小ぶりな木製の扉を開けて入ってきたのは、十歳児くらいの大きさの男性だった。布製の三角帽をかぶり、黒いローブをまとっていた。相当な高齢らしく、顔や杖を持つ手に無数の深い皺が刻まれている。
そして特筆すべきは、その長い白ひげ。黒いローブを白く覆い隠して下に伸び、ほとんど地面に付きそうだった。

ドワーフ

お客さんかな?

ドワーフだ。
長寿を持って知られ、高齢の個体ほどその魔術知識は膨大で、その分強力な攻撃魔法を使う。
目の前のこいつは相当な高齢だから、相当手ごわいはずだ。

ヴァルターが抜刀し、グレーテルはドワーフから距離を取って、回復魔法の準備を始める。あたしも弓のつるに手をかけた。

ドワーフ

やめなさい。こっちは君らと戦う気はない。
そんな満身創痍でまだ戦う気かね。

確かにあたしは、皇龍が起こした落石やなんかで痣だらけになっていた。今まで暗い抜け道にいたので他のみんなの状況はよく分からなかったが、みんなも大体似たようなものだった。この状態でドワーフとやり合えば、勝てたとしてもこちらサイドにも犠牲者が出かねない。

ヴァルターが剣をしまい、あたしも弓弦から手を離して臨戦態勢を解くと、ドワーフは壁際の棚から小さなコップを四つ取り出すと、腰に下げていた水筒から水をなみなみと注ぎ、あたし達に振舞ってくれた。

ドワーフ

この洞窟の泉の水だよ。
飲めば傷も癒えるだろう。

エリザ

でもいいんですか?
私たちは魔王を……
あなた達の王を倒すための討伐隊なのですよ

ドワーフ

人間と違って、魔物の「王」とか「国」なんてのは曖昧なものさ

ドワーフがあたし達に語って聞かせたところによると、魔物には魔王を頂点として、地域の首領、一般の魔物の順でヒエラルキーが存在するが、それは人間の国家のような統治体系とは違うのだという。

・強いものが首領となる
・一番強いものが魔王となる
・首領・魔王が強ければ強いほど、配下の魔物は個体数を増やしやすく、生息域も広げやすい
魔王と首領と一般の魔物の関係はそれだけ。一般の魔物にとって魔王とか首領とかいったものの存在意義は、それが強ければ強いほど自分達の種族が個体数を増やして繁栄しやすいというだけで、忠誠とか統治とかいう関係はないのだそうだ。

人と魔物の歴史において何度も、人の住む地域に魔物がはびこり、その度に魔王討伐隊が組織され、魔王が倒されると人の住む地域の魔物が激減する、という事が繰り返されてきたのは、魔王になる魔物の強さが時代によって違うからだという。
強いものが魔王になると魔物は個体数が増え、生息域も広がるので、人類の住むエリアに侵入するようになる。すると人間達の生活に支障がでるので、魔王討伐隊が結成される。魔王が倒されると、生き残った比較的弱い魔物たちの中から魔王がえらばれるので、魔物の生息域が狭まる。というわけだ。

ドワーフ

わしは何千年もの昔、グラマーニャ王国が建国されるよりもっと昔、魔物が始めてこの洞窟にやってきた頃からここに住んでおる

ドワーフ

今の魔王にせよ、この洞窟の首領にせよ、
わしから見れば赤子同然。忠誠を誓う相手ではない

ドワーフ

そんなわけで、わしはあんたらと争う気はないんじゃよ

グレーテル

争う気がないならこの洞窟から出て行ってもらいたいものだな。
天上教の神が与えしこの奇跡の泉に、魔神モロクの眷属が住んでいるなど耐えられん

グレーテルの言葉に、ドワーフは怒るよりもむしろ悲しいといった感じの表情を見せた。

ドワーフ

あんたら天上教徒の言い分はわかるが、
この泉が天上教の神のものだというのは、
それはちと傲慢な考えじゃぞ

グレーテル

だがこの泉には我ら天上教の神官が使える四つの奇跡と同じく「治癒」「解毒」「解呪」「退魔」の効果があるではないか

グレーテル

これを天上教の神の泉と言わずして何と言う? 貴様らの信ずる魔神モロクの泉だとでも言うのか

ドワーフ

この泉の歴史の全てを知るわしから言わせれば、それも違うな

そう言って彼は、泉の歴史を語り始めた。

彼によると、彼ら魔物が始めてこの洞窟に棲み始めたころ、この洞窟のすぐ近くには比較的大きな村があったそうだ。
村人達は天上教徒でもなく、メレクの信徒でもなく、泉の女神に祈りを捧げて生きていた。

幸いにして、と言うべきか、洞窟に住み着いた魔物たちには、随分長いこと強力な首領が現れなかった。そのため魔物は人間にとって大きな脅威とならず、魔物と村人は平和に泉の水を分け合って生きてきた。
そうこうしているうちにこの洞窟よりやや北方あたりから、人間の中にもメレク神、魔族の言うところのメレキウス神を信奉する部族が増え始め、この村もメレク信仰の村になると、泉の女神はメレク神の眷属であるという事にされた。

ドワーフ

思えば、この時代がもっとも平和だったのじゃろうな。人と魔物が同じ神を信じ、しかも人々は古来からの泉への信仰自体は捨てていない

しかし天上教徒であるグラマーニャ人がこの周辺を含む広大な地域を統一し、天上教を国教化すると、状況は変わってしまった。
村人は天上教徒への改宗を拒み、村は焼き払われた。
この泉の女神を信仰していた人々の子孫は絶えてしまったが、泉は今でも、天上教の神の泉としてその効能を讃えられているのだ。そうドワーフは語った。

ドワーフ

何千年も昔、わしがこの地に初めてやってきた時から、泉自体は何も変わっとりゃせん。
相変わらず、傷をいやしたり毒を浄化したりする水を生み出し続けておる

ドワーフ

人間たちだけが移ろいゆき、時代によって泉の女神と呼び、メレクの眷属と呼び、天上教の神の泉と呼ぶ。なんとも滑稽なことよ

グレーテル

泉の女神などというものは、泉という物質的なものに人間のような容姿を与え、それを神と崇めた偶像崇拝にすぎん

グレーテル

魔神モロクもそうだ。
お前たちモロクの信徒は、牛の頭をした男の像を、モロクの似姿だと言って祈りを捧げている。

ドワーフ

ほう
では問うが、なぜ天上教徒は、聖地巡礼と称して教主庁のある東方の都市コンスティカまで赴くのかね?

グレーテル

は?

ドワーフ

物質的なものに神性を認めないならば、
コンスティカという場所自体には意味がないはず。
なぜ聖地を巡礼する?

グレーテル

ぐ……

ドワーフ

天上教とも我々も、他の信仰を持つものも変わらんよ。
物理的なものを超越した、我々には理解できない「何か」を神と呼んで崇めている

ドワーフ

だが我々は往々にして、その目に見えず耳にも聞こえない「何か」を感じるために、媒介として物理的なもの・ことを必要とする。
その媒介が聖地であったり、偶像であったりするだけじゃ

グレーテルはもう反論せず、仏頂面で「ふん!」とそっぽを向いてそれきり押し黙った。


そんなグレーテルの態度など気にも留めず、ドワーフはあたし達を手厚くもてなしてくれた。
泉の水をくれただけでなく、食事まで作って振舞ってくれた。

たっぷりの野菜ときのことベーコンのスープ、茹でた白ソーセージに付け合せの馬鈴薯、表面にほんのり焦げ目がついた、香ばしいライ麦パン。
洞窟を歩き回って腹ペコだったあたし達は、大喜びでそのご馳走にありついた。

アニカ

はわわ。とろける……
ほっぺたがとろけ落ちるよ……

グレーテル

はっ、私としたことが食事の前のお祈りを忘れて食べ始めてしまった。
しかし食事を振舞ってくれたのは異教徒。この場合神に感謝するのは正しいのだろうか……

ヴァルター

細かいことはいいんだよ。
今はただ、この料理の美味さに感謝!

空腹は最高の調味料というが、ただでさえ美味しい料理にその最高の調味料が加わったとき、王侯貴族も容易には味わえない至高のご馳走になる。目の前の料理がまさにそれだ。
あたし達は夢中で食べ続け、気づいたら全ての皿を空にしていた。

エリザ

とても美味しいお料理、ご馳走様でした

ヴァルター

ご馳走様でした。
そろそろおいとましようと思います。

ドワーフ

帰るなら、そこの扉をでてすぐのところに地上へ登る梯子がある。
それと、餞別に机の上にある本、持っていって良いぞ

そういってドワーフは、机の上を指差した。
そこには赤い背表紙の古い本が置かれていた。
どうやら、魔術書の類らしい。

エリザ

これは……
龍族専用の呪縛魔法に、風属性の強力な攻撃魔法……
どうやら、皇龍との戦闘に特化した魔導書のようですね

アニカ

でもいいんですか?
あたし達がここの首領を倒したら、
おじいさん達魔族は棲みにくくなるんじゃ……

さっきの話によると、そこを治めている首領が強ければ強いほど、そのエリアにいる魔族は繁栄する。
実際、首領を倒されたエリアからはクモの子を散らすように魔物が逃げていく。
なのにあたし達が皇龍を倒す手助けになりそうな魔導書をくれるなんて、自分の首を絞めることになりかねない。

ドワーフ

数千年前、この地に魔族はおらず、泉は人間のものだった

ドワーフ

わしらはその泉の水を人間から分けてもらっていたんじゃ。
人間がこの洞窟に入って来れないようになるのは、この泉の自然のあり方ではない

何かを懐かしむような表情で、ドワーフは言った。
彼としては、人間と魔族の共存を望んでいるようだ。
彼の知る、人も魔族もメレク神を信じていた時代、その時代を理想として、現状をそれに少しでも近づけようと考えているのかもしれない。

ともかくもあたし達は、ドワーフにお礼を言ってその部屋を出た。
ドワーフの言うとおり、扉のすぐ外にある梯子を登ると、簡単に地上に出ることが出来た。
地上はもうとっぷりと日が暮れていたので、今日のところはその場に結界を張ってキャンプすることにした。明日の朝一番で村へ向かえば、昼前には村へ帰れるだろう。

アニカ

!? ここって……

あたしはふと足元に目を留めた。
すぐ下にはたった今あたし達が出てきた梯子のある縦穴。そしてそこから少しはなれたところに、風化しかけた石がいくつか並べられている。

石は穴を囲むように幾つも点在している。なんなのかしばらく考えて、あたしはそれが朽ち果てた家の基礎部分だということに気づいた。

よく見ると周囲にはそんな風に朽ちた家のあとが幾つも存在している。
土には、細かく砕かれた陶片のようなものも混じっている。

ヴァルター

ここがドワーフの言っていた、天上教への改宗を拒んで焼き払われた村のあとか

エリザ

ドワーフさんの家の前の縦穴が、人間の村の家の中に続いていたということは、おそらく懇意にしていた人間がいたのでしょうね

彼が人間との共存を望んだ理由がわかった気がした。
彼はこの村の人間と親しかったのだ。
しかしその村を焼き払ったのもまた、人間だ。
悠久の時間を生き、数限りない悲喜こもごもを体験した彼が人間に対して抱く感情は、きっとあたしには想像もつかないぐらい複雑だろう。

かつて村の中央広場だった辺りを野営地としてあたし達は夜を明かすことにしたが、ドワーフとこの村の人々のことばかり考えてしまい、あたしは一向に寝付けなかった。
(癒しの泉編・完。メレクの呪い編につづく)

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