―酒場『仔羊の額』―

ソーリヨイの街の酒場は、大小合わせて三ケタに近い数を持つ。

『仔羊の額』はその中でも、有数の繁盛ぶりを見せていた。

夕刻が過ぎ、夜の帳の闇色が濃くなるにつれて客は増える。

千客万来な店だが、それなりに汚い。

テーブルとテーブルの間は狭く、くすんだ色のジョッキを持った店員がひっきりなしに動き回っている。

二階も満席だった。

ただ、人の出入りが激しい一階に比べると余裕はある。

開け放たれた窓から夜の静寂さを吸い込んでいるのか、怒鳴り声でなくても相手に聞えるくらいには喧騒も抑えられている。


ゼリィ

んじゃ、乾杯!!

シュー

乾杯ですぅ

パッフ

……乾杯

ゼリィ

いやー、にしても?

ゼリィ

今日も誰からも声掛かんなかったなー

シュー

ですねぇ

パッフ

……

ゼリィ

ま、それはそれでいいんだけどよ。
こうも仕事が無いんじゃなぁ

ゼリィ

いよいよ別の街にでも行くか?

シュー

うーん……それも悪くは無いと思いますけどぉ

シュー

この街ってー、結構人通り多いじゃないですかー

シュー

他の街行っても変わらないのではぁ?
ゼリィさん?

ゼリィ

だよなシュー?
だったらここで待つのがベストだな

ゼリィ

前の旅で稼いだ金はまだ余裕あるし

シュー

しかしぃ、何でシュー達に声が掛からないんでしょうねぇ?

ゼリィ

それがさっぱりわかんねぇ

ゼリィ

良物件だと思うんだよなー、オレ達

ゼリィ

オレはもっぱら前衛だし、シューは後方支援特化だろ?

ゼリィ

汎用性のある、バランス良い編成が組めるってんだ

ゼリィ

おまけにこちらには騎士様のパッフもいるときた

パッフ

『元』ですけどね

ゼリィ

あー暇。暇が暇を呼ぶ

ゼリィ

そろそろオレ達だけで出ちまうか?

シュー

いやですよぉ……

シュー

勇者もしくは神官不在の旅ってぇ、よほどの暇人がすることじゃないですかぁ?

ゼリィ

だがよ、その勇者から声掛かんないんだぜ?

シュー

どうしてでしょうねぇ?

シュー

前にパーティー組んでた勇者さんは花屋さんに転職しちゃいましたからねぇ

ゼリィ

花屋な。夢あっていいよな

ゼリィ

今のご時世、花屋って儲かるのか?

シュー

立地条件次第じゃないですかぁ?

シュー

お墓や神殿の近くだと、教会側が大量購入したりするんじゃないですかねぇ

ゼリィ

あー、なるほどな

ゼリィ

街の小さい花屋が存続している理由はそこにあるのか

シュー

多分そうかと思いますぅ

ゼリィ

……

シュー

……

パッフ

……

パッフ

なんでしょうかこの間は?

シュー

しかしぃ、どうして声掛からないんですかねぇー

ゼリィ

近寄りがたいんじゃねぇかひょっとして

パッフ

正確には、近寄りたくないのではないでしょうか

シュー

言葉は似てますけどぉ、意味合いはだいぶ違いますねぇ

パッフ

……

ゼリィ

あれ、パッフ?

ゼリィ

今日は酒の進みが遅いんじゃねぇか?

ゼリィ

オレなんてもう三杯目だぜ?

パッフ

元から私は酒類など飲んではいません

シュー

あれぇ?
パッフさん、下戸さんでしたかー?

シュー

お酒、苦いにがーいだったりしますぅ?

パッフ

げ、下戸で悪いですか!?

シュー

ぜぇんぜんですよぅ

シュー

とーっても、かわいいじゃないですかぁ

パッフ

ぐ、愚弄してますね!?

パッフ

だ、大体シュー殿も、酒類ではないようですが!?

シュー

シューは、お紅茶ですよぉ

パッフ

ほらやっぱり!!

シュー

でもシューはぁ――

シュー

契約している精霊ちゃんたちがへそ曲げちゃうので飲んでないだけですよぅ

シューの守護精霊

ワレ……サケ……キライ!!

パッフ

ぐっ……

ゼリィ

てかパッフ、お前のコップの中身ミルクじゃねぇか

ゼリィ

しかも甘いことで有名なイチベリの果肉入り

パッフ

なっ!?

パッフ

果肉入りのミルクを飲んではいけないと言うのですか!?

ゼリィ

いや別に個人の自由だ。
飲んでもいいと思うぞ。うん

ゼリィ

おいしいもんなーイチベリの果肉入りミルク

シュー

ミルクぅはママの味ぃ

パッフ

お、お、お黙り下さい!

パッフ

それより!!

パッフ

この街に滞在して五日になるんですよ!?

パッフ

それも五日間、酒場と宿屋に籠るだけ!

パッフ

あなた方には緊迫感と使命感いうものが足りていないのではないですか!?

ゼリィ

おーおー、さすが騎士様だぜ。言うことが真面目だ

シュー

見習いたいですねぇ

パッフ

元・騎士ですっ

パッフ

お二方の腕を見込んで、この街から行動を供にしただけの短い付き合いですが――

パッフ

我々だけでも魔物を討伐するのが使命だとは思わないのですか!?

ゼリィ

高説にして正論……

ゼリィ

だが、今のオレの使命は酒を飲み干すことにある!!

ゼリィ

コイツぁ、なかなか手練れで苦戦してるんだ

シュー

あらー。それは大変ですぅ

シュー

パッフさん、手伝ってあげてくださいー

ゼリィ

いや、パッフじゃこの相手は務まらねぇ

ゼリィ

その証拠にホレ、パッフのコップを見てみろ

シュー

本当ですぅ。お酒じゃありませんー。これなんですかぁ?

パッフ

ミルクです!!
イチベリの果肉入りの!!

パッフ

何か文句あるんですか!?

パッフ

ほんっとにあなた方はもう……

パッフ

最初にお会いした時から――!!

パッフ

通り名、ですか?

ゼリィ

おう! オレ達、前の旅ではわりと名前が売れててな

ゼリィ

一応、通り名とか二つ名みたいなのがあったんだよ

シュー

前の旅のことをー、詮索されたくないので伏せますけどねぇー

シュー

例えばぁ『ウエスト地方の閃光騎士』なんかですぅ

パッフ

なるほど。強者に送られる称号のことでしたか

ゼリィ

で? お前さんぐらいの腕だとどんな呼ばれ方してたんだ?

シュー

お強いですからねぇ。気になりますぅ

パッフ

……無いです

ゼリィ

……

ゼリィ

無い?

シュー

ですかぁ

パッフ

え、ええ

ゼリィ

そっか……

ゼリィ

はぁー

シュー

ですぅ

パッフ

え、えっと……
無いと駄目なんですか?

ゼリィ

そりゃあった方がいいだろ

ゼリィ

『ウエスト地方の閃光騎士』とか『ウッキシバ領の業火』とかがよ

シュー

ですねぇ。ちょっとがっかりですぅ

パッフ

い、一応『ボシリフ村出身の女騎士』というのがありますが……

シュー

それただの自己紹介ですぅ

ゼリィ

そんなことあったか?

パッフ

なければ覚えていません!!

パッフ

以来私は、一生懸命自分に相応しい二つ名を探しましたが、しっくりくるものが見当たらず、毎晩悩んでいるんですよ!?

ゼリィ

テキトーに付ければいいだろ? そんなの

パッフ

『そんなの』とはなんですか!?
あなた方が言ったんでしょう!

パッフ

適当に付けようにも苦労してるんです!!

パッフ

『これ被ってたりしないかな?』

パッフ

とか

パッフ

『これは私には勿体ないな……』

パッフ

とか

パッフ

考えれば考えるほど、決まらないんです!!

ゼリィ

愛くるしいな

シュー

愛くるしいですぅ

シュー

じゃあ、こんなのはどうですぅ?

パッフ

え?

パッフ

き、決めて下さるんですか?

ゼリィ

嬉しいのか

シュー

『ミルク飲みの下戸騎士』

ゼリィ

ぶっ!!

パッフ

お断りします!!

た、大変だぁ!!

魔物が!! 魔物が攻めてきた!!

パッフ

!?

ゼリィ

!?

シュー

!?

た、たたた大群だ!
二百匹は超えてる!!

パッフ

それは今どこに!?

に、西門だ!!
じきにここにも来ちまう!!

パッフ

くっ!!

ゼリィ

あ、おい待て!!

シュー

行っちゃいましたねぇー。
ここ、二階なのに

ゼリィ

一階に降りる時間すら惜しいんだろ?

ゼリィ

本当に真面目なんだからなぁパッフは

シュー

真面目さんですねぇ

ゼリィ

真面目な奴助けたい奴、手ぇ上げて

シュー

ハーイ、ですぅ

あ、あんたら逃げないのか!?

ゼリィ

まあな。ちょっくら魔物に挨拶してくるわ

シュー

ですぅ

馬鹿なこと言ってないで逃げろ!

二百匹以上いるんだぞ!?

ゼリィ

だから行くんだよ

シュー

さっきの騎士さん、強いですからねー

シュー

五十や百だったら、まだ紅茶飲んでますよぅ

か、勝手にしろ!

シューの守護精霊

ワレ……コウチャ……スキ!!

シューの守護精霊

デモ……タタカウ……モットスキ!!!

ゼリィ

お? 精霊も飼い主に似るもんだな

シュー

似てませんよー?

階段がつっかえて降りらんねぇぞ!!
はやくしてくれ!!

ゼリィ

……さて

ゼリィ

行くか!

ゼリィ

おっと、酒の残りを飲んでから

シュー

はいですぅ!

シュー

あ、お紅茶最後まで飲んでからぁ


二人の影が、開け放たれた窓から躍り出た。

――……

5、 騎士 あまいミルクを好む

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