……綺麗

 すべすべに磨かれた廊下を飾るタペストリーに、思わず足を止める。

迷子にならないでよ、リィン

 気が付くと、一緒に歩いていたはずのティナとサジャがずっと遠くになっていた。

リィンは、綺麗なもの、好き?

うん

 その遠さを感じることなく、一瞬でリィンを抱きしめたサジャの質問に、頷く。

 さすが、大国の王宮。サジャに手を引かれて歩いている間も、リィンは物珍しそうに辺りを見回していた。

夢みたい
長年秘匿されてきた王家所有の石板の閲覧許可が出るなんて

 そのリィンの耳に、前方を歩くティナの声が響く。

私自身の魔術の腕が、認められたんだわ

良かったね、ティナ

 磨き抜かれた石の床を、ステップを踏むように歩くティナに、リィンは少しだけ微笑んだ。

 体力を消耗する、石板を読む手伝いは、本当は気が進まないのだが。

……ま、いっか

 ティナは、あんなに嬉しそうにしている。それで良いではないか。

 それよりも。

……綺麗

 廊下の角に設えられた、細かい模様のステンドグラスに、足を止める。様々な色の光に、リィンは思わず目を細めた。

リィン、早くっ

 そのリィンの耳に、リィンの五歩先を歩いていたサジャの声が響く。

綺麗なもの、こっちにもたくさんあるよ

うん……

 サジャの言葉に頷いたリィンだったが、足は、ステンドグラスの前に止まったまま、だった。

本当に、綺麗

 いつまでも、見ていたい。心から、そう思う。

 しかしリィンが今ここにいる理由は、綺麗なものを見る為ではない。ティナが石板を読むの手伝いとして、ここにいるのだ。それを忘れてはいけない。リィンは小さく首を振ると、無理矢理ステンドグラスから目を逸らした。

 と。

……あれ?

 口をぽかんと開けて、辺りを見回す。

 廊下にいるのは、リィン一人。どこかの部屋に入ってしまったのか、ティナもサジャも、見えない。王宮に入ったのは勿論初めてだから、完全に、迷子だ。

……ま、いっか

 とりあえず、廊下を行けば二人に逢えるだろう。そんなことを考えながら、ゆっくりと歩く。すぐに、リィンの目の前に下りの階段が現れた。

これを、降りたのかな?

 首を傾げてから、普通の足取りで階段を降りる。

 ぐるぐると続く階段を降りきった場所にあったのは、少し明るい、湿った空間。

えーっと、ここは

 多分、地下。

……完全に、迷子ね

 とりあえず、元の場所に戻ろう。サジャもティナも、心配している。リィンはそっと踵を返した。

 と、その時。

……あ

 目の端に入ってきた、見慣れた塊に、息を吐く。

こんなところに、何故?

 もう一度、今度はまじまじとその物体を見詰め、リィンは大きく息を吐いた。

『歌碑』、だよね

 リィンの背と同じ高さの物体に刻まれた、文字のようなものに、目を留める。リィンでも読めるということは、これは、今の文字だ。

望みを込めて、この碑に触れよ

 小さい声で、書かれていた文字を読む。

 触れたら、どうなるのだろう? 昔感じた、身体の熱が全て奪われた感覚を思い出し、リィンは小さく首を横に振った。

この『歌碑』は、命と引き替えに何でも望みを叶えてくれると、云われておる

 リィンの疑問に答えるかのように、背後から重々しい声が聞こえてくる。

 振り向くと、立派な鎧を身に着けた品の良い老騎士が微笑んでいるのが、見えた。

 その老騎士が、リィンの横を通り、歌碑の横に立つ。

私には、触れる勇気は無いが

 そう言って笑う老騎士に既視感を覚え、リィンは思わず首を傾げた。

この人、見たこと、あるんだけど
……何処で、見たんだっけ?

 次の瞬間。

リィン! 見つけたっ!

 嵐のような風が、リィンの腕を掴む。

何故王宮で迷子になんかなるのよ!

 リィンの目と鼻の先には、ミトの怒りに燃えた瞳があった。

サジャが半狂乱になってたわよ!

あ、……ごめんなさい

謝るのは後!

 そう言って、ミトはリィンの腕を、抜けるのではないかと思うほど強引に引っ張った。

 と。

ところで、ミト

 それまで、リィンとミトの様子を面白そうに見ていた老騎士が、ミトに向かって言葉を紡ぐ。

結婚の件、まだ渋っておるのか

あ、はあ……

 老騎士の言葉に、ミトの威勢は一瞬にして、無くなった。

 だが、リィンが疑問を口にする前に、ミトはリィンの腕を掴んだまま階段を駆け上がる。

あ、の、ミト

 息を切らせたリィンが疑問を口にできるようになったのは、階段を登りきり、リィンが最初に迷子になった場所に戻った時だった。

あの老騎士さん、誰?

あっきれた

 リィンの質問に、ミトは顔を更に歪めた。

王都サフィーニに住んでるのに
王様見たことないのっ?

はいっ?

 あれが、王様? ミトの言葉に、頭の中が真っ白になってしまう。

 続けてミトに聞こうと思っていた質問は、頭からすっかり消えてしまっていた。

のほほん冒険者、置いて行かれる。

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