集まった人全てを背負い投げに伏して、学長室を訪れたのは、十八時をまわったころだった。

おめでとうございます。あなたはやっぱり地球上で一番馬鹿ですね。一番というのはどんな事でもすごい事ですから、ぜひとも祝わせてください

 学長室を開けた瞬間に、褒めているのか貶しているのかよく分からない言葉が飛び出してきた。

よく分からないですけど、厚意は受け取っておきますね

うふふ、嫌みが通じないあたり、どうしようもないお馬鹿さんですね。くたばれ

く、くたば……?

全国の天才たちが集う探偵学校の学長室は、さながら中世ヨーロッパの一室――想像して欲しい。想像できたら、それをぐしゃっと圧縮してゴミ袋に詰めてポーンと放り投げてください。
実際は――うず高く、そう、うず高く積まれたピンクのぬいぐるみたち。それらが部屋の半分以上を占めている。絨毯もピンクで、机もピンク。椅子もピンク。全て部屋がピンクで、目がチカチカすると同時にいちごミルクが飲みたくなってくる。
そして学長の髪もピンク。爪もピンク。ピンクのバーゲンセールである。
 桃園サクラ学長はパーマをかけた髪を横で結い、ちょこんと帽子をのせている。フリルのついた服装は、いわゆるロリータファッションと呼ばれるものだろう。格好のせいか、非常に若く見え、大学生くらいの歳に見える。年功序列が完全に廃止されたこの街では、実際にそれくらいの歳で学長の椅子を得るのもありえないとは言えないけど。

どうかしましたか?

 学長は優しいことで有名である。いつもにこにこと笑顔を絶やさずに、おっとりとした喋り方をする。しかし、僕には毒が混じって聞こえることがあるんだよなぁ。

え、いや……くたばれって言いませんでした?

いやですねぇ

 にっこり。

言いましたよ?

言ったんだ!

 なんでにっこりしたんだよ。

そりゃあ、こんなことになってはいくら『優しいことで有名で』あっても毒を吐きたくもなりますよ

 ねー? と、腕に抱えたピンクのウサギのぬいぐるみに同意を求める。歳不相応(おそらく)な行動に、僕はげんなりとした。しかし、あることに気が付いて講義する。

ちょっと、勝手に恩恵(ギフテッド)使って僕の心を読まないでくださいよ!

哉木さんだって、恩恵使ってばったばったと人を投げまくって来たところじゃないですか

ぐぬぬ……

 僕が無尽蔵に思える体力で片っ端から人を投げたのも、学長が僕の心を読んだのも、僕等が恩恵者(ギフテッド)だからだ。
 恩恵。神から与えられた力――そう呼ばれるのは、別に科学が神を立証したからでも、宗教が世界を支配しているからでもない。日本は相変わらず民主主義で、昔から少し変わった点と言えば、この街が実験的特区としてほぼ主権的に独立していることくらいだろう。
 恩恵がなぜ神の力と呼ばれているか。それは、この力が、ひとえに先天性のものだからだ。
 サヴァン症候群やアスペルガー症候群を始めとし、昔から、とある分野にだけ秀でた能力を持つ人間はいたらしい。恩恵者というのは、その延長だ。六十年ほど前から、日本で急激に誕生確立が上がった。
恩恵者は一つの分野を司る脳領域が、他の部分を侵食し、大きくなっている。
 例えば、僕。
 僕は、恩恵者の中でも、ソド――先天性偏向運動恩恵者と呼ばれる。
 ソドは運動神経が非常に優れ、武道などは一度見れば――筋肉や柔軟が追いついていれば――すぐに自分のものとできる。思った通りに自分の体を動かすことができるのだ。他にも瞬発力や反射速度が常人の比ではない。だから、ソドはスポーツの大会に出ることを禁止されている。
 ソドは運動能力には秀でるが、頭脳領域を食ってしまっているので、一般的に頭は良くない。もちろん、個人差はあるけど。

哉木さんは、ソドの中では良い方です。なんせ、探偵学校に受かったんですから

はあ……そうですか。というか、心読まないでください

でも、なんか、どうしようもないところで抜けてますよね

……

 そして、桃園学長。
 恩恵者には、ソドともう一つ、大きな分類がある。それが、サヴァン――先天性偏向知的恩恵者だ。サヴァンは、サヴァン症候群から取った名らしい。
 こっちは、ソドのように『運動神経が良い』と、なかなかひとくくりにはできない。
 大きく言えば、ソドの反対だ。頭脳領域のとある部分が、他の頭脳領域、または運動領域を食ってしまっている。
 ただ、人によって、どの部分が秀でてどの部分が劣っているかは千差万別。だからこそややこしい。
 桃園学長は、観察力に優れ、仕草や目線、発汗量、声の強弱、高低などから、相手の心を読むことができる。さながら、サトリのように。だから、桃園学長は、人心把握のサヴァンと呼ばれている。
 超能力かと思うかもしれないが、立派な科学だ。僕には、正直、その辺のことはよく分からないけど。全ては科学によって立証されているものだ。診断をすれば一発だ。
 だけど、診断をしなくとも、『サヴァン』かそうじゃないかの区別は、見ただけでつく。
 なぜなら、サヴァンの地毛はカラフルだからだ。しかも、染料によって染まらない。
 もちろん、その能力の内容までは分からないけど。だからこそ、僕は、探偵科の入学試験の時、桃園学長の面接によって、本心まで丸裸にされてしまったわけだけど。
 今も、変な妄想をしないように必死に気を付けている。
 学長が、足を組んで僕を見据えた。

それで、無差別に計六十七人を背負い投げにした感想は?

別に無差別に投げたわけじゃ……学校の敷地外でしたし、正当防衛だったんです。ルールは守ってます。ちゃんと証人の女の子もいるんですよ、……どっか行っちゃったけど

 呆れるように、学長は目を細めた。

助けに入った生徒を全員投げ飛ばし、人の山を三つも作っておいて、それが無差別じゃないんですか? わー、哉木さん、おもしろい冗談ですー!

ん? 助けに入った……?

 どういうことだ? あの時、周りに集まってきた人達は全て田中くんとマッチョの仲間のはず……。

違います。カツアゲ現場を目撃した生徒が、助けようと思って人を呼んで戻ってきたんですよ

 ああ、はいはい。

……………………

 なるほどね。

……………………

 えっと。

……ええええええぇぇぇぇぇぇ!?

ただの傷害事件ですよ、哉木さん

そ、そそそそんな……

あなたがこうやって事件を起こすのは、四回目です。あなたが入学してまだ二か月ですよ? 隔週で事件を起こすとか、何か義務感でもあるんですか? 俺がこの学園生活を楽しくしてやるぜ、的な

いやいやいやいや! 確かに事件でしたけど……全て一考の余地ありというかなんというかごにょごにょ

ないです。全て哉木さんが馬鹿だからです。今日からキングオブ馬鹿はあなたです

えぇ!? 嫌ですそんなの! 田中くんに返還してください!

まあ、あなたは退学ですから、もう関係ない話でしたね、すいません

んんっ

 あれ? ちょっと今、すごいことをさらっと言われたような……。

ええ、何回でも言いますが、哉木架成さん。あなたは、国立探偵学校探偵科を退学処分となりました。通達が行きましたよね?

 えっ。え……? いや、ちょっと、よく分からない……。
 探偵学校探偵科。
なりたい職業ランキングぶっちぎり第一位の国家公務員『探偵』になるために絶対に卒業しなくてはいけない場所。
日本の一握りの中の更に一粒である偉才たちしか入学できないという――あの、探偵学校探偵科。
僕が出家のごとく外界との接触を絶ち、血反吐を吐くほどに勉強し、奇跡に奇跡が重なってようやく入学できた――あの、探偵学校探偵科。
合格通知を持って学校の友人、近所の人、果ては通行人にまで自慢しまくり、その結果、友人を全て失い、近所の人からは挨拶を返してもらえなくなり、市内で『受験に失敗した幽霊が無念のあまり合格通知を見せて微笑んでくる』という都市伝説ができてしまうほどに僕を変えてしまった――あの、探偵学校探偵科。
そこを、退学だって?

た、確かに、変な通知は来ましたけど……

 僕は、震える手で、封筒から一枚の紙を取り出す。

ちゃんと届いているじゃないですか

で、でも! 見てくださいよ。このぺらっぺらの紙。これが正式文書なはずが――

ちゃんと学校印が押してありますよ?

 確かに、押してあるけど……。

だけど! ほら真ん中あたりにぐちゃぐちゃっと汚い皺が寄ってますし! 正式文書なのにこれはないですよ!

 僕が大袈裟な身振り手振りで抗議すると、学長は涼しい顔で一言。

あ、それは紙が詰まったんです

 なんで換えないんだよ!
 え、じゃあ何? これって本物の退学通知なの? え? んん? おえぇっ……。

ま、待ってください。お。おおおお落ち着いてください

落ち着くのはあなたですよ、哉木さん。ほら、深呼吸

 僕は学長が促すままに深呼吸をする。何で僕がなだめられているんだ。
 何とか落ち着いた僕は、質問を続ける。

えっと、あのですね。じゃあ、この裏にあるカラフルな線は何ですか? 何か意味があるんですか? あ、悪戯の印、とかですよね?

 僕は退学通知を裏返し、指さす。そこには、細い四色の色が刷られていた。
 学長は笑顔を少しも崩さずに、爽やかに答えた。

インクの目詰まりチェックのために裏を使わせてもらいました

ノズルチェック……パターン……!

 僕はその場に崩れ落ち、四つん這いになって地面を叩く。
 いいのか? 天下の探偵学校の正式文書の裏に、ノズルチェックパターンなんかしていいのか? 確かにあの紙ってもったいないけど、だからってこんな横暴が許されるのか? 社会ってこんなものなのか?

分かったでしょう? それは正式な退学通知なんですよ

…………

 どうやら僕は、これが退学通知であるということを認めなくてはいけないようだった。
 それでも食い下がる。

……な、なんで僕が、退学なんですか。無遅刻無欠席、提出物も全部出していますし、制服の着崩しもしない。規則を、一度も破ったことがないです。それなのに、なんで

 僕の訴えに、学長はうんざりしたように答えた。

探偵学校探偵科は、優秀な人材のみを輩出しなくてはならない義務があります。毎月、規定の学力に達していない者は退学処分になるのはご存知ですよね?

はい……

 それは知っているし、理解もしている。

理解力、発想力、直感力、思考力、整理力、記憶力、想像力、言語力、読解力、集中力、判断力――どれも低い。あなたは、確かに真面目です。でも、頭が悪い

 その言葉は、まるで、なんとか指先が届いたその高みから、僕の指を捻りつぶすように、僕に鈍痛を与えた。
 目の前の道が灰色のトーンをかけられたように薄暗くなる。

それなら、僕は……どうやったら探偵に、なれるんですか? どうやったら、人を守ることができるんですか?

 桃園学長の顔からは、笑顔が消え、僕を諭すような目つきになっていた。そして、目は口以上にものを言い、僕は全てを悟った。

警察に入るか、もしくは助手科に行ってください。あなたは、ソドなんですから。サヴァンでもないのに、よくここまでやりました

 まるで、僕に別れを告げるような目つき。
 知っている。探偵に、ソドはいないということを。圧倒的に、サヴァンばかりだということを。だけど、それでも――

本当に、もう、僕は……探偵にはなれないんですか?

一瞬で思い出される過去の苦渋。僕は、探偵になって人を救いたい。ソドとして――腕力を行使するのでは救えない人を、救いたい。

どうしても、どうしても探偵になりたいんです!

……本気ですか?

本気です! 嘘を破るために、その力を得るために、探偵になるんです!

本当に? どんなことがあっても投げ出しませんか? どんなに辛い目にあっても、理不尽な目にあっても、耐えられますか?

 僕は糸に引かれるように顔を上げる。

投げ出しません! 耐えられます! 何ですか!? 何か方法があるんですか!?

 桃園学長はにやりと口角を上げ、ウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて嬉しそうに言った。

哉木さんなら、そう言ってくれると思いました

 学長の笑顔が、いつもの十倍増しに輝いて見えた。女神。女神がいる。

探偵になる道は、一つ、探偵学校を卒業し、国家試験を受け、通過すること。しかし、もう一つあるんですよ。卒業証書もいらず、国家試験を通過しなくてもいい方法が

それは……?

それは、ですね

 学長は、椅子をくるりと回し、僕をぴっと指さして言う。

実績をあげ、国に認められることです

実績、ですか……

 つまり、難解な事件を解き、犯人を逮捕すること。

その際、推薦が必要ですが、私がしてあげましょう

あ、ありがとうございます!

で、そのためには、探偵の助手として働くのが一番手っ取り早いです。探偵と助手は一心同体、一蓮托生、不離一体。探偵の手柄は助手の手柄でもあります

 ふむ。確かにそれはそうだ。
 全ての実績は探偵の名で出されるが、同時に、助手の評価も上がる。内実が、どうであってもだ。

ですから、しばらくの間、哉木さんには助手をしてもらいます

 助手か。探偵をやりたいけど……でも、これも将来探偵をやるためだ。こんなおいしい話を紹介してもらったんだ。感謝すべきだろう。

助手になって、そうですね。今なら、街で起きている連続爆破事件、あれとか解決したらすぐにでも探偵になれるんじゃないですか?

連続爆破事件、ですか

 ここ数カ月に渡り、この街で、合計十二件の爆破事件が起きている。しかも、普通の爆破事件じゃないらしい。それは、爆破の仕方が、とか、犯人が、とかではなく、とにかく特殊で、異例だと。僕は、そこまで詳しくは知らないけど。
 でもあれは、警察も、一部の探偵もお手上げの、Sランク案件だ。そう簡単に解決できるものじゃない。
 まあ、それは置いといて。

で、誰の助手をやればいいんですか?

私の知り合いに丁度、助手がいない探偵がいましてね、ええ。本当に、たまたま。このベストタイミングで。運命があるなら、こういうことを言うんでしょうね

はあ……

 何か言葉に裏を感じる。

すごい探偵なんですよ、本当に

どんな探偵なんですか?

んー……、詳しいことは伏せますが、一言、言っておくなら、あの人の言う『ダウト』は嘘と同義なんです

ダウト、ですか

 疑いが、嘘となる。どういうことだろう。
 現在の探偵は、ほとんどがサヴァンだ。きっと何らかの恩恵を持っているのだろう。

哉木さんにはその人の助手をしてもらいます。地図とメモを渡しますから、まずは会ってみてください

 机の中から手書きの地図とメモが現れる。……あれ、最初から用意されてた? あれれ?

あ、注意事項が一つあります。その探偵にしてはいけないことがあるんです

 学長がゆったりと僕の注意を引く。まったく、わざわざ言わなくても分かっている。

背負い投げですよね

それは誰が相手でもしてはいけません!!

は、はい……

 そ、そんな大声ださなくても……。
 学長は一拍置いて、僕に釘を刺すように言い放った。

その探偵には、絶対に、嘘をついてはいけません

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