車を止め、辺りを見渡す。樹木の繁る広く美しい公園には人気はなく、むしろそれがこの空間に神秘性を与えていた。
音耶は長岡からあれ以降メッセージが来ていないことに不安を覚えるが、ここで焦っては仕方がないと出来るだけ心を落ち着かせた。
ここか
車を止め、辺りを見渡す。樹木の繁る広く美しい公園には人気はなく、むしろそれがこの空間に神秘性を与えていた。
音耶は長岡からあれ以降メッセージが来ていないことに不安を覚えるが、ここで焦っては仕方がないと出来るだけ心を落ち着かせた。
細かい場所は?
メッセージに書いてある。……にしても、本当に、お前も来るのか? 学校であった事件も気味の悪いものだったが、もし俺達が相対しなければならないものが“アーティスト”、或いはそれに似たものや模倣したものだったらまたえげつないものに遭うことになるぞ
その言葉に鬱田は暫し思案する。確かにあの事件で見たものは彼の心を大きく磨り減らした。元々感受性が高く、その無精な見た目とは裏腹に繊細な鬱田にとって事件が起ころうとしている現場に行くのは酷く残酷なことともとれる。しかし、鬱田は小さく笑って答えた。
前みたいに足手まといにはならんように努力するさ。男手は欲しいだろ
友人のその優しさに音耶も笑みを返す。仮に彼がまた光景にうずくまるようなことがあっても守ってやらねばと思いながら。
車を降り、長岡からのメッセージを見ながら目的地に向かう。長岡の指定した場所は公園の中でも随分と端の方のエリアであり、人目につかないことは確かであった。しかし音耶からすればそれは素人の考え付くものに過ぎず、万一行方不明者が出ればすぐに捜索される場所である。つまり、犯人は後先を考えずに犯行を行おうとしているのだと音耶は感じた。場所を提示されてしまえば人影を見つけるのは容易であるこの場所で、例に漏れず長岡を見付けると、音耶は鬱田に隠れるよう指示し、笑顔を作るとわざと足音を立てて長岡に自分を見付けさせる。
直接会うのは初めてですね、ジョルさん。ツカサですー
何だよ、ビビったぜ。ああ、今回のキャンバスはそこに転がってる。顔見てみ、良いだろ
そう言った長岡は足元にあった何か塊を足でつつく。見ればそれは塊ではなく、腕や足を縛られ拘束された少女だった。口には猿ぐつわがされ、目隠しまでされている。ぐったりとしているが外傷は見られないため、恐らく薬か何かだろう。本当はこの少女に一言でもかけてやりたいものだが、長岡の手前それは出来ない。音耶はタイミングを見て彼女の救出と長岡の拘束を図る事にした。
長岡は一人で犯行を行おうとしているらしい。それは、“アーティスト”の模倣をしっかりと行っている証拠でもあった。それに対して音耶には鬱田という仲間に警察、即ち恵司達がいる。人員的には有利だが、人質がいる以上現状では一概にそうも言えない。
それにしても、早いんですねー。準備から何まで、流石ジョルさん
“アーティスト”って呼びやがれ。まぁ、オレほどにもなるとキャンバスの用意も迅速にって訳よ
目隠しと猿ぐつわで顔はよく見えないが確かに少女の顔は可愛らしいものだろう。しかし、品性が少し足りなさそうな点において音耶は不満だった。それを口にすればまた刺激してしまうので、ぐっとこらえて飲み込んだが。
玲奈の時は血を抜いて真っ青にしてやったから、可憐はどうしてやろうかな……。疑似ミロのヴィーナスみたいにしてやるか?
玲奈の時。つまり、彼は初犯じゃないらしい。しかし、今までの杜撰さから考えればどうして彼が逮捕されないのかが音耶には疑問だった。警察が無能か、或いは彼に優秀な協力者がいるか。恐れるべきは後者である。姿の見えない協力者が居られれば此方が不利になる可能性もある。音耶は警戒を悟られないように長岡に問いかけた。
ジョルさん、一人でやってるんですか? あれだけ完璧な犯行、一人でやってたらジョルさん強すぎますよー
あったりめーよ。“アーティスト”は一人で仕事をするもんだぜ? 中々理解されない孤高の芸術家だからな!
猟奇殺人鬼に対する孤高の芸術家という評価も気にならないではないが、少なくとも彼は一人で犯行をしていると認識しているらしい。だとすると本当に警察が無能なのか? 音耶は頭を抱えたくなった。
おっし。そんじゃあそろそろ解体ショーと行きますか。ツカサ、どうせお前も共犯者だ、周り見てろ
そう言ってナイフを取り出し、少女――先程可憐と呼ばれていた――の首筋に当てようとする長岡。まずいと思った音耶は、適当な理由を付けてそれを制する。
待ってくださいよ! まだいつもの質問を彼女にしてないじゃないですか! 俺、彼女の猿ぐつわとか解くんで、代わりに周り見ててくださいよ。ナイフ持ってるんですし、何かあったらジョルさんの方がどうにでも出来そうですし!
ああ、そっか。やっべぇ忘れてた。んじゃあ頼んだぞツカサ。
何の疑いもなく自分に人質の扱いを任せてくれる長岡の愚かさに感謝しつつも、音耶は優しく少女の拘束を解いていく、まずは目隠しだけを取り、虚ろな目の少女に小さく「君の事は守ってみせるから」と耳打ちする。その瞬間に彼女の目に少し光が宿り、音耶の顔をじっと見た。そうして、何か言いたそうにしているものの猿ぐつわで喋れない少女に向かって喋らないように、と音耶は差し指を自身の唇に当ててジェスチャーをする。それに少女は小さく頷いた。
解けました。けど、これでもし美しくなりたくないって答えたら殺せませんねー。それが“アーティスト”のルールですもん
わざとらしくはっきりそう口にし、少女に向かって目配せをする。それは、絶対に美しくなりたいと答えるなという指示だった。少女もそれに気付いたようだが、長岡に悟られぬよう何も反応を返すことは無かった。
女はみんな美しくなりたがるんだから平気だよ。……それじゃあ聞くぞ。可憐、お前は美しくなりたいよな?
…………わ、私は、美しくならなくても、大丈夫
少しの間と共にそう答えた彼女の姿に、長岡はみるみる顔を赤くしていく。音耶はそれに笑ってしまいそうになったが、何とか抑えた。
ん、んなわけないだろ! 美しくなりたいんだろ!
い、嫌……。美しくなんてなりたくない!
そう声を張り上げた彼女の胸倉を長岡は思い切り掴んだ。小さく悲鳴を上げる少女。今にもナイフを振り上げそうな長岡の腕を掴んだ音耶は今だとばかりにその腕を捻りナイフを取り落させた。
ツカサ、テメェ!
“アーティスト”は美しくなりたいと答えた女性以外を手に掛けることはありません。それに、残念ながらあなたは偽物だ
お前、まだそんなこと言って
本物の事を良く知りもしない癖して、随分とお粗末な犯行を行う貴方はただの屑ですよ。……鬱田、彼女の保護を
音耶の言葉で隠れていた鬱田が少女の傍まで駆け出し、その拘束を解いていく。長岡は暴れるが、音耶の力には適わず段々とその力を失っていく。
音耶も、鬱田も勝利を確信したその時だった。
突如、乾いた銃声が鳴り響く。それと同時に音耶の目に映ったのは、赤い雫を零しながら蹲った鬱田の姿だった。
鬱田!?
急所じゃねぇから安心しろ……。だが、あの音……銃か……?
腕を抑える鬱田の服は確かに左腕の辺りが赤く染まっている。だが、どちらにせよ早く手当をする必要がある。しかし、音耶は長岡を拘束する必要があるので動けない。と、そこまで考えて音耶は一つの疑問に辿り着く。
……今、鬱田を撃ったのは誰だ?
がさっ、と物陰で音がしたのを聞き逃さず、音耶は長岡の足を思い切り踏みつけて動けなくさせると、物音の方向を見た。そして、そこにある人影に一瞬言葉を失ったのだった。
……やっぱり、貴方ですか
スーツを着込んだ堅物そうな初老の男性。音耶は見覚えがある。否、見覚えなんてものではない。同じ事件を捜査したこともあった。だがまさか、この人がこんな行動に出るなんて。
聞かせてください。どうして鬱田を撃ったんですか。――高良警視