踏切から戻り、俺は自分の部屋へと帰ってきた。

寝るか……

俺はベッドに横になる。
今度はドアを叩く音が聞こえた。

誰だ?

深夜の2時、こんな時間に俺の部屋を訪れるなんて。
俺がドアを開けるとその前に立っていたのは……。

千影? どうした、こんな時間に……?

……

なぜ、千影がこんな時間に俺の部屋へ?
肩は軽く雨に濡れているようだ。
傘も差さずにここに来たらしい。

何をしてる。ほら、早く部屋に入れ

……

彼女は無言のまま俺の部屋と入り込む。

――招き入れてはいけない来訪者。

そうとも知らずに。
彼女を招き入れて俺はタオルを取りだす。

さっきまであんなに辛そうだったのに大丈夫だったのか? ……千影?

無表情で彼女は頷くとタオルで服を拭う。

……ねぇ、慧。私と初めて出会った日の事を覚えてる?

電気をつけようとした俺の手をそっと触れて止める。

覚えてるよ。大学に入ってすぐの合コンで美人なお前に一目惚れしたのがきっかけさ

初めて会った時の合コンはあまり乗り気じゃなかった。
それは向こうも同じ、さっさと帰りたいと思ってた。

ふたりの住んでいる場所が近くて、話も弾んだよな。まだお互いに大学にも慣れてなかった時期で、よく一緒に過ごすようになった

……

そして、数回のデートを重ねて俺から告白したんだ。もう1年前くらいになるかな

気が強くて、でも、意外に可愛くて……。
俺は千影にのめり込むように惚れた。
愛すれば愛するほど、彼女はその愛情に応えてくれる。
愛して、愛されて。
いい関係を築いてきた、はずだった。

あぁ、愛されてる。本当に愛されてるんだ

……千影、何を言ってるんだ?

いいね。羨ましいね、愛されている人は……

最初、彼女が何を言ってるのか分からなかった。

私も愛されたかったな。こんなにもお互いを必要として欲しかったなぁ

千影はうつろな瞳で俺に語りかける。
愛されたい。
そう叫ぶ彼女の姿に俺は動揺するしかない。

俺はお前を愛してる

嘘つき。あの女と一緒にいたのを見たの。あの女と寝たんでしょう?

……あの女?

血の気の引くような光景だった。
窓を叩く雨の音、薄闇の中で微笑む千影の姿。
彼女は低い声で俺に言ったのだ。

「――裏切り者」

それは千影の姿をした、千影ではない存在。

私を捨てて、他の女を選ぶなんて……。私の事を愛してるって言ったくせに。だから、私は……貴方に全てを任せたのに

千影?

喉がカラカラと渇いていく……どうして?
どうしてそんな事を言うんだよ?

絶対に許せない。……許さない、許さない、許さない、許さない、許さない

彼女は俺の首に手をかけると、布団に押し倒す。
何て力だ、女性の物とは思えない。

ぐっ……あっ……

そのまま俺の首を絞める千影。
すごい力で俺は引き離せない。

私の人生を狂わせて、自分は他の女と楽しく遊んで……ひどいよ

ち、ちが……う……

苦しい。
苦しい。
苦しい……。
首が引きちぎられるほどの痛みを味わいながら、俺は必死に逃れようともがく。

ねぇ、私と同じ苦しみを貴方も味わって?

ぐぅっ……あぐっ……やめろ……!

私……貴方のことが大好きだったよ

徐々に絞まっていく、ダメだ、呼吸ができない。
息を吐くのも辛い、擦れていく声。

だからね、殺してあげる。だって、私は……貴方のせいで……

彼女は妖艶な笑みを俺に見せつけて微笑んだ。

「――死んだのだから」

お前は、誰だ?

ゾクッとした感覚が背中を駆け抜けていく。
……青白い顔色に身体が震えた。
俺に微笑みを見せたのは千影じゃなかった。

貴方も死んで、私のために――

君は……どうして!?

なぜか、千影の姿があの少女と重なる。
寂しそうに笑う女の子に俺は絶望する。
どうしてキミがそこにいるんだ……。

楽には死なせてあげないよ?

うわぁあああああああああ!!

……意識がまどろみへと飲み込まれて消えていく。
視界はやがて闇に消え、俺は……。

……い……起きてよ、慧……

チュンとスズメの鳴く声に俺は目を覚ました。
……思わず首を押さえてしまう。
大丈夫だ、俺は生きている。
あの出来事は……夢だったのか?
既にうろ覚えでしかない記憶をたどる。
辺りをうかがうと、俺の顔を不思議そうに眺める千影がいた。

何で千影がここに……?

何でって。慧が呼んだんでしょ? いきなり、電話で助けてくれって。悪い夢でも見ていたの?……すごい汗だし、何それ?

彼女がそっと俺の首筋に触れる。

痛くない? アザになってるわよ?

……え?

俺はベッドから下りてトイレの鏡を見る。
そこに映る俺の顔。
その首には紫色に変色したアザが残されていた。
まるで誰かに首を絞められたように。

……夢じゃなかった?

夢? 変な夢でも見ていたの?

本当に夢だったのかな

殺す、と叫んだあの少女の顔を思い出して俺は震えた。
憎悪、愛憎というべきか……。

私は貴方のせいで死んだのだから

どうして、千影の顔があの子の顔に見えたのだろう?
あの事故で亡くなった少女と関係が?
何もわからない。

何があったの?今朝の電話だって様子がおかしかったし

電話……ちょっと待て。俺は電話なんてかけてない。そんな余裕なんてなかった

また? 嘘でしょ……だって、私は聞いたよ。貴方の声ですぐに来てくれって

ガタンっと大きな音が窓の方からする。
俺はハッとして急いで窓を見た。
閉まったカーテンを開けた俺達の前にあったのは……。

……きゃっ!?

カーテンを開いた向こう側。
窓には昨日よりも多くの手形がつけられていた。
もがき苦しんだように。
助けを求めるように。
何度もその窓を叩き付けたように。

――その無数の手形はつけられていたんだ。

冗談だよね? なによ、これ?

何なんだよ……これ、どういうことなんだ。一体、何が起きてるんだよっ!

俺は恐怖を感じて叫ぶしかなかったんだ。
もう既に俺達はとんでもない事に巻き込まれていた。

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