土曜日。正午ぴったり。簡素なシャツとジーンズの組み合わせで、時計台の前に立っている俺。

 ふと辺りを見れば、周囲は明らかにカップルばかり。そりゃ、遊園地のある駅前で昼ともなれば、休日は色恋に興味津々な若者で溢れ返って当然というものだ。

 …………俺は一体、何を一人賢者モードに突入しているのだろう。

ねー、まだ来ないの?

 反射的に、携帯電話越しに誰かに文句を言っているお姉さんを見てしまった。……あの人、すっぽかされているのか。

 時計台の鐘が鳴る。……いよいよ、杏月さんの指定したイベントで今日この場所に、水希が現れるということだ。あまりの緊張に、二時間近くも早く到着してしまった。

……


 背筋が寒くなり、冷汗が頬を伝う。

 ――――――――本当に、来るのか!?

 だって、あのスーパードライ穂苅水希だぞ!? 誰とも付き合わない、男とは極力話もしない、平日ですら取り付く島がなくて女子としか会話を出来ない隠れ姫の代表格。杏月さんが何を言った所で、わざわざ休日に俺の所になんて来るとは思えない。

 きっと、心の内側では男の事を嘲笑っているに違いないのだ。無表情の裏で、魔女のように狡猾な微笑みで桜でんぶ入のカレーを煮込みながら奇声を発しているに違いない。

 ……我ながら、随分と酷い想像だった。

 いや、どちらかと言えば天然ボケの延長線で、ただ無表情なのかもしれない。何も考えていないのかもしれないが。その論争に、極論答えなんて出る筈がない。俺が水希に変身でも出来なきゃ無理だ。

あーし、待ってんだけどー!

……


 若しも仮に来なかったとしたら、どうしよう。直接水希の家に行ってみるとか……いや、そんな事が可能なら、始めから杏月さんに頼み事などしていない。

 今日一日を無駄にしてしまったら、俺は何も出来ないままに日曜日を迎える事になる。そうしたら、明日一日じゃ何も出来ずに、このまま豚に……という可能性の方が高くなる……気がする。

 それは困る。いつもちゃらんぽらんな所ばかりが目立つけど、期待してるからな、杏月さん…………!!

 どうして俺の周りはこう、性格の尖った奴ばかりなんだ。

それにしても……


 ……若干、遅くないだろうか。俺の気のせいだろうか。

 よもや初めてのデートに訪れない可哀想な彼氏像を、自ら敵陣に乗り込んで再現するような事になりはしないだろうか。いや、デートではないんだけども。

 あいつが時間に遅れて来る事なんて、滅多に無い……筈なのだが。

 ……いや、あったかな? 大事な日に限って寝坊したり、左右の靴下を間違えて別々の柄にしてしまって、ショックで家まで戻ったり……なんていう珍プレーは、何度かあったかもしれない。

 杏月さんは、何処に居るんだろう。何処かで隠れて見ているとの話なんだけど……見付ければ、水希の様子を聞けるかもしれない。

 周囲に見知った人影が居ないかどうかを確認した。

ねえ、映画終わっちゃうよ?

……


 居ないな。水希の姿も見えないし、杏月さんの姿も見えない。

 家まで行ってみるべきか……。いや、先に杏月さんに電話を掛けて……

唐田君!!

!!


 聞き覚えのある声がして、俺は振り返った――……

ごめんなさい、遅れてしまって……!!


 来た。

 来た。


 来てしまった…………!!


 一瞬にして、心臓の動作速度が跳ね上がる。いつもの青っぽい長髪に、水玉模様のスカート、胸にはリボン。なんとも少女な格好で現れた水希の肌は白く、普段学校で見る時とはまた全然違った雰囲気だった。

 一体どんなマジックを使ったのか、杏月さんは本当に水希を今日、この遊園地近くの駅まで召喚してしまった。相手は女子じゃない、幼馴染とはいえ、男である俺。……中学校の水希が好きだった男どもが発狂しそうなシチュエーションだ。

大丈夫だよ。……何かあったのか?

杏月さんが連絡してきたのが、ついさっきだったから……


 なるほど。もう俺が待ち合わせ場所で待っていると分かれば、行かない訳にもいかないよな。水希の携帯が変わっていた事、杏月さんは知っていたんだろうか。

 相変わらず、えげつない事を……。

 水希はきょろきょろと、辺りを見回して……やがて、真っ青になっていた。いや、真っ白? 元から白い肌がさらに白く。

やっぱり……他の人はもう、行っちゃった?

は? ……何が?


 思わず、きょとんとしてしまった。水希も俺の様子に合わせて、目をぱちくりと瞬かせた。

緊急会議なんでしょ? クラス委員の……アンケートの集計結果が、予算と全然合わないからって……

 ――――なるほど。そりゃ、水希も騙されるわけだ。

 杏月さんの小悪魔のような嘘に、苦笑してしまう俺だったが。水希は俺の表情に事態を察したのか、一瞬だけ目を大きく見開いた。

……?

……


 自分の服装を見ている……この様子だと、大方『緊急だから、制服じゃなくていいからっ!』とかなんとか、杏月さんに言われたって所だろう。

 トートバッグまで肩から背負って、しっかり髪も結ってある。……ということが、一体どういった引掛けだったのかを、ようやく水希は理解したようだった。

――――――――帰ります


 踵を返して、俺に背を向けたっ……!!

お、おい!! ちょっと待ってくれよ!!


 慌てて、その肩を掴んだ。水希はむっとして、振り返り様に俺を睨み付けてくる。……ハメられたって分かった瞬間、えらい態度の変わり様だなオイ。俺だって、杏月さんの小悪魔ぶりには……いや、もう奴は魔女だ魔女。

 しかし、せっかく杏月さんが作ってくれたチャンスだ。絶対に逃してなるものか!!

……何かしら


 このスーパードライは、足も止めやがらない。

 まいったな。何か、うまい良い訳を考えないと……!!

ほっ……穂苅さんも、杏月さんに騙されたんだろ?
俺もそうなんだ……だったら、せっかくここまで来ちゃったんだしさ!!
休みの日くらい、テキトーに時間潰さないかっ?


 くそっ……!! こんな内容じゃ水希は振り向いてくれない!! そんな事は、長い付き合いで俺が一番良く分かってる!!

結構です


 それみろ!!

 何か、決定的な事情が無ければ駄目だ。水希がそう、悪いことしたな、ちょっとくらい俺に付き合ってあげても良いかな、と思うような内容じゃなければ意味がない!!

 考えろ。何か、何かあるだろ……!!

おっ……お前の親戚に、俺は騙されたんだぞ!?

だったらちょっとくらい、俺の言う事も聞けよ!!


 これでどうだ!? 俺と杏月さんが結託している事を水希は知らない……!! だったら、これでも良いだろ!!

 杏月さん、ごめん。でも、これは入学式の時の借りだと思って勘弁してくれ。結局パフェ食ってないし。

 水希は罪悪感に駆られたような顔をして……ついに、立ち止まった。

…………そうなの?


 後は、何か理由。水希が思わず従ってしまうような、絶対的な理由さえあれば……

あー……えっと、俺は杏月さんに、水希が言いたい事があるから来てくれって……そう、言われたんだよ


 水希は少し申し訳無さそうな顔をしている……よし。どうにか、繋ぎ止めただろうか。水希をここで返してしまったら、もう俺は龍之介ならぬブヒ之介の運命から逃れられない。ここは絶対に食い止める一手だ。

そうなの……ごめんなさい

まあ、良いじゃねえか。こうなったら、遊び尽くしてやろうぜ。ちょうど近くに遊園地があるんだ


 それは偶然ではなく、明らかに仕組まれた必然だったのだが。水希は上目遣いに、詫びるような目で俺を見る。

…………分かったわ


 不覚にも、どきりとさせられてしまった。……やっぱり、顔だけは一級品に可愛い。これで性格がアイアン・メイデンじゃなければどんなに良かった事か。

 ここからどうやって、水希にあの台詞を言わせるのか。杏月さんの作戦が、何となく俺にも理解出来てきた気がする。あの人は、恐らく俺がこう言って引き止める事を予測していたに違いない。

 即ち、水希は杏月さんの事で俺に負い目があるから、遊園地に付いて行く事になる。そこで、何となく楽しい雰囲気になってしまえば。

 俺が最後に……

今日はありがとな

 でも、何でもいい。感謝の言葉を口にすればいいんだ。

 水希はきっと、僅かに頭を垂れて……

……別に、あなたの為ではないから

と呟くに違いない。そこで初めて、俺の呪縛は解けることになる。


 すげえよ杏月さん。俺が考えたシナリオよりも、遥かに可能性が高そうだ。奴は魔女ではない、ロリババアだ……って、とっくに分かっていた事か。

 不意に、メールが届いた。何気なく、携帯電話を開ける俺……杏月さんからだ。

『何か不愉快な事、考えなかった?』

 やはり奴は魔女だ。


 ○


 しかし、よもや水希と二人で遊園地に行くことになろうとは。

 人生、何が起こるか分からないモンなんだなあ……と、青空に一筋流れたヒコーキ雲を眺めながら俺は思った。

唐田君、ジェットコースターに乗って来ていい?

……ああ、良いけど。俺も行くけど

付き合わせるの悪いから、いいわ

いや、俺も乗りたいんだよジェットコースター超乗りたいの!
それならいいだろ?


 控え目に頷く水希。……まあ、何だかんだ楽しんでいるようではあるけれど。逐一俺に断りを入れてくるのと、何故か毎回一人で行こうとする所が相変わらず水希だ。

 せっかく二人で遊園地に来てるんだから、二人で遊べば良いじゃないか。どうしてそこまでロンリー・ガールを貫くんだ。

 特にジェットコースターなんて、二人で乗らなかったら感想も共有できやしない。

唐田君、高所恐怖症は克服したの?

昔の話だよ


 まだ俺が高所恐怖症だった時は、お前は『龍ちゃん』って呼んでたけどな。

 改めて見てみると、辺りはカップルだらけだ。休日の遊園地なんて家族連れかカップルが大半なんだろうけど、傍から見たら俺達もそのグループなのだと考えると、少し変な気分になる。

 最も、その実はただのしがないクラス委員の二人なんだけども。

……結構、並んでいるわね

人気だからな

馬鹿と煙は高い所が好きって言うものね

いや、失礼だから。それ以前に俺達もその馬鹿共の一員になってるってのはどうだよ


 一頻り水希は、下顎に指を添えて考える。

実は煙の方なんじゃないかしら……

いや意味が分かりませんけど!? 『実は』って何!?


 マジ顔でそんな事を言われても、返答に困る。

 そんな話をしている間に、水希が手で顔を仰ぎ始めた。

 まだ春なのに、今日は日差しが強い。ジェットコースターの待ち人数もまだ少しある、か……俺はリュックから帽子を取り出すと、水希に被せた。

ぴぎぃ!!


 瞬間、頭に何が被せられたのかを確認して、想像を絶する動きで水希が挙動不審になった。

 いや、『ぴぎぃ』って……

な、何をするのよ!!

いや、暑いかと思って……帽子を被せただけなんだが……


 真っ赤になって、慌て出した。……戸惑っている様子は、アホほど可愛い。文句を言っているのに帽子を離さない辺りも。

…………ありがとう


 この様子だと、それとなく上手く会話している内に呪いが解けるかもしれない。少し、未来に希望が見えてきたぞ……!!

飲み物買ってくるから。ちょっと、ここに居てくれよ


 それだけを話して、俺は水希から離れた。

 ジェットコースターの並びは、まだ三十分程度はありそうだ。それでも、水希の事を考えると少し急いだ方が良いだろうか。

 びっくりするほど順調だ。最早、普通のデートと何も変わりない。流石の杏月様だと思いつつ、俺は軽やかな足取りで自販機へと向かった。

 子供ヒーローショーの隣に、休憩所があるのだ。そこまで歩くと、水希の姿が見えなくなる。

 そういや、何を買って行けば良いのか聞かなかったな。昔は変なジュースが好きだったけど……流石に、そんな雰囲気ではないか。素直にアイスティーでも買って行こう。

えっと、ゴゴティー……へえ、マスカット味なんか出たのか


 その隣に、『ゴリラウォーター パイン味』という表記を見付けた。

 やたらとリアルなゴリラのイラストが、こちらに向かって微笑んでいる。

 なにこれ……

えいっ


 ピッ、ガコン。無機質な音がして、目の前のゴリラが取り出し口から微笑んでいた。

ああっ!? ゴリラァァ!!


 振り返ると、そこには杏月さんが立っていた。今日は白衣ではなく、大学生と間違えてしまいそうなミニスカートで俺にウィンクをしている。

 このクソババア…………!!

やっほー、元気?

今の一瞬でかなり元気を無くしましたね

まあまあ、そう言わないでさ。私の分も奢ってよ

そこは『まあまあ、ここは私が払うから安心して』だろォォ!? 

どうしてこのストーリーで俺が奢るんだよォォ!!

えいっ

しまったァァ――――!!


 二人分の金を先に入れてしまったのが運の尽きだった。杏月さんはさらりとアイスコーヒーを手中に……ってやっぱりゴリラは飲まないんですね!! この年齢詐称が!!

 杏月さんは缶コーヒーのプルタブを開けると、俺にも一本寄越して……ってあれ? 二本?

調子良さそうね、今日は


 やられた。すっかり、毒気を抜かれてしまった。

……まあ、これからどうなるかに掛かってますけどね

7 = 遊園地デート!?(前編)

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