第 7話 御神体
第 7話 御神体
霧湧村村長の話。
霧湧村の村長は日村浩一という名前だ。まだ、四十代で日本国内を見回しても、比較的若い世代に属する政治家だろう。実際に会うと温厚質実な人物だった。
過日に捕まえた泥棒に、月野美良の事を質問にしてくれるように、警察に掛け合ってくれたそうだ。市井の人間ならばともかく、村の責任者に頼まれたら、警察も無下には出来無い様で、質問したそうだが『そんな女は知らない』と言われたらしい。
ただ、泥棒一味が遭遇した不可解な出来事の様子を聞かせて貰ったそうだ。
以下は泥棒の頭目と目されるキムの話。
時刻は深夜の三時ぐらいだったのだと思う。今まで虫の鳴き声と風の音ばかりだった暗闇に、唐突にその音が混ざり込んできた。ザッザッザッと無言で歩く三人の男たち。手には懐中電灯、背中にはナップザック。ナップザックからはバールのような物が顔を覗かせている。
日本の仏像や神具は海外で高く売れる。しかも、警戒心が無いのか容易く侵入が出来て、仏像などを持ち出すのは造作の無い仕事だ。が遣り易いからだ。リーが言うには、此処には防犯装置など無いし、住職も不在だと言われている。
最初は毛劉寺(もうりゅうじ)に忍び込み、まんまと観音菩薩を手に入れた泥棒一味は、次に毛巽寺(もうそんじ)に忍び込んだ。ところが泥棒たちは、お目当ての仏像が無くなっているのに気が付き憤慨していた。何しろ毛劉寺にあった観音菩薩像は一目で昭和の時代に作成されていると判る代物。闇市場で高く捌けるはずがない。
先日、下調べをした時には、毛巽寺の本堂には江戸時代に作られたという、古い仏像が納められていたのを目撃していた。ところが中に入ってみるともぬけの殻だった。仏像はおろか木魚すら無かった。
「どういう事だ!? ああっ?」
泥棒団のリーダーであるキムがリーに詰め寄った。
「せ、先月来たときには確かに仏像が在ったんだっ!」
リーがその時の模様を伝えた。
しかし、彼らの行動は村人に見られていたのだ。行動を不審に思った村人たちは、仏像を村の公民館に避難させていたのだ。だが、キムたち泥棒一行はそんな事は知らない。
「そうだ! この寺の裏手に小山がある。 そこの頂上にも古い神社があった。 そこに移動したに違いない!」
リーが苦し紛れに下見の時に通った場所を思い出した。そこで三人は神社に押し入るべく山道を歩いているのだ。獣道のようになっている山道をガサガサと進んでいくと、目印にしている大岩が見えてきた。そこを曲がって緩い階段を登りきると霧湧神社だ。まだ、深夜という事もあって誰も居ない境内を進み、本殿の前に三人はやって来た。
「こういう屋代にお宝が眠ってるもんですよ」
パクはニコニコしながら、バールのような物で本殿のドアをこじ開けた。しかし、中はガランとした空間が広がっているだけだった。
「…… 何にも無いじゃねーかよ」
キムのこめかみがヒクヒクしている。毛巽寺に次いで、ここも空振りなのだ。ふと、見ると賽銭箱がある。キムが賽銭箱の中を覗くと空っぽだった。
折角、山中にある神社まで来たのに、お賽銭はおろか金目の物が一切無い。
「何処まで貧乏なんだよ。 この村ぁっ!」
リーダー格のキムが本殿の前にあるお賽銭箱を腹立ち紛れに蹴飛ばした。
「神棚の御神体を見てみますか?」
三人は本殿の中に入り込んで、パクが御神体を奉納してある祭壇の扉を、バールのような物でバリバリと破壊した。そして、懐中電灯の明かりを祭壇の中に向けてみる。
「なんだあ? 石っころとか茶碗の欠片じゃねぇか!?」
そこにあったのは、茶碗のような陶器の欠片の上に載せられた白い石だった。土台には何やら綿のような物が敷いてある。キムは御神体の茶碗の欠片を手に持って毒づいた。
「クソっ!ガソリン代にもならん!」
キムが扉を蹴飛ばして、手に持った石を放り投げようとした。
「いやいや、石が何か特別なもんかも知れないよ。 知り合いに宝石の鑑定士が居ますから、見て貰いやしょうや」
リーはキムを説得してコンビニのビニール袋に、手にした御神体一式をザラザラと流し込んだ。
その時。急に空気が変わった。少し蒸し暑いぐらいだったのに、三人の周りの空気が冷たく感じたのだ。
「…… 誰か来たのか?」
リーが警戒したように呟いた。泥棒と言うのは気配を察するのが非常に巧い。まあ、そうで無ければ捕まってしまうので当然ではある。
「様子を見て来いよ」
キムがパクの背中を小突いた。
”キィーーー キィーーーッ”
キムに促されたパクは、仕方なく扉のとこまで行こうとした。その時に、何かガラスのような物を、引っ掻くような音が聞こえ始めた。
『何だ? 扉の所に誰か居るのか?』
パクは手に持った懐中電灯の明かりを消して様子をうかがった。しかし、誰かが歩いている気配が無い。足音も話し声も聞こえないのだ。三人とも無言で佇んでいる。
”キィーーー キィーーーッ”
それでも異音は聞こえる。と言うより、段々大きくなっている気がする。
キムたちの額に汗が浮かび始めた。パクは何だか違和感を感じていた。目の前の薄暗い広間、その見え方がどこかおかしい。 少し考えた後、理由がわかった。突き当たりに自分たちが壊して入ってきた扉があるのだ。その扉の隙間から月明かりが差し込んでいるのが見えていたはずだ。この暗さなら、自分たちの位置からでも月明かりが見えなければならない。
”キィーーー キィーーーッ”
しかし、その判断が間違っていることに気が付いた。月明かりが見えた、そしてすぐ消えた。
外を誰かが通っているのでは無い。灯りの無い薄暗い広間を、黒い霧のようなモノが行きつ戻りつと往復しているのだ。それが通るたびに扉の隙間をさえぎる。それで月明かりが点いたり消えたりをしているように見えているのだ。
「…… 中に居るんだ……」
その意味に気がついた三人は、傍にあった窓を開け放して逃げ出した。扉の前には”アレ”がうろついている。窓以外に逃げ道が無い。
”キィーーー キィーーーーーーッ”
ガラスをこする音は一際大きく唸り、三人は窓からひと塊になって外に逃れた。
再び、建物に懐中電灯の明かりを向けたが、そこには何も居らず、黒い霧のようなモノも居なかった。不思議な事に、ガラスを引っ掻くような音も、聞こえ無くなっている。
「外には出てこられないようだな……」
三人は怖々と後ろ振り返りながら、山を下ろうとしていた。
「あれっていったい……」
パクは怯えていた。怪談話が苦手なのだ。
「い、生きてる奴じゃねぇよ……」
リーもまた怪談が苦手だった。
「はっ、ウェノムの幽霊なんざ怖くねぇよ」
実を言うとキムも怖い話は苦手なのだが、手下に弱みは見せられないので強がって言い放った。
「……もういいや、あの仏像売り払って逃げようぜ」
パクがうなだれたように下を向きながら言うと、そうだなと残り二人も返事をした。
そして、三人が麓に降りようと境内を歩いていると、また何かが聞こえ始めて来た。
「…… キャハハハッ ……」
微かにだが森の中から子供の笑い声が聞こえた。それと同時に、五月蠅いぐらいに鳴いていた虫の声が一斉に止まったのだ。
「…… キャハハハッ ……」
その声は段々近づいて来る。鬱蒼と茂っている森の木々をものともせずに、一直線に三人に向かって来ているようだ。草を掻き分ける音も、樹の枝を掃う音も聞こえない。子供の笑い声だけがやってくる。
「…… キャハハハッ ……」
益々、近づいて来る声を聞いた泥棒たちは、一瞬全員で顔を見合わせて、次の瞬間には全員ダッシュで山をかけ降り始めた。
「…… なんだ? なんなんだ??」
山を降りる途中で、キムの後ろを走っているパクが叫んでいる。
「ひぃ…… 付いてきてる! 付いてきてる! 俺の横に居るっ!」
最後尾を逃げているリーが怯えながら叫んだ。しかし、足音は自分たちの分しかしていない。”アレは飛んでいるのか?”キムは後ろを振り返る勇気は無かった。
「…… キャハハハッ ……」
さっきよりも笑い声が近くなったような気がした。そしてキムはその事に余計にゾッとしたのだ。
『男の全速力の駆け足に追いつける子供ってなんだ?』
声はするが足音は聞こえない。振り返って確かめる余裕も無く、そのまま全力で下を目指した。
「ああっ!」
情けない声と共に”ズザザザッ”と誰かが転ぶ音がした。
「ま、待ってくれっ!」
リーの声だ。しかし、キムとパクは走るのを止めない。立ち止まると二度と走れ無い気がしたからだ。
「置いて行かないでくれーっ!」
リーの悲鳴にも似た声が聞こえている。リーの足音が聞こえないという事は怪我をしたのかもしれない。
”何が起きているのか、なんて知りたくも無ねぇよ……”
そう思ったキムは無我夢中で走っていた。リーの声も段々遠くになる程の速度で下山していく、その間も子供の笑い声は聞こえていた。
「…… キャハハハッ ……」
キムたちは山の坂道を転んだり、無駄に伸びた枝に身体に擦り傷を作りながらも、駐車場に降りる事が出来た。駐車場に着いた頃には、子供の笑い声は聞こえなくなっている。
「な、な、なんだ、あれは……」
キムは肩で息をしている。後ろを振り返って山道を見ている。追いかけて来ていたモノの姿は見えないし気配も無い。どうやら振り切ったようだ。
「…… は、はやく逃げようぜ……」
パクはさっさと逃げ出そうと車のキーを探している。ところが身体のあちこちを探してもキーが見つからない。
「あっ、車のカギはリーが持っているんだった」
パクは最後に車に鍵を掛けたのがリーだった事を思い出した。リーは神社に行こうとした時に、携帯を車に置き忘れたと言って取りに戻ったのだ。
「馬鹿っ! 逃げられないじゃねぇか」
キムはパクの頭を拳で小突いた。
「リーの奴…… 戻って来れますかねぇ……」
パクはそんな事は気にも留めないで神社のある方を見上げた。しかし、木々が風に吹かれてざわめいているだけでリーがやってくる様子は無い。
「お、おまえ………… 鍵、取りに行って来いよ」
仲間を迎えに行けでは無く、鍵を取りに行けという辺りに、キムのクズっぷりを物語っている。仲間の心配などは頭の片隅にも無いらしい。
「え? 嫌ですよ。 キムさんが行って下さいよ」
パクは渋面を作ってキムに抗議をした。
「俺はあんな訳わからんもんに関わり合いたくねぇんだよ」
「俺だって嫌ですよ」
パクは心底嫌がっていた。訳の分からないモノに関わりを持ちたくないのは誰でも一緒だ。
「うるせぇ、行けって言ってるだろうが……」
キムは拳を握ってパクに見せた。言う事を効かないと殴るぞの意味であろう事は判る。
”一緒に行ってくれれば良いのに……”
パクはそんな事をブツブツと言いながら渋々山道を戻っていく。途中、何度も振り返ってキムが来るのを待つ素振りを見せるが、その度に手で追い払われて、パクは緩い山道を登って行った。
だが、パクは十分経っても三十分経っても戻ってこなかった。