入するまでは一緒の中学だったんだ

玉慧

へぇ

幸也

あの時はもう少し可愛げがあったのになぁ。すっかり反抗期になっちゃって

玉慧

ほんと反抗期。子供って感じ

瑞留

いちいち他人のことに口を出すお前らのほうが子供だろ……

幸也

そうかな? 少なくとも玉慧さんは他人じゃないでしょ。パートナー候補なんだからもっと優しくしてあげなよ


わたしはその言葉に眉根を寄せる。確かにわたしと瑞留はパートナー候補で、学校から選ばれた『伴侶の候補』ではあるのだけれど。

瑞留

他人だろ。俺はこいつとパートナーになる気なんて一つもない

玉慧

……そんなのわたしだってないに決まってるでしょ


この話題になると、わたしと瑞留の口論はさらに激しくなるのが常だった。
パートナー候補だからと言われるのがイヤだった。お互いに嫌い合っているのは分かっていたから。

幸也

思い込みだよ。学校が選んでくれた候補なんだから、相性が悪いわけがないよ

幸也

一度正反対のことを思い込んでみるといい。お互いがかけがえのないパートナーなんだって。そうしたらもっと優しく出来るはずだよ


思いも寄らない反応だった。椿にしても先生にしても、わたしたち二人は口論ばかりでまったく歩み寄らないとさじを投げていたから。

玉慧

(それは……幸也みたいな人になら、出来るかもしれないけど)

瑞留

綺麗好きの俺がこいつに優しく出来るわけがないし、相性がいいわけもない。何かの間違いだな


そんなのわたしだって、と言えずにわたしは黙り込んだ。いつもの瑞留の毒舌が、いつものようにわたしを刺す。

玉慧

(わたしが汚いからイヤだと言いたいのなら、面と向かってそう言えばいいのに)


その言葉は喉元に詰まったまま出てこない。口に出せばその分だけ自分が傷つくのが分かっていた。
わたしは汚いものが好き。わたしは欠けているものが好き。
だけどそんな自分が好きかと言われれば、そうではなかった。
『他者愛欠如症候群』としては、珍しいことかもしれないけれど。

幸也

喧嘩させるために言ったんじゃないよ。
ごめんね、玉慧さん。瑞留は反抗期だから、すべてを真に受けなくていいからね

玉慧

……幸也は大人だね。誰かと違って

瑞留

…………


言い返す気力もなくなったのか、瑞留は黙り込み机に顔を伏せる。
そうすると教室にはわたしと幸也の二人きりで、自然と二人で会話をするしかなくなった。

玉慧

昨日も椿とデートしてたの?

幸也

デートってほどじゃないけどね。二人で散歩を

玉慧

仲いいね。椿も幸也にモーニングコールしてもらえばちゃんと起きられるかも

幸也

どうかな。僕も『朝起きるのが苦手なら毎日起こしに行こうか?』って言ったんだけど断られちゃって。はは

玉慧

さすがに毎日起こしに来られるのはイヤかもね……


幸也はいい人だが、少し感覚がずれているところがある。椿は朝が特別苦手でいつも寝坊してばかりなのだけれど、今日も例に漏れず寝坊で遅刻だ。場合によっては昼頃来るかもしれない。

先生

おはよーう


そんな風に世間話をしていると、教室に先生がやってくる。

先生

今日も三人揃ってるね。じゃあ授業を始めよう~

幸也

はは、先生。椿が来てないから揃ってはいませんよ

先生

椿は朝来ないのがデフォだからなぁ。まあ気にせず授業授業!


そうして今日も、太陽の光が届かない海の卵の中で『朝』が始まろうとしていた。

――シーエッグ 玉慧の部屋――

玉慧

そもそも、綺麗好きな人間と汚いものが好きな人間が相性いいわけがないよね

バステト

にゃ?


わたしは抱っこしたテトにそう話しかける。答えは返ってこないけれど、それでも口にすることで考えがまとまる。

玉慧

もう一度パートナー候補を選び直してもらうことって出来ないのかな。それが出来ないのなら、もうパートナー候補なんて要らないんだけど


テトは興味なさそうにわたしの腕をすり抜け、部屋の隅に置いてあった器から水を飲む。

ぴちゃぴちゃ、とたん。
返事がなくとも、そのいきものの音を聴くだけで気分が落ち着いてくる。
テトがわたしの部屋にやってきてから部屋は少しだけ片付いて、テトが物を舐めても平気なように最低限の掃除はするようになった。

玉慧

(わたし、本当にアンチラブ・フリークスなのかな)


時々疑問に思う。
確かにわたしの左眼は欠けているし、汚れているものや欠けているものが好きだ。でもそれは愛するというよりは妙な執着であって、『そうせずにはいられない』というのが正しい。癖なのだ。
捨てられるならば捨ててもいいと思うし、愛すべきテトのためなら少しくらい綺麗に掃除することだって出来るのだ。

玉慧

(好き)

玉慧

(愛、か)


正体不明に違いないのに、わたしは彼らの味をぼんやりと知っている。

玉慧

(なのにどうして、みんなわたしたちを『欠けている』だなんて言うんだろう)


人として生まれたからには人を愛さねばならないのか。わたしにはその道理が分からない。

その時、キイ、と物音がする。
視線を動かすと、部屋のドアが開いていた。

玉慧

あっ


わたしは慌てて立ち上がり、駆け出す。ドアをきちんと閉めていなかったのだろう。テトの姿も見当たらない。外に出てしまったのかも。

玉慧

テト……!


ぶわっと汗が噴き出す。
わたしは靴も履かずに、部屋の外へ飛び出した。

――シーエッグ 廊下――

シーエッグはペット飼育禁止。管理者に見つかれば施設から追い出されてしまうだろう。
そうなればわたしは、テトと会うことが出来なくなる。

玉慧

(イヤだ)


もう一年も一緒に暮らしていた。
普段は誰にもバレないように部屋で飼っていたけれど、たまに許可を得てこっそり地上へ連れ出したり、施設内の公園で遊ばせたりしているとテトはとても楽しそうだった。
半年も経てば抱っこもさせてくれたし、お腹が減ると可愛い声で鳴きながらすり寄ってきた。

生まれながらの『他者愛欠如症候群』であるわたしは、家族もろくに知らずにこの施設で育った。そのわたしが、唯一得た家族がテトだった。

玉慧

テト


抑えた声で彼女の名前を呼ぶ。廊下を見渡すが、そこに白い毛並みは見当たらない。

玉慧

テトっ


寮の廊下にはクラスメイトの部屋が並んでいる。わたしの右隣は椿。左隣は空き部屋。その向こうに――と、視線を向けると息が止まった。

玉慧

(ドアが、開いている)

玉慧

(瑞留の部屋の……)


わずかにだが、ドアに隙間が空いていた。あのくらいの隙間ならテトが出入りできるし、何より瑞留が部屋にいるのかもしれないと思うとぞっとした。

玉慧

(瑞留にテトが見つかったらおしまいだ)


きっと先生に告げ口され、わたしとテトは離ればなれになってしまう。

もう一度廊下を眺めるが、どこを見てもテトの姿はなかった。そこまで遠くに行くほどの間はなかったし、テトがいるとしたら。

玉慧

(まさか、瑞留の部屋に……)


先程噴き出した汗が一気に冷える。
考えたくもないけれど、考えなければいけない。他に探す場所がないならば、そこにいると考える他にない。

玉慧

(テト……)


最早何に祈ったらいいのか分からないまま、瑞留の部屋の前まで行く。
ドアは十センチほど開いており、部屋の中は暗かった。そこでわたしは少しだけ安心する。

玉慧

(部屋が暗いなら、瑞留はいないかもしれない。もしかして、鍵をかけ忘れたのかも)


都合のよい解釈だったけれど、今はそれよりもテトだった。震える手をドアノブに伸ばしたその時、部屋の奥から物音がした。

――シーエッグ 瑞留の部屋――

ガシャン、ゴトッ。

何かが落ちるような音だった。人の声はしない。
わたしは覚悟を決め、瑞留の部屋のドアをそっと開けた。

玉慧

テト……?


薄暗い部屋に廊下の照明の光が差し込んだその瞬間、わたしはぎょっとして目を見開いた。
慌てて部屋の番号を確認する。間違いなく、瑞留の部屋だ。

玉慧

――な、何これ


その部屋は清潔で整頓されており、家具や物が異常に少なかった。ただその代わり、壁面は本棚で埋め尽くされ、置かれたソファには大量の人形が並んでいた。
そのどれもが美しく着飾っており、西洋のものから現代風のものまであらゆる作風の人形があった。なめらかな肌に、艶めく髪。華美とも言えるほどの装飾。

玉慧

うっ


思わず吐き気がこみ上げてくる。
美しい。加えて、鳥肌が立つ。
大量の人形がただただ並んでいるのを見るのは、恐ろしささえあったのだ。

玉慧

(あ……それより、テト……!)


吐き気を必死に堪えながら薄暗い部屋を見回すと、いくつか人形が床に落ちているのに気がついた。それらの匂いをふんふんと嗅いでいるのが、わたしの愛する女神だ。

玉慧

テトっ!!


そのまま部屋に上がり込み、慌ててテトを抱き上げる。人形は不気味だったが、今はテトのほうが重要だ。

玉慧

帰るよ……!


声を押し殺し、部屋を出ようとする。
が。

瑞留

…………


いつの間にか背後には、彼がいた。

この部屋の主が。
この人形達の主が。
わたしの大嫌いな、瑞留が。

瑞留

……何やってんだ、お前


これ以上ないくらい顔を歪ませて、低い声を響かせた。

水面の境界線 第一話 『玉慧』 前編

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