イプシロンの角に光が集まり出した。
さーて、それじゃあサクッとそいつをぶっ殺しちまうかな。
あ、味オンチだなんて、これじゃあ打つ手がないじゃないか!
イプシロン! 待つダ! 星野亘を殺してはいけないダ!
心配するなよ、ラムダ。地球の食べ物をもっと味わいたいってのは理解したからさ。
だからこうしてやるよ。サンプルは殺す。でも地球を破壊するのは延期してやる。それなら問題ないだろ?
え? 要するに僕の命と引き換えに地球は延命されるっていうこと?
……………
あれー? ラムダが黙っちゃってるよ。ってことはわりかしOKってこと?
沈黙もまた一つの答えだ。それじゃやらせてもらうぜ。頭ふっとばしてバーンだ!
イプシロンの角に光が集まり出した。
……ああ、僕の人生はここまでか。なんだかなー。
時空を引き裂くような音が響き渡った。
……って、アレ? 死んでない?
恐る恐る目を開けると、イプシロンが
瞬間冷凍されたかのように動きを止めていた。
…………………
こ、これはラムダの時間を操る能力!? ラムダはもう力が使えなかったんじゃ……?
粉々にされたハッピーターソをかき集めて、エネルギーをわずかに補充しダ。でも、長くは……保たない……ダ。
ラムダはガクッと膝をつき、苦しそうにあえいだ。
イプシロンの時間を止めていられるのは、あと1時間しかない。その間に何か対策を講じないと、もう止める術はないダ。
ラムダにありったけの食事を持ってきて、エネルギーを回復させるのじゃダメなの?
我のエネルギーの絶対量はイプシロンに遠く及ばない。我では時間稼ぎにしかならないダ。
じゃあ、どうすればいいんだ!?
それは……我には……わからない……ダ。
ラムダはその場にバタッと倒れ込んだ。
と、とりあえず、ラムダを連れて逃げないと!
僕はラムダを背負ってその場から逃げ出した。
アパートに戻ってきた僕は気を失ったままの
ラムダをベッドに寝かしつけ、時計を見た。
時間は……あと40分。ラムダに頼ることもできない。どうすればいいんだ?
イプシロンはたまたまハッピーターソが好きじゃなかったのかもしれない。お菓子じゃなく、まともな食事を出せばどうだろう?
……いや、違う。そういう問題じゃない。ラムダはイプシロンが味オンチと言った。それを前提として考えなきゃいけないんだ。
一人で悩んでいても時間ばかりが過ぎていく。
ダメ元でハギノさんに電話をかけてみよう。協力してくれるかどうかわからないけど、相談できるのは彼女しかいない。
……クソッ! 出ない! こんな時に!
僕は留守録に荻野さんにSOSの伝言を残した。
そんな時、不意に妙案が頭に浮かんだ。
そ、そうだ! イプシロンは味オンチ。美味しいはずのものを不味いと感じるってことは、その逆をやればいいんじゃないか?
前に荻野さんに電話でレシピを習った時、
僕の手料理でラムダを怒らせたのを思い出したのだ。
あと30分。間に合うか? ……いや、間に合わせるしかない!
幸いなことに豚肉が残っていたので、
僕は以前と同じ豚生姜焼きを作ることにした。
……前よりは早くできそうだけど、ああ、クソ! あいかわらず僕は料理が向いてないな!
それからあっという間にタイムリミットを迎えた。
さっきはよくも不意を突いてくれたな。
イプシロンは一瞬で僕の部屋に移動してきた。
あれ? ラムダは気を失ってんのか。
つーか、おまえ何やってんだ? 今から死ぬってのにさ。最後の晩餐か?
待ってくれ! できた! 最後にこれを食べてみてくれないか!
まさに時間ギリギリだった。
僕は完成した豚生姜焼きをイプシロンに差し出した。
食べねえよ。オレは今まで一度も飯が美味いと思ったことがないんだ。
頼めるような立場じゃないのはわかってる。でもお願いだ! これでダメなら素直に諦めるから!
……チッ。うるせーな。年上が簡単に頭下げてくんじゃねーよ。やりづれーだろ。
しょーがねーな。一口だけだからな。
あ、ありがとう!
イプシロンは冷酷無比な性格かと思っていが、
意外と押しに弱い宇宙人なのかもしれない。
うっわー。なんだこれ。露骨にマズそう。グチャグチャじゃん。家畜の飼料みたいだ。
正直、それは作った僕自身も思ってた。でも一発逆転の可能性に賭けて見たんだ!
じゃあ食うぜ。
……なっ!? こ、これは?
イプシロンの表情が変わった。
しかし次の瞬間、豚の生姜焼きは
部屋中に撒き散らされることになった。
激マズじゃねえか、この野郎! テメー、オレが味オンチだからって、マズイもの食わせたら逆に美味く感じると思ったんだろう!
ふざけんな! 味オンチでもマズイものはマズイんだ! 当たり前じゃねえか!
うわあ、やっぱりダメだった。全部見透かされた! 万策尽きた!
テメーにチャンスを与えたオレがバカだったぜ。あったま来たぜ。
一瞬で殺すつもりだったが、予定変更だ。テメーは時間をかけてなぶり殺しだ。
イプシロンはいきなり僕の喉をつかんだ。
その途端、体の内側から電流のようなものが走り、
僕は一切抵抗することができなくなった。
神経作用を活発にした状態で苦痛を与えてやる。通常の十倍の感覚で苦しみやがれ!
……う……あ……あ……ギギギ……ヴヴヴ
……星……野……亘……
ラムダがうわ言のように僕の名前をつぶやいた。
しかし彼女も限界で、起き上がってはこれなかった。
……ああ、走馬灯が見える。
……辺りが暗い。
あれ? でも、誰かが近くに……?
星野氏!
え? ハギノさん!?
幻覚かと思ったが、違った。
目を開くと部屋に荻野さんが上がり込んでいた。
誰だ、おまえ?
そっちこそ誰よ。……って、やっぱり名乗らなくていい。名前なんて興味ないから。
そんなことより星野氏から手をのけろ!
あーん? おまえ、オレに逆らったらどうなるかわからないのか?
まあ、ド田舎の地球人じゃ仕方がないか。見ていろ。今からこいつの首をバーンとふっ飛ばして……
聞こえないのか! 星野氏から手を離せ! 直ちにだ!
荻野さんはイプシロンにビンタを張っていた。
イプシロンは驚いて目をパチパチと瞬いた。
……な、な、なんだってんだよ、オマエ。か、関係ないじゃんか。
保母さんにも叩かれたことねえのに!
関係なくなんかない! 星野氏に手を出すやつは誰であれ私は許さないんだ。
それに料理を床にぶちまけたのはおまえだな? 食べ物を粗末にするとはこれ如何に? 実に許し難い。人間の風上にも置けない奴だな。
う、うるせえよ! マズイから投げたんだ。何が悪い!?
食べ物を軽んじる気持ちがあるから不味く感じるんだ! 感謝の気持ちがない奴に食う資格はない!
……………っな!?
………………
いつの間にかイプシロンは僕から手を離していた。
……クソ。
……クソ、クソ、クソクソクソ! クソッタレ!
イプシロンは悪態をつきながら地団駄を踏み出した。
フン。まるでガキの挙動だな。
気分が壊れた。テンション下がった。今日はもう帰る!
え、マジで?
おまえ、名前は?
イプシロンは荻野さんを指さして問うた。
本当は教えたくないが、荻野月子だ。
オギノか! 顔と名前、しっかり覚えたからな! 次に来る時は容赦しねえから! 震えて待ってろ!
ふーん。別に来なくていいけど。というより来るな。極めて迷惑なこと甚だしい。
オレの名前はイプシロン! 忘れるんじゃねえぞ!
イプシロンの姿はあっという間に掻き消えた。
……た、助かった?
……ど、どうなっダ?
ラムダが目を覚まして起き上がってきた。
僕とラムダは一緒に荻野さんに頭を下げた。
助かっダ。オギノ。感謝するダ。
ありがとう! ハギノさん!
な、なんだ。照れるではないか。でも私はオギノ。何が起きてたのかよくわからないけど、感謝してくれるのならちゃんと名前を覚えてくれると嬉しいな。
うん、今度こそわかったよ! 心に刻んだ! ハギノさん!
……まあ、いつものことだけど。
……で、さっきのガキはなんだったの? えーと、エプロン? とか言ったっけ?
イプシロン、ダ。
何はともあれ、地球の、いや、
僕の最大ピンチはこうして回避されたのだった。
――次回、
あるいは
マヨネーズでいっぱいの海