千影はあの日以来、体調を崩してしまった。
彼女が見た人影は何だったのだろうか。
あれは彼女の思い込みや妄想だと思っていた。
しかし、俺も夜に不思議な体験をする事になる。
千影の家に世話をしに行ったのだが、自宅に帰ってきても電話で話を続けたがる。

……慧。その家はホントにやばいよ。引っ越したほうがいいんじゃない?

そりゃ、何かと物騒な噂は聞いてるけどな。ここを引っ越すほどの事件に俺が巻き込まれていないからさ

巻き込まれてからじゃ遅いんだよ?

分かってる。お前が心配してくれるのは嬉しいけどさ

ここ数日、何かがいつもと違う気がしていた。
それは俺も認めよう。
ただ、それはあの事故の影響に引きずられてるとも言えなくはない。

……ねぇ、慧。私の家に泊まった方がよかったんじゃない?

これで何泊目だよ。さすがに今日くらいは帰らせてくれ

だ、だって……

気が強くて凛とした千影。
すっかりと意気消沈している。
それだけ怖い想いをしたということだろう。
彼女のにせがまれてここ数日は向こうで連泊していた。

何かあったら私を呼んでね?

幽霊に襲われたら助けに来てくれるのか?

ごめん。その場合は彼氏を見捨てて逃げる

賢明な判断だ。もしもの場合は第一発見者くらいにはなってくれ

夏の暑さだ、早めに見つけてくれよ。
なんて冗談で言う俺と違って。
千影は本気で怯えていた。
そんな彼女から思いもしない提案をされる。

ねぇ、一緒に暮らそうか?

は?

あ、あのね……今よりも大きい部屋を借りて同棲するのってはどうかな?

千影の思わぬ提案に俺は笑みが浮かんでしまう。

ははっ

あ、笑ってるし。こっちは本気なのに

悪い、悪い。……お前の気持ちは嬉しいよ。それもありかなって思えた

千影は良い女だ、俺の愛すべき恋人だ。
だからこそ、何かあったら巻き込みたくはない。

……考えておくよ

ホントに?

ホントに。だから、今は体調を治せ。身体が第一なんだからさ

俺は励ますように彼女に告げてから電話を切った。
気づけば深夜の時間帯。
すっかりと話し込んでしまっていたようだ。

ふわぁ……眠い

俺は眠気に負けてベッドに寝転がる。
シャワーを浴びなきゃいけないのだが面倒だ。
明日の朝にしよう。

……寝るか

そのまま俺は寝てしまう。
疲れもあって眠りにつくのは早いはずだった。
どれくらい時間が経っただろうか?
コンコン。
そんな物音に目が覚める。

……ん?

風が窓を叩く音かと思い最初は気にしていなかった。
だが、徐々にその繰り返される音が大きくなり始める。
窓を何かで叩きつけるような感じに俺は薄っすらと瞳を開いた。

何の音だ? 台風でも近づいてたっけ?

ゆっくりと身体を起こす。
薄暗い室内に俺は窓の方へと向かう。

……そういや、千影も言ってたな

俺はその瞬間に千影の言葉を思い出した。

ホントだって!!ドンドンって窓を叩く音がして、変だなって思ってカーテンを開けたら……窓の外に白っぽい女の人がいたの

そんなワケがないのは分かってる。
気になって窓の辺りを見てみると、人影のようなものが窓をよぎった。

……おいおい、冗談だろう?

俺は気持ち悪くなりながら窓を開けた。
辺りを見渡しても誰もいないし、何もいない。

ただの風だったのか……?

風の悪戯、何かを見間違えたのだと思いたかった。

何だこれ?

俺は見つけてしまったのだ。
窓にくっきりとついた人の手形。
それは以前の場所に浮き上がるようにつけられていた。

……この間消したはずなのに

俺が視線を別方向へと向けると、あの踏切が見えた。
その踏切の電灯に照らされていたのは。

……

え?

黒い髪の制服を着ている少女。
踏切の方をジッと見つめている。
その少女の人影に俺は思わずドキッとしてしまう。

――そこにいますか?

顔までは見えないけど、確かに少女はそこにいた。
まるでこちらを見続けているように。

……

あの子は……!?

俺は思わず、その少女に部屋を飛び出していた。
急いで駆けると電灯に照らされていた少女に近づく。

生きていたんだ。やはり、あの人身事故はあの子じゃなかった

期待を抱いて俺は彼女に会いに行く。
だが、それは幻だった。
俺が踏切に辿り着いた時にはその少女の姿はない。

どこに消えたんだ……?

最初から誰もそこにはいなかったように。
先ほどの少女は俺の気のせいだったのか。
それとも、あの子が生きて欲しいと願う俺の妄想か。

やはり、あの事故はあの子なのか……

いつしか降り始めた小雨に濡れながら俺は線路を眺めていた。

……花束?

新しい花束が線路の端に置かれていた。
どうして、“彼女”はこんな寂しい場所に立っていたのだろう。
どうして、自殺するまで自分を追い込んでしまったんだろう。

そこにいますか? ……どういう意味を込めて囁いてたんだ

空を仰ぎながら、ただ虚しい気持ちが込み上げてくる。

人間、死んでしまえばそれまでなのに

花束の置かれた暗い夜の踏切。
あの子がここにいた理由。
本当に彼女は自ら命を絶ったのか?
疑問を胸に抱き、俺は自室へと戻ることにした。

本当の恐怖が襲い掛かるとも知らずに――。

pagetop