声を掛けると、翔悟に群がっていたガタイのいい連中が俺の方を向く。
……おーおー、大した悪ヅラなこって。一人でも通りを歩けば道行く人が目を背けそうな面構えなのに、三人揃うとこれまた圧巻だ。
俺は制服の袖を捲り、連中を真正面から睨み返した。
おい、その辺で止めとけよ
声を掛けると、翔悟に群がっていたガタイのいい連中が俺の方を向く。
……おーおー、大した悪ヅラなこって。一人でも通りを歩けば道行く人が目を背けそうな面構えなのに、三人揃うとこれまた圧巻だ。
俺は制服の袖を捲り、連中を真正面から睨み返した。
ドッ…………ドラゴォォ――――ン!!
テレレテレレテレレテ。こんなこといいな。できたらいいな。何故か、そんなメロディーが頭の中に浮かんだ俺だった。
翔悟の胸倉を掴んでいたスキンヘッドの男が、手を離して俺に向き直った。
……おう? てめえは何だ
三人、か。体格差から考えても、一人で相手にするのは難しいだろうな。
普通の人間なら、だが。
燃えよドラゴン、でも構わねえけど?
挑発的な眼差しを向けた。
俺は、この学校でも一部の生徒から恐れられている。別に、ただ髪が赤いだけなら、遅刻しただけなら、そこまで恐れられる事も無いだろう。
なんだか変な気はしていたのだ。過去の俺について知らない筈の、クラスやら教員達が、どうして俺を危険視していたのか。
話した事も無い奴から怯えられているというのは、最初は気味が悪かったけれど。……思えば、俺の事は既に先生を通じて、クラスの生徒達に話されていたのだろう。
つまり、俺が一体誰なのかってことだ。
クソ一年が……まずお前から半殺しにしてやるよ!!
入学試験の時、俺はここの教師に言われた事がある。
普通の成績で合格出来ると思わんでくれよ。君は問題を起こし過ぎている
……そういや、あのハゲ教師ってあの時のハゲか。
事情を知っているなら入学させなきゃ良いだろって話だろうけど、そうも行かなかった。俺はそこまで見越して、この学園に入る為に必死こいて勉強していたんだからな。
一体水希がどれだけの点数を取ってこの学校に来たんだか知らないが、実のところ俺は、この学校の入学試験を全教科満点で通過している。
問題児が有名校に合格する為には、そこまでやらなきゃならなかったのさ。
だから、成績的には入学させない訳にも行かない。でも問題は起こしているから、クラスの連中には予め話されていたんだろう。
ひどいもんだ。
別に、自分から喧嘩を売っていた訳じゃない。この髪でこの体格だったから、先輩の目に付き易かったというだけだ。
拳を構え、腰を落とした。
翔悟のアホめ。これでまた一つ、俺が教師に目を付けられる可能性が上がったじゃないか。
やってみろ……!!
強くなければ。
強くならなければ。
この世に生まれて十数年、俺にも人生の転機というものがあった。恥も外聞もかなぐり捨てて、己を鍛えなければ生きて行けない時期があったのだ。
○
……悪いなドラゴン、付き合わせて
帰りの電車の中、珍しく翔悟が俺に対して謝罪の言葉を投げ掛けてきた。
余程、怖かったのだろう。つい先程まで膝は震えていたし、口数も少なかった。
別に良いよ。連中も後輩に負けたなんて言えないだろうから、騒ぎにはならないだろうし
これは希望的観測、だが。
結局、体格の良い男三人を一人で倒してしまった。何度か殴られはしたが、まあ大事に至るほどのものじゃない。これでも、殴られる事には慣れているのだ。……あんまり、慣れたくはない事だけど。
慣れとは恐ろしいもので、骨折を繰り返すと人間は、骨が折れた程度の痛みでは動じないようになるらしい。今回は骨が折れるどころか、幾つか痣が出来た程度。放っておいてもそのうち治るレベルだ。
たった一度の喧嘩なんて、俺にとってはその程度の意味合いでしかない。
しっかし、ドラゴンもすげえよな……怖くないのかよ? あんな奴等、相手にするべきじゃないぜ
まあ、逃げられるなら逃げた方が良いだろうと思うよ
いらん傷が増えるだけだからな。あと、学校にいらん悪名を轟かせる事になる。百害あって一利なしだ。
本当は甘酸っぱい青春を謳歌したかった筈なのに、気が付けば血みどろのバトルに突入していた時の虚しさよ。
それじゃ、俺はここで
翔悟に手を振って、最寄り駅で降りる。
サンキューな、龍之介
電車の扉越しに見た翔悟の純粋な笑顔は、今までに奴と接して来て初めて見る顔のようにも思えた。
…………さて、と。
去り行く電車に踵を返し、改札口を通って自宅を目指す。春先の夕暮れはまだ若干冬の香りを残していて、周囲が暖かな空気からツンと冷えたそれに変わって行くのが分かった。
そうだ、晩飯の材料を何か買って行かないとな。
しかし、喧嘩をしてみて分かったが、俺もかなり身体が鈍っているようだ。動きは重いし、拳にもなんて言うのか、力が入っていない。学校が変わってから暫く筋トレを休んでいたからだろうか。今日から復活しないとな。
結局、場所が変わってもやる事は同じだ。自分自身の有様に、少しだけ苦笑した。
…………ん?
スーパーに入ると、見慣れた後ろ姿を発見した。あの、蒼っぽい長髪は……水希。
……
買い物を頼まれているのか。面白そうだから、ちょっと見てやれ。
物陰に隠れ、商品を選んでいるその他大勢の振りをして、水希の様子を観察した。
見ているのは……カレールー?
……
どうやら、A社のカレールーとB社のカレールーを見比べているらしい。値段と味の差か。あいつ、何もかもパーフェクトな癖に、料理はお菓子しか作れないからな。
お菓子の方が薄力粉の分量やら砂糖の分量やら、気を遣う事は多い筈なのに。やはり、どこかズレている。
あ、隣のターメリックを見ている。カレーには必須なスパイスの一つだが……スパイスを調合して、自作するつもりなのだろうか。
……
悩んでる。めっちゃ悩んでる。
カレールーの隣にある、シチューのルーを手に取った。……ターメリックと見比べている…………!?
色が変わっちゃうか……
おいおい、シチューのルーでカレーを作るつもりか……!? それはやめておいた方が良いんじゃ……
シチューを戻して……ほっと胸を撫で下ろす俺だった。そして、隣のモノを手に取って……桜でんぶ!?
……
おいおい、幾ら春先だからって……それは悩む食材じゃないだろ。いや、それ以前にまずスパイスを見ろよ。
あ、諦めた。ターメリックを戻して、A社のカレールーを取っていく。
やはり、あいつにスパイスカレーは早過ぎたらしい。
さて、俺はどうしようかな。こう見えても既に一人暮らし状態なので、料理は少しだけ自慢できる腕だったりする。
…………スパイスカレーにするか。
○
ただいまー
声を掛けても誰が反応する訳でもないが、俺はそのままキッチンを目指した。カレーなど久し振りなので、調子に乗ってスパイスを山のように買ってきてしまったぜ。
……一緒に食べる人間が居れば、と少しだけ思わない事もないが。冷蔵庫に食材を一度詰めて、脱衣所へ。流石に、学生服で料理をする訳には行かない。
こう見えて、意外と清潔好きなのだ……って、さっきから誰に自慢しているんだ。
脱衣所に行って、手を洗う。ふと、鏡の向こう側に映っている自分自身の姿に目が留まった。
ちょっと、太ったかな……
母さんが調子に乗って買ってしまった、銭湯にあるような大型の体重計を見る。そういえば、身体が鈍ってきたと感じていたのだった。一度、今の自分の状態を確認してみるのも悪くないだろう。
下着一枚になって、体重計に乗った。
……はあ?
体重計は、百キロを指している。……壊れたかな。
そうか。確か体重計って、乗る前に目盛りをゼロに合わせないといけないんだっけ。
随分久し振りに使うから、元の位置がズレていたのかもしれない。一度体重計から降りて、目の前に表示されているアナログな目盛りを確認した。
…………ゼロ、だ。何か特に、おかしな様子もない。
壊れているんだろうか。
もう一度、体重計に乗った。
…………
目盛りはやはり、百キロを指している。
……いや。いやいや。待て待て、落ち着け。幾ら太った気がしたと言ったって、百キロ台に到達するほど激太りした訳じゃない。学校に行った時、翔悟も何も言っていなかったし。杏月さんだって何も言わなかったじゃないか。
多分、壊れているんだろう。今度、直しておかないとな。
やれやれだ…………ん?
再び鏡を見ると、左の肩辺りに小さな痣を発見した。鏡の汚れでは……ない。しかし、その痣は不思議な形をしていた。
思わず、まじまじとそれを鏡越しに眺めてしまった。
円が描かれた枠の中に、数字。時計で言うところの『十二』の位置は『七』になっていて、目盛りも七つしかないようだ。指している針は、今『四』と『三』の間にいる。
なんだ……? これは……
――――――――動いた。
うわあっ!?
思わず、右手で謎の痣を覆ってしまった。
不思議な時計が、動いている。ただ見ただけでは分からないが、よく見てみると、僅かに。
何が起こったんだ?
人間の身体に時計が描かれる事って、あるのか? しかも動いている――……最先端の技術? 魔法? いや、ひょっとすると呪いか何かか?
穂苅の神社で、俺は何かをしてしまったのだろうか。……覚えがない。そもそも、遊んでいたのは小学生時代の話だしな……
………いや、待てよ。
神様? 確か最近、そんな話をどこかで…………
――――手紙だ
服も着ないまま階段を上がり、転びそうになりながらも自分の部屋へと向かった。
緊張に、息が上がっている。今起こっている出来事に筋の通った説明が何も出来ず、気が動転していた。
あれ、なんて書いてあったっけ…………!?
勢い良く扉を開いて、中へ。ごみの日は金曜日だ。まだ、ごみ箱の中にあるはず…………!!
あった!!
既にくしゃくしゃに丸めてしまっていた手紙を開き、中身を確認した。
突然ですが、貴方に大変な災いが訪れようとしています。
その災いを避ける為には今から一週間以内に、あなたの幼馴染に『べ、別にあんたの為なんかじゃないんだからねっ!?』と言わせてください。
さもなくば……あなたが、豚になります。
神の使いより。
深呼吸。手紙の内容をもう一度、じっくりと読み直す。誰かの陰謀の可能性。若しかして、この人生がファンタジーの可能性。ツンデレ宗教が存在する可能性…………
神よ!! この愚かな豚をお救い給え!!
焦り過ぎて、敬語と命令語が混ざった。
……
駄目だ。さすがに、これでは訳がわからない……!!
豚ってとどのつまり、激太りするって意味だったのか!? そうだとするなら、もしかして百キロなんてまだまだ序の口で、これからどんどん重く……いや、本当に豚になるっていう可能性も捨て切れない。
まさか、本当に効果があるとは……いや、そうするとどうなる?
この手紙が来たのは三日前、入学式の日だ。だからこその、残り四日……!! 四日と言っても、今日はもう終わっちまう……ということは、実質残り三日で俺は水希にこの台詞を言わせないといけない、ということに……!?
いや、そりゃ無理だろ……!? いやいや、無理とか言ってる場合じゃない……!!
やらなければ俺が豚……!?
…………
飛べねえ豚は、ただの豚だ。
結末は分からないが、とにかく嫌だ太るのも豚になるのも――――――――!!
ど、どうしよう……
考えろ。考えるんだ。時間は一秒だって無駄にできない……!!
この手紙には、他の誰かに手紙の存在を言ってはいけない、という注意書きがない。……って事は、誰かに相談しても良い、という事になるのか……?
いや、分からない。見えないペナルティがあって、もしかしてそのまま即刻豚に……なるという可能性も、やっぱりあるんじゃないか?
駄目だ……やっぱり人には相談できない……!!
っていうか豚ってなんだよ!! もうちょっと具体的な内容を記述しろよ!!
手紙を再び、勢い良くゴミ箱に捨てる俺。
しかし、このままではまずい……!! どうにかして、解決策を探さないと……!!
どうする……? 普通に生活していたら、まず間違いなくこんな台詞を吐く事はない……
別に、あんたの為じゃないんだからね。
まず、俺相手に水希が『あんた』なんて言うシチュエーションを思い付けない。水希なら、良くても『あなた』だろう。
いや、案外その辺りはアバウトでも良かったりして……こんな、見るからにアバウトな手紙を送って来るくらいなのだ。ちょっとくらい言葉に誤差があっても、受け入れてくれるかもしれない。
だけど、それ以前に『あんたの為に』ってのが、究極的に無理すぎる……
これって、俺の為に何かをしてくれて、その照れ隠しで水希が言うって事だろ、つまり。
思わず、頭を抱えてしまった。……水希が俺の為に何かをしてくれるシチュエーション。何がある……? こんな状況下でも、何かある筈だ……と、思うしかないが……
そうだ、委員会……
考えもしていなかったけれど、クラス委員って言うのは予想外に良い効果を齎しているんじゃないか?
そうだよ。だって、俺と水希が共同で仕事をしているんだもんな。水希が俺の為に何かをしてくれるシチュエーションとして、申し分ない。
俺がクラス委員の仕事を、なんとなく出来なくなってしまう理由を作ってしまえばいいんだ。
これだ…………!!
例えばそう、風邪を引いてクラス委員の作業を手伝えない日が出来てしまったとする。
そうすると、水希は他にクラス委員が居ない為、自分が一人で参加して俺の仕事もこなすしかない状況に陥る。
気分が悪くなって保健室に行っていた俺が、ちょうど終わる頃に戻って来て、こう言う。
いやー、今日は参加できなくてごめん。熱が下がらなくってさー
そして水希が、若干頬を赤く染めて、もじもじとしながら……
か、勘違いしないでよねっ。別にあなたの為にやった訳じゃないから!
と言う……
……言うか?
…………そんな感じには、ならない気がした。
でも、『別にあなたの為じゃない』ってのは、半分は本当の意味だ。水希はやらなければならなかったんだから。ってことは、その台詞が吐かれる可能性は高くなってくるはず。
あと三日あるんだ。チャンスは何度だってある。たまたま運悪く、俺がクラス委員の仕事が出来なくなってしまえばいい。
よし!!
すまないが、水希。奴には、俺の呪いを解く手伝いをして貰う事にしよう。