『退学通知
生徒番号 D7CE2435
氏名 哉木架成(かなきかなる)
以上の者を、○×年度をもって退学処分とする』
『退学通知
生徒番号 D7CE2435
氏名 哉木架成(かなきかなる)
以上の者を、○×年度をもって退学処分とする』
ふむ……
僕が、確認のためにもう一度封筒から中身を取り出して見てみると、やはり退学通知がそこにはあった。ペラペラの安そうなコピー用紙に印字されたそれには、申し訳程度に探偵学校の印が押されている。
まったく、手違いでこんなものが送られてくるなんて、管理がずさんだなぁ
自然と嘆息した。僕の吐息は六月の湿った空気に攫われ、敷地内の木々をざわめかせた。
僕が退学なんて、そんな理由はない。
探偵学校に入学してはや二か月。思った以上に適当な部分が多く、僕はうんざりしていた。
間違って退学通知を送るなんて、ありえないだろう。見た瞬間、あまりの驚きに見なかったことにして静かに封筒に戻した。そして再び出してチラ見、『退学通知』。信じられなくて戻してチラ見……何回目かの繰り返しによりようやく僕は、この書類が誤って送られてきたのだと悟った。
認めた瞬間の、血の気が引く感覚。二度と体験したくない。
怒りをぶつけるべく、僕は探偵学校内を、学長室に向けて足を運んでいるのであった。
ここは、日本で唯一の探偵学校だということで、生徒数や科も多い。それ故に敷地も広大である。全体は円形をしていて、なんと直径四百メートルもあるのだ。小さな街なら一つ入ってしまう大きさだ。
地味に遠いんだよなぁ
僕の寮と学長室は正反対に存在し、しかも上りだ。さっきから階段ばかりである。しかしそれもようやく終わり、職員棟が見えてきた。褐色のレンガ造り、左右対称のその建物の最上階に学長は鎮座している。
――さて。
僕が、息を整え、再び歩みを進めようとした時、
――い、お前――――
校舎の角を曲がった先の方から何やら声が聞こえてきた。なんだ……?
確かこの先は、裏門になっていて、普段は生徒が立ち寄らないような場所だ。
気になってこっそり覗くと、
あっ
目つきの悪い二人の男子生徒が、一人の女子を壁に追い詰めていた。
男子生徒の一人はひょろりと背が高く、耳にはピアスがきらりと光っていた。もう一人は、全身が筋肉でコーティングされたかのようにがたいが良い。
んだと、てめえ! 大人しく財布置いてったら許してやるって言ってんだよッ!
そうだぞ、お前。田中くんがこう言ってるんだから。大人しく財布置いてけ
典型的なカツアゲであった。
田中と呼ばれたひょろい生徒の方が主犯格のようである。制服から判断するに、二人共、探偵学校助手科の生徒のようだ。
助手科は学力試験より体力試験の方に力を入れている。とは言え、ここは天下の探偵学校だ。そんな場所に、こんな生徒を入学させてしまっているだなんて……。
僕は思わずため息をつき、そして、カツアゲされている方はどんなに恐怖におびえているだろうと目を移すと――、
こ、この! シロリに手を出したら、どうなるか分かってるにょ……わ、分かってるの!?
ぷるぷると体を震わせ、ファイティングポーズを取っている少女がいた。
雪のような純白の髪にビー玉のような真紅の瞳。季節外れの白いもこもこのマフラーを巻き、口元を覆っていた。小柄で華奢な体躯であり、僕より数歳、年下に見える。
手ぇ出したらどうなるんだ!? あぁん!?
そ、そんなことしたら…………シロリが痛いでしょ! 泣くよ! ばーか!
普通にやられるのかよ。
あっ、こいつまた田中くんのこと馬鹿って言った! 確かに田中くんは馬鹿だけど、すごい馬鹿なんだぞ! テスト用紙に名前を書いてあるのに0点を取るタイプの馬鹿なんだ! キングオブ馬鹿! 他の馬鹿の追随を許さないタイプのぶっちぎり馬鹿! 田中くん馬鹿すぎ!
おい、マッチョがすごい勢いで悪口言ってるよ。
そうだ。俺は……キングなんだ
得意顔の田中くん。ぶっちぎり馬鹿ってすごい。ポジティブシンキングなところ、僕は好きかな。
そんな馬鹿な田中くんが、今日は財布と間違えてナスを、携帯と間違えてキュウリを持ってきちゃったんだよ! だからお金貸してくださいって頼んでるのに、さっきからなんだよその態度!
そうだ! お前、さては農家を馬鹿にしてんな!? あぁん!?
なんで貴重なシロリの財産をお前らにくれてやらなきゃいけないの。ぜ、絶対にいやだから!
……うん、どんな理由であれ、これはカツアゲだ。僕は張り付けたようなうっすらとした笑顔を浮かべながら考える。カツアゲは恐喝であり、恐喝は犯罪である。女の子、すごく困っているみたいだし。ここはひとつ、僕が手助けせねば。
さて、どうしようか……。
校則で、校内暴力は禁止されている。それが規則である以上、僕も守らなければならない。どんな状況でも規則は守る、これが僕の絶対の人生哲学だ。
――それならば。
僕は、裏門のところから声をかける。
ねえ、ちょっといいかな
あぁん!?
田中くんが僕に向かって振り返る。
お金に困ってるみたいなら、僕が貸してあげるよ
あぁ? ……本当だろうなぁ?
足をひきずるようなちゃらちゃらとして動きで田中くんが僕の元へ寄ってくる。マッチョも後に続く。白髪の女の子はきょとんとしていた。
田中くんが僕と目と鼻の先まで来て、僕の顔を下から覗き込むように身をかがめた。
ここだ。ここがポイントだ。
相手を最大限に引きつけ、期待させ、ここで必殺の一撃をぶち込む。
うっそぴょ~ん!!
僕は手で耳を作りながら相手を挑発する。
馬鹿になる。一瞬で馬鹿になる。
はあ!? ってめぇ……!
お金なんか貸さないぴょ~ん、絶対嫌だぴょ~ん!
見てください、女の子の目。すごいよ、今にも通報しそうだもの。
しかし、これは必要な手段なのだ。
田中くん! こいつ田中くんのこと舐めてるよ! キングオブ馬鹿を見せてあげなきゃ分からないみたい
ぴょんこぴょんこ
僕の挑発を見て、田中くんも頭に血が昇っているようだ。
その制服……探偵科か。いっつも俺達を見下してよぉ! 頭が良いだけのクズが! 腕力ならこっちの方が強いんだよッ!
田中くんが腕を振りかぶった瞬間――全ての条件がそろった。
ここは裏門から少し外に出た、学校外。そして、殴られそうな瞬間、正当防衛。
これで僕は制裁を行える。
うおおおぉぉ!
突きだされた拳をかわし、そのまま体を反転させて腕を掴む。田中くんを背中で持ち上げるようにして、今度は下に引っ張る。背負い投げである。
彼の体は綺麗に宙を舞い、ビターン、という乾いた音と共に地面と衝突した。
かはッ
肺を圧迫されたことにより空気が強制的に放出され、しばらく行動不能になるのだ。
た、田中くん! ……よ、よくも田中くんをぉ!
マッチョが吠えると同時に、校舎の表側から人が出てくる。
ぞろぞろと、五、六人……いや、どんどん増えている。仲間か!
大丈夫ですか!? カツアゲされていたみたいなので、人を呼んできました! ……ってあれ? 絡まれてる人が変わってる……?
遠くから何かを言っているが、耳を貸さない。敵が何を言おうが、そんなことは無視だ。どうせ、田中くんやマッチョに加勢する気なのだろう。
このぉ!
僕が気を取られている隙にマッチョが同じようにパンチを繰り出してきた。
しかし僕は素早く反応し、背負い投げで地面に伏せる。ドシーン、と重厚な音があたりに響く。柔道というのは相手の体重までも利用して攻撃にしてしまう非常に優れた武道である。
ぐへぇ……
田中くんとマッチョが伸びたことを確認していると、さきほど遠くから何かを言っていた集団の一人が近づいて来て、声を掛けてくる。
あ、あの。大丈夫ですか? 怪我とかないですか? 先生、呼んできますね?
決して耳を貸してはいけない。こいつは田中くんたちの仲間に違いないのだ。それだったら、僕がとる行動は決まっている。
せいッ!
背負い投げにした。ビタン、したたかに背中を打った後、反転し、地面とキスをして無言になる。綺麗に決まったなぁ。
な、なんで……
男が未練を残したような声を上げる。何か腑に落ちていないようだ。でも、不良の仲間なら、こうなるのも当然だろう。
なんで助けに行ったあの人が背負い投げされたんだ?
お、おい!
こいつやべえぞ!
もっと皆呼んで来い!
いつの間にか十数人が僕の周りを囲んでおり、それが一斉にどよめき始めた。
こんなに仲間がいたのか……大きな不良グループだったのかな?
少し時間がかかりそうだ……早いところ、学長室に行って抗議したいんだけどな。
そういえばカツアゲされていた女の子はどうしただろうと、目を向けると、既に彼女はいなくなっていた。