第 8話 闇に潜む者

 霧湧村村長の話。

 村長の日村幸一は話し終えると温くなった麦茶を飲んだ。泥棒の頭目キムは、いつまで経ってもパクが戻ってこないので、車を捨てて徒歩で逃げだした。そして、逃げている最中に駐在所の警察官に発見され、不審尋問されるとあっさりと白状して捕まったらしい。自供した内容では逃げた仲間がいるとの事なので、警察と村の自警団で山の中を捜索したが、パクの行方は分からなかったらしいのだ。
「話の時系列から考えますと、美良が来た時にはパク以外とは出会いの可能性が無さそうですね」
 宝来雅史は月野美良の行方不明の原因が、泥棒一味との関係が薄そうだと思い始めていた。
「はい、月野さんのお姉さまがいらした時にはキムは捕まっていましたし、パクは行方不明のまま、リーに至っては死んでおりました」
 日村はそう答えた。月野姫星は考え込んでしまった。泥棒の自供した内容が突拍子も無いことであるが、それと姉の行方不明が関係するのが分からなかったからだ。
「リーが死んでいた?」
 意外な結末に雅史が尋ねた。
「はい、高い木に逆さまにされた状態で吊るされておりました……」
 日村は神社に近い森の中で見つかったといっていた。
「仲間割れでもしたのでしょうか?」
 雅史は泥棒の仲間割れではと考えたのだ。収奪した盗品の分け方で揉めるのはよくある事だろう。
「それは無いと思いますよ」
 日村はにべも無く答えた。
「いえ、足場も何もない木ですよ? 十メートル以上の高さで吊るされていたんです。 それに……」
 日村は現場を知っているし、死体を降ろすのを手伝ったりもしていたのだ。
「それに?」
 雅史は言い澱んだ日村に先を促す。
「全身の皮膚が剥がされていたんです」


 日村の一言で聞いていた一同は黙りこくってしまった。
「まさか、美良が殺したとか?」
 突然、雅史が突拍子も無いことを言い出した。
「いや、それは無いですわ。 十メートル以上の高さに吊るされていたんですよ。 女の子の力では無理ですわ」
 日村が首を振って否定した。雅史は自分でもそう思っている。僅かな可能性でも潰しておくのが人探しのセオリーだと聞いていたので、あえて質問したのだ。
 日村の話では死んだリーの死体を検視した結果、盗みをした当日に死んでいたのだという。そして、信じられないことにリーは生きたまま皮をはがされているらしい。検死した結果には、生活反応が有ったのだそうだ。
「一番の分からないのは…… 吊るされていたリーが微笑みながら死んでいた事なんですよ」
 警察の話では自殺の線で落ち着くのではないかとも言っていた。死体の表情が不可解でも他に考えようが無いのだそうだ。
「え? それでも殺した犯人がいるんでしょう?」
 雅史が驚いて尋ね返した。木にぶら下がっていただけなら自殺の線もあるが、全身の皮が剥がされているのなら話は別のはずだ。しかし、警察はそこまで踏み込んで捜査はしないらしい。
「相手が人間ならねぇ…… 普通の人間にあれは無理でしょ、真実が常に正しいとは限らないんですよ」
 日村は事も無げに答える。この村は神様との距離が近いのかもしれないなと雅史は思った。


「じゃあ、泥棒一味は姉とは面識は無いんですよね?」
 泥棒一味の話の顛末を聞いた月野姫星は村長に尋ねた。
「日付も違うし出会う機会が無いと思いますよ」
 日村は姫星に答えた。
「パクに連れ去られたという可能性は無いですか?」
 姫星が一番気になる点を聞いてみた。村に来た時に偶然出会う可能性もあるからだ。
「それも無いと思います。 あんな不可解な目に逢ってるのに、いつまでも山の中を逃げ回るとは思えないので……」
 恐らく神社に向かうふりをして脇道に入って、キムの目を逃れたのではないかと警察は推測しているらしかった。それに美良は一度自宅に戻っている。泥棒の為に村に戻る可能性はゼロであろう。雅史はこっそりと胸をなでおろしていた。

「それでは夜も遅いですし、私はこれでお暇しますね」
 日村はそう挨拶して帰宅して行った。泥棒の事で疑問点が有れば、いつでも役場に訪ねてきてくれとも言っていた。
「お忙しい中、ご足労いただきまして有難うございます」
 雅史たちは村長に丁寧に礼を述べて見送った。話を聞いたばかりなのですぐには質問が出なかったのだ。
「じゃあ明日。残りの霧湧神社と毛巽寺を回りましょうか?」
 誠が明日の予定の話をしはじめている。
「はい、お願いします」
 雅史は全工程にかかる時間を測りたいとも考えていた。一日で回りきれるのかが知りたかったのだ。
「お話は終わりましたか? じゃあ、何もありませんけど御夕飯にしましょうか」
 真の母親が居間に顔を出して言ってきた。村長が居たので話し出すきっかけが掴めなかったらしい。
 この日の夕食は伊藤力丸爺さんが山から採ってきてくれた山菜がメインだった。都会では滅多に口にできない採れたての食材で彩られていた。誠の母親お手製の料理に舌鼓を打ちつつ、雅史と誠は泥棒の話で盛り上がっていた。
 そんな中、姫星は一人考え事をして黙っていた。
”高い木に盗賊の死体を架けたのは誰なのか?”と言うことだ。


 その日の夜中。午前二時くらいだろうか。姫星はなんとなく目が覚めてしまった。外からは月明かりがカーテンを通して漏れて来ている。
「?」
 別段トイレに行きたいわけでは無い。何故か目が覚めたのだ。少し溜息を付き、もう一度寝なおそうと布団を被りかけた。その時。
”ジャッ…… ジャッ……”
 庭に防犯用に敷き詰められている玉石が踏まれる音だ。窓の外を誰かが歩き回っている気配がする。
「…………」
 姫星は目が覚めた理由が解った気がした。この不審な音に呼び覚まされたのだ。
(どうしよ…… 宝来さんは隣の部屋だし……)
 不審者が自分の部屋の外を、うろついている事実に気がついた姫星は、蒲団の中で固まってしまっている。部屋にはある唯一の窓の方を見た。窓には薄緑色のカーテンが懸かっているはずだ。そのカーテン越しに人影が動いているのが見えていた。
 村に来てから常に誰かに見られている気配を感じていた。窓の外を移動する気配。不審者はカーテンの隙間が空いている事に気がついたらしく近づいていくのが見えた。不審者はカーテンにある細い隙間から中を覗こうとしているようだ。
 姫星は布団を抜け出し、手元にあった化粧ポーチを手に持って、カーテンの脇の壁に張り付くようにした。そして、ポーチの中を弄って携帯電話を取り出した……はずだったが手にしたのは手鏡だった。
(あっ、スベッターをしてたんだ…… って事は携帯電話は枕のところだ……)
 一人焦っている姫星を余所に、外をうろつく影は窓に張り付いているのが分かった。すると室内灯に照らされたのかギョロツと目が覗きこんできた。白目の部分が多く血ばしった大きな目だった。部屋の様子を伺っているのか、不審者の影はしばらくの間、カーテンの隙間から動かなかった。


”ちっ”
 やがて、外から覗き込む不審者の舌打ちが聞こえた。恐らく、室内が暗すぎて姫星の様子が見えなかったのだろう。なにより当の姫星は窓の傍の壁に張り付くようにしている。不審者の死角にいるのだから見えるはずが無い。
”ジャッ…… ジャッ……”
 再び、玉石を踏みしめる音が聞こえてはじめた。もっと中の様子を伺う事が出来るところを探しているのだろうか。
(…… やばい、やばい ……)
 姫星は焦ってしまった。今のうちに隣の雅史の部屋に逃げ込もうかと考えていた。その為には部屋を横切らないといけない。黒い影は窓の前を行きつ戻りつしながらうろついている。そして、黒い影が再びカーテンの隙間から中を伺おうとする気配を感じた。姫星は思わず持っていた手鏡を、不審者の目玉の高さ位置にそぉーっと差し出してみた。
「 ! 」
 覗き込んできた黒い影は相当に驚愕したらしい。部屋の中を盗み見ようとしたら、いきなり目玉(自分のだが……)が現れたのだ。”ひょぇっ!”と小さく叫び声を上げ、同時に”ガタンッ!”と何かがひっくり返る音が聞こえた。
「…… ん?…… やっぱり人間??」
 幽霊だったらどうしようかと怯えていた姫星はカーテンを少し開けて外を伺う。その不審な影は転びつつ庭を横切って走り去っていくのが見える。やはり足のある人間だ。そして、姫星は確信したのだ。


「私たち…… 監視されている……」

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