とある日の、晩餐後。
闇よりも黒い外套を羽織ったサタナキアの背中に、メグは駆け足で傍に寄った。
とある日の、晩餐後。
闇よりも黒い外套を羽織ったサタナキアの背中に、メグは駆け足で傍に寄った。
キア! 出掛けるの?
ああ
私も連れて行って
え?
お願い。まだ眠くないんだもの。夜空を飛びたい
……最近、夜更かししていない?
……
す、鋭い。
探るような眼差しに、メグは淡い笑みで応えた。先日、レオナルドの狩りについて行ったことを、知られているのだろうか……
いいよ
逡巡した後、サタナキアは微笑んだ。やった、と喜ぶメグの隣で、シャルルはそわそわしてる。
僕も行きたいです
予想通りの言葉を聞いた途端に、メグは言いようのない苛立ちを感じた。
駄目。シャルはお留守番
どうして?
私の方が先にお願いしたんだから。シャルは駄目
傲慢に言い放つメグを、シャルルは恨めしそうに見た。
ずるいよ、お姉様。僕も行きたいです
駄目ったら駄目
きつく言うメグの頭に、サタナキアは手を乗せた。
俺は構わないよ
だって……シャルがいたら、邪魔でしょ? 飛ぶ時とか……
ふて腐れ気味に呟くと、シャルルは小さく瞳を瞠った。
僕、一人で飛べます
……
確かに、シャルルには翼がある。家族とお揃いの、漆黒の羽だ。メグが欲しくて欲しくてたまらないものを、シャルルは全て持っている。
ふむ……
サタナキアはメグの頬を、両手で包み込んだ。蒼氷色の瞳に、今にも泣き出しそうなメグが映っている。
しょうがないお姫様だな。今夜は二人で行こうか
抱き上げられて、メグは首に腕を回してしがみついた。夏だというのに、上着を着込んだ彼の体温は相変わらずひんやりとしている。
しょげたように、肩を落とすシャルルを視界の端に捉えても、メグは何も言わなかった。
……シャルルはがっかりしていたよ
部屋を出て二人になると、サタナキアは苦笑を零した。
……
あの子は、メグが大好きなんだ
キアは?
ん?
シャルより、私の方が好き?
愛を探して瞳を覗き込むメグを見て、サタナキアは微笑んだ。思わず、といった風にいとけない額に唇を落とす。
大好きだよ。うちの家族は皆、メグのことが大好きなんだ
バルコニーに出ると、サタナキアは闇よりも昏い、大きな翼を広げた。メグを横抱きにしたまま、空に足を踏み出す。
カサンドラ国。王都ルイ・ジャンは、昼も夜も賑やかだ。
闇夜に溶け込み、二人は王都を見下ろした。
豊かな丘に立つ王城を先頭に、四方に伸びる楡の並木道が、街の端まで伸びていく。
大きな木々は、昼ともなれば強い日射しを遮り、石切り場のようにひんやりとした、心地よい影を提供することだろう。
通りには、旅館、劇場、辻公園や聖堂があり、夜でも人の往来で賑わっている。
貧富の差に民は喘ぎ、急進派と保守派が政治の覇権を競っていても、天空にいては、美しい夜景に覆い尽くされ腐敗は見えない。
私は、いつになったら翼が生えるんだろう
美しい夜景を見下ろしながら、メグは自分の意志で素晴らしい夜景を見れないことを、残念に思った。
そのうちね
そのうちっていつ?
大人になったら?
いつ大人になるの?
質問攻撃を続けるメグを見て、サタナキアは額にキスをした。
よく食べて、よく眠ったら
シャルはあんなに大きくなったのに。どうして私は、背が伸びないの?
少し伸びたよ
五センチね。シャルは一〇〇センチも伸びたのに
不満そうにメグが言うと、ほら、とサタナキアは気を逸らすように声をかけた。
見てごらん。謝肉祭が近いから、人間がいたるところで合唱している
揃いの白い衣装をまとった少年達が、大聖堂に清らかな歌声を響かせている。天上の歌声に、悪魔のメグもサタナキアも耳を澄ませた。
……綺麗な歌声ね
こんな歌声が響き渡ると、聖堂が欲に塗れた格好の狩場だということを忘れそうになるね
彼が思うことも、宜べなるかな……
崇高な信念を説く教会は、しばしば人道に外れた振る舞いをする。社会不安をもたらした存在に、あらぬ罪を着せて処刑する迫害様式は、彼等が広めたようなものだ。
こうして見下ろしていると、とても綺麗なのにね
人間ほど上手に仮面を被る生き物はいないよ。信仰心さえあれば、どれだけ人を殺しても聖なる行いなんだから
彼にしては珍しく、メグの前で異教徒狩りを嘲るように嗤った。
外見だけじゃ、何も判らないよね
優しい顔。綺麗な格好をしていても、おぞましい夢を見る人間はたくさんいる。
五年前は、特に酷かったと聞いた。
猛威を振るった疫病の根源は、毒殺散布とされ、罪のない憐れな健常者が、毒殺呪術の嫌疑にかけられ処刑されたのだ。
かの有名な、マガハラ大聖堂の処刑である。
一部の権威者達が、貧しい六名の人間を犠牲にして、街に暮らす数万人の心を救い上げた。
しかし――
その処刑のあまりの残酷さに、内外から批判の声が強まり、悪しき異教徒狩に終止符は打たれた。
人間は、しばしば物語の中で悪魔を残酷と評するが、本当に残酷なのは、果たしてどちらだろうか?