人員輸送の深緑色のトラックの車内では、向かい合うようにスーツを着た若者が背筋を正して座っていた。視線は後方の少女へと向いていた。

 皆の力強い視線を一身に受けている少女は誰よりも若い。十六歳だった。皆と同じように正装に身を包んでいる。戦闘の邪魔にならないようにショートボブヘアにしており、鍛え抜かれたことがうかがえる細く引き締まった体をしていた。精悍な顔つきで皆を見据える。

知ってのとおり、私が探索者教育機関アカデミーの首席卒業者だ


 国がダンジョン対策で探索者を育てるために創った学園、それが探索者教育機関だ。卒業試験に合格すると、ランクⅥ以上のダンジョンを探索する許可がおりたり、有事の際に臨時指揮官になれたり、最低ランクだがセキュリティコードも与えられて機密情報の一端にアクセスする権利が得られたりする。

 卒業するには三年以上在籍せねばならないが、何事にも例外がある。エーリはあまりにも優秀なため、二年で卒業となった。しかも首席だ。優秀な人材を遊ばせておけるほど日本の情勢は安定していない。

 卒業式を終えた彼らは、恒例として次に出現したダンジョンを攻略することになっている。今、このトラックは京都へと向かっていた。

 エーリが目を細めて口を開く。

少し前の話になる。……十三年前の二〇二〇年。アメリカ、ワシントンD.C.上空に巨大な天使が現れ、ラッパを吹き鳴らした。直後、半径五百メートルの荒野が降下してきて、ワシントンのビル群を押し潰した。荒野は上陸してからその半径を九・五キロまで拡大させ、中心にいる全身に炎を纏った怪物が荒野を火の海にしていった。――こうして、ワシントンD.C.は壊滅した


 最初に出現したダンジョンのことだ。このダンジョンは後にランクⅩ荒野エリアール型――第一人類試練ファーストダンジョンと名付けられた。

その後、五体の天使が続けざまに世界各地で出現し、ラッパを吹き鳴らした


 第二人類試練セカンドダンジョン。洞窟ロード型。日本、静岡の海岸沿いに出現。ダンジョン降下と共に海水を一瞬で沸騰させ、爆発的熱線により静岡市を壊滅させた。また、太平洋に猛毒を垂れ流し、太平洋の海洋生物の三分の一を死滅させた。

 第三人類試練サードダンジョン。塔バベル型。エジプト、ナイル川上流に出現。毒素を噴出させ、ナイル川を緑色に変色させ、猛毒にした。これにより、一万人以上が死亡した。

 第四人類試練フォースダンジョン。不明。ロシア、サンクトペテルブルク中心に出現。球状の闇であり、まるで光を受け入れない。飲まれた都市がどうなったのかも不明。

 第五人類試練フィフスダンジョン。地下迷宮ラビリンス型。フランス、パリ郊外に出現。地下へと通ずる半径二百メートルを超える大穴が中心にはあり、その幻想世界内では昆虫型のモンスターが蔓延している。

 第六人類試練シックススダンジョン。神殿サクラム型。イラク、ユーフラテス川沿い。神殿内部には四体の巨神兵が佇んでいる。

 つらつらと、エーリは世界に存在するランクⅩダンジョンの説明をした。

ランクⅩダンジョンは恐ろしい。実に人類四億人が死亡し、倍以上が行方不明になった。……未だに第二以外は攻略されておらず、今この時も探索者が挑み続け、残念ながら犠牲者となっている。――私達だって同じだ。ランクⅩダンジョンを探索すればすぐにモンスターの餌食だろう


 皆がごくりと生唾を飲み込む。

しかし! 経験を積み、ダンジョンを知れば必ずやいつか! ランクⅩダンジョンも攻略できる日が来る! その第一歩目は京都に出現したランクⅢ神殿型だ!


 うおおおおぉぉぉ、と雄叫びが上がる。

 同時にトラックが止まり、エーリの背後のドアが開く。途端に街からのどよめきが飛び込んでくる。自衛隊員が、幻想世界に飲み込まれそうな家屋から順に動けない病人などの救助活動をしており、忙しなく行き来したいた。

 エーリはその中の一人から報告を受ける。

人員救助は自衛隊特殊課で何とかなっているそうだ。……いくぞ、攻略に集中しろ!


 エーリがトラックから下りたつと、皆も続いて下りる。そして四人ずつの班、五つに別れ、いよいよ京都のダンジョンを前にした。

 砂の神殿は禍々しく、突如として出現した砂漠の中にそびえ立っていた。

 境界が、近くで見ないと分からないほどゆっくりとした速度で拡大を続けている。こちらの気温は五度ほどで肌寒いが、向こうはかげろうが発生し風景がゆらめいていた。景色では一見つながっているが、この一線の向こうは、別の物理法則が支配する異世界――幻想世界だ。

 エーリはくるりと踵を返し、皆を見据える。

私達は仲間だ! 助け合い、一人も死者を出さずに神殿を攻略する! 覚悟はいいかぁッ!

「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッッ!

 返事は咆哮として返ってきた。

 皆の年齢は二十歳前後だ。年上の集団をまとめあげられるほどにエーリには信頼が集まっていた。皆の瞳に曇りはなく、輝いて満ち満ちていた。

 ――エーリがついているなら大丈夫だ。

 エーリは皆の期待をしかと受け止める。

よし! 後に続けぇッ!


 エーリがダンジョンに向き直り、睨むように神殿を見つめる。そして歩き出し、――いよいよ境界を越えた。

 瞬間、スーツから薄い鎧メイルをまとった剣士へと格好が変わる。首には能力者を示す紅い紋章が輝き、手には紋章と呼応するように輝く真紅の細剣が握られている。

 後ろに続くアカデミー卒業者も、スーツからそれぞれの戦闘着へと変わっていく。詳細はそれぞれだが、どれもが中世の兵を思わせるような格好である。そして皆、首に輝く紋章を宿し、それと同色のそれぞれの武器を手にしていた。武器は剣、弓、斧、槍など古風なものばかりだ。

 代わりにポケットから携帯電話やペンなどは消える。ある程度のレベルの科学技術は境界により阻まれる。技術制限だ。

 人類がダンジョンに苦戦している最大の理由はこれだ。ダンジョンにミサイルを撃ち込んでもこの境界により消し去られてしまう。また、外で爆発させたとしても爆風なども通さない。絶対防護の壁なのだ。

うっ……


 エーリが表情を曇らせる。真先に感じたのは、熱さである。蒸し風呂のような高湿度の熱気が上から下からと攻めてくる。また、足が砂に取られて動きにくい。

大丈夫かよ、【断空烈光の剣姫】


 後ろから同じ班の宮川が声をかけてきた。宮川は百八十センチ超えの身長に、適度に鍛えられた肉体をしている爽やかな青年だった。歳はエーリより二つ上だ。

 断空烈光の剣姫というのは、彼女についている二つ名だ。もっとも、長いので日常的に呼ぶものはいない。

大丈夫だ。心配はいらない

一気にいろいろ仕事任されちまって大変だろ? 若いのになぁ


 宮川は屈託のない笑顔をエーリに向けた。しかし、エーリはむすっとする。

若さは関係ないだろう。やることはちゃんとやるさ

へいへい、そうだったな。さすがはアカデミー史上最優秀だ、言うことが違うぜ

軽口を叩いてないで集中しろ。ここはいつも訓練で探索しているランクⅠダンジョンとは訳が違うんだぞ


 アカデミー敷地内にはランクⅠのダンジョンがある。アカデミー時代、訓練として皆が潜るのだ。敢えてダンジョンボスは倒さず、そのまま訓練用としてずっと使用している。

あんまピリピリすんなよ。大丈夫だって、何かあったら俺が助けてやるから


 宮川はそう言い、スピアを掲げる。

……そうか


 エーリは目を伏せる。分かっていた。そんな状況は来ないだろうことを。

 自分は、強い。

 自分が誰かを助けることはあっても、誰かが自分を助けることはない。

 二位と圧倒的な差での首位卒業だ。自分の探索者としての能力は誰よりも高い。

 訓練用のダンジョンも誰よりも早くボス部屋まで辿り着けていた。もちろん、沸くモンスターを全て一人で蹴散らして、だ。

 正直――負ける気がしない。

 にやりと、彼女の口元が綻ぶ。

 しかし、すぐにそれを引き結ぶ。目の前から、砂の盛り上がりが高速で近づいてくるのを確認したからだ。

あれは――ススドラドワーム


 ススドラドワーム。ミミズを巨大化させたようなモンスターであり、砂の中を自由に移動できる。エーリは文献でしか見たことがなく、実物を初めて前にして剣を握る拳が引き締まる。

 こちらは砂に足を取られて動きが鈍くなっている。近づかれると厄介だ。そう判断したエーリは、剣を掲げ、構える。

 剣が輝き出し、同時に首に浮かんだ紋章も同じように輝く。

ハアッ!


 剣を縦に薙ぐ。しかし、ワームとの距離は実に十メートル以上ある。届くはずもない、が――斬撃が紅の光線となり一瞬伸び、盛り上がった砂を両断した。

 探索者が持つとされるスキル。スキルを使うと普通の武器攻撃とは異なる魔法としか言えないような技を繰り出すことができる。

 彼女のスキルは非常に優秀だ。【斬撃延長】はまず初見なら避けられない。もちろん分かっていたとしても、連続で切りだされたら避けることはできない。近距離の武器であるはずの剣が中距離にもなる――それがアカデミー史上最強の理由だった。

 キイィ、とモンスターの断末魔が聞こえる。しばらくして、砂の中から細かい光が上がり、盛り上がった砂は落ち着いた。ダンジョン内の生物が死亡すると光となり空へと昇って行くのだ。モンスターも、そして人間もである。だからダンジョン内には死体がない。行方不明者が多くなる理由だ。

 モンスターを一刀両断したことで、後ろの卒業者たちが一層の盛り上がりを見せる。

行けぇ! 進めぇ! ダンジョンを落とすぞッ!


 エーリの気高い声に皆が反応する。

 ダンジョン攻略は順調――、そう思えた。

 しかし、エーリたちはまだ神殿内部にさえ入っていないのだ。

 ランクⅢダンジョンの現実とぶつかるのは、すぐのことだった。

京都、ランクⅢダンジョン

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