―酒場『仔羊の額』―
―酒場『仔羊の額』―
ソーリヨイの街の酒場は、大小合わせて三ケタに近い数を持つ。
『仔羊の額』はその中でも、有数の繁盛ぶりを見せていた。
夕刻が過ぎ、夜の帳の闇色が濃くなるにつれて客は増える。
千客万来な店だが、それなりに汚い。
テーブルとテーブルの間は狭く、くすんだ色のジョッキを持った店員がひっきりなしに動き回っている。
二階も満席だった。
ただ、人の出入りが激しい一階に比べると余裕はある。
開け放たれた窓から夜の静寂さを吸い込んでいるのか、怒鳴り声でなくても相手に聞えるくらいには喧騒も抑えられている。
んじゃ、乾杯!!
乾杯ですぅ
……乾杯
いやー、にしても?
今日も誰からも声掛かんなかったなー
ですねぇ
……
ま、それはそれでいいんだけどよ。
こうも仕事が無いんじゃなぁ
いよいよ別の街にでも行くか?
うーん……それも悪くは無いと思いますけどぉ
この街ってー、結構人通り多いじゃないですかー
他の街行っても変わらないのではぁ?
ゼリィさん?
だよなシュー?
だったらここで待つのがベストだな
前の旅で稼いだ金はまだ余裕あるし
しかしぃ、何でシュー達に声が掛からないんでしょうねぇ?
それがさっぱりわかんねぇ
良物件だと思うんだよなー、オレ達
オレはもっぱら前衛だし、シューは後方支援特化だろ?
汎用性のある、バランス良い編成が組めるってんだ
おまけにこちらには騎士様のパッフもいるときた
『元』ですけどね
あー暇。暇が暇を呼ぶ
そろそろオレ達だけで出ちまうか?
いやですよぉ……
勇者もしくは神官不在の旅ってぇ、よほどの暇人がすることじゃないですかぁ?
だがよ、その勇者から声掛かんないんだぜ?
どうしてでしょうねぇ?
前にパーティー組んでた勇者さんは花屋さんに転職しちゃいましたからねぇ
花屋な。夢あっていいよな
今のご時世、花屋って儲かるのか?
立地条件次第じゃないですかぁ?
お墓や神殿の近くだと、教会側が大量購入したりするんじゃないですかねぇ
あー、なるほどな
街の小さい花屋が存続している理由はそこにあるのか
多分そうかと思いますぅ
……
……
……
なんでしょうかこの間は?
しかしぃ、どうして声掛からないんですかねぇー
近寄りがたいんじゃねぇかひょっとして
正確には、近寄りたくないのではないでしょうか
言葉は似てますけどぉ、意味合いはだいぶ違いますねぇ
……
あれ、パッフ?
今日は酒の進みが遅いんじゃねぇか?
オレなんてもう三杯目だぜ?
元から私は酒類など飲んではいません
あれぇ?
パッフさん、下戸さんでしたかー?
お酒、苦いにがーいだったりしますぅ?
げ、下戸で悪いですか!?
ぜぇんぜんですよぅ
とーっても、かわいいじゃないですかぁ
ぐ、愚弄してますね!?
だ、大体シュー殿も、酒類ではないようですが!?
シューは、お紅茶ですよぉ
ほらやっぱり!!
でもシューはぁ――
契約している精霊ちゃんたちがへそ曲げちゃうので飲んでないだけですよぅ
ワレ……サケ……キライ!!
ぐっ……
てかパッフ、お前のコップの中身ミルクじゃねぇか
しかも甘いことで有名なイチベリの果肉入り
なっ!?
果肉入りのミルクを飲んではいけないと言うのですか!?
いや別に個人の自由だ。
飲んでもいいと思うぞ。うん
おいしいもんなーイチベリの果肉入りミルク
ミルクぅはママの味ぃ
お、お、お黙り下さい!
それより!!
この街に滞在して五日になるんですよ!?
それも五日間、酒場と宿屋に籠るだけ!
あなた方には緊迫感と使命感いうものが足りていないのではないですか!?
おーおー、さすが騎士様だぜ。言うことが真面目だ
見習いたいですねぇ
元・騎士ですっ
お二方の腕を見込んで、この街から行動を供にしただけの短い付き合いですが――
我々だけでも魔物を討伐するのが使命だとは思わないのですか!?
高説にして正論……
だが、今のオレの使命は酒を飲み干すことにある!!
コイツぁ、なかなか手練れで苦戦してるんだ
あらー。それは大変ですぅ
パッフさん、手伝ってあげてくださいー
いや、パッフじゃこの相手は務まらねぇ
その証拠にホレ、パッフのコップを見てみろ
本当ですぅ。お酒じゃありませんー。これなんですかぁ?
ミルクです!!
イチベリの果肉入りの!!
何か文句あるんですか!?
ほんっとにあなた方はもう……
最初にお会いした時から――!!
通り名、ですか?
おう! オレ達、前の旅ではわりと名前が売れててな
一応、通り名とか二つ名みたいなのがあったんだよ
前の旅のことをー、詮索されたくないので伏せますけどねぇー
例えばぁ『ウエスト地方の閃光騎士』なんかですぅ
なるほど。強者に送られる称号のことでしたか
で? お前さんぐらいの腕だとどんな呼ばれ方してたんだ?
お強いですからねぇ。気になりますぅ
……無いです
……
無い?
ですかぁ
え、ええ
そっか……
はぁー
ですぅ
え、えっと……
無いと駄目なんですか?
そりゃあった方がいいだろ
『ウエスト地方の閃光騎士』とか『ウッキシバ領の業火』とかがよ
ですねぇ。ちょっとがっかりですぅ
い、一応『ボシリフ村出身の女騎士』というのがありますが……
それただの自己紹介ですぅ
そんなことあったか?
なければ覚えていません!!
以来私は、一生懸命自分に相応しい二つ名を探しましたが、しっくりくるものが見当たらず、毎晩悩んでいるんですよ!?
テキトーに付ければいいだろ? そんなの
『そんなの』とはなんですか!?
あなた方が言ったんでしょう!
適当に付けようにも苦労してるんです!!
『これ被ってたりしないかな?』
とか
『これは私には勿体ないな……』
とか
考えれば考えるほど、決まらないんです!!
愛くるしいな
愛くるしいですぅ
じゃあ、こんなのはどうですぅ?
え?
き、決めて下さるんですか?
嬉しいのか
『ミルク飲みの下戸騎士』
ぶっ!!
お断りします!!
た、大変だぁ!!
魔物が!! 魔物が攻めてきた!!
!?
!?
!?
た、たたた大群だ!
二百匹は超えてる!!
それは今どこに!?
に、西門だ!!
じきにここにも来ちまう!!
くっ!!
あ、おい待て!!
行っちゃいましたねぇー。
ここ、二階なのに
一階に降りる時間すら惜しいんだろ?
本当に真面目なんだからなぁパッフは
真面目さんですねぇ
真面目な奴助けたい奴、手ぇ上げて
ハーイ、ですぅ
あ、あんたら逃げないのか!?
まあな。ちょっくら魔物に挨拶してくるわ
ですぅ
馬鹿なこと言ってないで逃げろ!
二百匹以上いるんだぞ!?
だから行くんだよ
さっきの騎士さん、強いですからねー
五十や百だったら、まだ紅茶飲んでますよぅ
か、勝手にしろ!
ワレ……コウチャ……スキ!!
デモ……タタカウ……モットスキ!!!
お? 精霊も飼い主に似るもんだな
似てませんよー?
階段がつっかえて降りらんねぇぞ!!
はやくしてくれ!!
……さて
行くか!
おっと、酒の残りを飲んでから
はいですぅ!
あ、お紅茶最後まで飲んでからぁ
二人の影が、開け放たれた窓から躍り出た。
――……