繰り返すが、リンフォンとは正二十面体をした
片手大の置物だ。突起を押したり引いたりして形を
変える、ルービックキューブに近い玩具。
繰り返すが、リンフォンとは正二十面体をした
片手大の置物だ。突起を押したり引いたりして形を
変える、ルービックキューブに近い玩具。
はじめは熊、その次は鷹、最後に魚の姿になる。
そして魚になったとき、地獄の門が開くというのだ。
初出はどこだったか忘れたが、多くの怖い話サイトで
全容を見られる。
『彼女と骨董品屋で見つけた置物は「リンフォン」という
名前らしい。彼女がだんだんそれに熱中しすぎ、
おかしいと思ったので霊能者に見せたところ「それは
凝縮された地獄の門です。捨てなさい」と言われたので
ガムテープでぐるぐるに縛って捨てた』
……怖い話はだいたいこんな感じだ。触れたら
取り憑かれる、誰かに助けてもらわないと正気には
戻れない危険な物体。
それが実在するどころか、僕の家のポストに
入れられているなんて。
あれから一晩経った。
僕は今日も学校に向かっている。さすがにそれどころ
じゃない気もしたが、やることがあるので仕方なく。
リンフォンは処分しようかと思ったが、効力が
どれほどかわからないから触らずに鍵をかけ直した。
僕には身を案じて助けてくれる友達はいないのだ。
相変わらずファフロツキーズは続いていて、今日は
道が紙幣だらけになっている。街の清掃業者が
回りきれていないのか、先週降ってきた魚が腐って
紙幣に染み込んでいた。これを財布に入れるような
奇特な奴はそういないだろう。
というか、そもそも出歩いている人があまりいない。
いつ何が降ってきて殺されるかわからないから。
僕は傘をさしていたが、気休めにしかならないことは
知っている。
学校にはインターネットを使いに行っていた。
僕の部屋にも回線が引いてあったが、例の怪雨で
アンテナが壊れてしまった。漫画喫茶にもパソコンは
あるが、お金がかかるので行かなかった。
通信速度は変わらないし。
……対策について真新しい情報は得られなかった。
それもそう、リンフォンは自分から見つけるもので
あって、ロアや不幸の手紙のようにいきなり送られてきて
始まる話じゃないせいだ。
誰かがいたずらで送ったり、送られてきて慌てたり
みたいなことが出来ない。
リンフォン自体を知らない人、フィクションだと
割り切って捉えている人の方が多かった。
……どうしようか。僕の頭は既に、リンフォンの
ことでいっぱいだった。
帰りたくないので時間をかけてコンビニやスーパーを
回ったが、夕飯のおかずに生鮭を選んでしまったせいで
帰宅を余儀なくされてしまった。
ゆっくりゆっくり坂をのぼり、自分のマンションに入る。
オートロックの手前、集合ポストの横で立ち止まった。
何の変哲もない景色なのに、蓋を開ければ
地獄が詰まっている……なんて、誰に言っても
信じてもらえないだろう。僕だってこのまま目を
逸らして部屋に着きたい。
……しかし、放置していたら不幸の手紙の時みたいに
より大きな災厄が送られてくるかもしれない。
完全に取り憑かれる前に対処すればいい、それなら
まだ希望はある。……はずだ。
一度深呼吸して、ポストの鍵を開けた。
もう一度深呼吸、意を決して勢いよく取っ手を引く。
……無かった。リンフォンは無かった。
そこには手紙だけが一枚入っていた。その手紙も
確認したが、業者がアンテナを直しに来ますという
旨のものだった。
僕はその場に崩れ落ちて、はーっと息をついた。
腰が抜けたようだった。
幻覚だったのかもしれないが、何度確認しても
リンフォンは無かった。はじめからありませんでした、
と言った方がしっくり来るほど、気配すら跡形も無く、
消えていた。
ホッとした僕はさっさとエレベーターを使い、
七階まで上がる。足取りも軽やかに自分の部屋の
鍵を開け、ドアノブに手をやった。
瞬間、えも言われぬ寒気に息が止まる。
……やばい。これはまずい。本当に危ない。
ここから逃げないと。すぐにここから離れないと。
でもどこに行けばいい、ここは僕の家だ。そう、僕の
家なんだから危険は何もない。外よりも安全、どこよりも
安心できる。大丈夫。大丈夫のはずなんだ。なのに
どうして嫌な予感がする?どうしてこんなに寒気がして、
どうしてこんなに汗が止まらない?
……僕は、ドアを、開けた。
玄関マットの上で僕を睨むように座していたのは、
何とも言えない色をした、精巧な作りの熊だった。
僕はこれを知っている。正しくは聞いたことがある。
精巧な動物の形に何度も姿を変えるパズル。一度
触り始めると昼夜問わず熱中し、常に考えているほど
他のことが手につかなくなってしまう玩具。
……凝縮された極小サイズの地獄。地獄の門。
その名を、「リンフォン」。
……そいつが、一段階姿を変えて、そこにいた。