第 9話 霧湧神社

 山形誠の自宅。

 朝だ。昨日の夕方に月野姫星の母親が、娘を迎えに来てくれる予定だった。だが、月野恭三がぎっくり腰で入院したため、迎えに来られないとの連絡があった。
「分りました、先生にはお大事にとお伝えください…… はい…… ええ、姫星さんはいつもの通りです」
 そんな挨拶と姫星の母親と電話口で交わしていると姫星がやってきた。
「おっはよー」
 姫星は昨日、ショッピングセンターで購入した服を着ていた。
「おっはよー…… って、何その服?」
 宝来雅史は起きて来た月野姫星の格好を見て目を丸くしている。
 頭にヒラヒラの付いたカチューシャ。スクエアネックの黒ワンピースに付け襟とカフス。付け襟とカチューシャには水色の可愛いリボンを付けている。身に着けているエプロンは小振りで腰で結ぶタイプだ。
「うん、可愛い…… じゃなくて、何でその服?」
 思わず本音が出てしまった雅氏であった。
「へ? メイド服だけど??」
 姫星は雅史の目の前でクルリと回って見せる。スカートの裾がふわりと舞った。
「いやいやいやいやいや、それは見てわかる。 しかし、何故にそのチョイスなんだ?」
 確か府前市から車に潜り込んだ時には、黒を基調にしたゴスロリ服だった。今着ているのはメイド服。大して違いがないように思えたからだ。
「ん? おねぇから宝来さんはヒラヒラ系の服が好きだと聞いてますが…… 何か?」
 スカートの腰の部分をつまんでお辞儀して見せた。
「いえ、なんでも無いです……」
 雅史は他にどんな事を伝えられているのだろうかと考え込んでしまった。


 姫星は未明の不審者の事は内緒にして置くことにした。雅史の性格上、姫星に危険が及びそうなら、中止して引き上げると言い出しかねないからだ。それでは肝心な月野美良の手掛かりが掴めない。
 雅史は伊藤力丸爺さんに頼んで霧湧神社に付いて来てもらった。山形誠は役所の仕事があるので案内を頼めなかったのだ。
 力丸爺さんは姫星の格好を見て”ほぉ、ほぉ、ほんにメンコイのぉ”と顔を綻ばせている。ほっとくと懐から小遣いを出しそうな勢いだ。
 雅史は神社に向かう道中に霧湧神社に纏わる話を力丸爺さんに聞いた。

 霧湧村は東に増毛山、西に美葉山、その峰と峰を繋ぐように稜線が伸びている。南側の稜線に繋がる小高い丘があり、その丘を村人たちは切り株山と呼んでいた。普通の山は尖がっているが、切り株山は頂上付近が平らに近く、見ため切り株に似ているので名付けられたそうだ。
 そこに霧湧神社がある。マガツカミ様を奉っている。五穀豊穣、子宝祈願の神様だ。 神社の由来は寺よりも古く、古代の山岳信仰の名残りと考えられているそうだ。


 春先に神様の降臨を願う祭りを願う行い「神御神輿」がある。この時には村人総出で神さまを迎える踊りを行う。神御神輿には細かい規則があり、村人は代々受け継いできていた。
 儀式には御神体が入る石を持つ「石勿(いしもち)」と、神輿を担ぐ「神楽勿(かぐらもち)」、道を清める「錫杖歩(しゃくじょうぶ)」の三組が必要だ。
 美葉山からは美葉川が流れ出ている。その上流に蛭滝があり「石勿」が滝に打たれて禊を行う。禊を終えた「石勿」は目隠しをされて、「神楽勿」に美葉川の河原に連れてこられる。そして、自ずからの手で目隠しを外した「石勿」は最初に目についた河原の石を選ぶのだ。
 選んだ石は「石勿」の懐に入れられ、「神楽勿」に担がれた神輿で神社までやってくる。その道中の道を「錫杖歩」が錫杖(しゃくじょう・杖の先端に金属製の輪を作り、そこに数個の小いさい輪を付けて振らして鳴らすもの)を手に持ち、先行して地面を打ち清めるのだそうだ。
 そして、神社に着いた「石勿」の周りを松明で囲み、「錫杖歩」が「石勿」の周りを、神様の降臨を願って地面を叩いて回る。それでおしまい。他の祭りと違うのは雅楽は鳴らさないし、祝詞も唱えない処だろう。終始無音で執り行われる。
 後は本堂にある祭事箱に、石が収め奉納して祭りは終了となる。


 晩秋に御礼の祭り上げて御帰りを労う祭りがある。
 帰投祭の時には祭りの行列を見ては駄目とされている。歳時には春の祭りと同じ組が参加し、全身黒ずくめで行われる。服装が白いと目立ってしまって、神様が帰るときに一緒に連れて行かれるせいだ。
 「石勿」は顔に黒い頭巾を被り、神輿に乗せられて運ばれる。夜中に始まって、二時間くらいかかって、石を拾った河原に辿り着く。後は石を河原に戻しておしまい。
 「石勿」は後ろ向きに石を投げ捨てる。その石は見る事は禁止されている。「神楽勿」「杓条歩」たちも同様だ。全員そっぽを向いて、「石勿」の「お帰り頂いた」との掛け声を待っているのだ。そして、全員が振り返らずに神社まで戻ってきて、お清めの酒を飲んで帰投祭は終了となる。

 そこまで聞いていた姫星は、怯えているが崇めてもいる。村人たちの神様への畏怖を込めた祭りなのだと思った。
「そして、降臨してくださった神様を、昔の人はマガツカミと呼んでいたそうじゃ」
 力丸爺さんによると、神様が山から下りて来ると信じられていた時代に、修験道者が神卸の儀式のやり方を伝え、村は豊穣に恵まれる様になったと聞いていると話した。
「そのマガツカミを奉納していたのが、霧湧神社だったんですね」
 感心したように雅史がうなづいた。
 

 
 そんな事を話している内に、三人は霧湧神社に到着した。本殿は平屋の一階建で、泥棒たちに荒らされた為なのか、雑然とした印象を受けた。忍び込むために扉は壊されており、窓に至っては中から外されて外に転がっていた。
「あっこに監視カメラとやらを付けたそうじゃ」
 力丸爺さんが指差した方に、真新しい監視カメラが付けられている。本殿の扉の上あたりだ。姫星は監視カメラに手を振って見た。
『はい、見えてますよー 姫星さん』
 笑い声を堪えているような、山形誠の声が聞こえて聞こえて来た。
「にゃっ!」
 姫星はビックリしたらしく、その場でピョンと跳ねている。
”しっぽがあったら膨らんでそうな位にビックリしてるな”
 雅史はクスリと笑って監視カメラに手を振っている。誠が用があると言っていたのはこれだったのかとも思った。恐らく役場の人間が当番制でカメラの前に座って居るのであろう。
『泥棒が入っても誰かが駆けつけるまでに、時間が掛かり過ぎるんで、盗みをする前に声をかけて、退散させる事にしたんですよ』
 泥棒をするような人種は、監視カメラで記録されるのを嫌う習性がある。それを利用する為に監視カメラにスピーカーを付加させているらしい。
『それでは後程お会いしましょう。 失礼します ―ブチッ―』
 スイッチを切る音が聞こえて監視カメラが沈黙した。確かに手軽に出来る防犯方法だなと雅史は思った。


 本殿の中に入ると、そこはガランとしていて、一番奥には壊された祭壇があった。祭壇の扉は無理矢理こじ開けられた為、蝶番が外れて斜めになっていた。もちろん祭壇の中は何も無くぽっかりと空間が出来ているだけだ。
「結局、御神体は見つかっていないのですか?」
 雅史は祭壇の中を見ながら力丸爺さんに尋ねた。
「御神体の石は見つかってはおらんかったんじゃ、催事に使う器はあったんじゃがのう」
 力丸爺さんは残念そうに語った。御神体と言っても、儀式が行われるまでは普通の石だ。その辺に、無造作に投げ捨てられたら、見つける事は敵わないだろう。
「何も無さそうですね……」
 雅史は室内を見回して残念そうに呟いた。


 突然、”キィー…… キィーー……”と音がし始めた。それと同時に頭痛が襲ってくる。姫星は顔をしかめた。
「ねぇ、先生…… この音は何?」
 姫星が訊ねても雅史はキョトンとするばかりだった。
「…… 何も聞こえないよ?」
 雅史は自分の周りを首を回してキョロキョロしている。しかし、何も怪しい物は見えない。ガランとした本堂があるだけだ。耳を澄ませても、風が樹を撫でる音が聞こえるだけで静かなままだ。力丸爺さんも雅史と一緒に辺りを見回している。
 しかし、姫星には無数の虫が室内を飛んでいるのが見え始めていた。
「きゃっ!」
 姫星の目の前に虫が飛んで来た。大きさは二センチ位の黄金色をした虫だ。それを姫星は右手で思わず払いのけてしまった。
”ご、ゴキブリ?!”
 一瞬であろうと姫星にはそう見えていた。しかし、払いのけたと思った虫は、姫星の右手に引っ付いたままで、ブンブンと手を降っても離れなかった。
「ちょ、 何これっ?」
 それどころか姫星が見ている目の前で、右手に同化し始めた。最初は手足の部分が手の皮膚に溶けて、次に胴体が溶け始めた所で姫星が悲鳴を上げた。
「ちょっと取って! 取って! この虫、取ってよぉーーーーー」
 姫星は手を振り回してベソを掻き始めた。
「え! えっ?! 何も付いていないよ?」
 だが、雅史の目には何も見えておらず、力丸爺さんに至ってはオロオロするばかりだ。
「手に付いてる! 手に付いてるっ!」
 姫星が左手で右手をパシパシと叩き始めた。


「取り敢えず、外に出よう!」
 このままでは混乱するばかりだと、雅史は泣きべそを掻いてる姫星を抱える様にして、本堂の外に連れ出した。そして、明るい日差しの下で、改めて姫星のメイド服に、虫が付いてないか見てみたが何もいない。
「ねぇ、姫星ちゃん…… 虫なんかいないよ?」
 それを聞いた姫星は自分の手を見てみると虫は居なくなっていた。手を振って見たが何とも無い。
「あれ?」
 自分のメイド服をパタパタとしてみたが、虫はおろか何も落ちてなど来ない。
「…… ? ……」
 姫星は首を傾げてしまった。確かにゴキブリに似ている黄金色をした虫だったはずだ。
「疲れが出てるのかもしれないね…… 一旦、休憩しに山形さんの家に行こうか?」
 そんな様子を見ていた雅史は、姫星の体調が悪くなり始めているのでは無いかと、心配になって来ていた。
「また、熱中症になりかかっておるかも知れんからのぉ、休んだ方がええじゃろ……」
 力丸爺さんが心配そうに姫星を覗き込みながら言った。
「ううん、大丈夫。 宝来兄さん……次のお寺に行きましょう」
 姫星は腑に落ちない様子だったが、先を急ぐ事にしたのだ。何しろ昨日・今日と探索をしているのに、美良の行方を探す手掛かりが何も見つかっていない。
「でも……」
 雅史は心配顔で言いかけた。
「大丈夫だってばっ!」
 狼狽えた自分が恥ずかしかったのか、姫星は顔を赤らめて先に歩いて行ってしまった。


 雅史は何がなんだか意味が分からず首をひねりながら、姫星の後を慌てて後を追いかけた。

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